第18話

 石津。

 報告をする為に関所へと戻った間諜は、翌日には何事もなかったかの様に、再び人間に化身して普段通りに屋台を出していた。但し今回は、急報を送る為に八咫鏡の持ち出しを許されている。

 これまでの経緯は全て間諜にも知らされ、行方知れずの娘の人相書きも見せられた。石津で見かけた場合は庇護する様にとの通達も受けている。

 例によって、仕事を再開できずに暇を持て余している常連の馬丁が、上機嫌な様子で訪れた。


「おう、姉ちゃん。お蔭さんで一応、仕事をまた始める目途が立ってよ! まずは祝いの一杯をくれや!」

「はいよ」


 間諜は銭を受け取ると、いつもの様に柄杓ひしゃくで木椀に濁醪どぶろくを注いで差し出す。

 馬丁は喉を鳴らしながら一気に飲み干した。


「かーっ、うめえ!」

「仕事に目途がついたって言うけどさ。逃散した村に、他所のきこりが移り住むって話が決まったのかい?」

「ああ。代官所から座に話があったみてえでよ」

「あっちこっちからかき集めたのかねえ」

「いんや。それが全部、同じ村からなんだわ。余ってる次男坊、三男坊が大勢いたってえから、とんとん拍子に話が決まったみてえでよ」

「へえ、よく間引かずに養えたねえ」

「村で冷や飯食いをしてる訳じゃねえよ。外へ出稼ぎに出す為に生かしてんだ。親が奉公先から受け取った前貸し銭で縛られて、年期が空けても長男坊に何かあった時でもなきゃ村へは戻れねえ。それを、お代官様に声をかけられたってんで、急いで呼び戻したみてえだな」

「前貸し銭はどうしたんだい?」

「多分、税に上乗せして返すって事で、代官所が立て替えたんじゃねえのかな。材木の切り出しを早く始めてえって焦ってた節もあるからよ。俺等の様な馬丁にしても、いつまでもこのままじゃあ困るしなあ」

「なるほどねえ」


 相槌を打ちながらも、間諜は疑問を持った。

 通常であれば、逃散した村への入植を募る場合、あちこちの村へ割り当てを決めるだろう。何しろ好条件の”居抜き”である。広く声かけしなくては後々の不満につながりかねない。

 あえて一つの村からのみ入植を拙速に受け入れるという事は、代官とのつながりが深い村という事だろうか。あるいは……


「その衆が、あんたの出入りしてた村に入るのはいつ頃だい?」

明明後日しあさってってこったな」


 さらに二杯程の濁醪どぶろくを呑み干して馬丁が帰って行くと、間諜は屋台の内側に隠してある八咫鏡を使い、周囲に聞かれぬ様に声を出さず、かすかな唇の動きで桑名へ報告を入れた。


(常連の男には悪いが、既に多くの血が流れた上は、恐らくこの件……)


*  *  *


 童の母とおぼしき人狼が捕らわれていたと見られる、牢獄のある岩場。

 阿瑪拉アマラは山中で捜索に当たっていた九隊の人狼兵の内、八咫鏡による通信で一隊をここへ呼び寄せていた。

 およそ一刻の後に彼等が到着すると、阿瑪拉アマラは周囲の確保と警護を任せ、自らは和修吉ヴァースキや童、そして直轄の隊と共に、事の発端である童の村を調べるべく向かった。

