第9話
侍従見習いとして宮仕えが内定した童だが、当面は引き続き、旧宿場にある一門の詰所へ逗留する事となった。
人間として育った為、獣形での会話や人型との自力による変化もままならない身という、神属としてはやや特異な状態である。故に同族たる人狼の学徒達によって初歩の修練を受けさせる必要があると、
ちなみに現在の伊勢で一門に属さない人狼の殆どが、山中での行動に適している特性を活かし、州境を警護する兵として任に就いている。種族その物の数が少ない事もあって、侍従等の文官として勤める人狼は、伊勢遠征の陣中には皆無である。その為、宮中には童に人狼としての教導を行える者がいないのだ。
「良かったですね、主上と御夫君様の御許しが出て!」
「私等が無理矢理引き裂いたみたいで辛かったけど、嬉しいよお!」
「は、はい……」
自分が人間の女と
一種の雑婚制に近い貞操感を持つ彼女達にとっては、童が本妻を持つ事は、全く忌々しい事ではない。自分達の性の輪に加わる仲間が増える事になる為、むしろ歓迎すべき事なのである。
「心配はいりませんわ。お主の連れ合いを含めて、皆でまぐわって気持ちようなればええ事ですからな」
童の肩に手を置いて優しく告げる
人狼達は自分だけでなく、幼なじみの事も歓迎してくれそうだ。
「ああ、主上と御夫君様を悦ばすんも、侍従の職分の内ですで。牡として気張らんといけませんで、覚悟しなされよ。男子の力の鍛錬を兼ねて、今晩も仔造りしますでな」
「是!」「是!」「是!」
(俺、腎虚になってしまう……)
安堵を得たのもつかの間。
好意と欲望が入り交じった気勢を挙げる学徒達に、童は顔を引きつらせた。
* * *
翌日、
菅島へと戻った
「宮中、それも侍従見習いとして遇されるのであれば、人狼としては良かったですわね」
「儂等の一族は、智恵の高いもんは大方、女は一門、男は武官でしたからなあ」
結果、
人狼という種族の影響力を保つには文官も必要なのだが、望む者がなければ仕方がない。
「幼なじみとやらを連れて来るのは構いませんけど。その為には今一度、
「そうなりますわな。もしかして何ぞ、差し障りがありますかな?」
「いいえ。その件がなくとも、再訪はいずれ必要でしたの。ですからついでに、そちらの用も済ませて頂きたいのですわ」
「……生母の骨ですな」
「ええ。和国の人狼について手がかりを得ませんとね」
「先に行った時は、童が本性に変化しておったもんだから、身柄をさっさと押さえて連れ帰る事だけを考えておったもんで。しかし、確かにあれ一人だけでは、血を薄めたといっても不十分ですわな」
和国在来の人狼が他にもいないか捜索する必要については、
童の胤で産まれた人狼の仔は血が薄まった事により、多くが健常に生まれつくだろう。しかし、外からの血が一人だけでは、結局、その仔達の代で再び血が淀んでしまう。
そうならない為には、和国在来の人狼を他にも探し出さねばならない。
村の祠に葬られたという童の生母は、その手がかりとして重要だ。実の子である童が、新たな居へ改葬するとして遺骨を持ち帰る事は、さして難しくはあるまい。
「隠れ住んでおらんか、周辺の山林も探りませんとな。だけども、越境して隠密に動くっちゅう事になると、学徒共では荷が重いかも知れませんで。そういう事に長けた兵を動かせりゃあええんですけど」
「そうですわね。山の捜索には、美州との境を巡回している人狼の兵を使える様、
「助かりますわ、導師」
「当然ですわよ。荒事になるかも知れませんもの」
「美州のもんに越境が知れたら面倒ですもんな」
「それもありますけれども。件の子の母親が何故、人間の村で子を産み落とし息絶えていたか、考えてごらんなさいな」
「……確かに、不自然ですわな」
「もしかすると、共に暮らしていた同族に迫害されて逃亡した、もしくは放逐されたのかも知れませんわね」
充分にあり得る事だけに、
「もしそう言う事だったんなら、和国在来の
「ええ。万が一の事を考えれば、捜索に動かすのは学徒より兵の方が良いですわね」
「追い出したもんの忘れ形見を儂等が庇護したとなると、面白くはない筈ですわな」
「件の童を迎えたのは、
童自身が皇国から見ても重大な非を犯し、それを隠していたというならば別だが、そうでないのであれば、一旦受け容れた者は臣民として庇護しなくてはならない。
例え、より多くの人狼を臣民に加えるという益を損ねてもである。
