第24話

 領主は重臣達との評議をしめると、稲葉山城まで早馬で来た伝令を案内に、三十騎の郎党を引き連れて直ちに石津へと発った。

 城下の者達は、領主自らが騎馬を駆る姿を、何事かと不安げに眺めていた。


まむし様は大勢を引き連れて、慌てて何処へ行きなさるんじゃろう?」

「南は伊勢の方角じゃ。つ、ついに龍神様と、戦が起こるんかのう……」

「馬鹿をこけ、あげな数で戦なんぞ出来る物かよ」


 戦では無いかと怯える者達の声を、足軽の経験がある者が笑い飛ばす。戦はもっと遙かに多く千、万の兵が動く物だ。


「何でも石津で、疫病が出たっちゅうとったで?」


 疫病により石津の手前で街道が閉ざされているという話は、城下にも知れ渡り始めていた。耳ざとく噂を聞きつけていた者が、その事を口にする。


「疫病じゃと? 悪くすると広がらん様、石津を民ごと焼き討ちかも知れん……」

「ひい、そんならそれで、えらいこっちゃ!」

「仕方なかろうが! 手前が死にてえかよ!」


 疫病が発生した際、まだ生きている者もろともに周辺を焼き払うのは、感染の拡大を防ぐ為にしばしば取られる処置だった。

 酷いが、より多くの民を救う為にはやむを得ない事でもある。誰も、疫病をうつされたくはないのだ。


「皆の為とはいえ、嫌な御役目じゃからのう。手ずから仕切るとは、まむし様も辛かろうなあ……」


 土煙をあげて走り去る騎馬の列を見送る民達は、名君として慕う領主の心中を思いやるのだった。



*  *  *



 美州との州境にある、伊勢側の関所。

 計都ケートゥは童と共に人間へ化身すると、用意させてあった薬座の馬車へ乗り込んで石津へと向かった。

 化身と言っても、金色の髪に蒼い瞳を和国人の様に黒くしたのと、三対の腕を一対にしたのみである。阿修羅アスラは元々人間の姿に近い為、それで充分なのだ。

 服装は、伊勢の薬売りが主に用いる壺装束である。

 童の方はと言えば、人間としての姿は普段通りなのだが、計都ケートゥと揃いの衣装を着せられていた。

 彼が女装を纏うのは、阿瑪拉アマラに連れられて桑名入りしたときに続き、二度目となる。当然ながら渋ったが、専ら女が従事する薬売りに扮する為の都合だと計都ケートゥに諭され、不承不承ながらも袖を通した。

