第63話

 和修吉ヴァースキは上奏の為、仮宮に参内した。

 今回帯同したのは、学徒の中でも幼く未熟な、奥妲アウダに年頃が近い童女達が十名だ。

 この年代の学徒達は皆、言仁を”兄”と認識して慕い、周囲もそれを許容している。言仁にとっても、近しく育った貴重な存在である。

 最近、奥妲アウダばかりが持ち上げられる事に、同世代の彼女達が不満をくすぶらせているのではないかと考えた言仁が、連れてくる様に和修吉ヴァースキに申し入れたのである。

 奥妲アウダは今回、あえて加わっていない。同席すれば、突出した能力を持つ奥妲アウダがどうしても同世代を代表する立場となってしまうからだ。


 龍牙兵の牽く馬車の列が仮宮へと着き、和修吉ヴァースキ、そして童女達が次々と降りて来る。


「御苦労様でございます」


 門衛の羅刹兵は、口々に挨拶して門をくぐる幼い珍客を、ほほえましく出迎えていた。下級の兵に比べ、立場的には一門に学ぶ学徒の方が上なのだが、末端の実務に携わる者を見下さぬ様に躾けられている童女達は、礼儀正しく門衛に合掌している。


「ここは、本当に主上や御夫君様のお住まいなのですか?」


 初めて見る仮宮に童女達が感じたのは、その簡素さである。

 強大さを体現した補陀洛ポータラカの皇宮とは、比べ物にならない貧弱さだ。


「飢えに窮する程に民を搾取していたというのに、この程度の物しか造れなかったのですか? いかに劣等とはいえ、神宮がここまで無能とは……」

「然り、然り」「全く愚か」

「ここは分社、要は離宮の様な物だ。本殿は焼失したのでな。分社は伊勢のあちこちに大小合わせて結構な数がある。無傷で占拠出来た内ではここが最も程度が良く、港も近くて便利な為に仮宮としたのだ」


 童女達は、旧統治者たる神宮の無能ぶりが、仮宮とされた社屋の簡素ぶりにも伺えると嘲笑する。

 だが、それは思い違いであると和修吉ヴァースキは訂正した。

 仮宮としている桑名の社は、あくまで分社として建てられていた物だ。本殿の方は、神職達が住まう大きく豪奢な住居が併設されており、無傷で占拠出来なかった事が悔やまれている。

 神宮を蔑むのは構わないが、誤った認識は正されねばならない。


「あちこちというと他にもあるのですか?」

「うむ。使える物は兵の屯所等に活用しておる」


 伊勢神宮の分社は、無人の粗末な祠から、神職が常駐する物まで大小取り混ぜて伊勢中に散在しており、桑名の分社、現在の仮宮はその内でも最大級の物である。


「それにしても、御夫君様も主上も、この様な処でよく我慢しておいでですね。皇国の宮としては余りにも…… 民草の負担を考えての事ではありましょうが……」

「あくまで仮住まいだ。それに、どうせ造るなら堅牢で美しい物にせねばならぬが、それには相応の支度が要る。資材も調達せねばならぬし、何より腕の立つ職工が足らぬ」

「はい……」


 童女達の声に、和修吉ヴァースキは窮状を隠さず答える。

 現在の補陀洛ポータラカには、皇宮を始めとした数々の大規模建造物があるが、そのどれもがいにしえに建てられた物を維持しているに過ぎない。

 伊勢に在住していた宮大工であればその様な技術も持ち合わせていたであろうが、彼等は神宮に与した者として悉く処罰された。

 屋敷や蔵、砦程度の物を建てる程度の事は、補陀洛ポータラカより随伴した者でも可能だが、新帝都に相応しい本格的な宮城を建てる為には、他州から信頼出来る職工を集めねばならない。

