第11話

 百名の人狼兵は十名づつに隊を編成し、分散して美州の山中を捜索にあたる事とした。

 当初は五名づつという案だったのだが、和国の人狼と遭遇・衝突した場合でも圧倒出来る様、倍の人数となったのである。

 また、各々の隊を指揮する者には八咫鏡が貸与された。

 動画や音声による同時通信、そして撮影・録音記録が可能な八咫鏡は、州外へ持ち出す際に弗栗多ヴリトラもしくは言仁の裁可が必要とされている。前回、阿瑪拉アマラが童を迎えに行く際に携帯しなかったのはその為だ。

 今回は言仁の方から、円滑な連携、そして不測の事態に備えて持って行く様にと、特に申し渡されたのである。


「此度の件は主上・御夫君様共、とても心配しておられますでな。お主等、きばって下されよ」


 出立に際しての阿瑪拉アマラの言葉に、一同は気持ちを引き締めていた。

 最悪、他の神属と初めて相討つ事になるのである。



*  *  *



 阿瑪拉アマラが廃村へ到達した頃の石津。

 童の村が逃散したという報を送った間諜は、引き続き詳報を得るべく、普段の様に人間の女に扮して濁醪どぶろくの屋台を出していた。

 まだ日暮れには間があるというのに、半分程の屋台に客がついている。逃散した村に出入りしていた馬丁達が、荷を運べずに暇を持て余している為だ。

 間諜の屋台にも、童の話をもたらした初老の馬丁が訪れて、濁醪どぶろくを煽っている。


「やってられんなあ、全くよお」

「元気出しな。あんたは贔屓ひいきにしてくれてるし、今日は半値でいいからさ」

「うほっ、済まねえなあ! んじゃあ、もう一杯!」

「はいよ」


 やるせない顔で溜息をつく馬丁だが、間諜が慰めると”半値”の言葉に反応し、すぐに機嫌を直すと空の椀を差し出した。

 間諜は苦笑しながら、柄杓ひしゃくでお代わりを注いでやる。


(安酒さえあれば幸せとは、全く扱い易い輩だ。それでいて話をよく集めて来る)


「馬丁は景気が良くて、引っ張り蛸じゃなかったのかい? すぐに次が見つかると思うよ」

「そう簡単じゃねえんだわ。各々の縄張りって物があるからよう。座の方で新しい行き場を割り振ってくれるまでは勝手が出来んのよ」


 馬丁にも座が存在し、仕事には上納銭を払って鑑札を得なければならない。また、誰がどこで荷を運ぶかも仕切られている為、自分で新たな仕事を勝手に受ける事は許されないのである。


「それによう。空になった村もまあ、早けりゃ五、六日で別のきこりが移り住んで来るって、今朝方に石津の代官所から触れが出てな。だから座も、俺等があぶれているからと言って、迂闊に余所へ割り振る事が出来ねえんだわ」

「余所の樵で、後を継げない次男坊、三男坊とかを空いた村へ連れて来るんだね」

「そう言う事だわ。お上にとっちゃ、下々なんて幾らでも換えがきくからよ」


 ”幾らでも”は大袈裟に過ぎるが、後を継げない次男坊以下の男子はどの身分でもいる。樵にもその様な者はいる訳で、逃散した村に入植する話があれば、すぐに飛びついて来るだろう。

 美州領家が早々に逃散と断じたのも、いなくなったきこり達の代わりをすぐにあてがって伐採を再開する為に、村の接収を早くしたかったであろう事が伺われた。


(仮に行方知れずのきこり共を皇国の手で無事に見つけたとして、最早、元の村へは戻せまい。越境させて伊勢へ受け容れる他ないか…… 万が一にも美州側に捕らえられば、見せしめを兼ねて全員が仕置されてしまいかねない)


 美州が新たな住人の入植を決断した以上、事の経緯は最早、詮議される事はないだろう。不可抗力であったとしても、元の村人が現れれば問答無用で、逃散を試みた咎により死罪は免れない。

