第9話

 侍従見習いとして宮仕えが内定した童だが、当面は引き続き、旧宿場にある一門の詰所へ逗留する事となった。

 人間として育った為、獣形での会話や人型との自力による変化もままならない身という、神属としてはやや特異な状態である。故に同族たる人狼の学徒達によって初歩の修練を受けさせる必要があると、阿瑪拉アマラが主張した事による措置だ。

 ちなみに現在の伊勢で一門に属さない人狼の殆どが、山中での行動に適している特性を活かし、州境を警護する兵として任に就いている。種族その物の数が少ない事もあって、侍従等の文官として勤める人狼は、伊勢遠征の陣中には皆無である。その為、宮中には童に人狼としての教導を行える者がいないのだ。

 阿瑪拉アマラに伴われ詰所に戻って来た童を、学徒達は心配そうに出迎えた。だが、皇帝夫妻に気に入られ侍従として仕官する事になった事、郷里に残した幼なじみを伴侶として迎える様に奨められた事を聞き、一様に喜びの声を挙げる。


「良かったですね、主上と御夫君様の御許しが出て!」

「私等が無理矢理引き裂いたみたいで辛かったけど、嬉しいよお!」

「は、はい……」


 自分が人間の女とつがいになるつもりだと知った同族の娘達から、”睨まれるのではないか、怒らせるのではないか”と恐れていた童は、浮かれはしゃぐ学徒達にしばし戸惑った。

 一種の雑婚制に近い貞操感を持つ彼女達にとっては、童が本妻を持つ事は、全く忌々しい事ではない。自分達の性の輪に加わる仲間が増える事になる為、むしろ歓迎すべき事なのである。

 

「心配はいりませんわ。お主の連れ合いを含めて、皆でまぐわって気持ちようなればええ事ですからな」


 童の肩に手を置いて優しく告げる阿瑪拉アマラに、童は少し安心した。

 人狼達は自分だけでなく、幼なじみの事も歓迎してくれそうだ。


「ああ、主上と御夫君様を悦ばすんも、侍従の職分の内ですで。牡として気張らんといけませんで、覚悟しなされよ。男子の力の鍛錬を兼ねて、今晩も仔造りしますでな」

「是!」「是!」「是!」


(俺、腎虚になってしまう……)


 安堵を得たのもつかの間。

 好意と欲望が入り交じった気勢を挙げる学徒達に、童は顔を引きつらせた。



*  *  *



 翌日、阿瑪拉アマラは菅島へと一旦戻る事になった。乳児舎の統括者として長く留守にする事が憚られたのと、今後の方針について計都ケートゥと協議する為である。

 菅島へと戻った奥妲アウダは、留守を預かっていた計都ケートゥに経緯を報告した。

 計都ケートゥはその内容を、普段通りの微笑を浮かべつつ静かに聞いていた。


「宮中、それも侍従見習いとして遇されるのであれば、人狼としては良かったですわね」

「儂等の一族は、智恵の高いもんは大方、女は一門、男は武官でしたからなあ」


 補陀洛ポータラカの人狼は、祖先が他国から落ち延びてきた将兵という事もあり、尚武の気風が強い。また、女は乳母に向いているとして重宝されている。

 結果、まつりごとに関われそうな程に賢い者は、阿瑪拉アマラを含めて女は次代の育成を担うべく一門、男は兵を率いる武官として軍に進む者ばかりとなり、宮中の官吏となる者がいなかった。

 人狼という種族の影響力を保つには文官も必要なのだが、望む者がなければ仕方がない。


「幼なじみとやらを連れて来るのは構いませんけど。その為には今一度、きこりの村へ行く必要がありますわね」

「そうなりますわな。もしかして何ぞ、差し障りがありますかな?」

「いいえ。その件がなくとも、再訪はいずれ必要でしたの。ですからついでに、そちらの用も済ませて頂きたいのですわ」

「……生母の骨ですな」

「ええ。和国の人狼について手がかりを得ませんとね」

「先に行った時は、童が本性に変化しておったもんだから、身柄をさっさと押さえて連れ帰る事だけを考えておったもんで。しかし、確かにあれ一人だけでは、血を薄めたといっても不十分ですわな」