 現在の補陀洛ポータラカは決して、人間社会に対して絶対的に優位な存在ではない。長い時を経て緩やかに衰亡した結果、技術によっては人間国家に劣る物すらあるのだ。


「大丈夫でしょうか……」

「既に、然るべき者が動いておろうしな。我等が焦っても仕方あるまい」


 自分達の置かれている現状を再認識させられた童女達は、不安を口にする。

 和修吉ヴァースキはそんな彼女達を、微笑んで諭した。



*  *  *



 謁見の広間に通された一同は、言仁、そして弗栗多ヴリトラの入来に平伏して出迎える。

 堅苦しい事を嫌う二人だが、幼少の学徒の研鑽を兼ねての事であるとして、和修吉ヴァースキは今回、あえて形式にこだわった。


おもてを挙げよ」


 聞き慣れた声に一同が顔を挙げると、上座には久しぶりに見る門兄、そしてその養母にして妻である弗栗多ヴリトラの姿があった。

 心労からやつれ果てていたという言仁だが、ここしばらくの間ですっかり体調が回復している。

 二人とも柔和な表情で、童女達は歓迎されている事を肌で感じた。


「さて、和修吉ヴァースキ師。諸々の件じゃが、どの様な案配かや?」


 弗栗多ヴリトラの問いに和修吉ヴァースキは、民への宮刑の進展状況、平家男子の尸解仙化、親から引き離した童達の”還元”処置、軽愚の知性向上の施術に関する経過等を報告する。

 弗栗多ヴリトラと言仁は、所々で頷きながら聞き入っていた。


「おおむね順調な様で何よりじゃ」


 弗栗多ヴリトラは満足そうに感想を述べるが、言仁はその後を受けて本題に入った。


「ところで、軽愚の事ですが。女子に比べ、男子がおよそ倍。この件につき、何か良き手は見つかりましたか?」


 軽愚二人を融合させる事で智恵を改善する施術を、本格的に推進する為の条件。これが達成出来る目処が立っているかどうかが、言仁がもっとも聞きたい事である。


「はい。それにつき、医術を学ぶ学徒の内から案を募った処、妙案が出ております」


 和修吉ヴァースキは、軽愚の男子の内、一部を女体化する案を示した。


「さして難しい施術ではありませんが、軽愚に植える為に、大量の子袋を要するのが難点でした。これは、宮刑に処す百姓女共からえぐり出した物を活用すれば良いかと存じます」

「ふむ……」


 言仁は、眼を閉じて若干考え込む。

 賤民を虐待した咎で百姓女共から取り上げた、命を宿す為の部位を使い、智恵が足りずに軽んじられていた軽愚を常人とする。

 宮刑がただの懲罰に終わらず、他の者を救うにつながるならば全く善い事だと、言仁は好感した。


「良いでしょう。推し進めて下さい」

「妾も異存はない」

「では、その様に取りはからいます」


 快諾を確信していた和修吉ヴァースキは、二人の答えを淡々と受け取った。


「ところで、誰が思いついたのかや? 和修吉ヴァースキ師かや? この娘共のいずれかかや?」

海吉拉ヒジュラ…… 件の宮司の嫡子ですな」

「神宮の幼子を救う為、虜囚の身で計都ケートゥ師とも駆け引きを演じた、あの者かや! やはり見所があるのう」


 発案者を問う弗栗多ヴリトラ和修吉ヴァースキが、宮司の子息であった者の通名を答える。

 弗栗多ヴリトラは大いに感嘆したが、ふと和修吉ヴァースキの後に控える童女達の、遠慮がちではあるが何か言いたげな顔に気付いた。


「ふむ。汝等には異論があるのかや? 遠慮などせず申してみよ」

「い、いえ…… 決してその様な……」

「宜しき案かと、お、思われます!」


 弗栗多ヴリトラに水を向けられた童女達は、しどろもどろになってしまう。

 その様子に弗栗多ヴリトラ和修吉ヴァースキと顔を見合わせて苦笑した。


「どうしたのかや? 汝等の同輩たる奥妲アウダであれば、妾に向かっても己が意を申すぞ?」


 奥妲アウダの名を出され、童女の内一人が、思い切って心中を話す。


「あれは神宮の者。恭順を示し、有益な施策を唱えようとも、それを以て直ちに信を置くのは、危ういかと存じます!」

「考えを申したのは良い。じゃがの、妾はそこまで軽率ではないぞ。あれが皇国に害為すとあらば処断するまでじゃ。その為に近衛を後見として付けておる」


 警戒の為、海吉拉ヒジュラを近衛に監視させているという答にも、発言の主を含め、童女達は納得仕切れない。

 海吉拉ヒジュラの養母でもある近衛が、本当に監視役として毅然と出来ているのか疑問なのだ。端から見ると、仲睦まじい母娘にしか思えないのである。


「汝等、あれ等があまりに仲が良いので妬いておるのかや?」

「そ、それは……」


 弗栗多ヴリトラが意地悪い笑みを浮かべて図星を突くと、不満げにしていた童女達は俯いてしまう。

 貧民窟で浮浪児として這いずり、あるいは実の親がいれば虐待や搾取を受けていた彼女達は、解け合う様に密着している異形の母子の有様に嫉妬していたのだ。


「あれは、万が一にも逆らわぬ様、心を”鎖”で縛っておるのじゃ。心地良く過ごしておるならば、かの者が皇国に背く事等あるまいて。計都ケートゥ師が仰っておらなんだかや?」

