第26話

「導師、姉ちゃんを助けて下さい!」

「ええ。解っていますわよ」


 涙を袖で拭い、すがる眼で懇願する童に、計都ケートゥは優しげに頭を撫でてやる。

 程なく落ち着きを取り戻した童は、姿勢を正して座に着き直した。仮にも皇室御教授役たる計都ケートゥの随員として来ているのだから、見苦しい態度は示せない。


「上人殿、”黄泉返り”と化した娘の身柄を引き渡して頂けませんかしら? この人狼の仔が想いを寄せる娘の救済こそが、那伽摩訶羅闍ナーガマハラジャみことのりであり、小生がここに来た目的の一つですの」

「ふむ。なれば娘が”黄泉返り”と化しておった事も、最初から全て承知だったと?」


 上人は目を細め、訝しむように計都ケートゥを睨むが、彼女は静かに首を横に振って否定した。


「いいえ。身を投げたであろう崖の付近で骸を捜しても、一人だけ見つからなかった物ですから、もしや”黄泉返り”と化したのでは、という位には思っていましたわ。運良くその場に居合わせずに逃げ延びたのではという望みも含め、美州殿には、美州内で娘を捜す御許しを頂くつもりでしたの。よもや、仇の村を滅ぼした末、こちらに捕らえられているとは思っていませんでしたわ」

「成る程」


 上人は、計都ケートゥの説明に納得した様子を示したが、求めについては簡単には応じられない。何しろ、一村をいとも容易く滅ぼす”黄泉返り”なのだ。


「しかし、もはや娘は”黄泉返り”。引き渡してどうするのか? 天竺の阿修羅アスラなれば、拙僧如きが及ばぬ法力によって元に戻す事も出来ると?」

「診てみないと断言は出来ませんけれども、そのつもりですわ。力及ばずに叶わぬなら、せめて安らかなる最期を迎えさせましょう」

「むう……」


 計都ケートゥが娘を回復出来ると断言しなかった事で、上人はかえって彼女の慎重さと誠実さを感じた。

 もっともその誠実さは、上人や美州領主ではなく、身内である傍らの童に向けられた物であろうが。


「いずれにせよ、かの哀れな娘の処遇は、小生に委ねて頂きたいのですわ」

「拙僧としては、人に害為さぬ様に出来るならば異論はないが……」


 上人は美州領主に目をやった。

 上人は”人に害為す仏敵を滅する”立場であるが故に、引き渡しに応じる事もやぶさかでは無い。だが、領主の立ち位置はまた異なる。


「死に損ねて狂うた末の事とは言うが、村一つを滅ぼした大罪人を罰せずに引き渡せとは、領主として認めがたい」


 領主としては、咎人を罰さずに見逃す訳には行かない。力の差は歴然としているが、為政者としての筋を通さねば、かえって伊勢から軽侮されてしまうだろう。


「これは異な事を仰いますわね。滅んだのは、代官の企てで利を得る筈だった同郷の者共。境内に横たわる骸共の同胞はらからですわよ?」

「全てが謀議に関わっていたとは限らぬであろう。幼子もいたのだから、無辜の者が含まれておらなんだとは言わせぬぞ」

「敵対する者は一族郎党、赤児に至るまで鏖殺するのが、補陀落ポータラカのやり方ですわ。そうしないと、見逃した者が仇討ちを企てるかも知れませんものね」

「赤児までも容赦なく処断すると言いきるか……」


 計都ケートゥが事も無げに語る伊勢の方針に、美州領主は戦慄した。

 確かに御政道の上では一理ある考え方なのだが、冷徹に実行できる者は多くない。


「ええ。補陀落ポータラカは決して、無益な殺生は好みませんけれども。敵として向かって来るかも知れぬ者を根絶やしにしておけば、枕を高くして眠れますもの。それは、とても大きな益ですわ。此度、代官の郷里に手を下したのは補陀落ポータラカではありませんけれども。それを行った件の娘に美州が罰を与えるつもりなら、否と言わせて頂きますわ」


