第63話
今回帯同したのは、学徒の中でも幼く未熟な、
この年代の学徒達は皆、言仁を”兄”と認識して慕い、周囲もそれを許容している。言仁にとっても、近しく育った貴重な存在である。
最近、
龍牙兵の牽く馬車の列が仮宮へと着き、
「御苦労様でございます」
門衛の羅刹兵は、口々に挨拶して門をくぐる幼い珍客を、ほほえましく出迎えていた。下級の兵に比べ、立場的には一門に学ぶ学徒の方が上なのだが、末端の実務に携わる者を見下さぬ様に躾けられている童女達は、礼儀正しく門衛に合掌している。
「ここは、本当に主上や御夫君様のお住まいなのですか?」
初めて見る仮宮に童女達が感じたのは、その簡素さである。
強大さを体現した
「飢えに窮する程に民を搾取していたというのに、この程度の物しか造れなかったのですか? いかに劣等とはいえ、神宮がここまで無能とは……」
「然り、然り」「全く愚か」
「ここは分社、要は離宮の様な物だ。本殿は焼失したのでな。分社は伊勢のあちこちに大小合わせて結構な数がある。無傷で占拠出来た内ではここが最も程度が良く、港も近くて便利な為に仮宮としたのだ」
童女達は、旧統治者たる神宮の無能ぶりが、仮宮とされた社屋の簡素ぶりにも伺えると嘲笑する。
だが、それは思い違いであると
仮宮としている桑名の社は、あくまで分社として建てられていた物だ。本殿の方は、神職達が住まう大きく豪奢な住居が併設されており、無傷で占拠出来なかった事が悔やまれている。
神宮を蔑むのは構わないが、誤った認識は正されねばならない。
「あちこちというと他にもあるのですか?」
「うむ。使える物は兵の屯所等に活用しておる」
伊勢神宮の分社は、無人の粗末な祠から、神職が常駐する物まで大小取り混ぜて伊勢中に散在しており、桑名の分社、現在の仮宮はその内でも最大級の物である。
「それにしても、御夫君様も主上も、この様な処でよく我慢しておいでですね。皇国の宮としては余りにも…… 民草の負担を考えての事ではありましょうが……」
「あくまで仮住まいだ。それに、どうせ造るなら堅牢で美しい物にせねばならぬが、それには相応の支度が要る。資材も調達せねばならぬし、何より腕の立つ職工が足らぬ」
「はい……」
童女達の声に、
現在の
伊勢に在住していた宮大工であればその様な技術も持ち合わせていたであろうが、彼等は神宮に与した者として悉く処罰された。
屋敷や蔵、砦程度の物を建てる程度の事は、
現在の
「大丈夫でしょうか……」
「既に、然るべき者が動いておろうしな。我等が焦っても仕方あるまい」
自分達の置かれている現状を再認識させられた童女達は、不安を口にする。
* * *
謁見の広間に通された一同は、言仁、そして
堅苦しい事を嫌う二人だが、幼少の学徒の研鑽を兼ねての事であるとして、
「
聞き慣れた声に一同が顔を挙げると、上座には久しぶりに見る門兄、そしてその養母にして妻である
心労からやつれ果てていたという言仁だが、ここしばらくの間ですっかり体調が回復している。
二人とも柔和な表情で、童女達は歓迎されている事を肌で感じた。
「さて、
「おおむね順調な様で何よりじゃ」
「ところで、軽愚の事ですが。女子に比べ、男子がおよそ倍。この件につき、何か良き手は見つかりましたか?」
軽愚二人を融合させる事で智恵を改善する施術を、本格的に推進する為の条件。これが達成出来る目処が立っているかどうかが、言仁がもっとも聞きたい事である。
「はい。それにつき、医術を学ぶ学徒の内から案を募った処、妙案が出ております」
「さして難しい施術ではありませんが、軽愚に植える為に、大量の子袋を要するのが難点でした。これは、宮刑に処す百姓女共からえぐり出した物を活用すれば良いかと存じます」
「ふむ……」
言仁は、眼を閉じて若干考え込む。
賤民を虐待した咎で百姓女共から取り上げた、命を宿す為の部位を使い、智恵が足りずに軽んじられていた軽愚を常人とする。
宮刑がただの懲罰に終わらず、他の者を救うにつながるならば全く善い事だと、言仁は好感した。
「良いでしょう。推し進めて下さい」
「妾も異存はない」
「では、その様に取りはからいます」
快諾を確信していた
「ところで、誰が思いついたのかや?
