第64話

 上奏を終えて半刻程。

 座敷で円卓を囲む皇帝夫妻と和修吉ヴァースキ、そして童女達の席前に、巫女姿の侍女によって昼餉ひるげが運ばれて来た。

 各自の食膳に供されたのは、米飯で満たされた上に、味噌漬けにされた睾丸が、これでもかとばかりに具材として盛りつけられている丼だ。

 現代の目から見ると、宮中の食事としては質素に思われるかも知れないが、そうではない。

 白米自体、この時代で常食するには高価であり、庶民層は雑穀類を主食としていた。さらに伊勢では一揆直前の凶作の影響により、米穀は次の収穫までの間、他州から買い付けねばならない。

 また人間の睾丸は、贄の一体に対して二個しか取れない珍味だ。それが豪勢に盛られているのは、宮刑によって伊勢の殆どの平民から睾丸を抉ったという状況があるにせよ、やはり宮中ならではの贅沢である。

 好物を目の前にして、童女達は一様に目を輝かせた。


「うほぅ!」

「金玉いっぱい!」

「御馳走だあ!」


 その子供らしい様子に、弗栗多ヴリトラは目を細めて悦ぶ。

 言仁もやはり、門妹の歓声を聞けば気分が良い。


(賢しくともまだまだ童じゃのう)


 和修吉ヴァースキのみは、別の物が供された。

 大皿に被せられている白銀で造られた半球状の蓋を、給仕を務める乾闥婆ガンダルヴァの侍女が取り去る。

 中から現れたのは、美しく整っていながらも絶望に歪んだ表情で息絶えた、齢十一、二程の少年の首であった。贄の常として、剃髪されて頭頂の頭蓋は切られ、脳髄が寒天の様にみずみずしく震えている。


「師はそろそろ贄を食す時期じゃろうと思うてな。上等の物を見繕う様、厨房に言うておいたのじゃ」

「御心遣い、感謝します」


 和修吉ヴァースキもまた女であり、美しい少年となれば食欲が増すという物だ。


「歳若い様だが、罪状は何か? ”還元”は出来なかったのか?」


 言仁は、贄の若さを見て給仕に尋ねる。

 性が芽生える前の童ならば、”還元”によって赤児へと戻して記憶を消し、始めから養育をやり直す事が出来るのだ。

 その技法が先日、一門によって確立した為、今後は罪人と言えども”還元”が可能な童は助命せよ、との勅令が言仁によって出されたばかりである。

 見た処、それが出来たかどうかは微妙な歳だ。


「厳密には咎人ではございません。勅令を拒んで自害した村の者でございます」


 給仕の答えに、言仁は思わず顔をしかめた。


「当人が覚悟を決めた訳ではあるまい。親に道連れにされたのであろうな……」

「この者は村の童共を率いて、しばしば、賤民に身をやつしていた平家の子弟に石つぶて等を投げつけていた悪童であったとの証言が得られております。御夫君様の御心痛には値しません」

「そうか……」


 童自身が相応の罪を冒していたと聞かされた言仁は、同席する門妹達に目をやった。

 童女達は、同胞に暴虐を働いた悪童の苦しげな死に顔に、いかにも満足そうである。


(当然の報い)

(死して楽になっただけ慈悲)

(食が進むという物)