 村へ着いた後に阿瑪拉アマラ達がまず目指したのは、狼が祀られている祠である。

 寒村の物らしく、祠は粗末で小さな物だ。ただ、掃除や手入れは欠かさず行き届いていた様で、村人の祭神への信心や畏怖が解る。

 それでいて童を色子として寺へ売ろうとしたのは、祭神の申し子とは本気で考えていなかったのであろう。

 童は何とも言えない複雑な顔つきで、無言のまま祠を見つめていた。


「お主の母御が埋められたのは、どの辺りですかな」


 阿瑪拉アマラに声をかけられて童は我に返ると、祠の傍らに生えている、しめ縄が結ばれた杉の巨木を示した。


「御遣い様が…… 本当のおっ母さんが葬られたのは、この御神木の根元って聞いてます」

「遺骨を調べたい。掘り返して良いか?」


 和修吉ヴァースキの問いに童が無言で小さく頷くと、随伴していた二体の龍牙兵が指示を受け、調査の為に用意してあった鍬で御神木の根元を掘り返し始めた。


「急がずとも良い。遺骨を傷つけぬ様、慎重にやれ」


 和修吉ヴァースキの命令通りに、龍牙兵は静かに鍬を振り続ける。やがて二尺 ※約六十cm 程掘った処で、骨らしい物が姿を現した。

 龍牙兵達は鍬を置き、一体が素手で土を払いのけ、もう一体が骨を拾い集めて地面に敷かれた布の上に置いていく。

 無造作に置かれた骨は、和修吉ヴァースキの手によって、獣の形に並べ直されていく。

 その間に阿瑪拉アマラは、手を使う為に人型へと化身する。衣がないので全裸のままだが、周囲には身内ばかりなので全く気にしていない。


紗麗サリーは用意しておきたまえよ」

「街中や改まった場と言う訳でなし、面倒なんですわ」


 和修吉ヴァースキが窘めても、阿瑪拉アマラは全く意に介する様子がない。

 人狼に限らず白虎等、知性を持つ獣形の種族、即ち”霊獣”は、裸体に全く無頓着なのである。人型に化身した際に衣を身につけるのは、あくまで身だしなみに過ぎないのだ。

 阿瑪拉アマラは祠の扉を開け、中を探ると、一冊の書物らしき物を取り出した。


「この祠の由来とか、書いてあるみたいですわ。まあ、読んでみますで」


 和修吉ヴァースキが骨を並べ直して検分している間、阿瑪拉アマラは書物の内容に目を通していた。

 人狼兵達は周囲に目を配って警戒し、童の方は、和修吉ヴァースキの作業の方を注視している。


「おおよそこの位か」


 およそ一刻 ※二時間 の作業の末に、布の上には、牛程の巨体の狼の骨格が並んでいた。


「これが、俺の…… おっ母さん……」

「うむ。骨を並べながら法術で検分したが、ほぼ確実にお前の御母堂であろう」

 

 和修吉ヴァースキは答えると共に、遺骨に合掌で礼を表す。書物を読み終えていた阿瑪拉アマラも、人型の裸体では無礼であると考えて獣形へ戻り、頭を垂れて黙礼した。人狼兵達と童もそれに倣う。


 死者への追悼を終えると、和修吉ヴァースキは童へと向き直る。


「骨の様子から、御母堂の最期の様子がある程度解った」

「ほ、本当ですか?」

「うむ。死因だが、大勢に袋叩きにあった様だな。骨のあちらこちらに、砕けたりひびが入っておる。殴打による物であろう」

「おっ母さん、誰かに襲われて、俺を連れてここまで逃げて来たのか……」


 和修吉ヴァースキの説明を聞き、童の胸に痛みが走る。

 だが、阿瑪拉アマラはその解釈に異を唱えた。


「書物に書かれとる事によると、ちと違う様ですわな」

「何が書かれていたんですか?」

「要は、祠の由来が書かれておるんですけどな。十三年前の事ですわ。飢えて弱った様子の白くて大きな狼が、人間の赤子と一緒に祠の前で横たわっておったのを、組頭、つまりお主の養い親が見つけたそうですわ。んで組頭は、村の若い衆を連れて来て、弱っている内にと狼を皆で打ち殺したと」

「そ、それじゃあ、本当のおっ母さんは、俺を養ってくれたお父っつあんや村の衆に殺された!?」

「そういう事ですわな」


 驚いて聞き返す童に、阿瑪拉アマラはきっぱりと認めた。


「え、だって、この村では狼は神さんなのに……」

「そもそも、この村で狼が祀られておるのは”祟り神”としての様ですわな」

「祟り神……」


 祟り神とは、人に災いなす存在を封じ、神として祭り上げた物である。


「随分と大昔、村を襲う人食い狼を、偉い仏法僧の法力であの岩場に封じたっちゅう事ですわ。そんで、祟らない様に拝む為にこの祠を建てたんですわな。それが封印を破って抜け出たとなりゃ、弱っておる内にとどめを刺したんも仕方ないですわ」

「し、仕方ないって、阿瑪拉アマラ師は納得出来るのですか?」

「食うか食われるかですもんなあ」


 淡々と話す阿瑪拉アマラの口調に疑問を抱いた童は思わず聞き返したが、返ってきた答えは、割り切った物だった。


「人を食らうは神属の宿業。そして人もまた、黙って食われる道理はない。故に、この事で村人を恨んではならぬ」


 和修吉ヴァースキは、村人を生母の仇として考えてはならないと童を諭した。人間と共存しようと考えているからこそ言える事である。


「人狼なら、人間を蹴散らす事など簡単だったろうに…… おっ母さん、ここにたどり着くまでに、何で弱っておったんだろう…… 」


「これはあくまで推察だが、石化が溶けて牢獄から抜け出た物の、お前を産み落とした事で力を使い果たしていたのであろうな。この村に来たのは、お前を託すつもりだったか、何とか村人を食らって力を取り戻すつもりだったのであろう。今となってはどちらかは解らぬが」


 自分を封印した村に頼る筈がない。きっと報復を兼ねて村人を食うつもりだったのだろうと和修吉ヴァースキは考えていたが、それを言えば酷に過ぎると思い、あえて今一つの仮説を併せて童に示した。


「じゃ、そんな人食い狼が連れてきた俺を、どうして養ってくれたんだろう……」

「本によると、狼が食う為にどこぞから浚って来たと思った様ですわな。人食い狼の子と考えておったら、お主はきっと”返されて”おりましたで」

「そうですね……」


 自分の出自を巡る重い事情を突きつけられた童は、それを耐えて受け止めた。

 自分一人の為に、生母、養親、そして村人の悉くが命を落としてしまった。なればこそ、ここで逃げてはならないと思ったのである。

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