 美州側に捕らえられた場合、皇国は表だって直に介入すべきか否か、決断を迫られる事になる。極力、その様な事態に陥る前に決着を付けねばならない。

 非情だが、既に村人が死に絶えていたと言うのも、皇国にとっては悪くない結末の一つではある。童との信義上、見つければ縁者である村人達を救わねばならないのだ。


「逃散したっていうけど、村の衆が行きそうな心当たりとかないのかい?」

「役人にも訊かれたけどよ、見当もつかねえや」

「そうだろうねえ」


 思い当たる様な処であれば、とっくに見つかっている筈だ。


「ただ、銭廻りが良くなったみてえだけどよ。ほれ、前に話した、出家する事になっとった組頭の倅。それを取りやめたいっちゅうて、支度銭を色つけて寺に返して断ったっちゅうんだわ。しかも、銅銭でなくて豆銀でだわ」

「豆銀で色をつけたとは凄いねえ。どこで稼いだんだろうねえ?」


 童を引き取りに行った阿瑪拉アマラが支払った銭が返済の出所である事は、間諜は同然に解っている。だが、石津周辺ではどう認識されているか探る為、間諜は素知らぬふりで馬丁に訊いた。


「倅が狼の落とし子だっちゅう話は前にしたろ。仲間の狼が迎えに来て、これまでの食い扶持だっちゅうて豆銀の袋を置いてったと、組頭は言うとったんだわ」

「へえ、狼ってのは祀られてるだけあって、随分と身上しんしょ ※財産 持ちなんだねえ」

「狼が銭を持って引き取りに来るなんて、そんな眉唾を誰が信じるもんかよ。大方、どこぞの商人とか、侍とか、とにかく寺より余分に銭を積んだもんがおるんだろ。あの倅は結構な器量だったからなあ」


(童を迎えに来たという話が伝わっても、人狼の存在をこの馬丁は未だに信じずに法螺話だと思っているか。”誰が”と言う事は、こ奴だけでなく、大方の住民も恐らくはそうなのだろうな)


「寺はそれを受けたのかい?」

「何か一悶着あったらしいけどよ。童がいないんじゃ仕様がねえってんで、渋々ながら銭を受け取って破談にしたそうだわ」

「一悶着ねえ。物騒な事になったのかい? 証文を盾に代官所へ訴えるとか」


 ”一悶着”の一言を、間諜は聞き逃さなかった。揉め事があったなら、それが逃散騒ぎのきっかけかも知れない。


「そう言う事じゃねえけどよ。あの寺は真言宗でな。寺に入れた倅を本山へ修行に出すって事で高野聖が迎えに来とったんだわ。それも、五人ってんだからただ事じゃねえ」


 高野聖とは、和国仏道の一派・真言宗に属し、全国を行脚する下級の修行僧である。

 出家した小僧を本山で修行させる事や、その為に迎えが来る事自体はさして不自然ではない。

 だが、たかが童一人の迎えの為に、五名も遣わすとは尋常ではない。それだけ童を重視していたという事になる。


(真言宗が人狼の仔を狙っていた? 仏敵として滅する為か、手懐けて使役する為か?)


 寺が件の童を欲していたのは、色子として慰み者にする為ではない。真言宗の本山、即ち高野山が人狼の仔の存在を知り、石津にある末寺へ身柄の確保を命じたのだろうと、間諜は推察した。


「まあ、あんだけ器量がええ童を差し出しゃ、和尚も本山の覚えがめでたくなるってつもりだったんじゃねえのかな」


 ”出世の為に本山へ美しい童を色子として差し出したのだろう”と、人狼の事を信じていない馬丁は自分の推量を話す。


「それで、一悶着ってのは何だい?」

「高野聖共がよ、”連れて帰れぬとあっては本山に申し開きが出来ぬ”って、組頭に迫ってよお。仕方ねえんで、そっちにも豆銀を握らせて黙らせたらしいわ」

「へえ…… それで、そいつらはもう帰ったのかい?」

「ああ、一昨日に発ったみてえだな」


 村人の失踪が解ったのが昨日、間諜がそれを知ったのは今朝方、石津の噂になっていたのを聞いての事だ。

 高野聖が寺を発ったのは、失踪が知れた前日という事になる。


(村に手を下したのも、恐らくは高野聖。童や迎えに来た阿瑪拉アマラ師の行方を吐かせようとしたか、それとも釣り出す為に人質にでもするつもりで浚ったか……)


 いずれにせよ、五名の高野聖、そして高野山は人狼を狙っている可能性が高い。村人の失踪にも関わっているだろう。十三年前に行き倒れていた童の生母も、彼等に追われていたのかも知れない。

 ともあれ、人狼を本山へ護送する為に来たという事は、この高野聖は法術を行使出来る阿羅漢アルハットか、もしくは法術具等の神属に対抗する手段を用意しているのは間違いない。

