第68話
翌日。
日が高く昇っても、
学徒にあるまじき態度だが、大きな仕事を終えた後という事もあり、休養を許されているのである。
その傍らには歳若い羅刹兵の男子が二人、裸体のまま寝息を立てている。
平家より引き取った
肉体の快楽に興じ、深く眠る。悩みを和らげ、心を落ち着けるには簡易で良い方法である。
「
「ん、ああ……」
「
「御夫君様!?」
そのまま跳ね起きかけたが、傍らで休んでいる一夜の相手に気付き、静かに寝床を抜ける。
「この子達は寝かしておいてあげなさい。眼が覚めたら
「……
「確か、今日はこの子達が港の警護で不寝番の筈です。今宵の相手が欲しいなら別の子を見繕いなさい」
寝息を立てている若き
* * *
「導師、失礼致します!」
「まあまあ、その勢いなら昨晩はゆっくり休めた様ですわね」
「し、失礼しました!」
「小生は場を外しますから、活仏とゆっくり語らいなさいな」
「お早うございます、御夫君様。何用でございましょうか」
「
だが言仁は君主としてではなく、門弟として、そして肉体の交わりを持ち子を為した相手として語りかけて来た。
暖かい瞳、そして”
「子の親として、直にそれらしい事をしてやれぬのは辛い事です。ですが、手ずから育ててしまっては、肉親の情が養育に歪みを生じさせます。平家が帰順した事で、一門の外であの子等を育て上げる目処がたったのは幸いでした」
「はい…… 時子殿であれば、託すに相応しいと思います」
自分達の子の事を話しているにしては、他人事の様に淡々とした会話だ。
だが、一門の元で、血縁による親子の絆を否定する思想を刷り込まれた言仁にとって、彼が出来る精一杯の気遣いである。
また
学徒達が一門の思想に心酔している為だけではない。実の親から虐げられたり、また自らが産んだ望まぬ子を棄てたり”返し”たりといった経験を持つ彼女達にとって、血縁を強い絆として重んじる旧来の価値観は苦痛でしかなかったのだ。
その為もあり、自分達が産んだ子の養育を平家に委ねる事については、一門の学徒達全てが賛意を示していた。
皇国の為、立派な人材に育って欲しい。ただそれだけが、一門の学徒が血を分けた子に抱く願いなのである。
「
「はい。あの童達が
既に生まれている者に限るとはいえ、平家の子弟へ身分を安堵する事について、一門の学徒には疑問の声を挙げる者もいる。世襲を廃し身分は一代限りという、皇国の方針に反する為だ。
だが、
その上で自分達に出来る事は、託された子弟を、身分に相応しい様に仕上げる事である。士分としての器量がない童については、冷徹に廃嫡を平家に求め、還元して赤児に戻した上で平民として育て直せば良いだけの事と、
「それと、件の
問題の赤児の事に話が及び、
「平の家門より放逐し、公の子として遇するという件は承知しました。絶縁を安堵する書状を、生母に対して送った処です。今日はその事を直に御伝えしたかったのです」
現地で話をつけた通りの処置を言仁が承諾した事で、
「……それで、宜しいのですか?」
「子に罪はないとは言えども、辱めで望まぬ子を産んだ母側の事も、思いやらねばならぬのは当然です。落とし処としては申し分ないでしょう」
「なれば養育はどの様に致しますか?」
母側への配慮に普蘭は感謝しつつも、実際に赤児をどの様に処遇するかは難しい問題と考えていた。
といって、凡百の童と同様に扱い、希有な才覚を伸ばさないで済ますのでは庇護した意味がない。
「幼少の内は、市井より買い集めている赤児と混ぜ、共に菅島で育てれば宜しいでしょう。
「菅島…… あそこの統括は
「はい。既に
* * *
菅島は答志島に隣接する島で、神宮の統治時代はやはり九鬼水軍の支配下にあった。
こちらに住んでいたのは海賊ではなく、その隷属化にあった漁民である。しかし彼等も
答志島が一門の本拠であるのに対し、菅島の方は皇道楽土に相応しい臣民を、無垢の赤児から育て上げる為の場だ。
新しき世を担う子供達は外の世界を知らぬまま、ただ一門の師範が垂れる教えのみを真実として育つのである。
「答志島の講堂には
「そう言うな、職工の手が全く足りぬのだ」
乳児舎を見た
これは一號棟であり、年に二棟づつ建て増す事になっている。