「さ、左様でありました……」


 有為だが叛意を示す怖れがある者を従わせる策として、計都ケートゥは”情”によって拘束する事を好む。

 海吉拉ヒジュラは、その生い立ちから母親の愛に餓えている事を見透かされ、情深き養母をあてがわれたのである。つまり、冷徹な計算の元に行われているのだ。

 当事者の海吉拉ヒジュラ自身もそれを知っているが、それ故に”母の愛を受け続けたくば、皇国に尽くさねばならない。役目に励む程、母が喜んでくれる”という思考に至っている。

 母の愛という無上の報酬を得る為、海吉拉ヒジュラは牝として牡贄に股を開き、牡として牝贄に胤を植え続けるのだ。

その事は一門では周知の筈なのだが、嫉妬の余り童女達は失念していた。


「学究の徒たる者、理を以て物事を判じたまえよ」

「は、はい……」


 和修吉ヴァースキにも窘められ、童女達は意気消沈してしまう。


「あくまで、あれ自身が信に足るか否かという話なのだね。案その物は、容れるのかな?」

「是!」「是!」「是!」


 言仁が門妹達の発言の意図を確認すると、彼女達は必死に声を張り上げて肯定する。

 敬愛する門兄にまで見損なわれてしまってはならない。


「そうだね。気に入らぬ者の出した案というだけで、それに反対するというなら、きつく叱らねばと思ったのだけれども。そうでなければ良いのだよ」

「若輩と言えども、この者達は御夫君様にとって門妹。もっと御信頼頂きたい物ですな」

「ええ。私の大切な門妹達です」


 和修吉ヴァースキの苦言に言仁が頷くと、童女達は感激の余りむせび泣きを始めた。

 皇配である言仁の同門、即ち実質的な係累である事は、賤民の出自である事で苦悩し続けている学徒達にとって心の重要な支えなのである。


「に、兄様!」

「兄様ぁ!」

「あれの事は、どうか長い目で見ておくれ。皇国には必要な者なのだよ」

「是!」「是!」「是!」


 言仁の呼び掛けに、童女達は嬉々として承諾の声を挙げる。

 満足そうにする言仁に、弗栗多ヴリトラ和修吉ヴァースキは再び顔を見合わせて苦笑した。



*  *  *



「ところで、私からも一つ相談があるのですが」

「何なりと」


 童女達が落ち着いたのを見計らい、言仁は和修吉ヴァースキに次の話題を出す。


「軽愚を荘園から答志島に引き揚げて、知性向上の施術を行った事に絡んでなのですが。”戻してもらわねば人手が不足して困る”と、代官達から陳情が来ているのですよ」

「……あれ等をすぐに戻すのは難しいですな…… 二つの自我を混ぜて一つにしました故、しばらくは静かな環境で養生させませぬと」


 言仁が切り出したのは、軽愚がいなくなった事により、荘園で生じた人手不足の件である。

 早く働かせたいという現場の要望は当然だが、和修吉ヴァースキの主張通り、しばらくは無理をさせる訳にはいかない。それについては言仁も承知していたので、あくまで確認だ。

