第60話

 東の空が白みがかって来た。間もなく日の出である。頭を出しつつある旭光に、老侍は絶えきれない眩しさを感じた。

 とても眼を開けてはいられない。


「こ、これはどうした事だ!」

「とりあえず中にお入りなさいな」


 目を瞑り呻く老侍を、計都ケートゥは手をひいて”施術の間”の中へといざなう。


「もう大丈夫ですわよ」


 計都ケートゥは入り口の戸を閉め、老侍に眼を開ける様に促した。

 眼を開いた老侍に映ったのは、石畳の床に、多くの壺や書物が並べられた棚であった。

 部屋の半分は白い衝立で仕切られており、向こう側からはがさごそと物音が聞こえて来る。

 先に入室した普蘭プーランが、刎ねた首の処置をしている事は容易に察せられた。


「あそこまで旭を眩しく感じたのは、どういう訳でしょうかな?」

「尸解仙の難点ですわ。陽光の下では瞳が耐えられなくなりますの。肌も同様に、およそ半刻を超えて長く陽光に晒すとただれてしまいますわよ」

「つまり、拙者達は不老長寿と引き替えに、御天道様の下では生きられぬと……」


 人の身を歪め不老長寿になるには相応の代償を伴うと言う事を、老侍は改めて思い知った。生血を飲むだけではなく、千年に引き延ばされた長い生涯を通じ、太陽を仰ぎ見る事が出来ぬ身と成り果ててしまったのだ。


「大袈裟ですわね。笠と面布を被り、肌を出さぬ衣を纏えば日中の外出も容易ですわよ」

「左様でありましょうがな……」


 老侍の嘆きに、計都ケートゥは簡易で有効な対処法を示す。

 だが、老侍にしてみればその様な問題ではなく、太陽に拒まれる躰になってしまった事自体が嘆かわしかった。


「その代わり、夜目が効く様になっていますわね」

「ふむ?」

「お気づきになりませんでした? 先刻の斬首を行う際、夜明け前でしたけれども。灯りは使いませんでしたわよ?」


 全く不自由なく見えていたので、灯りがない事に老侍は全く気付かなかった。

 だが思い返せば、辺りは暗いままだったにも関わらず”見えていた”のだ。


「小生達は夜目を効かせる法術を使っていましたけれども、貴方は自然に見えたままですわ。それも、尸解仙の力なんですの。貴方も侍ならば、それを如何に活かすかを考えた方が賢明ですわよ」

「全く、貴殿にかかってはかないませんな。悉くが理にかなっておられる」

「恐縮ですわ」


 老侍は改めて計都ケートゥに感嘆した。

 夜目が利く兵は、夜襲がし易く有利である。日中に於いて被る欠点も補う手段がある以上、今の体質は決して損ではない。

 計都ケートゥの言う通り、嘆くよりも前向きに考えるべきなのだ。


「施術の下処置を終えました」


 衝立の奥からの普蘭プーランの声を聞き、計都ケートゥは頷くと老侍に向き直った。


「これから何を行うか、貴方にも見て頂いた方が早いですわね」

「一門に属さぬ拙者が拝見しても宜しいのですかな?」

「貴方は活仏の忠臣ですもの。とくと御覧になって下さいませ」


 計都ケートゥ普蘭プーランに命じ、衝立を取り払わせる。

 老侍の眼にまず映ったのは、大きな寝台、そしてその上に仰向けで寝かされている裸身の女だった。

 歳の頃は二十五、六頃か。大きく股を開かされ、両肢を縄で固定されていた。

 先程の童と同じく眠らされている様で、顔立ちは整っている物の、呆けた様に口を開いて涎を垂れ流している。


「この者は!」


 老侍はこの女の事を見知っていた。

 老侍が暮らしていた集落にほど近い農村の住人で、見目は麗しいが、どうにも頭が足りないという風評だった。

 嫁の貰い手もないまま、智恵が足りぬ故に男達の求めには簡単に応じ、父の定まらぬ子を何人も孕んでは産み落とし、その度に産婆が”返して”いたという。

 要は身持ちの悪い痴れ者なのだが、賤民に身をやつしていた平家の女が百姓に手込めにされそうになっているのを見かけると、代わりに自分を犯せと言って庇い、逃がしてやる事がしばしばあった。