 微笑んで続ける計都ケートゥの言葉を、美州領主は事実上の恫喝として受け止めた。

 神宮の先例がある以上、それは空虚な脅しでは無い。

 美州領主は眼前の阿修羅アスラに対し、上辺の威厳を崩さないのが精一杯となっている。


「それと、件の娘を美州で咎人として裁くというのなら、事を公にしなければなりませんけれども。それは宜しいんですの?」

「それは困る!」


 計都ケートゥの指摘に、美州領主は思わず声を挙げる。

 罪を裁き罰を加えるのは、民への見せしめの為である。だがその為には、当然ながら今回起きた事の真相をも明らかにせねばならない。

 逆に言えば隠蔽するなら、罰を与えるのは必須ではなくなる。


「でしたら、民に知られぬ様に事を始末する為、手を取り合わねばなりませんわね。美州が乱れる事は、伊勢にとっても利になりませんもの」


 計都ケートゥは見透かした様に畳み掛ける。

 美州領主もまた、美州の混乱を望まないという言質を得られただけでも良しと考える事にした。

 最悪の状況は避けられそうなので、後は折り合う為の条件である。


「なれば…… 若い者の村であるが、”逃散”という事にしておいて頂きたい」

「代官の悪事を見逃せと?」

「その代わり、娘については責を問わぬ。処遇は任す故、伊勢へ連れて行くが良い」

「……」


 美州領主の切り出した条件に、童が噛みついた。彼にしてみれば、養父母や村人を死に追いやった代官達の骸を公に晒し、溜飲を下げたいのである。

 だが幼馴染の身柄を渡すと言われ、童も黙って頷き、引き下がる事にした。

 死んだ者は還らない。これからの事こそが重要なのである。


「結構ですわね。境内にある骸の死因は、病死という事で宜しいですわね?」

「うむ…… 代官の郷里たる村が滅んだ件も、疫病位しか名目がなかろうが……」


 現在の石津は、代官所から疫病が出たという偽りで住民を誤魔化している。それを通した上で領民の安寧を取り戻すには、万病を癒やせる、伊勢の薬座の協力が不可欠だ。

 だがそこに、一抹の疑念がある。


(偽りの疫病にかこつけて、高価な薬を売りさばいて利を貪るつもりか?)


 顔に疑心を浮かばせて答えかねている美州領主を前に、計都ケートゥもまた、彼が何を疑っているのを察した。

 伊勢としてはこんな処で少々の銭を稼ぐ気等、全く無いのだ。


「では、こうしましょう。疫病では無く、代官の郷里たる村で茸が多く採れたが、これに強い毒があり、村の者は一人残らず斃れた。郷里から贈られた茸を食した事で、代官や同郷の配下も同様に死した、という筋書きでは如何かしら?」

「それはいい。矛盾はないし、疫病という事ではないから、広まるのではないかという民の心配も打ち消せる」


 計都ケートゥの案に、美州領主の顔も明るくなる。毒茸にあたって死ぬというのは珍しい話ではなく、充分にあり得る事だ。


「茸の毒はうつりませんものね。嘘偽りを使って、疫病の薬を買って頂くつもりはありませんわ」

「左様か……」


 美州領主は、疫病に怯える民につけこんで利を貪ろうとする意思がないと聞き、己の疑念に内心で恥じ入った。


「ですけれども、代わりに頂きたい物がありますの」

「何であろうか」

「小生達”神属”は不老長寿と引き換えに、人間の脳髄を年に一度は贄とせねば生きられませんの。伊勢の者は無辜の民を食らわぬ様、専ら咎人や敵兵を贄としていますけれども、丁度ここに、贄となるその様な屍が多くありますわね」

「つまり、境内にある代官やその配下の骸を寄越せと!」


 今回の件を公にせず、代官所の者達の死因を毒死とする代わり、その骸を食うから引き渡せと言う計都ケートゥの言葉に驚愕した。

 ”食うために骸を渡せ”とは、人間同士であれば、決して出てこない条件である。

 一服百文の薬を売りつけるのとは、とても比べ物にならない苛烈な要求だ。


「ええ。本来は全身、美味しく頂けますけれども。車に積むにはかさばりますから、首だけで結構ですわ。ああ、代官の郷里についても、斃れている村人の首を取りに行かせますわね」

「……良かろう。首より下は、供養しても宜しいか?」

「お好きにすると宜しいですわ」


 遺骸の残る部位を葬りたいとは、美州領主のせめてもの抵抗だったが、計都ケートゥはどうでもいいとばかりに即答した。彼女にとって、それは只の肉塊に過ぎない。


「では、弔いは上人殿に御願いしたい。愚かな者共ではあったが、公には毒死とする上は、葬儀も出さねばなるまいて」

「承ろう」


 上人は合掌すると、美州領主の申し入れを受けた。



*  *  *



 再び髪と瞳を黒くした計都ケートゥは、車の脇で待っていた白虎に後事を任せると、童、そしてつき添う役人と共に、石津の中で宿場が集まっている通りに出た。


「皆様、伊勢の薬座ですわ。今回の事で大事なお話がございますから、どうかお集まり下さいませ」


 計都ケートゥの声は決して大きくはないが、法術の補助で周囲に良く響き渡る。

 それを聞き、各々の家、あるいは泊まっている宿にいた民達は、一人、また一人と出て来ては計都ケートゥ達の周囲に集まった。

 充分に人が集まった頃合いで、計都ケートゥは事情を説明した。

 疫病にかかったとされる代官所の病人達は、自分が着いた時には既に全員事切れて手遅れだった事。

 検分した処、死因は疫病では無く毒茸を食した為という事が解った事。

 そして、代官の郷里たる村もまた、全員が毒茸で斃れていた事。


「恐らくですけれども、代官殿の郷里の村で、山で多くの茸が取れたのを代官所の係累にも送ったのですわね。それが毒茸で、この様な事になってしまったのですわ」

「……ほんで、毒茸には、伊勢の薬は効かないんですかのう?」


 一人の民が尋ねる。伊勢の薬は万病に効くのではなかったのか。


「生きている内なら、毒消しもありますわ。けれども、事切れてからおよそ三刻も過ぎてしまっていては、何とも出来ませんわね」


 計都ケートゥは苦笑して答えた。法術であれば、死して半日程なら死因によっては手立てが皆無と言う訳でもないが、あえてそれをここで言う必要も無い。


「ともあれ、疫病ではないので、余所へ広がる心配もない事が解った。石津の出入りは解禁するので、皆の者は普段通りに暮らすが良い。但し、寺は骸が安置してあるので、弔いの支度が調うまで近づかぬ様にな」