建てられたばかりの乳児舎は実用のみを考えた造りで、大きく堅牢ではあるが一片の装飾もない。白一色の屈強な壁面は、獄舎の様にすら見える。
雅を尊ぶ平家の者であれば、”赤児が育つにしては風情が無い”として眉をしかめてしまうであろう代物だ。
二人が中に入ると、板張りの床には所狭しと小さな寝台が並べられ、その上には産着を着せられた赤児が一人づつ寝かされている。
周囲では、乳母を担う女達が忙しく立ち回っていた。
乳母達は
乳母は母親に代わり、赤児を育てる重要な役目を担っている訳だが、大半の者は答志島の学徒と容貌が随分と異なっていた。
肌の色は黄で、和国の民から登用された者である事が一目瞭然だ。一門の証である純白の
また、下腹部が妊婦の様にふくれているのが目立つが、胎内に入っているのは児ではなく”第二の頭”だ。
彼女達は、二人分の頭を持つ事で常人並の智恵を得た、元軽愚である。常人の智恵を十として、元は七を切っていたのが、施術によって十二から十四の智恵を与えられたのだ。
彼女達は正規の学徒から初等の教育を受けながら、乳母として勤めている。
現状ではあくまで静養を兼ねた一時の処置という建前だが、当人達はここで働き続ける事を望んでいる為、近く正式に任じられる事になるだろう。
静養と言いつつも働いているのは奇異な事だが、これも当人達の希望による。”怠惰は罪”という道徳律が骨身に染み渡っている和国の民草は、只のんびり休んでいる事に罪悪感を感じてしまうのだ。後の世で列強他国から”働き蜂”と揶揄される気性である。
漆黒の肌を持つ者が数名混ざっているが、彼女達は下腹が膨れておらず、着用する
二人が屋内の乳児達を見て回っていると、背後から野太くのんびりした口調の女の声がした。
「
振り返ると、そこには白く大きな狼の姿があった。
顔つきはいかにも獰猛だが瞳には理性が宿り、躰の大きさはほぼ白虎と同じ程だ。神属の一種族”人狼”である。
白虎同様、人狼の女性は乳幼児の養育に高い適性を持つとされ、神属の間では乳母の役を担う事も多い。
彼女が
言仁の乳母役を決めるにあたり、
一門と近衛という”組織”、そして人狼と白虎という”種族”。将来にわたる多大な影響力を得るであろう役を巡り、水面下での駆け引きが激しく演じられ、言仁の乳母役を得たのは近衛筆頭の
それと引き替えに、
裏方の役回りではあるが、皇国への影響力という面では、言仁の乳母役と比べても遜色ない。
「
「ええですよ、儂も例の赤児を早う見たかったんですわ」
赤児は怖がる事無く、肉食獣たる
その無邪気な態度に
「儂を全く恐れないとは、全く剛胆な児ですわ」
「うむ、導師の眼力を受けても微笑んだ程だ。人間はもとより、並の神属では手に余るだろうが、
「まずは、乳を与えんと」
「さあ、その児を儂の腹へ」
赤児は腹をすかせていた様で、すぐに巨大な狼の乳首の一つに吸い付き、喉を鳴らして乳を飲み始めた。
「力に惹かれる子の様ですわな。人間は元より、神属であっても弱いもんは歯牙にもかけんでしょう」
「傲慢な性根を持っているのでしょうか……」
乳を飲ませながら、赤児に対する見立てを語る
「その気もありますけど、育て方次第ですわ。無闇に威張らず、弱いもんを護る風に躾ければ、きっと良い武官になりそうですわ」
「ほう、武官。そう見立てたか。詳しく聞かせて欲しい」
女児に対し、あえて武官に向いているというならば余程の適性があるのだろう。
「智恵は常人が十に対して、この児は十五。一門の学徒も充分勤まりますけど、躰も頑健で、
「素で、ですか? 法力を使わずに?」
「勿論ですわ」
「ですから、この児は学者や文官より武官に向いとります。水軍も近衛も、きっと欲しがると思いますわ」
「そこまでの資質であれば、導師も放したがらぬだろうな」
「解っとらんなあ、
「ふむ?」
思わぬ同僚の言葉に、
「ここで育てた子はどこに行こうと、一門の紐付きですわ。赤児の内から一門の教えを刷り込むんですからなあ。有為なもんを一門自身で独り占めするより、むしろ適当に散らした方がええんですわ」
「成る程。いずれ皇国の臣民は、その殆どが一門の育てた者となる。さすれば……」
「そういう事ですわ」
子の養育を支配する者は、実質的に国の将来を握ったも同然である。
一門こそが皇国なり。