 その様な者であれば一当百の強者として、女子供を含めても百名足らずの村人を捕縛する事は造作もないだろう。


 自分が高野聖ならこの状況で、手に入れ損ねた童を捕縛、もしくは抹殺する為にどうするか……

 村が行方知れずになった話が届けば様子を確かめに再訪するだろう。それを見込んで待ち受け、罠をはる。

 いや…… 童が現れてもその場では襲わず、村人の捜索を諦めて戻って行くのを尾行して居所を突き止め、より多くの兵を引き連れ充分な支度の上で襲うか。

 美州領家については、空となった村へ余所から民を送り込む決定を早々に下した事から、関わっていないであろうと思われる。

 入植までの数日で、童が様子を見に戻って来るとは限らない。待ち伏せるなら長丁場を覚悟で張り込みたいだろうから、美州領家と高野山が組んでいるならば、矛盾する動きだ。

 無論、補陀洛ポータラカの兵は、法術を使う相手も想定して行動している。高野聖の不意打ちを受けても、遅れをとる事は無いだろう。

 だがその場で手を出してこず、密かに後をつけられた場合…… まとまった数の人狼が伊勢に属し、和国在来の同族を集めている事を知られてしまう事になりかねない。


(いずれにせよ不味いな。一刻も早く報告せねば。阿瑪拉アマラ師の事だ、きっと明日からの捜索を繰り上げて、既に美州へ越境しているかも知れない)


 表情に出さないまま焦る間諜だが、ここには同時通信に不可欠な八咫鏡がない。

 州境を越えた、伊勢側の関所までいかなくては、報せを阿瑪拉アマラまで届けられないのだ。


「姉ちゃん、もうねえかあ?」

「ごめんよ、さっきので樽の中身が尽きたんだ。今日はこれで店じまいさ」

「そっかあ。んじゃなあ!」


 濁醪どぶろくのお代わりを求める馬丁に、間諜は屋台を閉めると告げる。

 上機嫌で帰って行く馬丁を見送りつつ、屋台を手早く片付ける。現代と違い、この頃の屋台は肩に担げる簡素な物だ。

 ちなみにこの間諜は人間の女に扮してはいるが、あえてやや肩幅を広くして並の人間の男程度の体格を取っていた。男並みの力仕事をしても、不自然に思われない様にする為だ。

 勿論、本来はもっと長身かつ筋骨隆々とした、羅刹に相応しい体格である、


「さて……」


 周囲を見渡すと、丁度、道端に停まっている伊勢の荷馬車が目に付いた。交易品の塩を石津まで運んで来た便である。荷を降ろして空荷になった処で、休憩している様だ。

 間諜は、馬車の御者を勤めている若い男に声を掛けた。この御者は元々の伊勢の人間だが、賤民の虐待に加わっていなかった為に皇国臣民として認められ、美州との交易に従事している。


「兄さん、伊勢に戻るんなら乗せてっておくれよ!」

「悪いな、塩を売った銭で紙をぎっしり仕入れて戻る様、荷主から言われてんだ。お前さんを乗せる余裕なんてねえさ。夕刻に出る、人を乗せる為の車まで待ちな」


 御者はすげなく断るが、間諜はにこやかな顔で御者に腕を絡ませ、豊かな胸を押しつけて迫る。


「そんな事言わずにさあ。何なら、車賃代わりに今夜……」

「お、おいおい。そんな事されてもよぅ」


 戸惑う御者の耳元で、間諜は自らの正体をささやいた。


(皇家御用につき至急、伊勢へ戻りたい。紙の件については、こちらから荷主へ話を通す故に心配無用)

「お、お前さん、りゅうじ…… もぐっ!」


 屋台主の正体が龍神の眷族であると知った御者は、驚きの声を挙げそうになったが、すぐに口を塞がれた。


「いいよねえ、兄さん!」


 にこやかなままだが有無を言わさない間諜に、御者は頷く他なかった。


「ありがとさん!」


 御者の承諾を得た間諜は、空となっている馬車の荷台に、屋台を軽々と持ち上げて積み込む。そして自らもその傍らに乗り込み、御者に出発を促した。


「急いどくれ!」

「へ、へい……」


 席に座った御者は顔をやや引きつらせながら、馬車を桑名の方向へと向けて進ませた。

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