第10話

 阿瑪拉アマラは、先日に童を連れ帰った際に一夜を明かした、州境の伊勢側にある廃村へと向かった。

 出発してから休みもせずに駆け続けているが、学者と言えども戦闘種族たる人狼の彼女は、疲れを全く見せない。

 廃村に到着した時には、手配していた人狼兵達は既に集結しており、獣形で整列して阿瑪拉アマラを出迎えた。

 男女はほぼ半数づつで、全員、齢五十より下の者達だ。旧弊に凝り固まった本国の年寄りを見限って和国遠征に参じた、皇国の衰亡を憂う若き世代である。

 彼等は本国に残る老いた族長ではなく、一族で最も智恵者である阿瑪拉アマラを自分達の代表と考えていた。


「族長代殿。州境巡回の人狼兵、総勢百名。欠員無く集結しております」

「御苦労さん」


 人狼兵を統括する上級の女武官の報告に、阿瑪拉アマラもねぎらいの言葉で応える。


「美州へ越境しての山中の探索は、本当は明日からっちゅう事だったけれども。悠長な事を言っておれんくなりましてな」

「族長代殿。大方の状況は、伝令から聞いております」

「ならば話が早いですわな。儂等の同胞はらからが潜んで暮らしておらんか探るっちゅう当初の目的の他、行方知れずになった村のもんも探さんとならんのですわ。むしろ、そっちの方が重いですわな」


 阿瑪拉アマラと女武官のやり取りに、一人の兵が声を発する。齢四十程の、この中では比較的古参の男で、女武官よりも年配である。


「族長代! 伊勢の良民ならともかく、他州の人間なんて放っておいてもいいんじゃないですかい?」


 あからさまな不平に、周囲は一斉にその兵をにらみ付けた。


「お、おい。俺、何か変な事言ったか?」


 厳しい視線を浴びせられて戸惑う兵に、女武官は憤怒の表情を浮かべて無言で歩み寄り、右前足で頬を張り飛ばした。


「愚か者めが!」

「痛ぅ……」


 顔をしかめる兵に、女武官は容赦なく罵声を浴びせる。


「貴様にとっては只の人間でも、庇護した童にとっては養われた恩者。なれば皇国の人狼全てにとっての恩者ではないか! それを見限れとは貴様、恥を知れ!」

「その位にしておきなされ」

「族長代殿。配下の妄言を御容赦下さい」


 阿瑪拉アマラの制止に、女武官は一礼して元の場へと戻る。

 叱責された兵も、所在無げながらも姿勢を正した。


「村民の失踪は”逃散”というのが美州領家の見立てという事ですが、本当でしょうか?」


 女武官は阿瑪拉アマラに向き直ると、今回の事態についての疑問を発する。

 圧政にあえいでいた神宮統治下の伊勢と違い、美州の治世はおおむね良好だ。一介の油売りから身を興したという、美州領主の評判も悪くない。

 材木の需要が高まり、寒村とは言えども徐々に暮らし向きは良くなっていた筈だし、童と引き替えに渡した支度銭は、当面遊んで暮らせる程の額だ。

 村人達は本当に村を捨てて逃亡したのか?


「お主はそう考えておらんのですわな?」


 阿瑪拉アマラが問い返すと、女武官だけでなく、その場の兵達も頷いた。


「儂も同感ですわ。一人二人が行方知れずになったというならまだしも、集落が丸ごとですからな。庇護したあれも心当たりはない様だったし、十中八九は違いますわな」

「拐かされたか…… あるいは……」

「始末されたかですわな」


 女武官は口を濁すが、阿瑪拉アマラはあっさりと言葉を引き継いだ。

 奴婢として売却する等の為に拉致するにも、山奥から大人数を連行するのは無理がある。もし連れ去られたのだとしても、商品価値の高い若者の他は殺されているだろう。

 童や学徒に話さなかっただけで、阿瑪拉アマラは報を受けた時点で既に、村人が無事でいる可能性は低いだろうと冷徹に考えていたのである。それを童や学徒に言わなかったのは、余計な心配をかけない為の配慮に過ぎない。

 彼女の眼は村人の安否よりも真相の解明、そして彼等に手を下したであろう者へと向いていた。


「族長代殿。下手人は山賊、野盗、野武士の類でしょうか?」


 先程とは別の兵の一人が問うと、阿瑪拉アマラは残念そうに首を横に振る。


「違うのでしょうか?」

「いや、その線もあり得ますけど、それならまだええですわ。そも儂等は、明日から何を探すつもりだったのか解っておりますわな?」

「……まさか…… 美州に潜んでいるかも知れぬという、和国在来の同胞はらからが?」


 兵の推測に、周囲は顔を見合わせる。


「そういう事ですわ。おるかおらんかは、はっきりせんけれども。同胞はらからがこの地におるんなら、充分あり得る事ですわ」


 阿瑪拉アマラの言葉に、兵達からざわめきが上がった。


「訳なら色々と考えられますけどな。童の母親が件の村で息絶えておったんは、和国の同胞(はらから)から放逐されたのではないかっちゅうのが、計都ケートゥ師の見立てなんですわ。そういう事なら、追い出したもんの忘れ形見を養った村の衆も、連中にとって腹立たしい筈ですわな?」

「それでは……」

「もし和国の同胞はらからが、童の村のもんに手を出したという事なら、仇として捕らえねばばなりませんわ」

「人狼が滅びに瀕しているのに、同胞はらからと相打つのですか!」


 阿瑪拉アマラの示した方針に、女武官は思わず声を挙げた。


「勿論、同胞はらからを見つけても、決めつけてはいけませんわ。あくまで詮議した上で、仇と知れたらという事ですわ」

「し、しかし! 人狼の濁った血を薄めるのは一族の悲願!」

「だから、もし争う事になっても、なるべく殺さんで法術で拘束する様に心がけなされ。儂等と子作りして血を混ぜる為、傀儡とせにゃなりませんからな」


 女武官や配下の兵達は冷徹非情な答えを聞き、気さくさで慕われる阿瑪拉アマラもまた、冷徹非情で恐れられる一門の学師なのだと身震いした。


「同じ人狼なら皆が仲間って訳じゃねえのに、みんなおめでてえんだよ。皇国で迎えた坊主の養い親の仇ってんなら、気兼ねなく傀儡にして、逸物をぶち込んで何度でも孕ませてやれるってもんだ」


 最初に不平を漏らした兵が威勢良く暴言を吐き、嫌らしく嗤う。

 智恵の値が並の底辺である九に留まり、また皇国で忌まれる嗜虐の気性も見られる彼は、末端の兵として終生を過ごすであろうと軽んじられていた。

 だが今回は、その言葉に皆が頷かざるを得ない。


「そ、そうだな」

「ああ、無辜の民に手を下したというなら許せんな。人狼の恥だ」

「お前の癖に、たまにはいい事を言うじゃないか」


 周囲の戸惑いつつの同調に、発言の主は得意げな顔で胸を張る。

 阿瑪拉アマラと女武官は、無言のまま顔を見合わせる他に無かった。

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