第31話

 長姉は通信用として壁に掛かっている八咫鏡を外して手に取り、童へと向ける。

 珍妙な姿を撮り、後々まで残しておく事を思いついたのだ。


(生まれた子達が成年した時、祝いの席で映したらきっと受けますわね)


 皇国では国法により、生まれた子はすぐに実親と引き離して育てられる為、再会が叶うのは成年して後の事になる。

 その時、懐妊を知らされた際の実父がとった滑稽な姿を仔等に見せれば、成年を祝う宴席が大いにわくであろう。

 長姉は八咫鏡を手にしながらその光景を夢想し、童の無様な姿を笑いをこらえながら見守っていた。

 少しすると、窓から陽が差し込み、時を告げる鐘の音が辺りに響き渡り始めた。


「そろそろ、しっかりして下さいな。もう夕餉ゆうげの頃合いですわよ」

「え、夕餉ゆうげ?」


 長姉の声に、我にかえった童が窓の外を見ると、陽が西に沈みかけていた。


「朝ではなかったんですか!?」

「何を言ってるのです。昨日に着いた時に車の中で眠り込んでいたのを、降ろしてこの部屋へ寝かせてから、ずっと目覚めませんでしたわよ」

「す、済みません!」


 あろう事か一日半は眠りこけていたと聞き、童は慌てて頭を下げて詫びる。

 早く侍従としての務めが果たせる様に、学問や礼儀作法の鍛錬に励まねばならない半端物の身なのに、時を無駄にしてしまった。

 これではまるで穀潰しではないかと、童は恥じ入るばかりである。

 和国の民にとって、怠惰は許されざる罪なのだ。生きて動ける内は、粉骨砕身して働き、家族や共同体に尽くさねばならないと、殆どの者が考えていた。

 まして童は、老いて働けぬ者を口減らしする”姥捨て”の慣習がある村の出である。怠ける者には生きる値打ちがないという考えが、骨の髄まで染みこんでいるのだ。


「いいえ。短い間に色々とあって、心も体も疲れていたのですから当然です。貴方はよく頑張っていますよ」

「で、でも……」

「貴方が疲れのあまり倒れでもすれば、それこそ御夫君様が御嘆きになられます。休める時に休むのも、御側仕えの心得ですよ」

「わかりました、長姉様……」


 休息を罪悪として責める和国の風潮について、民を苦しめている悪癖と考えている長姉は、童の頭を撫でてなだめながらも溜息を漏らすのだった。



*  *  *



 夕餉ゆうげの席は、長姉の他、四人の学徒も交えた賑やかな物だった。

 懐妊の祝いの馳走は、童が計都ケートゥと共に車で持ち帰った、代官所の者共の首である。

 膳に乗せられた生首はいずれも断末魔の苦しみを浮かべた顔だ。食べやすい様に髪を剃られて頭頂の頭蓋を切られ、脳がむき出しになっている。


「腹の仔の良い滋養になります。本当に良いお土産ですね」

「気が利いてるよねー」

「うん、甘くて美味しい!」


 長姉を始め、学徒達は脳髄を匙ですくい、霊力の詰まった濃厚な甘みに舌鼓を打っている。

 一方の童は、添えられた白米の盛り飯や、副菜の漬物を口に運ぶばかりで、贄には口を付けようとしない。


「どしたの、食べないの?」


 人として育った為に、贄を食べる事に抵抗があるのかと思った学徒の一人が、心配そうに尋ねた。


「いえ、石津で食ったばかりな物で。贄は大事なもんだから、むやみに食っちゃいけねえって導師が仰ってて……」

「大丈夫ですよ。確かに、ただ美味を味わう為に贄を貪ってはなりませんけれども、貴方は霊力をもっと蓄えておかねばなりませんもの」


 長姉が促すと、童は安心した様に、自分に出されている贄の脳を匙ですくい口に運ぶ。


「如何ですか?」

「昨日は鉄の管を刺して吸ったけど…… こっちの方が食った感じがあります」


 先日に味わったのと同様の甘味に加え、吸ったのでは味わえない食感を得て、童は満足そうに答えた。

 夕餉ゆうげを終え、食後の茶を飲みながら皆がくつろいでいる処で、襖が開く。


「うむ、愉しんでおる様だな」

「う゛ぁ、和修吉ヴァースキ師!」

「ああ、そのままで良い」


 現れたのは和修吉ヴァースキだった。その場の全員が慌てて姿勢を正して合掌するが、和修吉ヴァースキはそれを止める。


「さし当たり、汝の伴侶たるべき娘について、検分が終わったのでな、報せに来た。その上で、今後の事を決めたいのだが」

「ど、どうだったんです?」


 童だけでなく、学徒達も身を乗り出す。


「結論から言えば、蘇らす事は出来なくもない」

「本当ですか!」

「喜ぶのは早い」


 童は思わず歓喜の声を挙げたが、和修吉ヴァースキはそれを押しとどめる。


「但し、蘇生した後の余命はもって三月。最期の心残りを果たさせてやる位しか出来ぬであろうよ」

「それじゃ、腹の子も…… 助からんですね……」


 童は力なくうなだれた。

 計都ケートゥは”何とかなりそう”と言っていたが、それがたった三月の事とは…… 偽りではないにせよ、あまりに酷いではないかと思えてくる。

 それに、母体が僅かしか生きられぬのであれば、当然に胎に収まる仔も運命を共にするしかない。

 自分の胤ではないとはいえ、幼馴染みの子だ。童としては、そちらも何とか助けたかった。


「だが、仮初めの蘇生をあきらめ、自我を持たぬ殭屍キョンシーとなる様に施術すれば、腹の子はそのまま育ち、生まれ出る事も出来よう」


 女の咎人の骸が殭屍キョンシーと称する”心持たぬ生き人形”にされた上で、やはり咎人とされた幼少の者を胎に押し込め、無垢の赤児に戻す”還元”という術の為に使役されているという事は、童も既に知っていた。


「俺に、選べという事…… ですね……」

「是」


 突きつけられた命の選択。

 逃げる事が出来ぬ重き試練に、童は何が最良かと考える他なかった。

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