第16話
日がすっかりと沈み、辺りは静まり還っている。
女武官は人狼兵達に、交代で歩哨を立て、残る者は天幕の中で食事を取り仮眠する様に命じた。まだ先は長く、休める時に休んでおかねばならない。
下手人達による夜討ちの可能性も、当然に想定していた。天幕には強力な結界が張られているし、就寝中であっても即時に跳ね起きて応戦する鍛錬も全員が受けている。
天幕に入った兵が糧食の干肉で腹を満たして寝息を立てる中、
兵達は法術による傷病の治療はある程度なら心得ているが、こういった検分で助手が務める程の知識は持っていなかった。
学徒達は桑名へ残して来たので、死因を特定出来る程に医術を学んでいる者は、ここには
数体の遺骸を検分した結果は、”麻薬が使われたのであろう”という
「やはり、術ではなく薬で呆けさせて、甘言でも吹き込んで操ったのでしょうな」
使われたのは印度を原産とし、明国を中心とした東洋に広く蔓延する”阿片”という麻薬である。
酒を遙かに超える酩酊をもたらす効果があるが習慣性が強く、常用者の精神を徐々に冒して崩壊へと導く毒物だ。一方、効力の強い鎮痛薬という側面もあり、一門もその目的で使用している。要は使い方次第で、毒にも薬にもなる代物だ。
「さて、このままでは屍を童に見せられませんでな」
検分に一区切りついた処で、
* * *
翌日の早朝。空は曇天で、雨は降り出さない物の雷鳴が鳴り響き、稲妻が数回に渡って山中に落ち始めた。
「やかましいですわな……」
轟音で目覚めた
さらに、天幕に施されていた結界も破壊された様だ。次撃が来れば吹き飛んでしまうだろう。
自然の落雷ではなく強力な法術による攻撃だと、その場の誰もが瞬時に悟る。
「敵襲! 族長代を御護りせよ! 歩哨は無事か?」
女武官の叫びと共に、仮眠していた人狼兵は跳ね起きて身構えた。龍牙兵達も曲刀を構えてそれに従う。
また、天幕の外にいた歩哨からは返答がない。
「殺られましたな……」
「この程度で結界を破られて倒れるとは、何とも不甲斐ないな」
天幕内で人狼兵達が臨戦の構えをとる中、外からは呆れた様な女の声がした。
「愚弄するかっ!」
女武官は思わず激昂し、人狼兵達も威嚇の唸り声をあげるが、
「皆、落ち着きなされ。
「
皇族たる
「お主、何のつもりで電撃を食らわせたんですかな? 軍用の結界がなかったら儂等全員、消し炭になってましたで!」
「丁度曇っておったのでな。美州の者共に見られず、飛翔して来る事が出来たが…… 降りる時に目測を少々誤ってしまった様だ」
いわゆる”龍”の姿をとり、雲に紛れて飛行して来たのだが、化身を解いて着地する為に雷光を落とした場所が運悪く天幕だったというのである。
「表の者はどうなっておりますかな?」
「雷撃を至近に受けた事で、兵が個々に身体へ張っていた結界が消し飛んだ。身体には別状ないが、気を失って表で転がっておる。霊力の消耗を惜しんで結界を強くしなかったのであろうが、あれでは護りにならぬぞ。我が敵なら命がなかった処だ」
「私の指導の不足であります、
「なれば、栄えある皇国の武官として猛省したまえよ。この件は以上である」
「はい……」
女武官はすっかり恐縮してしまっていた。
天幕に雷撃を落としたのは自分の失態である筈が、逆に歩哨の警戒が甘いと叱責する
(食えんなあ、相変わらず)
「ところで、
「否。当然、連れてきておる。入って来たまえ」
やつれ果てた顔でぐったりと横たわっている童の様子に、故郷の壊滅を嘆き悲しんだせいであろうと思った人狼兵達も表情を暗くする。
屍の群れには眉一つ動かさなかった彼等だが、身内の少年が悲嘆する様はとても辛いのである。
「これはまた、惨い様相ですわな。村のもんがあかんかった事で、一晩中泣き明かしたんですかなあ……」
「いや、まだ伝えてはおらぬが?」
「ほんじゃ、何でまたこんな有様に?」
「これが、主上と御夫君様の御側仕え見習いに登用されたと聞いてな。夜伽も勤めの内なれば、
「つ、つまり…… 先生が搾り取ったから精魂尽き果てたって事ですかい?」
古参兵が恐る恐る尋ねると、
「うむ。まだ若いというのに、たかが十回で伸びてしまった。さらに鍛えてやらねば、主上には御満足頂けぬな」
「じ、じゅっかいですかい……」
古参兵だけでなく牡の人狼兵は皆、
人狼兵達はひそひそと、
(惨え…… 全く容赦ねえ……)
(悦びどころかとんでもねえ責め苦だぜ……)
「儂等の大事な胤を、簡単に潰さんで欲しいですわな」
「その辺りは見極めておる。さて、目覚ましだ」
苦言を呈する
「おっおっおっおぅ!」
数秒もしない内に目をカッと見開いて雄叫びを挙げて跳ね起きた童は、
「ひ、ひいぃ! も、もう幾ら絞っても白いもんは出ません! 出るのは、ち、血潮だけです! 堪忍をぉ!」
「今回はこの位にしておいてやろう。男子として相手を満足させられる様、より精進したまえよ」
あまりの怯えぶりに苦笑して許しを与える
人狼兵達は、その様子を呆然と眺める他なかった。
「こりゃ、まずは落ち着きなされ。全くえらい目に遭いましたなあ」
我に還った童は辺りを見回して、ここが
「その…… ここは?