 また、仮にすぐ復帰させられるとしても、人数が半分に減っているので、その埋め合わせはしなくてはならない。


「皆も何か、案はないかな?」


 門兄に問いかけられた童女達は、声を潜めて相談を始めた。

 言仁、そして弗栗多ヴリトラ和修吉ヴァースキは、それをほほえましく見守っている。

 話がまとまった様で、童女達は上座に向き直った。

 口を開いたのは、先に海吉拉ヒジュラの扱いについて疑念の声を挙げた童女だ。


「な、なれば…… く、国元よりのた、民を…… 荘園の百姓として迎えて頂きたく……」

「百姓となると、吠舍ヴァイシャ ※平民 をかや?」


 二度までも弗栗多に意見する為か、声は途切れ、消え入りそうだ。

 補陀洛ポータラカの人間を和国へ本格的に入植させる事について、弗栗多はこれまで否定的な態度を貫いていた。

 和国と比較にならない程に厳しい、階層社会の因習を持ち込ませない為である。

 また、補陀洛ポータラカで耕作を担うのは平民階層であるが、下層民の出身である学徒達は、自分達を虐げた平民を蛇蝎の如く嫌っていた。

 あえて仇敵を迎え入れる案を出して来た事に、弗栗多ヴリトラは首を傾げて訝しんだ。


「無理をせずとも良いぞ? 汝等が憎む者共を、わざわざ連れて来る事もあるまいて」

「い、いえ! 吠舍ヴァイシャ如きではなく! し、虐げられし我等が同胞を! ひ、一人でも多く、新しき世へ! 田畑の耕し方は、伊勢で覚えれば良い物かと、ぞ、存じます!」


 上擦った声で主張する童女の意図に、弗栗多ヴリトラは納得がいった。

 幸運と能力で選ばれ、賤民の境遇から一転して一門の庇護下に入った彼女達は、故郷に取り残されたままで苦しむ同胞の事が気がかりだったのだ。

 今回の人手不足を利用して、少しでも救い出したいのである。


「汝等の望みは解る。なれど、異邦の地で慣れぬ鍬や鋤を手にとって、満足に働ける物なのかや?」

「み、惨めな境遇を脱する為ならば! 皆喜んで、身を粉にして働くでありましょう!」

「荘園に住まう和国在来の百姓の指導の下であれば、問題なきかと」


 疑問に対し童女は必死に訴える。

 和修吉ヴァースキが見解を添えた事で、弗栗多ヴリトラは従来の方針を修正しても良いと思い始めると共に、未熟な学徒達を引き連れてきたのが”仕込み”なのではと思い至った。

 傍らの言仁を見ると、同胞を助けたいという門妹達の願いに聞き入っている。


(全く、妾の首を縦に振らせる為に、童の口から願わせるとはのう。これで退ければ、坊が嘆くではないか)


「ふむ。道理じゃな。では、どの様な者が良いかや? 多くは入れられぬし、最低でも読み書きを含めて和語は覚えてもらわねばならぬからの。才に乏しき者、あるいは虐げられた余りに性根が捻れてしまった者は受け容れられぬぞ?」

「わ、解っております! 才有る者、心清き者を選りすぐり、む、迎え入れたく!」


 同胞を救いたいとする学徒達にとって、人員を厳選する事は辛い作業ではないかと思い弗栗多ヴリトラは試したが、童女はどもりながらも断言した。

 国造りに役立たない者、極限生活の中で生き延びる為に歪んでしまっている者については、見限らざるをえない事は彼女達もとうに覚悟している。皇道楽土にその様な者はいらないのだ。

 童女達の、救うに値する者達を選別し至らぬ者は切り捨てる覚悟に、弗栗多ヴリトラは感心した。

 言仁の方は若干ながら顔を曇らせているが、やはりやむなき事と堪えているのが伺える。


「それは良いが、差し当たりの人手をどうするかの? 人選もあるし、船では時がかかる。今年の作付けには間に合わぬぞ?」

「そ、それは……」


 具体的な問題をぶつけられ、童女は戸惑ってしまう。

 それに手を差し伸べたのは和修吉ヴァースキだった。


「備えの者がおります故、活用すべきかと」

「何じゃ、それは?」


 弗栗多ヴリトラは、自分の聞き及んでいない”備えの者”なる存在を聞きとがめる。


「不意の災害等が起これば、復旧の普請 ※工事 の為に多数の苦力クーリー ※人夫 が急遽必要になりましょう。その備えとして、和国親征に際し、旃陀羅チャンダーラから募った者がおよそ一千名程、石化した上で伊勢に持ち込まれておりましてな」

「ほう? 妾は聞いておらぬが、誰の目論見かや?」

「勘定方ですな。帳簿には調度品の扱いとして載せたと聞いております」

「あ奴等…… 勝手な真似をしおって!」


 自分の方針を蔑ろにして独走した勘定方に、弗栗多ヴリトラは怒りを露わにした。

 和修吉ヴァースキは動じていないが、童女達は怯えてしまっている。

 勘定方を擁護したのは言仁だった。


「いえ、これは私が認めた上での事であります故、勘定方に責はありません」

「ほう…… 妾が、補陀洛ポータラカの民を極力、和国に入れたくないという事を承知でかや?」

「はい。和国遠征に際し母上は、学徒の他にも国元の人間を随行させたいという私の願いを聞き入れて下さいませんでした。そこで丁度、勘定方からの要望がありましたので、私が墨付きを与えたのです」

