第3話

 二日後。

 計都ケートゥの意を受けた阿瑪拉アマラは、人狼の童が住まうというきこりの集落へと向かった。

 姿は人型を取らず、狼の本性を出したままだ。道を通らずに山林の中から州境を抜けて目的地に向かうのだが、それには本性の方が遥かに動き易い。

 先方にはただ童の同族として迎えに来たとのみ告げ、伊勢の者である事は伏せる。帰りもまた、山林をくぐって人目を避けるのだ。

 全ては、伊勢が和国の神属を積極的に集めている事を他州に伏せ、警戒が強まる事を防ぐ為である。

 首には養育の代償となる財貨を入れた袋が括り付けてある。結構な重量なのだが、人狼にとってはどうという事は無い。


「儂を同胞はらからと思い、素直に従ってくれれば良いけどなあ。まあ、いきなり口をきく狼が押しかけて”倅の正体は人狼だから、仲間の儂に引き渡せ”言うても、すんなりとはいかんわなあ…… といって、人間の姿じゃますます信用されんだろうし…… 銭で片がつけばええなあ……」


 阿瑪拉アマラは童をどの様に説き伏せようかと思案しつつ、目的地へ向かって木々が茂る薄暗がりの中を進んでいく。

 山に住まう獣達は、突如現れた狼を警戒しているのであろうか、姿を全く見せようとしない。阿瑪拉アマラの進む先は、ただ静寂に包まれていた。


 州境を越えて二刻半 ※五時間 程歩いた頃、木々の向こうから目指す集落らしき物が見えて来た。二十戸程の粗末な家々が、切り開かれた平地の中に点在している様だ。

 木々に紛れて少しずつ近付いて行くと、大勢のざわめきがかすかに聞こえて来る。人数は恐らく三、四十名程。集落の規模から考えて、成年のほぼ全員だ。


(普通は働いている時分だろうに。何かあったんかな?)


 訝しんだ阿瑪拉アマラが更に様子を伺うと、かすかに獣…… 狼の匂いが漂って来たのに気が付いた。


(狼、件の童か! もしや間に合わなんだか?)


 体内の霊力が乏しくなった神属は、理性を失って本能のままに人間を襲ってしまうのである。その際、人間等に化身していても解けてしまい、本性を露わにする。想定の内でも最悪の事態だ。


 阿瑪拉アマラはもはや姿を隠そうとせず、声のする方へと急いで向かう。

 そこにあったのは、小さな鳥居を備えた祠。その前には村人達が、若い白狼を囲んで集っていた。

 村人達は狼を恐れる風でもなく、いかにも当惑した様子である。白狼もまたうな垂れて鎮座していた。姿形は狼でも、その様子は飼い慣らされた忠犬を思わせる。

 村人達は、阿瑪拉アマラに全く気が付いていない。それだけ、童が狼に変じたという異常な事態に意識を囚われているのだろう。


(本性を現してはいるけども、周囲に襲いかかる様な事にはなっておらんのは幸いですわな)


 阿瑪拉アマラは、狼と化した童が理性を保ち大人しくしているのを見て、ひとまず胸を撫で下ろした。


「こりゃ、お集まりの処、申し訳ないけれども皆の衆」


 阿瑪拉アマラが集まりの輪の外から声を掛けると、議論していた村人達は一斉に顔を向け、大きな狼がいるのに気付いて仰天した。


「で、でっかい狼じゃあ!」

「お助けぇ!」


 村人達は皆、叫び声をあげ狼狽して腰を抜かしてしまう。神属と出会った者の、お定まりの反応だ。その様子に、阿瑪拉アマラは思わず失笑した。


「そう驚かんでもええですわ。ここは狼を祀る祠ですわな?」

「こ、これは御遣い様。とんだ御無礼を!」


 代表格らしい初老の男が、阿瑪拉アマラが言葉を操る事に気付き、降臨した祭神の眷族とみなして平伏する。


「皆、やりにくいから頭をあげなされ。お主が組頭で間違いないですわな?」

「へ、へい」


 阿瑪拉アマラに声を掛けられた初老の男は顔をあげて、自らの立場を認める。


「そちらにおる、儂の同胞はらからの事で集まっているんですわな?」

「実は、その。これは俺の倅なんですが、つい昨日までは人間だったのが、何故だか今朝方、狼になっちまって…… 皆で集まって、どうしたもんかと話しておったのです」


 阿瑪拉アマラが、村人に囲まれて座ったままの若い狼に顔を向けると、組頭は何が起こったのか事情を説明した。

 恐怖に陥ったりしなかったのは、童が狼の落とし子である事を知っていたからだろう。ずっと人間の姿のまま育っていたのが、よもや今更、狼の姿になるとは思っていなかっただろうが……


