第2話

 人狼が産み落としたと思しき童が、きこりの集落で養い子となっており、近々に石津の寺院へ小僧 ……実質的には色子として囲われる…… に出されるという話は、屋台主に扮している間諜によって仮宮へと伝えられた。

 報を受けた弗栗多ヴリトラと言仁は早速、主立った者を集めて対応を協議する事とした。

 補陀洛ポータラカに住まう神属は、その大半が血統の濃さによる衰亡へと向かっており、他国の同族の血統を導入して血を薄め、種の活力を取り戻す事が他国遠征の動機の一つである。現に、和国在来の羅刹ラークシャサの徒党である、茨木童子率いる大江党が臣従した事は大きな成果となった。

 とは言え、第一の征服対象となった和国に存在が確認されていない種族も多く、人狼もそこに含まれる。

 その為、今回の報せは補陀洛ポータラカにとって吉報とはいえ、全くの想定外であったのだ。


「人狼は主に羅馬ローマの東部に於いて、人間に紛れ生息する種じゃ。現存する数も少ないと聞くがの。補陀洛ポータラカにおるのは、太古の戦乱期、落ち武者として異邦から流れて来た者の末裔と伝わっておる。それが和国にもおったとは意外じゃのう……」

「古代からおったのか、何時の頃にか和国へ渡来したのかは解りませぬが。羅馬ローマ同様、僅かな者が人知れず潜んでおるのでしょうな」


 弗栗多ヴリトラの感想に、茨木童子も同意する。彼女にとって、人狼なる種の存在自体、補陀洛ポータラカとの接触によって初めて知った事だ。


「和国中に畏怖された大江党でも知らぬとなると、本当に希なのであろうな」

「ですが、確実にいる事は確かですわ。少なくとも一人は、こちらの手に届く処に」


 人狼の希少さを確認する弗栗多ヴリトラに、計都ケートゥは、すぐそこにいる一人が重要なのだと説く。

 その一人こそが、血統が濃く濁った補陀洛ポータラカの人狼種を破滅から救う鍵なのだ。


「ともあれ、遠征に従った者と国元の者を併せても、補陀洛ポータラカの人狼で、智恵をまともに備えた者は五百を切っていますのよ。濁った血を蘇らす為に、その童の身柄を押さえなくてはなりませんわ」

「それもありますが。このまま育っていけば己の正体を知らぬまま、いずれ霊力に餓えて理性を失い、食欲に任せて人間を襲ってしまう事になります」


 計都ケートゥは、人狼の胤として、報告の童を確保する必要性を強調する。

 加えて言仁は、人間の中で童が暮らし続けた場合の危険を指摘した。

 神属は成長すると、霊力の不足を補う為に人間を食わねば生きていけない。当人が己の正体に気付かぬままならば、いずれ本能的に獣化して人間を襲う様になってしまうだろう。


「生母が生きておれば、人狼としての生き方を教え、子もそれを受け入れていたのでしょうがな」


 茨木童子が嘆息する。集落に子を産み落として息絶えたという母狼が、生きて子を育てていたならば。きっと必要最低限の人間を密かに捕食し、その他は波風を立てずに人間に紛れて暮らす事を覚えただろう。

 もっとも、その場合は和国で生息する人狼を、補陀洛ポータラカが発見出来なかった可能性も高いのだが……


「出家が決まっていると言うが、庇護するにはどうした物かの」


 庇護して伊勢へ連れて来る事については、協議を始めた時点でほぼ既定である。

 問題は、どの様にそれを行うかだった。


「寺の側はどうとでもなりますわよ。要は、養親や当人に角を立ててでも連れて行くか、ですわね」

「近場の寺へ行くのとでは訳が違いますからな」


 弗栗多ヴリトラの問いかけに、計都ケートゥと茨木童子が応じる。出家とはいっても、近場であれば実家との往来は難しくなく、今生の別れという訳では無い。また、寺の跡取りになるというなら、社会的にはむしろ出世とも言えるだろう。

 一方、伊勢で人狼としての生を歩むのであれば、それまでの縁を絶ち切る事になる。寺という行き先が既にある以上、素直に応じる物だろうか。

 伊勢の民に対しては勅命として親子の引き離しを行ったが、今回は州外の事である。


「人狼の血統を保つ為の胤として迎える上は、なるべく当人に納得させねばの。強引に浚って、不信を抱かれては困るでな」


 弗栗多ヴリトラの言葉に一同は頷くも頭を悩ませる。どの様にすれば、円満に迎え入れる事が出来るのか……


「その少年が人狼である事を打ち明け、人間と共に暮らせぬ身であるという事を正面から話せば良いでしょう」


 無言のまま皆が考え込む中、口を開いたのは言仁である。


「……信じますかな?」


 案に対し、茨木童子が疑問を呈する。人狼という種の存在は、和国では殆ど知られていない。その様な物がいると聞いても、容易には納得しないだろうと考えたのだ。


「養い親は母狼の遺骸を見た訳ですし。必要なら法術で、当人を真の姿に変化させれば否応なく信じ、袂を分かたねばならぬ事を受け入れるでしょう」

「確かに、その目で見れば、納得せざるを得ないでしょうな」


 返す言仁に、茨木童子も納得する。


「はい。その上でこれまで育てて頂いた事への謝意を、亡き生母に代わって養親に示し、相応の代償を渡せば良いかと思います。末寺の破戒僧が用意したであろう支度銭、少なくともその倍程は包みませんと」

「坊は優しいのう」


 養親に対する配慮を怠らない言仁に、弗栗多ヴリトラは眼を細めて関心する。

 その場の多くが同意する中、計都ケートゥから物言いが付いた。


「こちらの素性を明かしてはいけませんわ。伊勢が和国の神属を集めている事を、美州を含め他州に知られれば警戒を招きますわよ」

「では、皇国の遣いである事は伏せ、あくまで同族として迎えに来た事にしましょう」

「結構ですわね」


 師の懸念にも萎縮せず対策を返す言仁に、計都ケートゥは満足そうに同意を与える。


「ならば、遣いの者は人狼という事になりますから、阿瑪拉アマラを出しますわ。あれは、伊勢に於ける人狼の最年長としての立場もありますもの」

阿瑪拉アマラ師をですか。しかし、菅島の方は…… あそこは新しき世を担う、大切な赤児達が多くいるのです」


 使者として阿瑪拉アマラの名を挙げた計都ケートゥに、言仁が心配そうに尋ねる。

 菅島の乳児舎は、次席の統括者が空席のままだ。万が一、留守中に不測の事態が起こればどうなるかと、彼は懸念したのだ。


「心配が過ぎますわね。その間は勿論、菅島の統括を小生が直に預かりますわよ」

「ならば安心です」


 胸を撫で下ろした言仁の様子に、一同は心を和ませた。

 その様な心根の優しい男子であればこそ、女達は言仁を慈しむのである。


「良かろう。この件の委細は計都ケートゥ師に任す。坊もそれで良いな?」

「はい、母上」

「温厚な阿瑪拉アマラ師であれば滅多な事はあるまいが、こじれた際には手を選ばぬ様に伝えよ。自分が何者か知らぬままの人狼の童を、人間の世へ放置しておく訳には行かぬからの」

「勿論ですわ」


 弗栗多ヴリトラの裁可に言仁も同意する事で、今回の方針は定まった。

 計都ケートゥは勅意に微笑んで応えつつも、その瞳には冷徹な光が混ざっていた。

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