第65話

 普蘭プーラン奥妲アウダが率いる車列は、目的の平郷に到着した。

 ここは先の場所とは違って、砦の如き屈強な塀も、物見櫓もない。

 ただ、周囲には深い堀が巡らされ、一本の橋のみによって外界と繋がれている。

 この堀は”かわた集落”であった頃からあり、住まう民を護る為ではなく、彼等を隔離する意図で神宮の命により築かされた物だ。

 当初の意図はどうあれ、外部からの防護や用水としても機能している為、解放された後も堀を埋めようという声は挙がらないままに活用されている。

 他の平郷もそうだが、成年の男子は全て尸解仙として答志島に逗留している為、期限の開ける半年先までは女子供、そして警護の為に駐留する若干の羅刹兵のみが暮らす。

 士分に任じられた現在では組頭と呼ばれる、元の”かわた頭”の妻が、留守を預かる屋敷へと二人を案内する。

 中では、上は十二から下は赤児までの童達が、それぞれの母親に付き添われて待っていた。

 男児は直垂ひたたれ、女児は紗麗サリーを纏っている。言仁からとして事前に贈られた物で、いずれも一門を示す純白だ。正規の学徒は絹布なのに対し、童のそれは木綿である点が異なる。

 男子が和装なのは、現在の一門は殆どが女子で占められている為、数少ない男子については服装がまちまちであったのを、伊勢に拠点を構えた事を機に定めたからだ。

 まだ歩く事もままならぬ乳児については、肌着を着せられて籠で眠っている。


「さ、学徒殿に御挨拶なさい」

「み、、みかどの臣として、立派に御奉公出来る様、勉学に励みたく、ぞ、存じます!」

「存じます!」「存じます!」


 最年長と思われる男児が傍らに控える母親に促され、緊張した面持ちで挨拶する。年少の者達も慌ててそれに倣った。

 そのぎこちない様子に、普蘭プーラン奥妲アウダは優しく微笑む。

 童達は緊張をほぐせないままだが、母親達は我が子の晴れ姿に満足げだ。


「よく申せましたね。男児十名、女児七名ですか…… ん?」


 人数を確認した普蘭プーランは怪訝な顔つきになる。


「如何なさいましたか、普蘭プーラン殿?」

「以前、診療の為にこの平郷へ来た時、臨月の若い方がいたかと思いますが。子は流れてしまったのでしょうか?」


 組頭の妻が尋ねると、普蘭プーランは厳しい顔で問いかけた。


「は、はい。今朝方に産まれたのですが……」

「嬰児であっても対象の一人。今回の御召し以後に産まれた赤児は、市井から集める赤児と混ぜて”公の子”として扱われ、平の姓を継げなくなってしまいますよ?」


 皇国の制度下では原則的に身分は一代限りであり、血統によって保障される物ではない。 例外は種族その物が皇族とされる那伽ナーガ阿修羅アスラ、そして言仁の実子だが、彼等の場合、皇族としての資質に乏しい凡庸な童は石化され、種族絶滅の危機でも生じない限り眠り続ける事となる。さらに軽愚、白痴ともなれば容赦なく”返されて”しまうのだ。

 ただし平家の場合、特別な恩典として、これまで産まれている童に限り、親同様に士分としての身分が保障される事になっている。

 つまりこの機会に一門に預けなければ、童の辿る運命には大きな開きが出る。今日生まれたというなら、すんでの処で間に合ったのだ。


「その事についてですが、是非とも御相談頂きたい事が」


 組頭の妻の申し入れを、童には聞かせられない不穏な内容であろうと感じた普蘭プーランは、場を替えて話を聞く事にした。

 不安げにやり取りを見守る童達に、普蘭プーランは笑顔を造って声を掛ける。


「出立まではしばし間があります。母君と別れを惜しんでおきなさい」

「学徒様、有り難うございます!」「有り難うございます!」


(私達には、この様な母は……)


