第23話

 代官所の動きは、監視していた間諜の一人によって直ちに阿瑪拉アマラと童の馬車に伝えられた。

 二人はまだ眠っていたが、御者に起こされた阿瑪拉アマラは、童を起こさぬ様にして床を抜け、詳細を聞いた。


「成る程、代官共は皆、きっちり始末したと。で、見逃してやった次席の役人は”疫病”という事にして当座を誤魔化す訳ですな。そんなら直ちに石津を発ち、州境を越えて伊勢側へ戻りますわ」

「宜しいのですか?」


 検分の進展次第で代官の郷里にいつでも向かえる様、石津に待機しておくのが元々の予定だったので、間諜は阿瑪拉アマラに確認する。


「”疫病”となれば石津は封じられ、出入りが困難となって面倒ですわ。間を置かずに、美州領家の手勢も来ますで、その前に退きませんとな。お主は配置に戻りなされ」

「ははっ!」


 間諜は合掌し、認識を阻害する法術を自らにかけ直して姿を消した。


「侍従見習殿には、お知らせせずとも宜しいので?」

「いったん退くのに納得せんで、ひと揉めするかも知れませんでな。州境を越えるまで寝かしておきますわ」


 御者は、眠っているままの童を気に掛ける。何しろ、今回の件の当事者なのだ。

 だが阿瑪拉アマラは、童が納得せずに飛び出そうとするのではないかと懸念した。普段なら難なく止められるのだが、思い詰めた者は何をしでかすか解らない。


「ああ、それと、和修吉ヴァースキ師や他の人狼兵共に、美州の兵から身を隠す様に鏡で伝えんと。昨晩の検分の事も聞かにゃなりませんしな。後、菅島の導師にも一報を入れておかんと。まあ、それは儂が直にやりますで」

「畏まりました」


 御者は阿瑪拉アマラの命に従い、馬車を伊勢との州境へと向けた。



*  *  *



 阿瑪拉アマラ達の馬車が州境に達し、伊勢側の関所へ着いた頃。

 代官所、そして代官を筆頭に勤めている者の殆どの者が昨夜の内に疫病で倒れたという話は徐々に石津の住民達に伝わって行き、日が高く昇る前には大騒ぎになった。

 村から外へ続く街道は、疫病が広がるのを防ぐとして、足軽に指揮された馬丁達によって封鎖されている。

 大半の足軽が死んでしまった為、役人が馬丁座へ人を出す様に命じたのだ。

 馬丁達の内、材木の切り出しが滞って稼ぎがなかった者が充てられたが、僅かではあるが日当が出る事もあり、彼等は素直に応じている。


「どうなってるんですだ!」「商売になりゃしねえ!」

「悪いが出せねえ。疫病が広まったら困るでよう」


 外部との往来を差し止められた住民や滞在者は、道を封じている足軽や馬丁と押し問答をするが、埓があかないとなると、今度は代官所に押し寄せた。

 こちらには、臨時に加えた馬丁達はおらず、代官所付きの足軽や奉公人のみで警戒にあたっている。

 彼等はいずれも口を布で覆っており、押し寄せた者達も、疫病が出たのだという事を実感させられた。


「静まれ、静まれい!」


 建物から出てきた次席の役人に、群衆は慌てて平伏した。その様子に役人は、まだ秩序が失われていない事を感じて、内心で胸をなで下ろす。

 ここで自分が威厳を保たねば、石津はたちまち恐慌に陥ってしまうだろう。


「お、お代官様や他の方は!」

「皆、伏せっておる。峠を越せるかは、何とも言えぬ」


 代官達の病状を問われた役人は、重々しく、予め定めていた偽りを語った。


「お、俺達は大丈夫でしょうか?」

「美州殿には使いの早馬を出してある故、一両日中には手が打てよう。それまでは各々の家で、静かに過ごしておると良い。それとなるべく、ここや武家屋敷には近寄るでない」

「へ、へい……」


 役人の言葉に群衆は従い、ひとまずは家路についたが、皆、やはり不安げな顔を隠せない。


「そ、そうだ、薬、伊勢の薬じゃあ!」

「そうだ、あれがあった!」


 そんな中、ある者が伊勢の薬の事を言い出し、人々は希望を取り戻す。だが、命の対価と思えば安い物とはいえ、一服百文とあっては気軽に使える物ではない。持てる銭全てを費やしても、手が出ない者も少なくなかった。