 馬車を牽いているのは馬では無く、近衛に属する白虎である。第一には警護が目的だが、皇国による密使である事を、美州側へ暗に示す為でもある。

 童は車中で終始、うつむいて無言のままだった。

 幼馴染みの事を案じているのだろうと、あえて計都ケートゥは声を掛けていない。

 昼下がり頃、石津の建物が遠目に見える辺りに差し掛かると、その出入口に数名の男達が立ち塞がっているのが、白虎の眼に映った。


計都ケートゥ師、如何しますか」

「そのままお進みなさいな」


 ”疫病”の名目で石津が閉ざされている事は、計都ケートゥも承知している。

 意向を確認した白虎は、そのまま歩みを進めた。

 人間の眼でもこちら側の姿がはっきり解る辺りまで近づくと、道を塞ぐ者達が慌てている様子が見え聞こえて来た。


「伊勢の馬車が来たぞ!」

「と、虎だ! いつもの馬じゃねえ!」

「代官所に知らせい!」


 恐ろしげな顔つきの白虎に彼等は震え上がりつつも、その場に積みとどまり槍を構える。逃げ出せばきつい咎めが待っているのだ。


「御役目、誠にご苦労。無辜の者を襲ったりはせぬので安心せよ」

「しゃ、しゃべったあ!」


 若い女の声で話す白虎に、足軽や馬丁達は目をむいた。


「伊勢に白虎が住まう事は知っておろうに、何を驚くか。これは薬座の車なれば、通しては頂けぬか」

「だ、駄目だ! 疫病が出たで、石津の出入りを封じる様にとの、代官所のお触れが出ておるんだ! い、伊勢へ帰ってくれ!」


 統率を任されているらしき足軽は、腰がひけながらも槍の切っ先を白虎に向けて引き返す様に命じる。


「疫病ならば猶の事ではないか。伊勢の薬を求める者は多かろうに」

「お、俺達では、勝手に決められん……」


 落ち着き払っている白虎と、震え声の足軽達が向き合って問答している処へ、石津の側から相応の身分らしき侍が慌てて駆けて来た。

 