それを側で見る
赤児は大人達の目論見を知らぬまま、満腹して寝息を立て始めた。
* * *
眠った赤児を乳母達に任せると、三人は乳児舎を出て、
元は菅島の網元の屋敷だった建物で、伊勢本土の揃って粗末な庄屋屋敷よりは、幾分か立派な造りである。
屋内の部屋は、精巧な刺繍が施された絨毯が敷き詰められている。
これは九鬼水軍の蔵にしまわれていたのを押収した物で、要は戦利品である。恐らく、元は陸路で
絨毯へ寝転んだ
三人共が落ち着いた処で
「まあ、さっき言った様な、景気がいい皮算用はともかくとして。養育の統括としては問題が山積みですわ」
「というと?」
「はっきり言って、手が足らんのですわ」
一門による当初の目論見では、次代を担う赤児の養育に際し、必要な乳母の多くは一揆衆の女子から選抜する事になっていた。
しかし、その殆どが勅令に反したとして処罰された事で、そこから人員を調達する事が出来なくなってしまったのである。多くの者は罪一等減じて宮刑で済ませたが、信頼が置けない者を養育に関わらせる訳には行かない。
平家の女子については、一門自身が産んだ赤児を任せる事になっているので、乳母を募る先としては除外されてしまう。
また、勅令に従い罰を免れた荘園の民についても、耕作の人手不足を申し立てて来る様な現状では、女子を引き抜いて来るのは無理筋だ。
「乳母の不足は
「三百名余りですわな。んで、登用した乳母への指導役として用意してあった学徒が五十名ですけど、これは勘定に入れません。赤児四名に乳母一名をあてがいますから、一千二百名の赤児しか見れん訳ですわ」
「差し当たりはそれで充分ではないか?」
「齢十二まで育てるのに? 育て終わるまで新たな赤児の石化が解けなくなりますわ」
「つまり、毎年、新たに石化を解く乳児の為に三百名程の乳母を登用せよという事か」
「最低でもそれだけいりますわ。三百を十二で掛けて、三千と六百。それだけの乳母を十二年掛けて揃える訳ですわ。その後は育てた童の内から、乳母として残るもんを募って増やすというのが、儂の目論見ですわ」
「ふむ…… 乳母をどこから持って来たものかな」
他州から連れて来るにしても、賤民を蔑視しないという絶対の条件にかなう者は多くないだろう。
加えて、
「で、では! 先に苦力として千人登用し、荘園に送り込む事と決まった男子の様に、国元の
二人の学師の話を黙って聞いていた奥妲が、すかさず声を出す。本国の同胞を少しでも救い出す機会を、彼女は決して逃さなかった。
これまで
だが、
「乳母となると、一門に名を連ねる事になる。苦力の様な訳にはいかぬぞ。既に
「駄目ですか……」
意気消沈する
「
「そ、そうですよ、
「説得すべきは我よりも導師であろう?
「元は当人の罪でなくとも、心が荒んでしまっておるもんは使えませんわ。既に受け容れたもんの実の子も、棄てられたとかの怨恨が絡むかも知れんから駄目ですわ。その辺は原則通りに行きたい処ですなあ」
「資質はどの様に問われるか?」
「躰が丈夫なのも当然として。少なくとも十二位の智恵は欲しいですわな。乳離れした童に、読み書きや算術の手ほどきをするのも乳母の役割ですから、ただ乳を飲ますだけのもんはいりませんわ」
登用される乳母の大半は無学の為、赤児の世話の傍らで、一門の正規な学徒によって初等の学問を教えられる。
当人の為だけでなく、島で育つ童達に読み書きや算術、そして修身等を説く師範を務め、また後進の乳母を先達として指導出来る様にする為だ。
皇国において、”公の子”を預かる乳母は、決して人間社会の上流層が雇う”子守り”の様な末端の下働きではない。
初等教育を担う、優れた智恵なくして出来ない職であり”皇道楽土”建立の要とすら言える。その重要な役をかき集めるのに苦心惨憺しているのが、伊勢統治の現状なのだ。
「ふむ。
「助かりますわ」
「有り難うございます!」
皇族であり、
* * *
「良かろう。その様にせよ」
「何かあったのかしら? 話してごらんなさいな」
「乳母の不足の件、坊の耳にも届いておった様でな。先刻の事じゃが、宮刑に処した者の内、若年の女子を充てられないかと戯言を吐きよったのじゃ」