「まあ、童の立場を安堵した上で、先方の面目を立てる方向で交渉がまとまるのが一番ですけどな。その為には精強な兵を見せつけて、力を示しておくのが一番ですわ」
逆らうかも知れぬ相手には、圧倒的な力を誇示して恫喝した上で交渉に臨むのが、
もっとも、武断的な国であればどこでも行っている事ではある。
「あくまで従わなないなら、それはそれで簡単ですわよ。法術で傀儡にして、牡からは胤を絞り、牝は孕ませれば良いのですもの。人狼の血を薄めるだけなら、傀儡で充分役に立ちますわ」
「そ、そうですわな…… 儂等が用があるのは、胤と胎ですもんな……」
計都(ケートゥ)の冷徹な目論見に、
* * *
獣型と人型との化身や、獣形のままでの人語の話し方の鍛錬。宮中で必要となる礼儀作法。
説かれた内容は無学な者でも理解しやすい様にかみ砕いてあり、高い智恵の資質を持つ童は、紙が水を吸い取る様に身につけて行った。
日中の修練や座学を終え、腹一杯の滋養豊富な
だが、学徒達の肉体に溺れつつも、童の頭からは、姉弟の様に育ち体を許した幼なじみの事が離れる事は無かった。
もうすぐ一緒に暮らせる様になる。姉ちゃんに不自由ない暮らしを用意するには、自分が周囲から認められる様、勉学に勤しまねばならない。この真摯な思いこそが、童の励みになっていた。
童の一途さに学徒達が覚えたのは嫉妬では無く、前向きさへの感心である。
”この様な献身の対象になる娘であれば、幼なじみとやらはきっと皇国臣民に相応しき良い女なのであろう。共になって童を床で責め立て、精を搾るのが愉しみだ”と、学徒達は未だ見ぬ相手に、若干妄想混じりの期待をふくらませつつあった。
そして約束の半月が経った後。
桑名港に着いた
「
「御苦労さん。んで、何ぞあったんですかな?」
「お耳を……」
怪訝な顔の
「確かですかな?」
「何があったのでしょう?」
童が尋ねると、
「ええか、気を確かに持ちなされよ。お主の村が、逃散したそうですわ」
「ちょう…… さん?」
「要は、もぬけの空になっとるっちゅう事ですわ」
「そ、それは…… わかるんですけど…… 何で……」
圧政に耐えかねた住民が村を捨てて逃げ出すというのは、さして珍しい事ではない。
だが、童の村は貧しいながらも食えないという程ではなく、伊勢による木材の需要が高まった事もあり、僅かずつながらも暮らしは上向いていた。
それに、童が去る際に
逃げ出す理由が、童には全く思い当たらなかった。
「その話はどこからですかな?」
「石津の間諜からです。村に出入りしておる馬丁の報により、既に美州の役人が村を検分したそうで、逃散と判じたとの事」
逃散した民は、領主から見れば罪人である。捕まれば、悪くすれば斬首に処せられるだろう。
「美州は山狩りをしたのですかな?」
「山林に長けた
村の
山賊の襲撃等、逃散の意図がない不可抗力の避難という事も考えられるのだが、美州はその可能性を考慮しても、捜索に値せずという判断を下したのだろう。
領主にとって
「す、すぐに向かいましょう!」
童は、養父母、そして幼なじみ達の無事を何としても確かめたいと、
郷里の村人を救えるのは、自分達しかいないのだ。
「そうですな。元々、お主の村の近隣に
「お願いします。俺も行きたいです!」
「私達も!」
「あかんですわ」
童は軍だけに任せず、自らも捜索に加わる事を求め、学徒達も追従する。だが、
「何故です!」
「村人が皆、消え失せるっちゅうのは尋常ではありませんで。人狼の血をつなぐ胤のお主を、危ない目に遭わす事は出来ませんわ。お主等学徒の胎に宿っておるかも知れん仔等もですわ」
「……わかりました……」
食い下がる童と学徒達を、
敵対者として想定される最悪の存在は、美州の兵如きでなく和国在来の人狼だ。彼等が村人を襲撃し食い尽くした、あるいは浚ったという事も考えられる。鍛錬した兵ならまだしも、学徒では危険である。
普段は大らかな
「待機しておる人狼兵の隊に伝えなされ。予定では明日から美州の山中を探る筈だったけど、儂が合流次第、今日すぐに動くから支度しておけと!」
「承知!」
控えていた
「儂も行きますで。何ぞ解ったら一報を入れますわ」
「御願いします、どうか村の皆を!」
懇願する童に
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