 言仁は、同世代の無残な死に対しても一切の憐憫を見せず、むしろ悦んでいる彼女達に哀しみを覚えたが、あえて口には出さなかった。

 虐げられていた者としての憎悪が奈落の如く深い事を、よく知っていたからである。


「坊よ。この上はせめて食ろうてやり、命を無駄にせぬのがせめてもの慈悲であろう?」

「そうですね。食前に、いらぬ感傷でした」


 弗栗多ヴリトラに言仁は微笑みを返したが、僅かな曇りが含まれていた。



*  *  *



 昼餉ひるげに舌鼓を打つ一同。童女達は愉しげに睾丸を口に運ぶ。


「美味しい!」

「金玉を切られた奴等、もうまぐわいが出来ないもんねえ」

「ははっ、いい気味!」


 童女達が睾丸を好むのは、美味である事だけでなく、彼女達がいずれも国元で陵辱された経験を持つ為でもある。

 咎を犯した男共の睾丸を抉り、肉体の悦びを奪った上に血統を断つ。抉った睾丸を食らい味わう事で、その達成を実感出来るのだ。

 とろける様な睾丸の味は、童女達だけでなく、言仁をも唸らせた。


「味噌の味が、睾丸の素材をよく引き立てている。咖哩カリーとはまた違う、和国ならではの味わいか!」

「御言葉、厨房に伝えておきます」


 憂いを漏らしていた言仁が昼餉へ讃辞を与えた事で、給仕は内心で胸をなで下ろした。

 宮刑については助命と引き替えなので、言仁もさして罪悪感を抱いていない。素直に睾丸の珍味を愉しんでいた。

 和修吉ヴァースキも、少年の脳髄を匙ですくいながら味わっている。

 脳を食べ終えた和修吉ヴァースキは、副菜として首の脇に添えられていた、男子の証に手を付けた。

 童らしく皮が被ったままの小ぶりな男根に、小さな睾丸を包んでいる陰嚢。

 子象の首を思わせるそれを、和修吉ヴァースキは素手で掴んで口に含み、ゆっくりと嚙み砕いた。


「いかがでございましょうか? 女を知らず、精の一滴すら漏らした事のない無垢の物は」

「生殖の能が備わると、体内の霊力の循環が変わる。その前にもいだ物は、独特のさっぱりした、水菓子の様な味わいで良い。この様な物は、今後はおいそれと口に出来ぬであろうな」


 自信を持って供した食材の感想を問う給仕に、和修吉ヴァースキも頷く。

 精通前の男子は”還元”の対象となる為、今後は死罪に処される事は無い。また、贄として育てられる白痴も、食膳に供されるのは成長後だ。

 唯一、知性強化の施術で首を落とした、軽愚の童の躰から取れる物についてのみは今後も食べられるであろうが、これまでと比べれば遥かに貴重な食材となってしまうだろう。

 その様な美味を用意した厨房、そしてそれを指示した弗栗多ヴリトラの心遣いは、和修吉ヴァースキをとても喜ばせた。



*  *  *



 和修吉ヴァースキ達が宮中で上奏に臨んでいる頃。

 普蘭プーランは、今回の参内に加わっていない奥妲アウダを伴い、答志島から運び込まれた荷を積む馬車の列を指揮して、時子の別宅がある平郷へと着いた。今回車を牽いているのは、やはり護衛を兼ねた龍牙兵である。

 屈強な土塀に、見張りの為の物見櫓。周囲を巡回する羅刹兵は、選び抜かれた古参の者ばかりである。

 砦の如きこの厳重な警戒は、賤民とされていた平家の者達を、民百姓の迫害から護る為という名目で造られた物だが、真の目的は違う。

 今回の馬車に積み込まれている荷を使って行われる事こそが、強固な護りを要する理由なのである。

 羅刹兵の礼を受けて門をくぐり、馬車の一行はそのまま時子の屋敷へと向かう。

 屋敷の前では、時子、そして平家の女達が整列して出迎えていた。

 今回は十二単衣でなく、伊勢での女官の官服と定められた巫女装束を纏っている。


「御待ち申し上げておりました」


 時子達と普蘭プーラン奥妲アウダは、互いに合掌の礼を交わす。


「まずは一つ降ろしなさい」


 普蘭プーランは龍牙兵の一体に命じ、積荷を持って来させる。

 龍牙兵が先頭の馬車の荷台から、竹で編まれた駕籠を取り出して抱えて来た。


「まあ、これが……」

「はい。御夫君様の御胤を受け、我等、一門の学徒が胎で育み産み落とした子です」


 駕籠の中には、石と化した赤児が、物言わぬままに収められている。


「何とまあ、愛らしい事」

「賢しそうな御子でありましょう」

「父君に似て、端正な顔立ちですわ」


 中を覗き込んだ平家の女達は、口々に褒めそやした。

 この赤児は、他ならぬ普蘭プーランが言仁と交わって産んだ息子である。

 産みの親としても、世辞と解っていながら悪い気はしない。


(姉様、姉様)


 顔がほころびかけたところで奥妲アウダに肘でつつかれて我に返り、自らの使命を思い起こした。


(……これが、親の情という物か。やはり、子を手元に置いてはならぬという掟は正しい)


「子は産みの親から引き離し、情ではなく理を以て、当人の資質を冷徹に見定めた上で相応しい養育を施すのが皇国の掟。臣民たる赤児の養育は一門の役目ではありますが、一門の者自身が産んだ子については、自身が育てる訳には参りません。故に、平家の内、夫を亡くされた寡婦の皆様方をここに集め、養育役に任じたという次第です」