「一服百文だ、手が出ねえ……」

「大丈夫だ。銭の代わりに赤児でもいいっちゅうぞ!」

「駄目だ、うちにゃどっちもねえ!」


 銭の代わりに赤児を対価として引き渡す事も出来るのだが、そうそう都合良く赤児がいる家も一部だ。

 銭も赤児もない者達は、いつもの様に人間の女に扮して屋台を出している皇国の間諜……ちなみに代官所に張り付いている者達とは別動である……の元へと泣きついて来た。


「あ、あんた、伊勢のもんだろ? 何とかならねえか? 死にたくねえよお!」

「そういう事は薬売りに言っておくれよ。銭も赤児もなきゃ、証文でも受けてるそうだけどねえ」

「そ、そうか……」


 涙目で訴える者達に対し、間諜の答えはあっさりした物だった。しかし、とりあえず銭がなくとも何とかなりそうだという事で、皆は落ち着きを取り戻した。

 返すあてのない銭の証文を書けば、返済の期限と共に破滅が身に降りかかってくる事は解っている。だが、今死ぬよりは余程いい。


「今日は多分、薬座の馬車は正午頃に来ると思うよ。まあ、今日はどうせ仕事にならないんだろ? とりあえず一杯やってきなよ。気が滅入った時は、こいつが一番さ」

「姉ちゃん、一杯くれ」「俺にも」「こっちもだ」


 馬車が来るなら、薬が足りないという事もないだろう。

 気分直しに一杯引っかけた者達は、先程までの恐れはどこへやらで、ほろ酔い気分で引きあげていった。



*  *  *



 美州領主の住まう稲葉山城。

 早馬による石津からの使者は、震える声で領主に事の次第を語る。領主は落ち着いた様子で静かに耳を傾けた。


「責を取るべき者共は自害し、己を裁いたか。残っておる者には然るべき詮議を要するが、なるべくならばこれ以上の血は流しとうない」

「殿、それは甘いのでは? おめおめと生きておる者についても、きつい御沙汰を下すべきかと」


 穏便に済ませたいとの領主の意向に対し、側近の一人が異を唱える。だが領主はそれを否とした。


「かような愚者を取り立て代官に任じた、儂の目が曇っておったという事よ。ともあれ、すぐに石津へ参るぞ。供回りを参集して、馬を支度せい」

「と、殿が御自ら?」


 側近達は、領主が石津へ出向くと聞いて驚いた。普通なら、家臣に任せておく程度の事件に過ぎない。


「あそこは州境に近い交易の地。故に伊勢の龍神がどう動くか解らぬ。あれらは圧政からの救民を大義名分として、神宮を滅したのだ。美州領家が神宮同様に民を損ねる”うつけ”と見なせば、容赦なく我が美濃へ襲いかかって来るやも知れぬ! あくまで此度の件は代官の不始末として、領主たる儂が収める姿勢を見せねばならぬのだ!」


 伊勢が美州につけ入る隙を与えてはならないとの領主の弁に、側近達は聞き入っている。


「肝心の人狼共は如何しますか?」

「さしあたり、代官やその郎党以外への敵意がないのであれば捨て置く。もしさらに暴れるとなれば、伊勢に助力を求めるも止むを得ぬ」

「龍神に? しかしそれは……」


 人狼を討つならば伊勢に兵を乞うとの言に、側近達はどよめく。

 皇祖神を祀る神宮を滅ぼした龍神は、朝廷から見れば許しがたい賊徒である。それと結べば、京に参じて天下統一の詔を得る道を捨てる事に直結してしまうのだ。

 それどころか、朝廷を仰ぐ他州に、美州へ攻め込む大義を与える事にもなりかねない。


「では、あやかしを斬れる強者が、我が手勢におるとでも?」

「いえ……」


 反対を口にしかけた者は、口を濁らせた。人外のあやかしは一騎当千。とてもかなう者などいないだろう。


「そうであろう。それに龍神との戦となれば、滅するが人の側であるのは必定。なれば、いつまでも睨み合う訳にも行くまいて」

「発端となった人狼とやらが、そも、伊勢の仕込みかも知れませぬぞ?」

「成る程。だが、その様な絡め手を使うのであれば、それはそれで問答無用で襲って来る相手ではないという事にもなろう。それだけでも幾分かはましと言う物だ」


 領主は、人外の勢力に抗する事がかなわない以上、場合によってはこれを奇貨として龍神との対話を試みる腹を固めていた。



*  *  *



 童が目覚めると、そこは馬車の中ではなく、見知らぬ広間だった。

 羽毛の詰められた柔らかな布団の上に、彼は横たわっている。

 

「お目覚めですわね」


 枕元からの声に顔を向けると、そこには、初めて見る女がいた。

 阿瑪拉アマラと同じ様に白い肌だが、金色の髪に、垂れた碧眼。そして三対の腕を持ち、白い紗麗サリーを纏っていた。人間ならば歳は三十程に見えるが、神属の歳は見かけでは解らない。

