第8話

「いいお湯だった……」


 童が風呂から上がり、脱衣所に用意されていた浴衣に袖を通して出て来ると、裸身を覗いていた学徒達は何事もなかったかの様に迎えた。


「お湯加減は如何でしたか?」

「あ、はい。気持ち良かったです」

「では、夕餉ゆうげの支度が出来ております」


 続いて座敷に通された童を待っていたのは、桑名の港から水揚げされる海の幸である。

 海老やあわびといった、これまで正月位にしか食べられなかった様な珍味の刺身が盛られた大皿に、童は生唾を飲み込んだ。


「本当にええんですか? こんな大御馳走を」

「伊勢は飢饉でしたから、米や菜物は他州から買わねばならないのですよ。幸い、海の物は充分採れますから、次の収穫までの間はこういった物が主な食になるのです」


 決して豪勢という訳では無く、飢饉が元でこの様な物ばかりを皆が食べているのだという学徒の説明に、童は安心して箸を付けた。


「旨い! 旨いです!」


 目にした事のない馳走の山を前に、彼はまたたく間に皿を空にしてしまった。

 すっかり腹が膨れて満足した童だが、程なく体に変調を感じ始めた。

 心臓の鼓動が激しくなり、股間が固く熱く膨らむ。鼻からは鮮血が垂れて来る。


「いかん、慣れんもんをたらふく食ったせいだろうか」

「早速、薬が効いてきた様ですね」

「め、飯になんか、入れたんですか」

「はい。牡の色欲を引き出し、精を無尽に放つ為の薬です」


 慌てた童へ答えると共に、給仕役の学徒は自らの紗麗サリーを脱ぎ捨てて裸身を露わにした。そして指を鳴らすと、座敷奥の襖が開く。中には九人の学徒が、裸のままで控えていた。


「昨夜、我等が師へなさった様に、私共にも御胤を授けて下さいませ。それ、かかれッ!」

「んほぅ!」「ひょっひょお!」「ぐへへへ!」「きしゃあ!」


 号令と共に、学徒達は目を輝かせて奇声を発し、一斉に童へと飛びかかる。


「ひいぃ!」


 童は悲鳴を挙げるも、抗する事も叶わずに浴衣をはぎ取られる。そして代わる代わる覆い被さって盛り狂う女達に、股間から精を搾り取られ続けた。



*  *  *



 翌朝。


「そろそろ起きなされ」


 柔らかな布団の中で眠っていた童は、阿瑪拉アマラの声で眼が覚めた。


「よう眠れましたかな?」

「ええ…… あ、俺、とんでもない事をしちまって……」

「どういう事ですかな?」


 童は昨夜、十人の学徒達に薬を盛られて同衾した事を、口ごもりながら打ち明けた。


「その、契った相手があるというのに…… 他の人と……」

「ああ、それを仕向けたのは儂ですで、気にせんでええですで」

「仕向けたって、貴女が?」


 阿瑪拉アマラは困惑する童に、補陀洛の方針を説明した。


 神属の多くは決まった連れ合いを持たず、種族を問わず様々な相手と交合を持つのが普通であり、国は民同士の親睦を深めるとしてそれを奨励している事。

 連れ合いが居ても、その合意があれば他の者とまぐわってもかまわない事。

 多くの男と交わって孕んでも、産まれた子が誰の胤かは法術で容易に鑑定出来る事。

 赤児はすぐに親から引き離され、成年まで税によって国が養う事。

 そして人狼を含む大半の神属は、血統が濃くなりすぎた為にまともな子が産まれにくくなり、滅びに瀕している事。


「そういう訳で、血が離れておる同胞はらからが見つかって、狼の皆が喜んでおるんですわ。これで、まともに産まれる狼の子が増えますからな。お主には、同族の女共をどんどん孕ませてもらわねばなりませんでな」


 自分が歓待される理由を示され、童は納得すると共に複雑な思いに囚われた。


(養わなくてもいいとは言う物の、俺の子がうじゃじゃ産まれてくるんだなあ…… 俺みたいな、女の腐ったみたいな面のちんちくりんのきこりが親父で、本当にいいのだろうか……)


「今日は、主上、つまり龍神様と御夫君様に謁見しますで。仕立てさせた衣が出来たんで、持って来ましたわ」


 童は阿瑪拉アマラ朝餉あさげを済ませると、真新しい直垂を着せられ、共に仮宮へと参内した。



*  *  *



 二人が通された広間では、例によって弗栗多ヴリトラ・言仁の夫妻が待っていた。


「よく参ったのう。まずは、伊勢に来てどう思ったかの?」

きこりの倅の分際で豪勢にもてなされて、びっくりしました」


 半身半蛇の弗栗多ヴリトラを見ても、予め姿形を聞かされていた童はそれ程には動じなかった。ここに来るまで、様々な異形を伊勢で見た事もあり、今更に驚く程ではない。

 また、二人の表情が温和であった事も、童の気分を和らげた。


「あの程度が豪勢と言われる様な、貧しき世であってはならぬ。旨い物を腹一杯食ろうて、風呂で体を清め、仕立ての良い衣を纏う。妾が民なれば、これが当たり前の暮らしとなるのじゃ」