 一門の学徒はいずれも言仁を門弟として愛おしく想っている。

 彼が幼少の頃から”門姉として肉の悦びを教える”と称し、代わる代わる交合を持ち、その結果多くが懐妊して子を為すに至った。

 言仁の養母である弗栗多ヴリトラは、優秀な彼女達と言仁の間で子孫を為す事を有益と考えており、止めるどころか大いに推奨すらしていたのだ。

 だが、生母による養育を否定する国法の下で、誰が産まれた子を育てるかという問題が生じてしまう。

 新たに生まれ来る赤児の養育を、一門は一手に担う。ならば、一門の者自身が産んだ赤児は誰が育てるというのか。

 産まれた赤児等は、言仁の落胤に相応しい養育の体制を整えるまで石化されていたが、平家の帰参により、その女衆に養育を任せるという案が出て、時子も快諾したのである。


みかどの御子の養育とは、何という誉れでございましょうか。ですが、生母たる皆様方としては、我等がその御役目で宜しゅうございますか?」


 時子の問いに、普蘭プーランはきっぱりと答える。


「はい。我等が直に育てれば、いらぬ情が生じます。それは決して、子の為になりません。苦難に耐え忍びつつも誇りを捨てず、雅を忘れなかった皆様方なればこそ、是非養育を御任せしたく存じます」

「解り申した。きっと、立派に育て上げましょうぞ」


 時子の力強い返事に、普蘭プーランも頷き返す。


「残りも、こちらへ」


 命じられた龍牙兵達は、次々と石化した赤児が収められた駕籠を降ろしては、平家の女達に一つずつ手渡して行く。

 赤児の総数は百名。これは初便で、数次に渡って引き渡す事になっている。


「明朝頃、元に戻る様に法術がかけてあります故、その時分になったら乳を与えて下さいませ」

「最後の名残に、今晩はお泊まりになっては如何でしょうか?」

「否、未練はありません。折り返し、平家方の御子息も、道中の平郷に寄って引き取らねばなりませんし」

「左様でございましたね」


 時子の申し入れを、普蘭プーランは帰りの予定がある旨を告げて謝絶した。

 平家方の子弟も、他の民草同様、実親から引き離し一門の手で養育する事になっている。 ただ特例として、ある程度育っている童であっても、赤児に戻して記憶を消す”還元”は施さない。

 これは、平家の手によって読み書き等、初等の教育が施されている事や、賤民として虐げられていた過去を記憶する者達を”同胞”として多く残しておきたいという賤民出自である学徒達の意向、そして潜伏中も言仁への忠義を受け継いで来た平家への恩典である。

 無論、今後に生まれて来る赤児は全て”公の子”という位置づけになって他の赤児と混ぜて育てられるので、あくまで既に生まれている童に対してのみの対応という事にはなるが。

 平郷は十数ヶ所有るが、言仁の落胤を養育する為に寡婦を集めたここには、童は全くいない。往きから別路になるが、桑名まで戻る帰りにその内の一つに寄って、対象の童を連れ帰る事になっていた。


普蘭プーラン殿。お互い、女として辛い物がございますが、これも御国の為、みかどの為とあらば忍ばねば」

「はい、時子殿。これが今生の別れという訳ではありません。子等が立派に育つ姿を思いましょう」


 平家一同の見送りを受け、馬車の列は平郷を後にする。

 車中で、普蘭プーランは沈黙したままだ。


「姉様、どうしたの?」

「……私は、まだ学徒に取り立てられる前にも、子を産んだ事があるのです」


 賤民出身の学徒は、まだ貧民窟であえいでいた頃に、ほぼ例外なく陵辱された経験を持っている。奥妲アウダも例外ではない。

 当然、出産に至った者も少なからずいたので、珍しい話ではない。


「その子は?」

「陵辱した男の胤で孕んだ子です。産み落としてすぐ、この脚で頭を踏み潰しました」


 子返しは和国特有の風習ではなく、補陀洛ポータラカでも普通に行われていたので、奥妲アウダは特に驚かなかった。

 それに一門に加わる際、手元で子を育てていた者は皆無だった筈だ。


「悔やんでる?」

「何故? 私の腹に寄生した、穢れた胤を始末しただけの事です」


 普蘭プーランは強い口調で言い放ち、そのまま、目的地に着くまで口を開かなかった。

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