第20話

 石津。

 夜も更けた頃、代官の居宅では、旅支度を調えた若い女が代官と別れを惜しんでいた。


「兄上。これまで龍神の追っ手から匿って頂き、有り難うございました」

「伊勢が龍神の手に落ちて以後、神宮の免許を受けて州の外で商っていた薬座の行商人を、奴等は探し求めていたからな。ようやくその手も緩んで来たという訳だ」

「はい。船で西国に逃れようとした者達は、悉くが海賊に捕らわれた末、龍神に売り渡されたと聞きます。でも、龍神共とて、いつまでも人手を割くわけには行かないでしょうし」


 女は、神宮支配の下で薬座に属していた行商人であった。州境近くにある石津の代官である実兄のつてで就いたのだが、州外で商いをしている内に一揆が起き、伊勢に戻る事が出来なくなった。

 彼女は、州外に逃亡した神宮の関係者に対して各方面に追っ手がかかる事を見越し、実兄宅に匿われて追跡の手が緩むのを待っていたのである。


「賢明だったな。お前の言う通り奴等とて、いつまでも逃げた者を追い続けてばかりはおれぬ。伊勢を治める事に集中したいだろう」

「口惜しい事ですが。それにしても、私の話を受けて頂いたのは大いに助かりました」

「いや。何しろ今は戦国の世だ。事ある毎に兵が要るというのに、あの村は昔からの約定で、足軽を出さんで良い事になっておる故な。目障りだったのだ。お前の話は、実に丁度良かった」

「郷里の衆も、後を継げぬ者にあてがう地が出来て、とても喜んでおりますね」

「ああ。お前も、路銀が稼げただろう」

「逃げた先で身を立てるには、何よりも銭。あの村の者共を始末した後、豆銀を総取りして良いとは全く助かりました」


 この女は、狼の申し子とされる童に迎えが来て、代償として多額の豆銀を養親が受け取った事を聞きつけ、それをせしめる事を画策した。

 そこで実兄である代官に、阿片によって童の村を鏖殺する企てをもちかけた。

 士分たる代官にとって、いざ戦と言う時の兵の動員力は死活問題である。代償として税の割り増しが課されている物の、足軽の拠出が免除されている村の存在は疎ましかったのだ。といって、自分が任じられる前からの約定を、軽々しく無下にはできない。妹の企てに、代官は乗る事にした。

 代官は鏖殺を揉み消して”逃散”として処理すると共に、郷里で後を継げない次男坊以下の者を入植させる事に利益を見た。


「なあに。お前の御陰で、郷里の皆も幸せになるという訳だ。いやいや、全くの名案」

「全くですね」


 二人は清々しい笑顔になったが、それは一瞬で凍りついた。

 突然、襖が乱暴に開かれ、二頭の白い狼が眼前に現れたのである。一頭は牛程の巨体、もう一頭は大きめの犬程である。阿瑪拉アマラと童だ。

 阿瑪拉アマラは、童の幼馴染みの手がかりを得るには、鏖殺を実行したとおぼしき旧薬座の行商人の身柄を押さえるべきと考えた。だが、幼馴染みが生存していても、時が経つ程に身柄の庇護が難しくなるのは明白だ。そこで強攻策として、実行犯とつながっていると思われる代官の屋敷へ踏み込み尋問する裁可を計都ケートゥから得たのである。