「ここは美州。お主の村に程近い山中ですわ。お主に検分して欲しいもんがあって、寝ておる間に
童に状況を説明した
「村に残っておった人別改とは照らし合わせましたけどな。直に顔を知っておるお主にも、確かに村の衆か否か検分して欲しいんですわ」
「……そういう、事ですか……」
村人達が手遅れかも知れないと覚悟していた童は頷くと、そのまま
義父母や義弟の骸を見ても童は取り乱すことなく、黙々と検分を続けて行く。
「間違いなく、みんな村のもんです」
全ての遺骸を見終わった童は、
「左様か。それにしても立派でしたで。組頭の子として、人の上に立つ様に育っただけはありますわ」
「そ、そんなんじゃ、ないです……」
「大丈夫ですかな?」
「俺、どうして泣けないんだろう…… この姿になって、人の心まで無くしてしまったんだろうか……」
「そんな事はありませんで。人も神属も、心は大して変わりませんわ。急な不幸で悲しみが出んのは、神属でも良くある事ですでな」
「そうなんでしょうか……」
親兄弟や隣近所の者達の死を悲しめないのは何故、としょげ返る童は、
次いで言葉を掛けたのは、古参兵だった。
「お前さん、もしかして村でいびられてたとかじゃねえの?」
「え? そ、それは、その……」
図星を突かれて言葉が続けられない童に、古参兵は追い打ちをかける。
「お前さんの身の上、俺等も多少は聞かされてっけどな。大方、女みてえに生っちろくて頼りねえとか、そんなんで組頭の跡取りが勤まるかとか言われて小突かれてたんじゃねえの?」
「そ、その…… あの……」
「貴様、幼き
「隊長は黙ってて下せえ!」
女武官は、考え無しに放言した愚かな部下を叱責したが、古参兵は面と向かって反抗した。
「貴様!」
「言わせてやりなされ」
女武官はいきり立ったが、
周囲の人狼兵はと言えば、古参兵の意外な反抗と、
「い、いいんです。その通りですから……」
童の言葉を受けて、古参兵は辛辣な指摘を続けた。
「自分から出家するって言ったんだってな? 弟が生まれて、親からも邪魔にされだしたもんだから、村から逃げたかったんだよな?」
「え、ええ……」
「俺ぁ頭わりいもんだから、隊じゃいつも小馬鹿にされててよう。時々、皆をぶっ殺してやりてえって思うもんよう。でも
古参兵が口を歪めて同僚達の方に目をやると、鬱屈した内心をぶつけられた彼等は皆、恐怖の目を返して来た。
”味方”とされた者から、ここまで明確な悪意を突きつけられた事が無かったのだ。
「なあ、お前さん。ぶちまけて楽になれよ。村の衆はみんなくたばった。でもお前さんは生きてんだ。悲しいふりなんてしなくてもよ、誰も咎めねえんだぜ?」
「俺、俺…… うわああああっ!」
これまで村の者、特に若い男衆から軽んじられて来た悔しさが一気に噴き出し、童はくずおれて大声で泣き始めてしまう。古参兵はそれを黙って見守っていた。
これまで”下卑で軽率”と軽んじていた男の意外な一面に、人狼兵達は複雑な思いを抱かざるを得なかった。
やがて泣き止んだ童に、
「落ち着きましたかな?」
童は前足で涙を拭うと、
「亡骸の中に、姉ちゃんがいないけど…… 生きとるんですよね?」
「それが…… まだ見つかっておらんのですわ。山中で迷うておるか、石津の里へ出ておるか。兵や間諜を出して、皆で捜しておるところでしてな」
「姉ちゃん、姉ちゃんだけは!」
村で最も慕い、躰を委ねた相手の安否を気遣う童に、それまで黙っていた
「
「お願いします!」
童の願いに、
行方知れずの娘に下手人の嫌疑がかかっている事は、あえてこの場では誰も童に伝えようとはしなかった。
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