「
「神宮の幼子を救う為、虜囚の身で
発案者を問う
「ふむ。汝等には異論があるのかや? 遠慮などせず申してみよ」
「い、いえ…… 決してその様な……」
「宜しき案かと、お、思われます!」
その様子に
「どうしたのかや? 汝等の同輩たる
「あれは神宮の者。恭順を示し、有益な施策を唱えようとも、それを以て直ちに信を置くのは、危ういかと存じます!」
「考えを申したのは良い。じゃがの、妾はそこまで軽率ではないぞ。あれが皇国に害為すとあらば処断するまでじゃ。その為に近衛を後見として付けておる」
警戒の為、
「汝等、あれ等があまりに仲が良いので妬いておるのかや?」
「そ、それは……」
貧民窟で浮浪児として這いずり、あるいは実の親がいれば虐待や搾取を受けていた彼女達は、解け合う様に密着している異形の母子の有様に嫉妬していたのだ。
「あれは、万が一にも逆らわぬ様、心を”鎖”で縛っておるのじゃ。心地良く過ごしておるならば、かの者が皇国に背く事等あるまいて。
「さ、左様でありました……」
有為だが叛意を示す怖れがある者を従わせる策として、
当事者の
母の愛という無上の報酬を得る為、
その事は一門では周知の筈なのだが、嫉妬の余り童女達は失念していた。
「学究の徒たる者、理を以て物事を判じたまえよ」
「は、はい……」
「あくまで、あれ自身が信に足るか否かという話なのだね。案その物は、容れるのかな?」
「是!」「是!」「是!」
言仁が門妹達の発言の意図を確認すると、彼女達は必死に声を張り上げて肯定する。
敬愛する門兄にまで見損なわれてしまってはならない。
「そうだね。気に入らぬ者の出した案というだけで、それに反対するというなら、きつく叱らねばと思ったのだけれども。そうでなければ良いのだよ」
「若輩と言えども、この者達は御夫君様にとって門妹。もっと御信頼頂きたい物ですな」
「ええ。私の大切な門妹達です」
皇配である言仁の同門、即ち実質的な係累である事は、賤民の出自である事で苦悩し続けている学徒達にとって心の重要な支えなのである。
「に、兄様!」
「兄様ぁ!」
「あれの事は、どうか長い目で見ておくれ。皇国には必要な者なのだよ」
「是!」「是!」「是!」
言仁の呼び掛けに、童女達は嬉々として承諾の声を挙げる。
満足そうにする言仁に、
* * *
「ところで、私からも一つ相談があるのですが」
「何なりと」
童女達が落ち着いたのを見計らい、言仁は
「軽愚を荘園から答志島に引き揚げて、知性向上の施術を行った事に絡んでなのですが。”戻してもらわねば人手が不足して困る”と、代官達から陳情が来ているのですよ」
「……あれ等をすぐに戻すのは難しいですな…… 二つの自我を混ぜて一つにしました故、しばらくは静かな環境で養生させませぬと」
言仁が切り出したのは、軽愚がいなくなった事により、荘園で生じた人手不足の件である。
早く働かせたいという現場の要望は当然だが、
また、仮にすぐ復帰させられるとしても、人数が半分に減っているので、その埋め合わせはしなくてはならない。
「皆も何か、案はないかな?」
門兄に問いかけられた童女達は、声を潜めて相談を始めた。
言仁、そして
話がまとまった様で、童女達は上座に向き直った。
口を開いたのは、先に
「な、なれば…… く、国元よりのた、民を…… 荘園の百姓として迎えて頂きたく……」
「百姓となると、
二度までも弗栗多に意見する為か、声は途切れ、消え入りそうだ。
和国と比較にならない程に厳しい、階層社会の因習を持ち込ませない為である。
また、
あえて仇敵を迎え入れる案を出して来た事に、
「無理をせずとも良いぞ? 汝等が憎む者共を、わざわざ連れて来る事もあるまいて」
「い、いえ!