「そ、そいつは凄いです!」


 弗栗多ヴリトラの豪語に、童は思わず感嘆した。人ならざる龍神なら、民を等しく豊かにする事も出来そうに思えたのだ。


「ところでじゃな。今日呼んだのは、汝を皇国でどう遇するべきかと思うてのう。胤を付けるだけなら、盛りの付いた畜生の牡と変わらぬでな。是非とも、生まれ来る汝の子等が誇れる様な勤めをしてもらいたいのじゃ」


 弗栗多ヴリトラは、童の処遇について切り出した。

 貴重な血統と言えども、無為徒食は許されない。なにがしかの職につくのは当然である。

 童は知性の資質も高い為、充分に学徒として通用するだろう。

 だが、一門が彼の身柄を確保してしまう事については、計都ケートゥの専横を警戒する一部の者から懸念する声も出ていた。

 阿瑪拉アマラもそれを承知しており、主君の前で本人を交え、童の扱いを協議するつもりでこの場に臨んでいる。


「勤めって言っても、俺はきこりですから……」

「組頭の家に育って読み書きは会得しておるのじゃろう? その様な者を一介のきこりに留め置く程、伊勢に余裕はないのじゃ」

「は、はい」


 識字者が多くないこの時代にあって、この童はそれだけでも有為な人材である。某かの官職の見習いに付け、活用するのは皇国として当然だった。


「まあ、急に言われても戸惑うとは思うけれども。やってみたい事は無いのかな? 何、知らない事でも一から覚えれば良いのだよ」


 言仁に促され、童がふと気になったのは、自分と同じ狼がどの様な職を得ているかだった。


「俺と同じ狼の男衆は何をしておるんですか?」

「男はほぼ、兵を務めているのう。その内で秀でた者は武官として遇しておる」


 弗栗多ヴリトラから兵と聞いて、童は顔を曇らせた。

 人間同様に智恵があっても狼は肉食獣である以上、戦に出るのが主な仕事であろうという事は、童にもおおよその見当がついていた。


「俺は…… 戦なんぞ、しとうないです……」


 兵を忌避すれば、男にあるまじき臆病者とそしられる事は想像に難くない。

 だが、童は戦で恨みもない相手と殺し合うのは、どうにも嫌だったのだ。


「成る程。正直で結構じゃな」

「い、いいんですか? 臆病と仰らんのですか?」


 弗栗多ヴリトラがあっさりと認めたので、童は逆に戸惑った。


「汝、養父を阿瑪拉アマラの責めから庇おうとしたのであろう? いきなり現れた狼を前にして、臆病者に出来る事ではないわ」

「いや、あれは。俺も狼なんだから、聞く耳を持ってくれると思って……」

「怯えず、落ち着いてその様に振る舞えたのであれば、やはり大した物じゃな」

「は、はあ……」


 弗栗多ヴリトラは既に、阿瑪拉アマラが村で行ったやりとりについて、既に英迪拉を介して報告を受けていた。

 養父を守ろうとした童の行為を好ましく評価した弗栗多ヴリトラは、それが捨て身ではなく冷静な判断の上と本人の口から聞いた事で、さらに興味を持った。


「ともあれ、兵は嫌なのじゃな。なれば、そうじゃな。侍従にならぬかや?」

「ああ、それもいいかも知れませんね」


 弗栗多ヴリトラの言葉に、言仁も同意する。

 言仁もやはり童が気に入り、手元に置きたいと考えた様だ。


「じじゅう、って何でしょうか?」

「宮中、要はここで私達の側仕えをして欲しいのだね」


 聞き慣れぬ言葉を問い返した童に、言仁が説明する。


「下男という事ですか?」

「いやいや、立派な官職だよ。勿論、相応の智恵も必要だけれども。君なら大丈夫と思うよ。最初は見習いとして、仕事は徐々に覚えていけばいいからね」


 童が傍らの阿瑪拉アマラを見ると、彼女は黙って頷いた。

 懸念する者が宮中にいると解っている以上、自分から一門に誘う訳には行かないのである。

 人狼の長としては当然に関わりを持ち続ける事が出来るので、阿瑪拉アマラとしては御政道の上での角を立ててまで、童を一門に加える利益に乏しい。

 計都も《ケートゥ》また、阿瑪拉アマラを介して間接的に影響力を保てればそれでよしと考えており、童を一門に加える事に拘泥しない旨を事前に伝えていた。


「主上も御夫君様も、随分とこの子をお気に召した様ですわな」

「良い子ではないかや」

「ええ。それに、私は女子ばかりに囲まれて育ちましたから。愛でる弟がいれば、と今でも思うのですよ」

