第15話

 人狼達は十丈 ※約三十m もの下の岩場へ難なく着地した。法術の力である。

 ちなみに法術を使えば、如何なる種族でも一刻 ※二時間 程度なら飛行が可能だ。だが霊力の消耗が激しい為、人狼を含め、法術無しに飛行出来ない種族は滅多に飛ぶ事がない。

 大空を征するのは、那伽ナーガ阿修羅アスラ乾闥婆ガンダルヴァといった、飛空の力を生まれながらに持つ種族なのである。

 百体余りの老若男女の屍は岩場に叩き付けられた事で、いずれも頭が割れたり腹が裂ける等の損傷を負っていた。脳漿や臓物、糞尿といった中身がはみ出し、流れ出た血で周囲は染まり、悪臭も漂っている。

 凄惨な様を間近に見ても、兵である人狼達は動じていない。周囲を警戒しつつ阿瑪拉アマラを中心に置いて円形に集結した。


「誰がやったか知らねえけど、勿体ねえ……」

「腹が減ったなら、顔の判別が出来る程度に脳髄を食ろうてもええですわ。さっきも言うたけど、血肉にしてやるんも弔いの内ですからな」

「残念ながら、くたばってから日が経って霊力も抜けてますぜ」


 軽んじられている古参兵がつぶやいた一言に他の兵は顔をしかめたが、阿瑪拉アマラはあえて屍を食う許しを与えた。だが、古参兵は首を横に振る。

 神属が人間の脳髄を食するのは、含まれている霊力を摂取する為だが、保存処置をしないままの屍は霊力を急速に失ってしまう。食べ頃は死後二日程までだ。

 眼前の屍は、それより半日程は過ぎている。まだ霊力はある程度残っているだろうが、風味は失せているだろう。飢えに瀕していなければ、不味い肉に手を出す事はない。

 

「こんなもんを拾い食いする程には落ちぶれちゃいませんぜ。とても食えませんや」


 古参兵が吐き捨てる様に言うと、その前に女武官がツカツカと歩み出る。そしてそのまま右前足を振り上げ、力任せに横面を殴打した


「痛ゥ……」

「貴様、幼き同胞はらからの縁者達に向かって”こんなもん”とは何事か! だから貴様は足りんのだ! 敵はともかくも、身内の縁者に無礼を働くなら容赦はせんぞ!」

「死んじまったら抜け殻でしょうがよ……」


 叱責する女武官に、古参兵は納得いかない顔で口答えした。だが、その態度が更なる怒りを呼ぶ。


「まだ言うか、貴様ァ!」


 激昂した女武官が、古参兵の喉笛を咬み千切ろうとした刹那、阿瑪拉アマラがそれを制止した。


「止めなされ! 今は御役目の最中ですわ」

「……失礼しました」


 女武官は、古参兵から数歩離れて姿勢を正す。


「た、助かりましたぜ、族長代……」


 安堵した表情でへたり込む古参兵に、阿瑪拉アマラは静かに諭す。


「お主。己の言が正しいと思うておるなら、童の前で同じ事を言うてみなされ」

「そ、それは……」


 阿瑪拉アマラの一言に、ようやく古参兵は己の言葉が誰を悲しませる事になるのか気が付いた。この軽輩も、件の童が種族の大切な宝という事は良く解っている。


「そういう事ですわ。口を開く前に、よう考えなされよ」

「へい……」


 神妙にかしこまる古参兵に対し、周囲の人狼達は怒りと憐憫の入り交じった視線を注いでいた。

 腹立たしい暴言だが、これは生来より頭が軽い不憫な者。怒りを向けても詮無き事だ。むしろ、悪しき振る舞いを正す様に周囲が善導してやらねばならない。


「しかし、遺骸の様子は明らかに妙です」

「……確かに妙ですな」


 気を取り直した女武官の指摘に、阿瑪拉アマラも同意した。屍が浮かべている最期の表情は、恐怖や絶望といった物ではなく、呆けて緩みきった顔をしていた。自害に追い込まれた者の顔とはとても思えない。


「法術で惑わされた様ですね…… 当初に想定していた通り、近隣の地に潜んでいるかも知れぬ、和国の同胞はらからの手による物でしょうか」


 法術による幻惑となると、行える者は限られて来る。だが、女武官の問いかけを阿瑪拉アマラは否定した。


「和国の同胞はらからなら、村の衆を手にかける動機は、童の件での報復しかありませんわな。なら、さっきも言うた通り、こんな事をせんと直に襲いますわ。折角の贄を食わんのも妙ですしな」