「それが本来の姿なんで、案ずる必要はありませんわ。十三年前、儂の同胞はらからが命と引き替えに産み落としたという童ですわな?」

「左様です。授かり物と思って育てておったんですが、よもや狼になっちまうとは……」

「狼の産んだ児であれば、人間の赤児の様に見えても本質はまた狼で当然ですわ。だけども智恵は備えておりますで、決して畜生ではありませんわ」


 姿形が変わろうとも、智恵まで獣並になってしまった訳では無い事を阿瑪拉アマラは告げるが、組頭は合点がいっていない様子で問い返す。


「それが…… 御遣い様と違って口がきけん様で、吼えるばっかりなんですわ。本当に智恵は保っておるんでしょうか?」


 組頭の言葉に、若き狼もまた、途方にくれた様に俯いている。


「儂等と人間とは喉の造りが異なるもんで、慣れんと本性の姿では言葉を話せんのですわ。儂の様に、幼い頃から狼の姿と人間の姿を使い分けていれば自然に身につくんですけどなあ。ずっと人間の姿のみで育って来た身では、狼の姿で話すには相応の修練を要しますわ」

「その、人の姿に戻れるんですか?」


 修練次第で話せる様になると話した阿瑪拉アマラだが、組頭は別の処に飛びついた。

 正体が狼でも、人間の姿になれるなら問題がない。


「儂等にとって、人型もまた己の姿なもんで、変化する事は出来ますけどな。やはり少々修練がいりますで、すぐには無理ですわ」

「そうですか……」


 即効の対策がないと知り、組頭、そして若き狼は再び肩を落とす。


「まあ、寺へ小僧、というより色子に出すには、狼の姿では困りますわな」

「御…… 御存知で……」


 童を寺に送る事を阿瑪拉アマラが知っていると聞き、組頭と村人達は狼狽する。


「そこの仔は、同胞はらからが命と引き替えに産み落とし、狼を祀る村へと託した大切な童ですわ。それを、事もあろうに”けつめど”目当ての肉欲坊主に売り渡そうとするとは、落とし前を付けてもらわんとなりませんわな」