 和国在来の人狼が他にもいないか捜索する必要については、阿瑪拉アマラも考えていた。

 童の胤で産まれた人狼の仔は血が薄まった事により、多くが健常に生まれつくだろう。しかし、外からの血が一人だけでは、結局、その仔達の代で再び血が淀んでしまう。

 そうならない為には、和国在来の人狼を他にも探し出さねばならない。

 村の祠に葬られたという童の生母は、その手がかりとして重要だ。実の子である童が、新たな居へ改葬するとして遺骨を持ち帰る事は、さして難しくはあるまい。


「隠れ住んでおらんか、周辺の山林も探りませんとな。だけども、越境して隠密に動くっちゅう事になると、学徒共では荷が重いかも知れませんで。そういう事に長けた兵を動かせりゃあええんですけど」

「そうですわね。山の捜索には、美州との境を巡回している人狼の兵を使える様、弗栗多ヴリトラに話をつけておきますわ」

「助かりますわ、導師」

「当然ですわよ。荒事になるかも知れませんもの」

「美州のもんに越境が知れたら面倒ですもんな」

「それもありますけれども。件の子の母親が何故、人間の村で子を産み落とし息絶えていたか、考えてごらんなさいな」

「……確かに、不自然ですわな」

「もしかすると、共に暮らしていた同族に迫害されて逃亡した、もしくは放逐されたのかも知れませんわね」


 計都ケートゥは、童の生母が、元いた集団から排除され、仔を産み落とした末に野垂れ死にしていたのではないかという推論を示した。

 充分にあり得る事だけに、阿瑪拉アマラも顔をしかめる。


「もしそう言う事だったんなら、和国在来の同胞はらからを見つけたとしても、一悶着あるかも知れませんわな」

「ええ。万が一の事を考えれば、捜索に動かすのは学徒より兵の方が良いですわね」

「追い出したもんの忘れ形見を儂等が庇護したとなると、面白くはない筈ですわな」

「件の童を迎えたのは、那伽摩訶羅闍ナーガマハラジャの勅意。例え亡き生母に非があったとしても、それを理由に童を責め立て、身柄を庇護した皇国への臣従を拒むのであれば、始末するしかありませんわね」


 童自身が皇国から見ても重大な非を犯し、それを隠していたというならば別だが、そうでないのであれば、一旦受け容れた者は臣民として庇護しなくてはならない。

 例え、より多くの人狼を臣民に加えるという益を損ねてもである。


「まあ、童の立場を安堵した上で、先方の面目を立てる方向で交渉がまとまるのが一番ですけどな。その為には精強な兵を見せつけて、力を示しておくのが一番ですわ」


 逆らうかも知れぬ相手には、圧倒的な力を誇示して恫喝した上で交渉に臨むのが、補陀洛ポータラカの常套手段だ。

 もっとも、武断的な国であればどこでも行っている事ではある。


「あくまで従わなないなら、それはそれで簡単ですわよ。法術で傀儡にして、牡からは胤を絞り、牝は孕ませれば良いのですもの。人狼の血を薄めるだけなら、傀儡で充分役に立ちますわ」

「そ、そうですわな…… 儂等が用があるのは、胤と胎ですもんな……」


 計都(ケートゥ)の冷徹な目論見に、阿瑪拉アマラは納得しつつも背筋が凍る思いがした。



*  *  *



 阿瑪拉アマラを見送った後、童は一門の詰所に逗留を続け、後事を師阿瑪拉から託された人狼の学徒達より様々な教えを受けた。

 獣型と人型との化身や、獣形のままでの人語の話し方の鍛錬。宮中で必要となる礼儀作法。補陀洛ポータラカについての歴史、伊勢の現状、そして国是である”諸族協和”の理念等々。

 説かれた内容は無学な者でも理解しやすい様にかみ砕いてあり、高い智恵の資質を持つ童は、紙が水を吸い取る様に身につけて行った。

 日中の修練や座学を終え、腹一杯の滋養豊富な夕餉ゆうげを食した後は、胤付けを兼ねた交合三昧だ。

 だが、学徒達の肉体に溺れつつも、童の頭からは、姉弟の様に育ち体を許した幼なじみの事が離れる事は無かった。

 もうすぐ一緒に暮らせる様になる。姉ちゃんに不自由ない暮らしを用意するには、自分が周囲から認められる様、勉学に勤しまねばならない。この真摯な思いこそが、童の励みになっていた。

 童の一途さに学徒達が覚えたのは嫉妬では無く、前向きさへの感心である。

 ”この様な献身の対象になる娘であれば、幼なじみとやらはきっと皇国臣民に相応しき良い女なのであろう。共になって童を床で責め立て、精を搾るのが愉しみだ”と、学徒達は未だ見ぬ相手に、若干妄想混じりの期待をふくらませつつあった。