「お、弟、ですか?」


 ”弟”と言われ、童は思わず聞き返した。

 皇帝の夫が、自分を弟代わりにしたいとは。本気だろうかと耳を疑わざるを得ない。


「ああ。勿論、君が良ければだけれども。側にいてくれると嬉しいと思うよ」

「ええと……」


 さわやかな言仁の微笑みに、童は頬を赤らめてしまう。


「どうかな?」

「は、はい。ここに…… 置いて頂けると…… 嬉しいです……」


 さらに迫られ、童は侍従になる事を承諾した。


「結構じゃな。では、祝いとして何か、望みはないかの? 多少の無理なら聞くぞ?」


 上機嫌な弗栗多ヴリトラが、童に気前良く問う。


「お、俺は、置いてもらえるだけで充分です……」

「遠慮するでない。そうじゃな、汝、郷里に契りを交わした娘を残したのではないかや?」

「ど、どうしてそれを?」


 夜這いをかけられて応じた幼なじみの事を言われ、童は狼狽した。


「汝等を茶屋迎えに行った虎、英迪拉インディラと言う名じゃが。あれと桑名に着くまでの間、車中で阿瑪拉アマラ師を交えて話しておったじゃろ。その辺りの事は、英迪拉インディラからすっかり聞いておる」

「は、はい……」


 村でのやり取りは、筒抜けだった様だ。童はすっかり観念した。


「汝が望み、当人が受けるなら、ここに迎えてつがいとしてやっても良いぞ? 牝人狼との胤付けに妬かれては困るがの。じゃが、夜這いをする村の出であれば、汝が他の女とまぐわっても大丈夫ではないかや?」

「た、多分……」


 幼なじみが自分以外の若い者数名ともねんごろになっていた事は、童も知っていた。村の慣例であり、それに嫉妬心を抱く様な事は無い。

 だがそれ故に、幼なじみがあえて、人外の自分の元に来るとは思えなかった。


「姉ちゃん、俺なんかでいいんだろうか……」

「勿論、当人次第じゃがの。汝を欲しておったからこそ、狼の本性を現しても未練を残しておったのじゃろうな」

「そうでしょうか……」


 童は村を出るその日まで、自分が幼なじみの意中だったとは思っていなかったのだ。

 今になって思い返してみれば、夜這いをかけられたのは、自分が出家に応じる意向を出した直後である。もしかして、子を為して引き留めたかったのだろうか。


「全く、朴念仁じゃのう。のう、阿瑪拉アマラ師?」

「左様ですわ」


 戸惑う童の様子に、弗栗多ヴリトラはいかにも可笑しそうにクスクスと笑い、阿瑪拉アマラにも問う。

 童の幼なじみの心情を察していた阿瑪拉アマラもまた、主君に同意した。


「お主、昨晩に学徒共とまぐわって達する時”姉ちゃん、姉ちゃん”と声を漏らしたそうですな。学徒共は心配しておりましたで」

「……」


 昨夜の情事の様子を話され、童は言葉を継げなくなった。学徒達に快楽を強いられた中、頭に浮かんだのは、幼なじみとの初めての夜の事だったのだ。


「あの時は連れて来んかったけども。そこまで想いが強いんなら、いっそ連れて来てつがいにした上で、儂等人狼を交えて一緒に愉しめばええと思いましてな」


 阿瑪拉アマラは当初、元の村で通じていた女とは手を切らせ、同胞の女共で童の心を掴んでしまえば済むと考えていた。

 だが、昨夜の交合の様子を学徒達から聞き、童が幼なじみに寄せる想いが未だ強いと知ると、方針を変えた。

 むしろ幼なじみを呼び寄せて味方につけ、童にはめる枷として使えないかと算段していたのだ。


「それはいいのう。大いにやると良いわ」


 弗栗多ヴリトラ阿瑪拉アマラに賛意を与える。

 一対多、多対多の乱交は、補陀洛ポータラカでは推奨される娯楽である。

 より多くと交合し、快楽を分かち合う事こそが民の融和につながるという、国是その物なのだ。


「ううん……」

「君、欲した相手を連れて来る機があるのに棄ててしまっては、一生涯の間、悔やみ続ける事になると思うよ? 先方が拒んだとしても、はっきり言われれば諦めがつくからね」


 答えを詰まらせていた童だが、言仁に強く尻を押されて決心する。


「狼の俺でいいと言ってくれるんなら、一緒に暮らしたいです」

「良いね、漢の顔だよ」

「ええと……」


 決断を言仁に褒められ、童は再び赤面するのだった。

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