上擦った声で主張する童女の意図に、
幸運と能力で選ばれ、賤民の境遇から一転して一門の庇護下に入った彼女達は、故郷に取り残されたままで苦しむ同胞の事が気がかりだったのだ。
今回の人手不足を利用して、少しでも救い出したいのである。
「汝等の望みは解る。なれど、異邦の地で慣れぬ鍬や鋤を手にとって、満足に働ける物なのかや?」
「み、惨めな境遇を脱する為ならば! 皆喜んで、身を粉にして働くでありましょう!」
「荘園に住まう和国在来の百姓の指導の下であれば、問題なきかと」
疑問に対し童女は必死に訴える。
傍らの言仁を見ると、同胞を助けたいという門妹達の願いに聞き入っている。
(全く、妾の首を縦に振らせる為に、童の口から願わせるとはのう。これで退ければ、坊が嘆くではないか)
「ふむ。道理じゃな。では、どの様な者が良いかや? 多くは入れられぬし、最低でも読み書きを含めて和語は覚えてもらわねばならぬからの。才に乏しき者、あるいは虐げられた余りに性根が捻れてしまった者は受け容れられぬぞ?」
「わ、解っております! 才有る者、心清き者を選りすぐり、む、迎え入れたく!」
同胞を救いたいとする学徒達にとって、人員を厳選する事は辛い作業ではないかと思い
国造りに役立たない者、極限生活の中で生き延びる為に歪んでしまっている者については、見限らざるをえない事は彼女達もとうに覚悟している。皇道楽土にその様な者はいらないのだ。
童女達の、救うに値する者達を選別し至らぬ者は切り捨てる覚悟に、
言仁の方は若干ながら顔を曇らせているが、やはりやむなき事と堪えているのが伺える。
「それは良いが、差し当たりの人手をどうするかの? 人選もあるし、船では時がかかる。今年の作付けには間に合わぬぞ?」
「そ、それは……」
具体的な問題をぶつけられ、童女は戸惑ってしまう。
それに手を差し伸べたのは
「備えの者がおります故、活用すべきかと」
「何じゃ、それは?」
「不意の災害等が起これば、復旧の普請 ※工事 の為に多数の
「ほう? 妾は聞いておらぬが、誰の目論見かや?」
「勘定方ですな。帳簿には調度品の扱いとして載せたと聞いております」
「あ奴等…… 勝手な真似をしおって!」
自分の方針を蔑ろにして独走した勘定方に、
勘定方を擁護したのは言仁だった。
「いえ、これは私が認めた上での事であります故、勘定方に責はありません」
「ほう…… 妾が、
「はい。和国遠征に際し母上は、学徒の他にも国元の人間を随行させたいという私の願いを聞き入れて下さいませんでした。そこで丁度、勘定方からの要望がありましたので、私が墨付きを与えたのです」
「そうかや……」
言仁が自分に黙って事を進めていた事に、
だが、自分の意に反してでも、少しでも国元の賤民を救いたいという言仁の思いを受け止める事にして、心を切り替える事にした。
責のない童女達の怯えにも心を配り、表情を平静に戻す。
「して、どの様な者かや?」
「品行方正かつ身体は頑健、学徒にはとても至りませんが、異国の言語を習得するに足る程度の知性は備えているとの事です。常人の智恵を十として、かの者共は十から十一半程であると聞いております」
「ふむ。歳の頃合い、男女の別はどうじゃ?」
「
「
「成年と張り合える位の膂力を持った者共です。胤としても、身体頑健な良き子孫を期待出来ましょう。和国の女子とまぐわい、二、三人程、子を為した後で不老長寿を与えるには、この位が丁度良い年頃です」
言仁は、石化して運び込んだ者達が、有為な人材である事を強調し、
「
「勘定方の値踏みは、良くも悪くも冷徹です。それにかなったのですから、必ずや良き民となりましょう」
勘定方は、虐げられて不遇な者に対しては、相応しい境遇を与えて活用する事を是とする。その一方で真の意味での弱者、能なき者に対しては極めて冷淡である。
その彼等が役に立つと認めた以上、無能な筈がなかった。
「良き民というからには、勤勉なれど純朴な一介の百姓で終わる様な者ではあるまい?」
「育て方次第では、七、八年程で村落の庄屋を任せられる位には育ちましょう」
単に人手の充足だけでなく、統治の末端を担う人材として育てられるなら、なお有益である。何分にも、現状の伊勢では民を束ねる知識層が不足しているのだ。
一時の情ではなく先まで考えている言仁の答えに、
(情を重んじてはいても、きちんと理で考えておるのじゃな)
「なれば良し。
「左様にございます」
「では、
「何でありますかな?」
「
「それは先日、私の方から師に御相談したのです。後の者達は、本日まで事の次第を知らなかった筈です」
答えたのは
つまり、今回の上奏前に、言仁が
童女達が同胞を迎え入れる様に願った事も、事前に言い含めていたのではなく、彼女達なら機会を逃さずその様にするであろうとの”見込み”の様だ。
「そういう事かや。では、後程、
「わあ、金玉! あれ、美味しいんだよね!」
「久しぶりの金玉!」
「これ、お前等。まだ御前である。一門の学徒たる者、品位を崩すなかれ」
童女達の無邪気な様子に微笑む言仁の傍らで、
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