 そして約束の半月が経った後。

 桑名港に着いた阿瑪拉アマラ、そして出迎えに赴いていた童と学徒達の下へ、上空から乾闥婆ガンダルヴァの兵が舞い降りた。


阿瑪拉アマラ師、急報であります!」

「御苦労さん。んで、何ぞあったんですかな?」

「お耳を……」


 怪訝な顔の阿瑪拉アマラに、乾闥婆ガンダルヴァの伝令兵が耳打ちする。


「確かですかな?」


 阿瑪拉アマラの問いに、伝令は黙って頷く。


「何があったのでしょう?」


 童が尋ねると、阿瑪拉アマラは厳しい表情で童の方に向き直る。


「ええか、気を確かに持ちなされよ。お主の村が、逃散したそうですわ」

「ちょう…… さん?」

「要は、もぬけの空になっとるっちゅう事ですわ」

「そ、それは…… わかるんですけど…… 何で……」


 圧政に耐えかねた住民が村を捨てて逃げ出すというのは、さして珍しい事ではない。

 だが、童の村は貧しいながらも食えないという程ではなく、伊勢による木材の需要が高まった事もあり、僅かずつながらも暮らしは上向いていた。

 それに、童が去る際に阿瑪拉アマラが支払った、大枚の支度銭がある筈だ。

 逃げ出す理由が、童には全く思い当たらなかった。


「その話はどこからですかな?」

「石津の間諜からです。村に出入りしておる馬丁の報により、既に美州の役人が村を検分したそうで、逃散と判じたとの事」


 逃散した民は、領主から見れば罪人である。捕まれば、悪くすれば斬首に処せられるだろう。


「美州は山狩りをしたのですかな?」

「山林に長けたきこりを捕らえるのは困難であろう事から、美州領家は捨て置くつもりの様です」


 村のきこり達が、何かの著しい困難に見舞われたが為に逃げたという事はほぼ間違いない。

 山賊の襲撃等、逃散の意図がない不可抗力の避難という事も考えられるのだが、美州はその可能性を考慮しても、捜索に値せずという判断を下したのだろう。

 領主にとってきこり等、所詮はその程度の価値でしかない。逃散と決めつけてしまえば、助けずともそれで片がつくのである。


「す、すぐに向かいましょう!」


 童は、養父母、そして幼なじみ達の無事を何としても確かめたいと、阿瑪拉アマラに願った。

 郷里の村人を救えるのは、自分達しかいないのだ。

 

「そうですな。元々、お主の村の近隣に同胞はらからが潜んでいないか探る為、軍から人狼の兵を借りる手配はしておりましたでな。それらを動かしますわ」

「お願いします。俺も行きたいです!」

「私達も!」

「あかんですわ」


 童は軍だけに任せず、自らも捜索に加わる事を求め、学徒達も追従する。だが、阿瑪拉アマラは重々しく、一言で拒んだ。


「何故です!」

「村人が皆、消え失せるっちゅうのは尋常ではありませんで。人狼の血をつなぐ胤のお主を、危ない目に遭わす事は出来ませんわ。お主等学徒の胎に宿っておるかも知れん仔等もですわ」

「……わかりました……」


 食い下がる童と学徒達を、阿瑪拉アマラは諭す。

 敵対者として想定される最悪の存在は、美州の兵如きでなく和国在来の人狼だ。彼等が村人を襲撃し食い尽くした、あるいは浚ったという事も考えられる。鍛錬した兵ならまだしも、学徒では危険である。

 普段は大らかな阿瑪拉アマラが滅多に見せない厳しい表情に、学徒達は従う他無かった。


「待機しておる人狼兵の隊に伝えなされ。予定では明日から美州の山中を探る筈だったけど、儂が合流次第、今日すぐに動くから支度しておけと!」

「承知!」


 控えていた乾闥婆ガンダルヴァの伝令は、阿瑪拉アマラの命を受けて飛び立つ。

 阿瑪拉アマラはそれを見届けると、自らは紗麗サリーを脱ぎ捨てて全裸となり、狼の姿へ化身した。


「儂も行きますで。何ぞ解ったら一報を入れますわ」

「御願いします、どうか村の皆を!」


 懇願する童に阿瑪拉アマラは頷くと、州境へと急ぎ走り去った。

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