第25話

「大して変わらぬ物だのう……」


 美州領主・上人の双方共、相手の髪と瞳の色が変じた程度では全く動じない。

 人に害を加えるあやかしと幾度も戦ってきた上人は当然として、美州領主もまた、熱田で堂々と活動している伊勢の羅刹ラークシャサを目撃した事がある為だ。


「して、そちらの若い者が女装を纏っておるのは、天竺の習俗であろうか?」


 少女の様な顔立ちの童だが、美州領主はその正体を男子であると見抜いていた。


「いえ。伊勢の薬売りは専ら女が務めておりますから、それに扮する都合ですわ」

「左様か。して、若い者は人間であろうか? 」

「これは人ではございません。知恵ある狼、即ち人狼の仔が化身した姿ですわ。衣を脱げば正体に戻れますけれども、御所望ですか?」

「いや、それには及ばぬ」


 美州領主への計都ケートゥの申し入れに、童は不安げに彼女を見る。

 その様子に、美州領主は苦笑しつつ否定した。


「それにしても人狼とな。なれば、伊勢も此度の件に関わっておるのか?」


 美州領主は、”人狼によって企みを暴かれた末に自害を迫られた”という代官の遺書に目を通している。

 また今回の件に、伊勢の関与がある事も疑っていた。


「ええ。境内に横たわる骸が疫病による物ではない事も、存じておりますわ」

「……子細を聞かせては頂けぬか」


 疑いを自ら認めた計都ケートゥに、美州領主は先を促した。どの様な意図があったのか、まずはそれを確かめねばならない。

 計都はそれに応じ、これまでの経緯をかいつまんで語った。

 石津近くの村に拾われた人狼の仔が住まう事を知り、成長して人を食らわねば生きられぬ身になる前に、本国から随伴してきた伊勢側の人狼を遣わして庇護をはかった事。

 童を庇護してしばらく後、件の村が逃散したと聞き、安否を確かめに人狼の隊を密かに向かわせた事。

 村近くで、逃散を人狼の仕業と疑って調べに来た上人と出会い、人間への害意はないと示した上で、崖から身を投げて果てた村人達の骸を見つけた旨を教えられた事。

 骸を検死した結果、阿片で朦朧としたところを操られていたと断定。それが出来るのは、神宮支配下であった旧薬座に属していた者であろうと推察。

 また、村を巡る利害を鑑み、対立する村の出身である代官が怪しいと睨み、調べた結果、代官の実妹は旧薬座に属しており、匿われていた事。

 逃亡の路銀を得る為、童の村を阿片で鏖殺する事を実兄の代官に持ちかけて結託。代官は鏖殺を揉み消す為に”逃散”と公表し、無人となった村を、自分の郷里の者に与えようとした事も判明した事。

 補陀落ポータラカにおける人狼の長・阿瑪拉アマラは童と共に代官の屋敷に踏み込み、代官兄妹に自害を求めた事。

 さらに代官所詰めの足軽・奉公人の内、代官の縁故で起用されていた者は同様に自らを裁かせた事。

 縁故なき者は、関わりが薄いとみなして見逃した事。

 計都ケートゥの話を、美州領主と上人は、神妙な顔で聞いていた。


「……件の村については、上人殿に伺った話と矛盾は見られぬな。その後の事も、確かに筋が通っておる」


 語り終えた計都ケートゥに、美州領主は納得した旨を答える。だが、理では解っても、情として信じたくないのが顔つきから見て取れた。

 見所がある故に抜擢した者が、愚行に走った末に破滅したと認めるのは、やはり苦しいのである。

 計都ケートゥは持参した包みを解き、八咫鏡を取り出した。


「言葉のみでは信じられぬでしょうから、こちらを御覧下さいませ」


 鏡面には、阿瑪拉アマラと童が踏み込む直前の、代官と実妹の会話の様子が、声と共に映し出されている。


『郷里の衆も、後を継げぬ者にあてがう地が出来て、とても喜んでおりますね』

『ああ。お前も、路銀が稼げただろう』

『逃げた先で身を立てるには、何よりも銭。あの村の者共を始末した後、豆銀を総取りして良いとは全く助かりました』


「うむう……」


 代官兄妹による謀議の動かぬ証拠を見せつけられ、美州領主の口からは呻きが漏れる。


「お殿様が、あんな奴を代官に取り立てなんだら、こんな事にはならんかったんです!」


 童は思わず喚いた。美州領主に会いに行くと聞いて、”元”領民として直に言いたかった事だ。顔は紅潮し、眼には涙が溜まっている。


「これはまさしく儂の不徳。我欲の為に領民を害する様な輩に、この地を任せておったとは」


 童の様相に、美州領主は非を認めざるを得なかった。


「なれば美州殿。これの養父母を始めとした村の者達の命を損ねた非はそちらにあると、お認めになりますわね? 伊勢から逃げ出した旧薬座の者を匿った末、それにたぶらかされ愚かな企てを目論んだ者共の末路も、当然の報いであると」