 童達、そして母親達の感謝の言葉に、二人の学徒は微笑みつつも、その胸中には苦い思いが生じる。

 親に売られた者、棄てられた者、虐待を受け続けた者。

 貧民窟で虫けら同然に這いずっていた自分達の境遇を思い、二人は心で涙した。



*  *  *



 組頭の妻に案内され、二人は屋敷の離れへと入る。専ら出産に使われる為の”産屋”である。

 通された八畳程の板間には、寝床でよく眠っている齢十五、六程の若い娘と、傍らで籠に入れられてやはり眠っている嬰児がいた。

 側には産婆役であろう、齢三十歳程の女が控えている。


「事情を伺う前に、まずは医師として診させて頂きましょう。奥妲アウダ、赤児の方を。私は母の方を診ます」


 普蘭プーランは、眠り続ける母親の上布団をはぎ、寝間着を脱がせると全身にくまなく掌を這わせて触診する。

 母親は体をまさぐっても目覚める事はなく、深く眠りについたままだ。


「体は健やかです。処置は宜しきかと」

「左様ですか」


 診察の結果を告げられ、出産の介添えをした産婆、そして組頭の妻は安堵の息を漏らした。


奥妲アウダ、そちらはどう?」

『姉様、この子、女の子だね。健やかで、それと……』

「ん?」


 普蘭プーランは赤児を診た奥妲アウダに結果を尋ねるが、何故か答えは梵語で返って来た。

 普蘭プーランは一瞬怪訝な顔になるが、言語を変えたのは聞かれたくない話の為だろうと気付き、すぐに表情を戻す。


阿羅漢アルハットだよ……』

「何ですって!?」


 あまりの事に、普蘭プーランは和語で驚きの声を発してしまう。

 人間の上位変種として、希に産まれる阿羅漢アルハット。人間でありながらも法術の行使が可能な程の霊力を持ち、特に施術をせずとも神属の母乳か腎水 ※精液 を定期的に摂取する事で不老長寿を保つ事が出来る。

 普蘭プーラン奥妲アウダ達、人間の学徒はその殆どが貴重な阿羅漢アルハットであるが故に登用された。平家では時子他の数名のみが、その才を持つ事が判明している。

 一門の目的の一つとして、いずれ新たに産まれてくる人間の臣民全てを阿羅漢アルハットとし、特別な施術をせずとも神属と対等の力を持たせる事がある。

 その為、一人でも多くの阿羅漢アルハットを確保し、多くの子孫を造らせる事が課題となっていた。


「何事ですか?」

「い、いえ。少々小ぶりで育ちにくい様ですが、一門の手であればさして問題とはなりません」


 組頭の妻に問われた普蘭プーランはとっさに誤魔化した。

 この赤児を巡る事情を聞く前に、その特異な価値を明かす訳にはいかない。


「ところで、訳ありの子の様ですが。御聞かせ願えませんか」

「はい。申し遅れましたが、私がこの娘の母でございます」


 産婆は、赤児を産んだ娘の母であると素性を話し、今回の事情を語り始めた。

 端的に言えば、近隣の百姓から陵辱された末に孕んだというのだ。


「憎き相手の胤を育て、平家の一員とする等、到底あり得ぬ話。これまでも同様の事は多々ございましたが、いずれも”返して”おりました。ですが、伊勢はみかどの治める地となりました。旧来の通りにして良い物かどうかと、御伺い致したく存じます」


 ”七つまでは神の内”といい、和国の慣習では、齢七歳までの童は、口減らしといった親の都合で殺しても罪には問われない。まして、陵辱されて産んだ赤児なら尚の事である。

 だが、為政者が変われば法も変わる。

 主君たる言仁の治世で”子返し”は認められる物かというのが、相談だったのである。


「まずは、御意向を伺いましょう」

「はい。主の留守を預かる身としては、この赤児は恥辱の極み。早々に土に還したく存じます」

「同じく。穢らわしき無知蒙昧の輩の血を、我が孫として受け容れる訳には参りません」


 組頭の妻、そして赤児の祖母は、慣例通りに赤児を”返し”たい様だ。

 自らも子返しの経験がある普蘭プーランも、それに頷いて同意した。


「当然でしょう」


 赤児の命を絶つ事で合意した彼女達の会話を聞き、赤児の側にいた奥妲アウダは血相を変え、籠に覆い被さる様にして庇う姿勢を見せる。


「駄目ッ!」

「どきなさい、奥妲アウダ。一時の情に流されるとは、学徒にあるまじき醜態ですよ!」

『姉様、でもこの子は! 阿羅漢アルハットなんだよ! 姉様こそ情に流されてるよ!』


 普蘭プーランの叱責にも、奥妲アウダは怯まずに梵語で反論する。

 普蘭プーランもまた、梵語で再び奥妲アウダを責めた。


奥妲アウダ、貴重な血と言えど、替えの利かぬ物ではありません! 御夫君様や私達が多く子を為し、阿羅漢アルハットの血を広めれば良いのです! 貴女も辱められた女の心が解るでしょう!』