「そうかや……」


 言仁が自分に黙って事を進めていた事に、弗栗多ヴリトラは若干ながら気落ちする。

 だが、自分の意に反してでも、少しでも国元の賤民を救いたいという言仁の思いを受け止める事にして、心を切り替える事にした。

 責のない童女達の怯えにも心を配り、表情を平静に戻す。


「して、どの様な者かや?」

「品行方正かつ身体は頑健、学徒にはとても至りませんが、異国の言語を習得するに足る程度の知性は備えているとの事です。常人の智恵を十として、かの者共は十から十一半程であると聞いております」

「ふむ。歳の頃合い、男女の別はどうじゃ?」

苦力クーリーとして集めた故に全員男子、歳の頃は十二から十四程です」

苦力クーリーにしては、ちと無理な歳ではないかの?」

「成年と張り合える位の膂力を持った者共です。胤としても、身体頑健な良き子孫を期待出来ましょう。和国の女子とまぐわい、二、三人程、子を為した後で不老長寿を与えるには、この位が丁度良い年頃です」


 言仁は、石化して運び込んだ者達が、有為な人材である事を強調し、弗栗多ヴリトラもその点は認めた。


苦力クーリーと言えども、皇道楽土に相応しき者を選りすぐっておるのじゃな」

「勘定方の値踏みは、良くも悪くも冷徹です。それにかなったのですから、必ずや良き民となりましょう」


 勘定方は、虐げられて不遇な者に対しては、相応しい境遇を与えて活用する事を是とする。その一方で真の意味での弱者、能なき者に対しては極めて冷淡である。

 その彼等が役に立つと認めた以上、無能な筈がなかった。


「良き民というからには、勤勉なれど純朴な一介の百姓で終わる様な者ではあるまい?」

「育て方次第では、七、八年程で村落の庄屋を任せられる位には育ちましょう」


 単に人手の充足だけでなく、統治の末端を担う人材として育てられるなら、なお有益である。何分にも、現状の伊勢では民を束ねる知識層が不足しているのだ。

 一時の情ではなく先まで考えている言仁の答えに、弗栗多ヴリトラはひとまず納得した。


(情を重んじてはいても、きちんと理で考えておるのじゃな)


「なれば良し。和修吉ヴァースキ師、本日は以上かや?」

「左様にございます」

「では、昼餉ひるげを共にしたい故、支度が出来るまでひとまず下がるが良い…… いや、待て」


 和修吉ヴァースキと童女達が広間を退出しかかった処で、不意に弗栗多ヴリトラが呼び止める。


「何でありますかな?」

和修吉ヴァースキ師。一千名もの苦力クーリーの件。いつから知っておったのかや?」

「それは先日、私の方から師に御相談したのです。後の者達は、本日まで事の次第を知らなかった筈です」


 答えたのは和修吉ヴァースキではなく言仁だった。

 つまり、今回の上奏前に、言仁が和修吉ヴァースキに事情を話して根回ししていたという事である。

 和修吉ヴァースキも頷いて肯定する。言仁に責を押しつける様な性格ではないので、弗栗多ヴリトラは真実と判断した。

 童女達が同胞を迎え入れる様に願った事も、事前に言い含めていたのではなく、彼女達なら機会を逃さずその様にするであろうとの”見込み”の様だ。


「そういう事かや。では、後程、昼餉ひるげを愉しもうぞ。宮刑の睾丸が多く入っておるでな。和国の味噌を使って、厨房が旨く調理すると申しておった」

「わあ、金玉! あれ、美味しいんだよね!」

「久しぶりの金玉!」

「これ、お前等。まだ御前である。一門の学徒たる者、品位を崩すなかれ」


 昼餉ひるげの品目を聞き、珍味を期待してはしゃぐ童女達を和修吉ヴァースキが窘め、一行は退出する。

 童女達の無邪気な様子に微笑む言仁の傍らで、弗栗多ヴリトラは思案顔だった。

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