「贄にしなかった事を考えると、別口の神属という事もありませんね」


 女武官と阿瑪拉アマラは、先程、僧との間で話していた”神属の仕業ではない”という推論を改めて確認する。


「そうなると、下手人は和国の阿羅漢アルハットですね。一体どこの手の者か……」

「いや、それは早計ですわ。心を惑わして操るには法術の他に今一つ、簡便な手法がありますでな」


 阿瑪拉アマラの指摘に、女武官もはたと気付く。麻薬だ。


「薬……ですか。では、下手人は術者とは限らないと?」

「そういう事ですわ。きっちり検分してみんと解りませんけどな。もし薬なら、一服盛るんは術が使えんでも出来ますで、下手人を突き止めるのはちと面倒になりますわな」


 二人が話している間に他の人狼兵達は、状況を八咫鏡で撮影した上で、屍を集めて並べている。また、組頭宅に残されていた人別改との照合も併行して行われていた。

 およそ一刻後、日の傾きかけた頃に作業は終了した。


「族長代。個々の屍と人別改の記載を照らし合わせた結果、一人が足らぬ他は全て合いました。村の民であった、我等が幼き同胞はらからによる検分があれば、より確実になると思われますが、如何しますか?」


 兵の報告を受け、阿瑪拉アマラは思わずうなった。村人の全滅という報はともかく、惨い有様の遺骸に対面させて良い物か。

 嘆き悲しむ童の顔を思い浮かべ、阿瑪拉アマラは陰鬱な思いに囚われる。計都ケートゥの様な達観に至るには、まだまだ自分は程遠いと思わず内心で自嘲した。

 だが、確実な確認という実務上の必要と、何があろうとも現実を直視させるべきという人狼の長としての方針が、迷いを断ち切った。それにあの童は、那伽摩訶羅闍ナーガマハラジャ夫妻の側近となるのだ。これ位の事で心が折れる様では困る。


「……明朝、警護をつけてここに呼びますわ。それと、足りん一人ちゅうのはどんな者ですかな?」

「人別改の記述では、齢十六歳の女子とあります。これに当たる者だけが見当たりません」

「!? よもや?」


 阿瑪拉アマラは自ら、遺骸を一体ずつ見て回る。やはり、思い当たる者が見当たらない。童の幼なじみという、あの娘だ。


「村から出ていて難を逃れたというなら、運が良かったですね」


 女武官の言葉に阿瑪拉アマラも頷く。


「薬が効かなんで、別に殺されたっちゅう線もありまけどな。しかしまあ、生き死ににかかわらず捜さにゃなりませんでな」

「逃げ延びて山中で迷っているかも知れません」

「下手人に連れ去られておるというのもありそうですわな。売り飛ばされたんなら、むしろ所在が掴みやすいですわな。そん時は買い主を銭でひっぱたいて買い戻せば済みますでな」

「いずれにせよ、すぐに手を回しましょう」

「そうですな。まずは野営の支度をしますわ。忙しゅうなりますで」


 阿瑪拉アマラは象牙で出来た首輪を前足で外し、屍を動かした後の岩場へと置く。

 すると数秒の後、封じられていた大きな天幕が出現した。


「行方知れずの娘の顔を知っておるのは、童の他は儂しかおりませんでな。人相書きを造って、他の隊や桑名にも八咫鏡で廻しますわ。その後は屍の検分、んで童が明日ここへ来る前に、見せてもええ位に屍の傷みを修繕せにゃなりませんわ」


 阿瑪拉アマラはそういって天幕に入ると、筆を取りやすい様に人型へ化身する。

 天幕の中は法術の光が灯されており、机、そして紙や筆といった文具も備え付けられているが、衣の類は置いていない。

 阿瑪拉アマラは全裸のまま筆を取り、先日に村で言葉を交わした、童の幼なじみである娘の容貌を思い出して似顔を描く。


「我ながら上出来ですわ」


 精巧な似顔を描き上げた阿瑪拉アマラは、八咫鏡で他の九隊、そして仮宮へと写しを送る様に女武官に命じた。


「生きておるなら、早う庇護せにゃなりませんでな。もし抗って来たり逃げたんなら、説得に手間をかけんと、傷つけん様に法術で拘束してしまう様に伝えなされ。身柄さえ無事で押さえられれば、後でどうにでもなりますわ」


 抵抗を想定した上で手荒な手段を許したのは、とにかく娘の身の安全を確保したいという理由の他に、深刻な懸念が生じた為である。


「この娘が万が一、村の衆のみなごろしに関わっておったら……」


 阿瑪拉アマラとて、同胞はらからと通じ合った相手を疑いたくはない。だが一人だけ姿を消している以上、この娘が下手人である可能性は排除出来なかった。

 例えば、豆銀に目が眩み、独り占めしようと村人を鏖殺して逃亡。あるいは外部の者に弱味を握られる等して、手引きを強いられた。動機は他にも幾らでも考えられる。


「田舎娘一人で、薬を使うて村を丸ごと滅ぼす様な事は難しいでしょうがな。もし娘が関わっておるなら、唆されたにせよ、脅されたにせよ、ほぼ間違いなく糸を引いたもんが村の外におりますわな……」


 勿論、今の段階では、娘に対する疑惑はあくまでも可能性の一つに過ぎない。

 ともあれ、手元の人狼兵では込み入った捜査は難しい。それに慣れた者が要ると考えた阿瑪拉アマラは、今回の件で本格的に間諜を動かす様、弗栗多ヴリトラに請う腹を固めた。

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