 計都ケートゥは静かな口調ながら、冷然と言い放つ。

 だがそこで、上人が異議を唱えた。


「しかし、計都ケートゥ殿。そちらもまた、美州で兵を隠密裏に動かしておったであろう?」

「ですから、人狼兵は獣の姿形で向かわせましたの。人の姿ではありませんもの、人の法に縛られる道理もありませんわよ?」

「それは詭弁であろう!」


 姿形が獣なら人の法に縛られないと、計都ケートゥは平然と開き直る。そのあまりに身勝手な主張に、上人は思わず声を荒げた。


「なら、そちらがいうあやかしを人が切り捨てたとして、美州では罪に問われますの? むしろ、豪傑として称えられるのではありませんかしら?」

「確かに……」


 計都ケートゥの指摘に、上人も口を濁す。

 美州に限らず、和国では特に朝廷等から庇護を受けている一部の者を除いて、あやかしを殺しても罰される事は無い。そも、簡単に斃せる相手ではないのだが……


「法の庇護を受けられぬのであれば、こちらも守る道理がありませんもの。勿論、ここで人ならぬ小生達を屠るも、そちらの自由ですわ。出来る物ならですけれどもね」


 さしもの上人も、戦神として畏れられる阿修羅アスラに正面からの勝算はない。万が一にも討てたとして、龍神の軍勢による報復を受け、美州と高野山は灰燼に帰するだろう。

 これは元より、対等の話し合いではないのだ。


「されど…… 此度の件で、今ひとつだけお聞かせ願いたい」


 やっとの事で声を絞り出した美州領主に、計都ケートゥは首を傾げた。


「何でしょう?」

「代官の郷里たる村が、後ろ盾を失った事で騒ぎはせぬかと、儂が石津へ向かうのと同時にそこへも兵を差し向けたのだが。つい先刻、村が一人残らず滅していたという報せが来た。これも伊勢の仕業であろうか?」

「代官の謀議に関与していたかを詮議する為、昨晩に人狼兵を差し向けたのは確かですわ。でも、既にその時には、村の者は皆、骸と化していましたの。互いに殺し合った様子でしたわね」


 始めから滅ぼすつもりだった事は伏せた上で、人狼兵を向かわせた事と、手を下すまでも無く村が滅んでいた事を計都ケートゥは語った。


「ならば一体誰が?」

「こちらこそ、知りたいですわ」


 互いに殺し合うとは、いかにも面妖な滅び方だ。しかしここに至って、計都ケートゥが白を切る理由がないと美州領主は考えた。


「その様な事であれば、心当たりはなくもない」

「ほう?」


 上人の言葉に、美州領主は関心を示して先を促す。


「高野山に帰山する拙僧がこの寺に引き返したのは、道中で一体の”黄泉返り”を捕らえた故」

「”黄泉返り”とな?」

「死にきれずに迷うておる屍を、俗にそう呼び表す。強い怨念をまき散らし、常人は側に寄っただけで狂うてしまう。代官殿の郷里は、彷徨っておった”黄泉返り”に出くわしたのではなかろうか」


 話を聞いて、童の顔は蒼白となった。


「そ、その”黄泉返り”というのは今、何処に?」

「さし当たり呪符を貼って力を封じ、この本堂の地下にしつらえてある牢に入れたのだが。完全に滅する術式を組むには、相応の支度を要するでな」

「まさか、まさか……」

「もしや、知己では無いかと考えたのかね?」


 童の狼狽ぶりに上人が尋ねる。

 童に視線を向けられた計都ケートゥは頷き、答えても良いと承諾を与えた。


「は、はい。俺の村で、一人だけ骸が見つからんもんがおったんです。もしかして……」

「それが若い娘なら、恐らくそうであろうな」

「ああ……」


 上人の言葉に童は顔を伏せ、大粒の涙をこぼした。予め計都ケートゥから覚悟する様に言われていたとは言え、聞きたくなかった結末である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る