第29話

「如何にも、拙僧等は立川流。なれば、現在の様な体たらくを晒しておる事情は御存知であろうか」

「ええ。立川流は南朝方でしたものね」

「そこまで御存知であったか……」


 計都ケートゥは和国遠征に先立ち、南北朝の乱の顛末についても把握していた。立川流が南朝に与していた事についても、知識の内に含まれている。

 計都ケートゥの指摘に、上人は嘆息する他なかった。

 相手方の事を深く知っている旨を仄めかし、主導権を握るのも、計都ケートゥの好む手段である。


「何故…… 此度の件、他州の営みに関わろうとするのですか?」

「これの身内ですもの。助けない訳には参りませんわ」


 戸惑いながらも皇国の意図を尋ねる筆頭格に、計都ケートゥは傍らの童を視線で示した。


「お連れ様は、どの様な方でしょう?」

「これは、皆様方が欲していた人狼の仔が化身している姿ですの」


 計都ケートゥの答えに、高野聖達はどよめいた。何故、件の人狼の仔が、伊勢の阿修羅アスラと共に、ここにいるのか。


「しかし、我々が出会った人狼達に、里へ連れて行ったと聞かされたのですが……」

「ええ。皆様方が出会った人狼の隊もまた、先に補陀落ポータラカが遣わした者共。里というのは即ち、伊勢の事ですわね。もっとも、暮らしているのは人狼だけではありませんけれども、偽りではありませんわよ?」


 高野聖達も、人狼の件で伊勢の関与を全く疑わない訳ではなかったが、先に阿瑪拉アマラ達に出会った時には、あえてその場で口にしなかった。

 余計な詮索をすれば、確実にその場で屠られかねないと考えた為である。


「いずれにせよ、そこの童は安寧の地を得て、贄を欲して人を襲う恐れもなくなった。先に約定を交わしておるし、拙僧としてはそれで良い」

「そういう事ですわ、皆様」


 高野聖達は黙して頷き、従う意思を見せた。今更に一頭の人狼を欲しさに話を覆すつもりはない。

 到底、逆らえる相手ではないし、童自身の意思もある。


「では、その娘の事に話を戻しますわね。小生に診せて頂けません?」

「良かろう」


 上人の許諾を得た計都ケートゥは、横たえられている娘の骸の前へ進むと、衣を解いて、一糸まとわぬ裸体となる。


「な、何を?」


 驚く高野聖達に構う事無く、計都ケートゥは全身を光り輝かせる。

 室内の全員の目がくらみ、視力が戻った時には、三対の腕に金髪碧眼の垂れ目という、計都ケートゥ本来の姿がそこにあった。

 衣は纏わず、裸身はそのままである。


「おお……」「何という……」


 高野聖達、そして上人は、阿修羅アスラの本性を前にして感嘆の声を挙げる。

 眼前の異形は彼等にとって、欲してやまぬ超常の力を備えた存在だ。

 仏像や仏画でその姿を知ってはいたが、実際に目にしたのは初めてである。これまで相対して来た狐狸妖怪等とは、とても比較にならない神々しさだ。


「では、失礼しますわね」


 計都ケートウは三対の腕を使い、骸の全身をまさぐり始めた。

 つま先から頭頂までをくまなく撫で回し、穴という穴に指を差し入れては、時折頷いている。

 特に、頭部、乳房、下腹、そして女陰といった箇所を丹念に診ている様だった。

 その辺りに変異を感じているであろう事は、素人目にも容易に察せられる。


「ど、どうですか?」

「ええ、大まかなところは解りましたわ」


 心配そうに尋ねる童に、計都ケートゥは微笑んで応えた。

 その眼は、希有な物を診ることの出来た悦びで輝いている。


「これは、いわゆる”産女うぶめ”ですわね」

「御見事。貴殿もそう診たか」

「何ですか、それは?」


 計都ケートゥの見立てに、上人も頷く。

 聞き慣れぬ言葉を聞き返す童に答えたのも彼だった。


「”黄泉返り”の内、子を孕んだまま命を失った女を”産女”と称する。この場合、胎で育んだ命を産み出せなんだ無念故に、死にきれぬのであろうと言われておる」

「じゃ、姉ちゃんは……」

「ええ。子を孕んでいますわね。勿論、人狼の貴方の胤では孕みませんから、他の男との間に出来た子を」


 村の若い男が皆、幼馴染みの元へ通っていた事は、童も知っていた。

 誰の胤であろうと、女の側が父を名指しするのが村のしきたりなので、孕んでいた事については童も平静に受け止めている。


「およそ、二月半位ですわね。貴方とまぐわった時には、自分でも解っていたと思いますわよ」

「もしかして、俺の子だと言うつもりで……」


 幼馴染みが、出家する筈だった童を引き留めるならば、子の父だとして指名するのは有効な手段である。勿論、それが通ったとして、寺から受け取った支度銭を返済しなくてはならないという問題が出るのだが……


「ええ。貴方を迎えに行った際、人狼の胤で人間は孕まぬと阿瑪拉アマラが言ったそうですわね。それがなければ、貴方の子を宿していると称して、共について行くつもりだったのだと思いますわ」


「姉ちゃん……」

阿瑪拉アマラを責めてはなりませんわよ。よもや、この様な事になるとは思いませんでしたもの」

「解って……ます…… 悪い奴は、成敗したんだ…… けど……」


 幼馴染みが自分に向けたであろう想いを知り、童はうつむいて肩を震わせる。

 何故、阿瑪拉アマラに連れられて村を去る時、共に連れて行きたいと強く願わなかったのか。その後の自分の扱いを考えれば、それ位の我が儘は通ったかも知れないのに。


「して、その娘を生者として引き戻す見込みはあろうか? 拙僧如きでは到底叶わぬが」

「これなら、何とかなりそうですわね」

「おお……」


 上人の問いに、計都ケートゥは自信ありげに答える。

 その口調に、高野聖達は感嘆の声を漏らし、童は哀しみを抑えて平静を取り戻した。


「伊勢には小生の他にも医術に長けた学師がいますから、どの様な施術を行うかは、そちらとも話し合って決めますわ」

「支障なくば見届けたいが、構わぬか?」


 上人の申し入れに、計都ケートゥは彼の眼を正面から見つめる。


「それは、人に災い為す”黄泉返り”を委ねる責からかしら? それとも、秘術の一端なりと見たいという、術者としての欲かしらね?」


 引き込まれそうな瞳に見据えられた上人だが、阿羅漢アルハットの資質を持ち、精神を修養している彼はどうにか耐える事が出来た。


「……両方……である」


 額に脂汗をにじませながらも何とか言葉を絞り出す上人に、計都ケートゥは、和国支配の駒として充分な資質であると判断した。


(これなら、使えそうですわね)


「正直ですわね。なら、まずは此度の葬儀をつつがなく執り行いなさいな。その後、伊勢への迎えを出しますわ」

「う。うむ……」


 魂を握りしめる様な視線から解放された上人は、賽が放られた事を実感した。


(龍神の元で往年の隆盛を取り戻すか、あえなく滅するか。どの道、退路は無い……)

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