伊勢の民の大半は、賤民解放の勅令に反した罪で宮刑に処されている。刑を終えた上は日々の暮らしに戻っているのだが、前科のある彼等を次世代の乳母に任じる等とはあり得ない話だ。
それでは子を引き離し、世代を区分する意味がない。悪しき因習、旧き価値観は、彼等が寿命を終えると共に滅ぶべき物だ。
「真子 ※卵巣 と子袋をえぐり取って女の機能を奪ってあっても、胸から乳が出る様には出来ますわ。けれども、小生は賛成出来ませんわね」
「そうじゃろう? あの様な屑共を乳母にすれば、下らぬ因習を次代の童に植え付けかねぬではないか! 全く、それが解らぬ坊ではあるまいに……」
「でしたら、国元から使える者を連れてきた方が良いですわね」
微笑んで自案への賛意を確認する
「うむ。坊の愚策と比べるべくもないわ」
「では、その様にしますわね。ところで、活仏はどうしていますの?」
当初の要件を片付けた処で、
「拗ねて寝室にに籠もっておるじゃろうて」
理は
「あらあら。では小生が行きますわね」
「うむ。きつく叱ってやってほしいのじゃ」
言仁をなだめるべく、
* * *
寝室の前では、いかにも困った様子の
「ああ、センセ。坊がむずかっとるんですけど、主上が放っておけというもんで……」
「入って宜しいかしら?」
「まあ、センセならええですやろ。御願いしますわ」
「あらあら。世を統べる活仏ともあろう方が何をしていますの?」
眼は真っ赤に充血し、髪も乱れている。
(静かに理を説けば聞き分ける子なのに。
ここに至る状況を推察し、内心で嘆息しながらも、
「私は、私は…… 国の頂点にありながら、機会をとらえて過ちを犯した民を許してやる事もならぬのでしょうか……」
「貴方は優しいですものね」
「でもね、虐げられていた平家の者、そして
「は、はい…… ですが、乳母が足りぬ事は……」
計都は、
「そうすれば、先の千人の少年達に加えて、より多くの
「わ、わたしが…… 間違っておりました……」
落涙して詫びる言仁に、
「さあ、聞き分けた御褒美ですわよ。貴方がいた場所に還っていらっしゃいな」
素裸になった
* * *
やがて二人のあえぎ声が聞こえ始めたが、
そうしている内に、
「どうじゃ?」
「聞こえますやろ。乳繰り合っとりますで」
「センセにはかなわんなあ。坊はすっかり機嫌を直しとりますわ」
「師も妾達と同じく、坊の母の一人じゃからのう。全く妬けおるわ」
「坊を育てたんは主上とわてやけど、腹を痛めて産み直したんはセンセやもんなあ」
言仁の養母は
加えて、計都は第二の生母というべき存在だ。言仁にとっては師弟の立場を超えて甘えられる相手でもあった。
十七年前、言仁が
壇ノ浦で味方が次々と討たれていく様を目の当たりにしていた彼は、すっかり心が壊れて狂気に陥っていた。
「わて等、今からでもまぐわいに混ざったらあかんですやろか」
浅ましげに涎を垂らす
「あたっ!」
「汝にも女の矜持があるじゃろうが!」
「せやけど、やりたいですやん……」
叱責を受けても、
「御愉しみは師が帰った後じゃ。今宵は二人で、坊のだらしない逸物に折檻しようではないかや?」
「んほうっ! んじゃ、今はセンセに坊を貸しといたるわ」
にたりと唇の端を歪める
すっかり牝の目になった二人は、夜に備えて胸を高鳴らせていた。
* * *
およそ二月の後。
一門の長である計都、そして学師や学徒達だけでなく、皇国の頂点である
儀典という事で、港の周囲は
桟橋を渡る漆黒の肌の娘達は、虫けら同様に底辺を這い回っていた自分達を、皇国の中枢が揃って出迎えて来た事に動揺を隠せないでいる。
その初々しい姿を見て、皇国の重鎮は揃って満足そうだ。
皇道楽土に相応しい臣民を、無垢の赤児から育成する体制。その本格的な構築が、この人員補充により始まる事と成る。
旧き世に生きる者の殆どは、いずれ皇国の敵として討たれ、あるいは捕らえられて贄となる。服従し”仮初めの民”として生きる事を認められた者も、人間の短い寿命を全うして世を去って行き、ここで育つ者達に街や村を明け渡す事になるのだ。
和国だけではない。琉球、朝鮮、そして明、
貪欲な龍の巨体が西洋に及んだ時、皇国を出奔した末に
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