 代官についても、鏖殺への関与が明らかになれば、家族郎党共々に処断して良しという事となっている。

 本来ならもっと調べてから行うべき処置だが、童が大切に思う幼馴染みの命がかかっている。身内一人を救う為なら、万の敵の殺戮も厭わないのが皇国の価値観だ。

 それに、もし間違いであっても…… 代官の記憶を封じ、踏み込んだ事を揉み消せば済む事である。

 幸いにして、見込みは当たった様だ。行商人が屋敷に滞在していた事で、代官共々に身柄を押さえられたのは上出来と言う他ない。


「ば、化け物ぉ! 出会え、出会え!」


 代官が叫ぶが、配下が応える様子は全く無い。


「無駄ですわ。屋敷に詰めておるもんは皆、黙らせましたでな」

「あ…… あ……」


 抵抗は無駄だと思い知らされた代官は、妹と共にへたり込んでしまった。


「まさか、本当におるとは……」


 代官兄妹は、人狼の実在を信じていなかった。羅刹ラークシャサ等の他のあやかしと異なり、この時代の和国では実在例が殆ど知られていなかった為である。

 間諜の屋台の常連客である馬丁が話していたのと同じ様に、”豆銀は童を欲した士分なり商人なりが払った物。狼の迎えというのは誤魔化すための方便”と考えていたのだ。

 本当に童が人狼の子だと信じていたら、鏖殺を企む事もなかっただろう。


「お前等が俺の村をやったんだな!」

「し、知らない! 知らない!」

「とぼけても無駄ですわ。すっかり聞きましたでな」


 牙を向きだして詰め寄る童に、女は狼狽しながらも必死に否定する。

 だが、阿瑪拉アマラがそれを一蹴すると、恐怖を顔に張り付かせたまま黙りこくってしまった。


「さし当たりですな。特にそっちの姉さんには聞きたい事があるんですわ。死ぬより惨い目に遭いたくなければ、正直に答えなされよ?」


 女は、震えながら頷く他なかった。


「姉ちゃんはどこにいる?」

「だ、誰の事?」

「ああ、こういう顔のもんが、村におりませんでしたかな?」


 童に”姉ちゃん”と言われても、当然ながら女には誰の事やら解らない。

 阿瑪拉アマラは首に下げた八咫鏡に、童の幼馴染みの似顔を映し出した。


「ん…… 確かに…… そういう娘が村にいた様な……」

「ど、どこへやった?」


 女の答に、童は恐る恐る先を促す。


「どこって、山の奥にある崖の下へ飛び降りて……」

「嘘をつくな! とぼけやがって!」」


 単調に話す女に、童は声を荒げる。口調にも腹が立ったし、遺骸が崖下になかったからこそ尋ねているのだ。


 激昂した童は右前足を振り上げて張り飛ばそうとしたが、阿瑪拉アマラはそれを押しとどめた。


「本当、本当です! 亡骸が崖の下にある筈!」


 童の殺意に晒された女は、恐慌状態に陥って弁解する。阿瑪拉アマラはそれに頷いて肯定した。


「これが嘘を語る益がありませんわな。時を稼ぎたいなら、どこぞに売り飛ばしたとか言うて、生きておる事を仄めかしますで」

「じゃ、こいつが言ったのが本当として、姉ちゃんはどこへ行ったんです?」

「先に身を投げたもんの上に落ちて助かった、という事もあり得なくはないですけどな」

「ほ、本当ですか?」


 訝しげに尋ねられ、阿瑪拉アマラが幼馴染みの生存の可能性を示すと、童は思わず身を乗り出した。


「けれどもあの高さですわ。普通、それでも無傷では済みませんで。深手を負って、山奥へ必死に逃げたとなると、そう遠くに行けない筈ですわな。そのまま力尽きておる率が高い、と見るべきですわ」