「そこの車、伊勢の薬座とお見受けする。早速だが、殿がお召し故、同行願いたい」


 流石に侍は、相手が白虎であっても臆する事が無い。戦場で敵として相対したならともかく、この場では話が通じる相手だと承知しているのである。


「”殿”とはもしや、御領主殿の事であろうか」

「左様。此度は石津で疫病が出た旨の報を受け、駆けつけて来られた」


 美州領主が石津に来訪する事は把握しているが、白虎はあえて侍に尋ねる。

 その問いに侍は是と答えると共に、白虎の態度からみて、州外との交渉に高い裁量が与えられている立場なのであろうと推察した。


「そちらも疫病が出た事を知っているからこそ、常の馬車では無く貴殿を遣わされたのでは?」

「然り。石津が閉ざされる前に伊勢へと戻った者から報せを受け、この地の民の為に入念な支度を調えて参った次第」

「成る程」

「疫病となれば、我等の医薬が多く入り用になろう。だが高価な物である故、その辺りの事を御領主殿と相談出来るなら申し分ない。申し入れの件、承ろう」

「では、拙者に付いて来られよ」


 侍の先導を受け、馬車は石津へと入った。

 日中というのに村の中は静まりかえっていて、出歩く者が見当たらない。


「民が見当たらぬが、よもや疫病で?」

「疫病は代官所に勤める者の間で出て、民には広まっておらぬ。閑散としておるのは、出歩かぬ様に触れを出した故なので心配無用」


 これが疫病ではないという真実は承知しているが、白虎はあえて周囲の様子を不審そうに尋ねた。事前に状況を把握している事を、この時点では悟られたくない為である。

 案内の侍もまた、淀みなく答えた。


「伊勢の者が若干、商売で逗留しておる筈。どうしておるか気にかかるが……」

「石津の中にいた者は、木賃宿等へ投宿しておる。村外の北側から石津を抜けて伊勢側へ向かおうとしていた者は気の毒だが、村外の美州の民同様に引き返させた」


 白虎は、伊勢の民の安否について口にした。実際には間諜達の手によって無事は確認されているが、美州への牽制である。

 案内の侍はこれについても、申し訳なさそうながらも威厳を保ち、はっきりと答えた。


「さし当たり無事であれば、それで結構である」

「かたじけない」


 話が通じる相手とはいっても、伊勢のあやかしを怒らせれば破滅が待っている事は明白である。

 伊勢の民の処遇に対し、白虎が問題として来なかった事に、案内の侍は表情を保ちながらも、内心では胸をなで下ろしていた。



*  *  *



 案内されたのは、石津の北側の外れにある寺院である。

 周囲は領主の供として随伴した侍達によって、厳重な警戒が敷かれていた。

 領主の直衛なだけあって、彼等は白虎の姿を見ても微動だにしない。だが流石に、その内の若年者の顔には、若干の緊張が見て取れる。


「ささ、伊勢の御客人。奥で殿がお待ちである」


 案内の侍は寺の門前で、白虎を招き入れようと促す。


「否。自分は警護を兼ね車を牽いてきたに過ぎぬ。薬座として参ったのは、車に乗っておられる方だ」


 車から降りて来たのは、壺装束の二人の女だ。一人は齢三十程の女、いま一人は齢十三、四程の娘である。

 若い娘の方は緊張した様子で顔を強ばらせている一方、年長の方は場慣れた感じで、人の良さそうな笑みを浮かべている。

 武装した侍に囲まれながらも悠然と微笑む女が、一介の薬売りの筈が無い。人語を解する白虎に警護されている事を考えても、伊勢の密使であろう事が察せられた。


「御苦労様。用を済ませるまで、休んでらっしゃいな」


 年長の女は白虎にねぎらいの言葉をかけ、若い娘と共に、案内に従って門をくぐった。

 境内には、処せましと、むしろをかけられた骸らしき物が並べられている。その数は、おおよそ百二、三十程だ。

 死臭を打ち消すための香の匂いが、境内には立ちこめていた。

 真っ当な女であれば悲鳴を挙げるところが、二人はいずれも動じていない。

 年長の女は、微笑みを崩さず眉一つ動かさない。一方、若い娘の方は、緊張を忘れて忌々しげに骸へと厳しい視線を向けていた。

 その態度を見て、選りすぐりの直衛である筈の侍達は血が凍る思いだった。


(見た目通りの女じゃない…… 恐らくは人ですらなかろう……)

(こりゃ、海千山千の手合いだろうて……)


 案内の侍は、奥にしつらえてある座敷へ二人を通す。そこには、二人の男が座していた。

 一人は、侍の主君たる初老の男。一介の油売りから立身出世の末、下克上によって美州を手中にした、まむしと通称される美州領主。

 そして今一人は、筋骨たくましい壮年の僧侶だった。


「お初にお目にかかる。儂は、美州領家の当主を務める者。そしてこちらが……」

「和尚様、じゃない!?」


 若い娘…… 童が思わず声を挙げる。ここは、自分が仕える筈だった寺だ。住職も見知っていたが、眼前の僧は別人である。


「ふむ、娘御は住職を知っておるか」

「あ……」


 僧の指摘に、童は口を塞いだが後の祭りである。

 ”和尚様”という敬称を使った事からも、寺の檀家の一員であった事が知れてしまった。さらに、正体が露見したかも知れない。


「住職は先程、任を解いた。あれは堕落しておった故、荒行によって鍛え直さねばならぬ」

「そうですか……」


 住職は恐らく、童の身柄を確保し損ねた責を問われたのであろう。その事について、童は全く同情しなかった。


「御住職を一存で免じる事が出来るなら、高野山からいらしていたという上人様ですわね? 御戻りになったと聞いていたのですけれども、引き返して来られたのですか?」

「いかにも。そちら方も姿通りの者ではあるまい?」


 年長の女……計都ケートゥの問いを受け、僧は自らの素性を認めると共に、眼前の二人が正体を伏せているであろうと指摘する。


「申し上げて宜しいんですの? 小生の事は”薬売り”という事にしておきませんと。神宮を滅した朝敵と通じたとあっては、美州殿の御立場が危うくなりますわよ?」

「この場はあくまで密議。周囲の目をはばかる事もなかろうて」


 和国にとって朝敵たる補陀落ポータラカと会談を持てば、美州もまた朝廷や幕府から敵視される事になりかねない。

 それを踏まえての計都ケートゥの確認に、美州領主は頷いて構わぬ旨を返す。

 美州側にとって最大の脅威は、朝廷や幕府、それを支持する他州等でなく、補陀落ポータラカである。

 故に、この対話の機を逃してはならないと領主は考えていた。これが成らねば天下取りどころか、今日の命すら危うい。


「では、御信頼頂く為にも」


 領主の意を受けて計都ケートゥが右手で顔を撫でると、髪の色は本来の金、そして瞳は碧眼へと戻った。


「小生は計都ケートゥ。当代の那伽摩訶羅闍ナーガマハラジャに幼少より学問を説いた阿修羅アスラですわ。本来の腕は三対ですけれども、衣を破いてしまう訳には行きませんから、真の姿は顔だけで御許し下さいませ」

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