 役人の言葉を受け、民は常の生業に戻るべく、各々の職場へと散って行った。



*  *  *



 計都ケートゥ達が寺へと戻ると、門を守る侍は神妙な顔つきをしていた。


「ご苦労様ですわね」


 計都ケートゥが声を掛けると、いずれも若い侍達は、いかにも恐ろしい物を見る目つきを向けて来る。


「貴方達、戦へ出た事はありますの?」

「い、いえ……」

「あれを見た位で平静でいられぬなら、とても戦で人は斬れませんわよ」


 計都ケートゥは門の奥、境内を指さす。

 そこでは龍牙兵が、並んでいる骸から、首を曲刀で淡々と切り落としている。切り口から血が流れて来ないのは、白虎が法術によって下処理をしておいた為だ。

 また別の龍牙兵が、落とした首を麻布に包み、車へと積み込んでいる。

 白虎はその様子を見守りつつ、時折、龍牙兵に指図していた。

 遠巻きに数名の侍が見張っているが、いずれも顔をしかめている。戦で人を斬った事がある者もいるが、”白虎に指図された骸骨が、次々と骸の首を刎ねる”という異様な光景には、流石に畏れを抱かざるを得なかった。


「例のあれは、より分けておいて頂けました?」

「はい。ああ、そこの。例の物を出して、導師へお渡しせよ」


 計都ケートゥの言葉を受け、積み込みを行っている方の龍牙兵に白虎が命じる。

 龍牙兵は、一つの包みを計都ケートゥへと差し出した。


「八咫鏡で顔は撮りましたわね?」

「勿論です」


 白虎の答えに計都は頷いて包みを解く。中から現れたのは、いかにも悔しげな顔で絶命している若い女の生首だ。代官の実妹のなれの果てである。


「これこそが此度の元凶。忌まわしき旧薬座の一員でありながら皇国の手を逃れ、兄たる代官を甘言で惑わして、無辜の村を我欲の為に鏖殺した、まさに大罪人ですわね」

「こいつ…… こいつのせいで……」


 童は、代官の実妹の首を睨み、怒りを抑えきれずに肩を震わせていた。

 計都ケートゥは首を抱えたまま、童に顔を近づけてささやく。


「憎いかしら?」

「当たり前です! 仇ですよ?」

「なら、これの脳髄を食して、せめてもの慰めとなさいな」

「これを…… 食えと?」


 突然の計都ケートゥの言葉に、童は驚いた。


「貴方は神属たる人狼。成年となれば、人の脳髄を食して霊力を補わなければ生きていけぬ身である事は、既に学徒から習いましたわね?」

「は、はい……」

「とは言え、人として育った貴方に、そういった物を食せというのも難しいですものね。でもこれなら、良心の痛み無く食せませんかしら?」


 いつか自分も神属として、人間の贄を食わねばならない事は童も解っていたが、今日だとは思ってもいなかったのだ。

 しかし、計都ケートゥは始めからそのつもりで連れて来たのである。


「それはそうですけど……」

「幼馴染を救う術には、長年を共に暮らしていた、貴方の手を借りなければなりませんの。そしてそれには、充分な霊力を補いませんとね。自然の摂理を歪め、命を失った者を呼び戻すには、それ相応の贄が要りますもの」


 思い切れずに戸惑ったままの童に、計都ケートゥは幼馴染の事を持ち出した。

 実際、”黄泉返り”と対峙し、かつ回復を試みるのであれば、相応の霊力を消耗するのは間違いない。


「姉ちゃんを助けたければ、食えと言う事ですか……」

「ええ。これは、貴方自身が皇国で生きていく為、そして万難を排して大切な人を救う為の儀礼でもありますの」


 計都ケートゥは普段の微笑みを消し、有無を言わせないとばかりに生首を突きつけて童に迫る。


「さあ、お食べなさいな。この卑しき女の脳を噛み潰し、飲み込み、胃で溶かして、糞尿としてひり出して差し上げなさい。それこそが、亡くなった貴方の村の方達への手向け!」


 童はその気迫に飲まれそうになったが、歯を食いしばってこらえた。

 計都ケートゥに認められるには、自らの意思で答えねばならないと感じた為である。

 そして息を大きく吸い、心を落ち着けた上で両腕を差し出して、生首を受け取った。

 計都ケートゥが再び微笑むのを見て、童は自らの判断が正しかった事を悟るのだった。

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