第6話

 二人が街道を南へ向かって暫く歩くと、街道に沿って植えられている松並木が途切れた処があり、一件の茶屋が建っていた。


「迎えがここに来る事になっとりましてな。それまで休みましょか」


 勧められるまま、童は阿瑪拉アマラにならって茶屋の席に腰掛ける。

 これまで銭で飲食を供する店に入った経験は全く無かったが、他に客が全くない事が童には気になった。


「こんな寂しい処で、商売になるんですか?」

「今は、商売でやっとる訳ではないんですわ。一揆の前、参拝客相手にやっとる茶店を差し押さえましてな。今は、荷役や巡回の兵が休む為に続けとる訳ですわ」

「差し押さえって、ここは神宮のものだったのですか?」

「神宮におもねって稼いでおったもんは、全て一揆衆の敵として、儂等の兵が捕らえましたからな」


 民が揃って神宮に逆らった訳では無いだろう。神宮の支配下で充分に食えていた者が一揆に加わる筈もないという事は、童にも容易に推察出来る。そういった者は神宮もろともに始末されてしまったのだ。

 童は、龍神の機嫌を損なえば自分も命がないと、内心で身震いした。


「御役目、御苦労様でございます」


 店の奥から給仕らしき女が現れる。顔立ちが整い小綺麗にしてはいるが、街中に行けば普通にいそうな若い娘である。

 だが腰の脇差が、只の給仕でない事を示している。ここは兵の休息所というから、この給仕もその様な身分らしい。


「何か、お召し上がりになりますか?」


 給仕に問われ、童は昨晩から何も飲み食いしていない事に気付く。言われなければ恐らく、暫くは空腹に気付かなかっただろう。

 この時代の庶民であれば、一日、二日は食えない事態に陥る事も珍しくない。童もまた、その様な生活に慣れていたのである。


「じゃ、さいぼしを頼みますわ。お主もそれでええですかな?」


 阿瑪拉アマラの注文に、”さいぼし”が何か解らぬまま、童も黙って頷いた。


「畏まりました」


 程なく出て来たのは、大皿に盛られた、短冊の様に薄く細長い干物だった。軽く炙られていて香ばしい。

 添えられた湯飲みには、緑色の暖かい湯が注がれている。


 童は”さいぼし”なる干物よりも、湯飲みの中身に眼が行った。


「これ、もしかして茶って物ですか?」

「左様ですわ。そも、ここは茶屋ですからな。乾き物を食らうと喉が渇きますで」


 事も無げに言う阿瑪拉アマラだが、木を切り出して細々と暮らすきこりとして育った童にとって茶は、白米以上に縁のない高価な物だった。


(贅沢だなあ。けど、”龍神様の遣い”ならこれが当たり前なんだろうか)


 狼が龍神の眷族というなら、その様な物を出されても当然なのかも知れない。

 だが、質素を美徳とし驕奢を忌避する和国の庶民として育った童には、茶を平然と口に運ぶ事が出来なかった。


「茶は元々、伊勢で造っておりましてな。採れた葉は全て安値で買い上げられて、造っておる百姓が口にする事は許されんかったけれども、一揆が成ってからはそういう事はなくなりましたわ」

「そうでしたか……」


 贅沢な飲食に躊躇ためらいを見せた童だが、阿瑪拉アマラから事情を聞くと納得して茶を口にし、”さいぼし”にも手を出した。

 嚙めば嚙む程、口の中に旨味が伝わって来る。


「こりゃあ、いい!」


 昨晩からの絶食もあり、童は”さいぼし”に次々と手を伸ばす。大皿はみるみる内に空になった。


「お気に召しましたか」

「ええ、旨いです。これ、何の魚でしょう?」


 給仕の問いに童は上機嫌で答え、干物が何であるかと尋ねる。


「これは魚ではございません。牛でございます」

「う、牛?」

「左様です」


 獣肉食は、和国では禁忌とされている。

 干物の正体が牛と聞いて思わず問い返した童に、給仕は静かに頷いた。

 童が続ける言葉によっては、彼の処遇を考えねばならない。


「牛って、畑を耕したり、荷運びに使うのに、食べてしまうのですか?」


 童の口から放たれたのは獣肉への嫌悪でなく、理にかなった疑問だった。

 問いに応じたのは阿瑪拉である。


「勿論、使えるもんを食うてしまっては勿体ないですわな。そんな事はしませんわ」

「なら、老いて死んでしまった物ですか?」


 牛が病や怪我を得たなら、伊勢であれば造作もなく癒せるだろう。

 だが、寿命を迎えた物ならば、財産たる牛を始末する事にはならないのではないかと童は思う。

 しかし、童の答を阿瑪拉アマラは否定した。


「それも勿体ないですわな。何故か考えてみなされ」


 阿瑪拉アマラの返しに、童はすぐに応じる。


「働けないのに生かしておいては、餌が勿体ないという事ですね」

「正にその通り。全く素晴らしいですわ。始末した上は、角、皮、骨、そして肉も隅々まで使いませんとな」


 望ましい回答を即時に返されて阿瑪拉アマラは感心する。だが、その場で考えたのではなく、その様な常識が備わっていたからこそ即答出来たのではないかと気が付いた。


「ところで、その様な考えに至ったのは何故ですかな?」

「俺等の様に山に住むもんは、歳を食って働けん様になったら、お山に行くんです。穀潰しになったら、家のもんの迷惑ですから」

「いわゆる姥棄て、ですな」

「はい。人間でも口減らしで老いたら死ななきゃならんのですから、畜生なら尚更だと思ったんです」


 和国では老人が敬われる。そんな中でも、暮らしが厳しい地では、働き手から外れてしまった者を排除せざるを得ないのだ。

 姥棄ての因習が一部にある事を、阿瑪拉アマラは知識として知っていたが、それを実際に行う地の住人と接したのは初めてだった。


(成る程。その様な心構えがあるから、使えん牛を屠って食うと聞いても、何とも思わん訳ですわな)


 それに元々、和国では獣肉食が禁忌とは言っても、猪を”山鯨”と称して食するのだから、牛肉についても実は大して嫌悪を抱かないのかも知れない。


「なれば結構ですわ。ちなみに言うておきますけど、伊勢では年寄りの人間をそうやって始末する事はありませんからな」

「人間は、ですか? 俺等は大丈夫ですか?」

「勿論、儂等もですわ」


(”俺等”とは。自分が人狼である事を受け容れましたな)


 念を押した童に、阿瑪拉アマラは思わず笑みを漏らした。

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