「そ、そんな……」


 かすかな希望を砕かれた童は、縮こまっている二人をにらみ付ける。


「この女、それにお代官さ…… いや、代官! 許さねえ!」

「ど、どうするつもりだ?」


 そこまでのやり取りを何も言えず見ていた代官だが、童の口から自らの名が出た事で、思わず聞き返す。


「お主。儂等が手を下さんでも、無辜の領民を鏖殺して、郷里の縁者に村を与えようとした事が美州殿に知れれば、一族郎党共々、打首獄門は免れませんで?」

「そ、それは困る!」


 武断的な領主であれば”戦に兵を出さぬ村など潰してしまえ”として、代官の行為を追認したかも知れない。

 だが美州領家は下克上で成り上がった油売りの出自で、民草の人気も高い。それ故に、民の鏖殺という暴挙を許す筈がないのは明白だった。


「士分の面目を保ちたくば、事のあらましを一筆書いた上で腹を切りなされ。お主の家族や郎党にも、儂等が因果を含めますでな」

「ぐぬぬ……」

「明朝まで待ちますで。屋敷には結界を張りましたで、逃げられるとは思わん事ですわ」


 阿瑪拉アマラの宣告に、進退窮まった代官はうな垂れる他なかった。



*  *  *



 代官とその妹たる旧薬座の行商人を断罪した阿瑪拉アマラと童は、結界で封じた屋敷を出た。

 夜半で周囲には人通りがない。また、周囲の認識を阻害する法術を使っているので、仮に姿を見られても問題はない。

 下手人を罰した物の、肝心の幼馴染みがほぼ絶望的である事が解り、童はすっかりしおれている。

 捕らわれているとか、人買いに売られたという事であれば救い出せたのだが、崖から身を投げた末に行方知れずという事がはっきりしたのだ。

 唯一良かった事と言えば、女の口ぶりから、”幼馴染みが村の鏖殺に関わっていたのではないか”という、阿瑪拉アマラ達の抱く疑念が晴れた事である。只、この疑念については童は一切聞かされていないままなので、彼の心が多少なりと軽くなる要因にはならなかった。


「娘の事ですけどな。岩場へ落ちて生きておったとして、周りをきっちり探し直しますわ」

「お願い、します……」

「まだ全く望みが無い訳でもありませんしな。例え虫の息でも、生きておりさえすれば、どうとでもなりますで」

「はい……」


 まず助からないと解っても、せめて遺骸を見届けたい。捜索の継続は有り難いが、童の声は消え入る様に小さい。望みが潰えた訳ではないという阿瑪拉アマラの言葉も、気休めにしか感じなかった。


「ともあれ、これであれらは自分の始末をつけますわ。残るは、あれらの郷里ですわな」

「どうするんですか?」


「連中もお主の村を鏖殺して乗っ取ろうとした一味ですからな。お主の村の様に、鏖殺してやりますわ」

「でも、事の次第を知らないかも知れませんよ?」

「そうだとしても、代官も女も、あれらが身内ですわな。なら、連座して然るべきですわ。敵は赤児まで後腐れ無く鏖殺するのが儂等のやり方という事は教えましたわな?」

「は、はい」


 皇国の非情な方針は、童も教えられている。かつての平家が辿った運命…… 勝ち戦で敵将の子を助命した為に、成長した相手に政権を奪い返された轍を踏まない為だ。

 しかし理屈では解っても、いざ、その渦中に自分がいるとなると心がかき乱されてしまうのも当然である。


「既に、連中の村には人狼兵を差し向けましたでな。一応、先方の組頭を詮議はしますけど、結果に関わらず、村のもんはみなごろしですわ。情けをかけたら逆恨みして、仇討ちで儂等を狙って来るかも知れませんでな」

「せめて、組頭の他は寝てる間に……」

「まあ、その位の慈悲はええですわ」


 童が短い間に精一杯考えた穏健策を、阿瑪拉アマラはあっさりと受け入れた。相手を苦しめる必要は必ずしも無い。要は、この世から消せれば事足りるのだ。


「ちと、鏡を持って下され」


 相手の村を殲滅する為に差し向けた人狼兵の隊に指示を出そうと、阿瑪拉アマラは自分の首に掛けてあった八咫鏡を外し、童の首へ掛けさせた。手が使えない獣型は何かと不便な面がある。

 阿瑪拉アマラが先方の隊を呼び出そうと鏡を覗いて念じた時、丁度、相手側から通信が入って来た。鏡に映る人狼兵は、いかにも困惑した様子である。


「こっちは済みましたわ。で、どうしたんですかな?」

「目的の村ですが。我々が到着した時には、村人は既に…… 別の隊を向かわせていたのですか?」


 相手の村がみなごろしとなっていたという報に、阿瑪拉アマラも首を傾げる。


「はて、そんな筈はないですわ。行き違いかも知れませんで、一応、桑名と導師にも聞きますけどな」

「皇国兵とは異なる、別口の者でしょうか?」

「山賊の類かも知れませんな。敵の敵だからというて、味方だと思わんことですわ。用心しなされよ」


(また話がややこしくなりおる……)


 通信先に注意を促しつつも、阿瑪拉アマラは内心で頭を抱えてしまった。

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