 阿瑪拉アマラが牙を剥き出して舌なめずりすると、組頭を始めとした村人達は、蛇に睨まれた蛙の様に固まってしまう。

 相対しているのは神の眷族だ。やましい事を責められ、抵抗など出来よう筈がない。

 阿瑪拉アマラの側は本気ではなく、童を連れ帰り易くする為に軽く恫喝しただけなのだが、村人の側は恐ろしさで一杯である。

 村人達が恐怖に囚われる中、それまでじっと座っていた若き狼が進み出て、養父と阿瑪拉の間に割り込んで来た。

 そしてすがる様な目で阿瑪拉アマラを見つめ、必死に首を横に振る。話す事が出来ないので、何とかして意思を通じさせ、養父を庇おうとしているのだ。


「売り飛ばされかけたっちゅうに庇うとは、何とも孝行息子で結構ですわな」


 阿瑪拉アマラは若き同族に表情を和らげると、組頭の横でやはり顔色を青くして固まったままの妻、童にとっては養母が背負う赤児に目をやった。

 赤児は周囲に構わず、気持ち良さげに寝息を立てている。


「生まれた弟御に組頭の跡取りを譲る為、自ら出家に応じると言い出した。そんな処ですわな?」


 間諜から伝えられている報に基づいて阿瑪拉アマラが問うと、若き狼は首を縦に激しく何度も振る。


「まあ、それなら仕方ないですわな」


 不問に付すという阿瑪拉の裁可に、組頭以下の村人達は硬直が解けて脱力し、へたりこんでしまう。

 彼等が落ち着いたのを見計らって、阿瑪拉アマラは要件を切り出した。


「さて、儂がこの村落へ来た用向きですけどな。要は同族の童がおると聞きつけて、迎えに来たんですわ」

「迎えに…… と仰いますと、倅を連れて行くと?」

「さいですわ。儂等の様なもんが人間の村で暮らすのも、まして寺で坊主なんぞになるのは無理ですわな」

「森の中で、獣として暮らすという事でしょうか?」


 組頭は、倅がどうなるのかと尋ねる。

 阿瑪拉アマラの指摘通り、最早、倅が人間の中では暮らせない事は一目瞭然だ。だが、野山で畜生として生きるというのでは何とも不憫である。


「儂等、姿は狼でもそんなえびす ※蛮族 ではありませんわ」


 阿瑪拉アマラは、組頭の問いに如何にも心外そうに語気を強めた。それに反応して村人達は再び萎縮してしまう。


「儂等のようなもんが住まう里がありましてな。そこでは本性をさらけて人間と同じ様に暮しとるんですわ」

「ち、近いんでしょうか?」

「悪いけど、そいつは語れませんわ」


 伊勢の者である事は伏せる事になっていたので、阿瑪拉アマラは住まう場所を問う組頭への答えを拒んだ。

 常人がうかがい知れぬどこかに、人狼の隠れ里があると思わせておけば良い。


「寺への約束をどうした物でしょうか……」

「どの道、この姿では無理ですわな。まあ、先方へ支度銭を返せば済みますわな」

「それが…… 受け取った銭は税やら、きこり仕事の用具やらに費やしてしまって……」


 次に組頭の頭に浮かんだのは、色子に出すと約束した寺に対する始末をどう付けるかだ。

 阿瑪拉アマラは事も無げに、銭を返せば済むと告げるが、既にその大半は組頭の手元に残っていなかった。

 もっとも、阿瑪拉アマラとしてはそれも予測の内である。


「銭の事なら、心配せんでもええですわ」


 阿瑪拉は、首から下げていた巾着袋を右前足で器用に外して落とし、口で咥え直して組頭に差し出す。


「これまでの食い扶持と、儂等からの支度銭ですわ」


 組頭が巾着袋を受け取って恐る恐る口を開けると、中には豆銀が詰まっている。集落の全員が二、三年は働かずに食える程の額だ。


「ぎ、銀だ! 仰山詰まっとる!」

「銀だと!」

「お宝じゃあ!」


 これまで見た事もない大枚を積まれ、村人達は色めき立つ。寺からの銭とは比べ物にならない額だ。


「まずは寺へ支度銭を返す事ですわ。余った分は、半分は養い親であるお主等夫妻に。残り半分は村のもんで公平に分けて貰えばええですわ」

「わ、解りました……」


 組頭は戸惑いつつも、阿瑪拉アマラの申し入れを受け容れる。


「話がついたっちゅう事でええですわな。では、同胞はらから。儂と共に来て貰いますわ」


 阿瑪拉アマラが声を掛けると、若き狼は覚悟を決めた様に頷く。


「何も心配する事はありませんわ。やっと見つけた同族を、里の皆が心待ちにしとるんですわ」


 若き狼は、突然に訪れた運命の急変に、どうにか自分を納得させようとした。

 持参した銀の袋が示す様に、狼の里はきっと豊かなのだろう。

 何も恐れる事は無い筈だ…… どの道もう、ここにはいられない。


「行きましょか」


 阿瑪拉アマラに促され、若き狼が四つの足で立ち上がる。

 村を去ろうと歩み始めた二頭を、村人の一人が呼び止めた。歳の頃が十五、六の若い娘である。若き狼は十三というから、やや歳上だ。


「その、御遣い様。ちと、訪ねたい事が……」

「言ってみなされ」


 阿瑪拉アマラが応じると、娘はもじもじとして口を開く。


「その…… 狼と人の間に、子は出来るんじゃろうか?」

「中々に良い質疑ですわ」


 学師の癖で、相手が学徒でなくとも若者に質問をされると悪い気はしない。

 ついつい、阿瑪拉アマラの口調は学師のそれになる。


「例え人型を取っていても、儂等と人間は種が異なるもんで、まぐわっても子は造れませんわ。つまり、この同胞はらからは、出家せずに村に居続けて人間の嫁を取っても、子が出来んっちゅう事になるんですわな」

「そうですだか……」


 娘は、安堵と落胆が入り混ざった、複雑な表情を浮かべた。


「その様な問いが出るという事は。お主、身に覚えがありますわな?」


 阿瑪拉アマラが問うと、若き狼は一瞬の間凍り付くが、小さく首を縦に振り、この娘と交わった事を認めた。


(何でいきなり本性が出たか、これで合点がいきましたわ。まぐわいで霊力を循環させた事で、化身が解けてしまったんですわな)


「う、うちの方が床に忍んで強引に迫ったんですだよ…… このまま寺に行ったら、女を知らんままで終わっちまいますだから……」


 娘は慌てて、自分の側から迫ったのだと阿瑪拉アマラに訴える。二人の様子に、阿瑪拉アマラは思わず苦笑した。


「この辺りは確か、若いもんが夜這いをすると聞き及んどりますが。まあ、男女が乳繰り合うのは悪い事ではありませんわな」

「へい……」


 娘は顔を紅潮させて、俯きながら答える。

 阿瑪拉アマラは、狼となって去ろうとする思い人を諦めきれない娘の心情を察し、関係を持った事を認めた意図を読んだ。


(あわ良くば押しかけて添い遂げる腹ですわな。中々に逞しくて結構だけども、そうは行きませんわ)


「ま、儂等ならこの仔の胤で子を産めますからな。この仔の事は儂等に任せて下され」


 優しげな口調ながらも有無を言わせずに言い切る阿瑪拉アマラに、娘はそれ以上言葉を続ける事が出来ずうな垂れてしまう。

 狼の児を孕めない人間の女は、彼等の里で迎えられる筈がないのだ。


「さ、名残惜しいけど、思い切らんといけませんわ」


 おろおろとする若き狼を、阿瑪拉アマラはせかす様に尻をつつく。

 木々の中へと分け入って去り行く二頭を、養親、そして村人達は、何も言えずに見送るばかりである。

 只一人、男女の情を交わしていた娘のみが、今生の別れに涙を堪えていた。

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