 女が皇族とされる阿修羅アスラで、服装から一門の者だと言う事は解るが、桑名で見覚えのある顔ではなかった。

 相手が皇族と知り、童は慌てて起き上がろうしたが、阿修羅アスラの女はそれを止めた。


「まだ疲れていますでしょう? 今少し休んでいらっしゃいな」

「あの、ここは?」

「美州と伊勢の州境にある関所ですわ」


 どうやら、眠っている間に馬車が伊勢まで戻っていた様だ。

 童は傍らにいた筈の、我が子を宿した相手がいない事に気付いた。


阿瑪拉アマラ師はどうされました?」

「飛行絨毯…… 空を飛べる敷物に乗せて、菅島へ戻しましたわ。あれの胎には、貴方との間の児がいますもの。無理はさせられませんわよ。小生は、入れ替わりで今回の事を引き継ぎましたの」


 阿瑪拉アマラが身重なので帰したと聞き、童は不満を述べる事が出来なくなった。幼馴染みが大切とは言う物の、我が子を身籠もる阿瑪拉アマラに無理をさせる訳にも行かない。


「それで、貴女は?」

「申し遅れましたわね。小生は計都ケートゥ。一門の長として、皇国の学問を預かる身ですわ。ようやく、会えましたわね」

「ああ…… 導師の事は、阿瑪拉アマラ師から伺っております」


 計都ケートゥについては、童は一通りの事を阿瑪拉アマラ師や、宿で同衾した人狼の学徒達から聞かされている。表面は穏やかだがとても冷徹で、皇帝夫妻を含め、皇国中から畏れられているという事だった。

 優しげな顔だが瞳は決して笑っていない狂信の学師を見て、童はむしろ頼もしさを感じた。自分が害される事はまず無い以上、恐れる必要はないのだ。

 卑屈な者、媚びへつらう者を嫌う計都ケートゥもまた、恐れを見せぬ童には良い心証を持った。


「代官達が死んだ事で、石津を出入りする街道が、疫病が出たという名目をつけて、残る兵によって塞がれていますの。そうなる前に、貴方が寝ている間に馬車をここまで下げましたのよ」


 阿瑪拉アマラの体の事だけでなく、石津を巡る状況が悪化する事を見越しての脱出であったなら、尚の事、童は納得せざるを得ない。


「姉ちゃんはどうなったでしょう?」


 続く童の問いに計都ケートゥは、代官の郷里を和修吉ヴァースキが検分した結果、鏖殺は生ける屍と化した童の幼馴染みによる物と推察している事、そしてその行方が未だ掴めていない事を話した。


「生ける屍になっちまった…… 治らないんですか?」

「その様な事になっているという事自体、あくまで推測ですわ。なっていたとして、診てみないと解りませんわね」

「まだ、駄目と決まった訳じゃないんですね!」


 童の言葉が絶望や諦めではなく、望みが残っていないかの問いであった事に、計都ケートゥは感心した。常に前を向いているこの少年は、宮中に相応しい気質を備えている。弗栗多ヴリトラと言仁の双方が気に入り、手元に置く事を決めたのも当然だろう。


「ええ。でも、覚悟はしておきなさいな」

「わかって……います」


 いかに計都ケートゥと言えども、知性が失われた蘇生者を回復させるという確約は出来ない。状態にもよるが、望みはかなり薄いだろう。

 また、幼馴染みの娘が蘇生していたという推測が誤りだったなら、やはり生存の望みは殆ど無い事になる。

 童もまた、皇国が決して万能ではない事は理解出来ていた。その上で、出来うる限りの手を尽くすしかない。自分は皇国の中枢に近い場所から、その力を求める事が出来る。それだけでも希有な幸運なのだ。


「落ち着いたら、石津へ戻りますわよ」

「え? 今は入れないと仰ったばかりではないですか?」

「薬座がいなければ”疫病”はどうにもなりませんもの。薬座として乗り込めば通さない訳には行きませんわよ」


 確かに、代官所の封鎖する名目として”疫病”を騙った以上、それを癒やす事が出来る薬座を門前払い等出来る筈がない。


「それと、面白い事になって来ましたわ」

「何でしょう?」

「石津より北側に配している間諜からの報では、美州のお殿様が来る様ですわ。丁度いいですから、この際、色々とお話出来ると良いですわね」


 計都ケートゥは童に、穏やかながらも愉しげに目論見を語る。

 生娘の様な無垢の笑顔でまつりごとを語る彼女に、多くの命を碁石の様に弄ぶ魔性を感じ、童は初めて畏れを抱いた。

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