「でも、でも、それを言ったら私達も! いらない子だったんだよ!」


 和語に言葉を戻して叫ぶ奥妲アウダに、平家の女二人は顔を見合わせる。

 奥妲アウダは二人に向き直り、自分達学徒の生い立ちを語った。


「私達は貧民窟で、賤民として産みの親に顧みられずに生きてきました。その日の糧を得る為に、男共に股を開き…… あるいは対価すら得られずに陵辱され…… そうして生じた子なんて、生みの母にとっては、邪魔でしか、なく! 育てたのだとしても、稼がせて、老いた身を養わせる為だけに!」


 顔を紅潮させ、言葉を詰まらせながら涙目で語る奥妲アウダに、平家の女二人はじっと聞き入る。

 自分達は賤民に身をやつしていても、誇りを保ち、助け合って生きて来た。賤業ではあっても糧を得る事は充分に出来、飢饉に際しても百姓程には飢えなかったのだ。

 それに比べれば、補陀洛ポータラカの賤民であった学徒達は、まさしく餓鬼道の如き境遇である。


「この子は私達と同じ! この子には、何の罪もないんです! この子には! この子を返しちゃったら、御夫君様が、言仁兄様がきっと悲しむよ!」


 奥妲アウダは赤児を護ろうとして必死に訴える。

 当然の様に返すべきと考えていた普蘭プーランだが、赤児が自分達と同じ立場だと言われた事で、理を以て自説の再考を試みた。


(確かに、矛盾ではあるか…… それに、優良な種を情にかまけて屠ってしまうのも、一門にあるまじき愚行かも知れない)


 組頭の妻、赤児の祖母の双方もまた、平家にとっても主君である言仁の名を持ち出された事もあり、無言で考え込んでいた。

 言仁の人となりから察するに、罪無き赤児を返したと聞けば、大いに嘆くだろう事は想像に難くない。

 八半刻 ※約十五分 の沈黙の後、組頭の妻が重い口を開いた。


「学徒の方々の御立場、よく解りました。なれど、平家としては、辱めの証を一族として受け容れる訳には参りません」

「そんな!」


 非情な答えに奥妲アウダが悲痛な声を挙げるが、普蘭プーランがそれを手で征する。


「故に、”公の子”として、市井の民同様に遇されます様。絶縁については、みかどより安堵の書状を賜りたく存じます」

「あ、有り難うございます!」


 組頭の妻の続く言葉に、奥妲アウダは深々と頭を下げる。

 当事者たる赤児、そしてその生母は、己の預かり知らぬ間に運命が決された事に気付かぬままに眠り続けていた。



*  *  *



 奥妲アウダの訴えにより、風前の灯火だった赤児の命は救われた。

 後に成長した赤児は阿羅漢アルハットとして優れた才を示し、軍へと進む。そして和国併呑を終え更なる外征へと向かう拡張期の皇国に於いて、大きな勲功を打ち立てた。

 言仁から直々にねぎらわれ、望む恩賞を問われた彼女は、栄誉有る平姓の下賜を望んだ。

 平姓は、賤民として伊勢に潜伏していた者達の他、他州に隠れ住み後に名乗り出た平家、そして平家に養育された言仁の落胤が名乗る姓という位置づけとなっていた。

 それに加え、多大な功績を挙げた者への勲功として与えられる事もあり、今回もそれに値すると誰もが思っていた。

 しかし、平家の女が陵辱の末に産み落とした子である事が詮議によって判明し、絶縁を安堵する言仁の書状を盾にした生母の強硬な拒否によって、それは果たされなくなる。

 判明した己の素性に絶望した彼女は、莫大な財貨、豊かな領地、さらなる地位といった、言仁から代わりに示された恩賞の悉くを拒み出奔してしまう。

 消息を絶った彼女は更なる後の時代、羅馬ローマ帝国の将として、勢力圏を拡大する皇国の前に立ちはだかる。

 多くの皇国将兵を戦場で屠り続ける彼女に、重鎮となっていた奥妲アウダは若き日にかけた情を悔やみ、心を凍らせて行く。

 その詳細はまた、別の機会に語られるであろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る