 当人にしてみれば、強い色欲を満たしたいが為の行動だったのだが、それでも結果的に救われた事には変わりがない。


「平家はこの者に恩があります故、他の百姓共同様に咎に問われているのでしたら、どうか慈悲を願いたい」

「その辺りの事は小生も承知していますわ。なればこそ功に報いる為にも、皇国の民として相応しくなる様に造り変えますのよ」


 この女は咎人という訳ではないという答えに、老侍は安堵した。

 功に報いるというという事は、不老長寿を与えるのだろうか。


「尸解仙……ですかな?」

「いいえ。これを新しき世に住まわせる為には、臣民となる為に足りぬ物を補わねばなりませんの。その為の施術ですのよ」

「この者に足りぬ物と言う事は、智恵を常人並に引き上げるのですかな?」

「御明察ですわ」

「ううむ……」


 ”馬鹿に付ける薬はない”と昔から言うが、補陀洛ポータラカにはそれが出来ると聞き、老侍は思わずうなった。

 どの様に行うのかは皆目見当がつかないが、流石に”ちちんぷいぷい”等と呪文を唱えて終わりとはいかず、見る限り相応に手間がかかる様ではある。


「では、施術を始めたく思います」


 普蘭プーランは、壁面の棚に置かれていた大きな壺の一つを軽々と持ち上げ、寝台の脇へ置いた。

 円柱状の壺は、和国では珍品として重宝される玻璃るり ※ガラス で出来ており、中身が透けて見える。

 その中は薬液で満たされ、先程の童の首が漬けられていた。


「咎人の脳は食すると聞いておりますが、この様な場で使い途があるのですかな?」

「この首は咎人ではありませんわよ?」


 計都ケートゥの言葉に老侍は思わず激昂し、太刀の柄に手を掛けた。


「無辜の童を手に掛けさせるとは、みかどが御承知の事とは思えぬ所行!」

「御待ち下さい! 誤解です!」


 いきり立った老侍に、普蘭は慌てて弁明した。計都ケートゥはそれを手で制して言葉を引き継ぐ。


「死んではいませんわよ。貴方には只、これから行う術式の支度を手伝って頂いただけですわ」

「では、この童は生きておると?」

「ええ」


 計都ケートゥは穏やかな口調で説明し、老侍は訝しげな顔ながらも柄から手を離した。


「この童もまた、寝台に横たわるそれ同様、智恵が足りずに生まれた者ですの。首から下は今後無用となりますから、切り離しましたのよ」

「無用と言うと、首だけで生きて行く様にすると?」


 怪談の類には、刎ねられた首が生きているという様な話もある。補陀洛ポータラカの医術なら出来るかも知れない。

 首だけで生きるとは、尸解仙とは比較にならない程に不自由と思われるが、智恵を延ばす代償はそれ程に重いのだろうかと老侍は考えた。

 だが、計都ケートゥは彼の問いを一笑に付して否定する。


「まさか。臓腑もなく、首だけで生きていける訳がありませんわよ。これはあくまで一時の処置ですわ」

「どういう事ですかな?」

「施術を執り行いますから、直に御覧なさいな」


 計都ケートゥの指示を受け、普蘭プーランは童の生首を壺から取り出した。

 薬液に濡れたそれの頭頂を、両肢を開かされた姿勢で眠り続ける女の女陰に押し当てる。

 陰門は赤子を産み出す時の様に大きく開き、普蘭プーランの手で押し込まれるままに生首を呑み込んでいった。

 生首がすっかり納まった女の腹は、孕んで半年程の妊婦の様にふくれている。


「智恵の足りぬ二人を一人として繋げる事で、並の智恵を得られますわ。それぞれの記憶は保ったまま、自我は一つに混ぜ合わさった新たな物に。貴方の持つ概念の内で言うなら…… 前世の記憶を保ったままでの”輪廻転生”に近いですわね。童の側の躰が無用と言ったのはこういう事ですの」


 異様な施術を前にして、老侍は言葉を発する事が出来ずに立ち尽くす。

 命を造り変える所行を平然と行う計都ケートゥ達に、目的の正しさを知っても猶、何とも言い様がない禍々しさを感じるのだ。

 咎人の屍を殭屍キョンシーと化しての行列は、見せしめを含めての事として理解した。

 自分を含む平家の男子を尸解仙としたのも、力を与える為と解る。

 だが流石に”智恵が足らぬ者は、二人を一人にすれば事足りる”と思いついたあげくに実行してしまう一門の所行を、そのまま受け止める事は難しかった。


(こうせねば、この二人は愚者として軽侮され続けねばならぬ。救う術を知らぬ拙者に、この所行を忌む事は許されぬ……)


 嫌悪感をどうにかねじ伏せようと、老侍は理を心の中で呟き続けた。

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