第59話

 老侍は、着替えに差し出された直垂を身につけ、用意された夕餉ゆうげを口にした。

 挽いた獣肉を練った麦粉の皮で包み蒸かした”饅頭”である。

 異国の珍味に老侍は舌鼓を打ち、腹は充分に満たされたが、まだ何かが物足りない。

 飢えとも渇きとも違うが、身体がまだ足りぬ何かを欲しているのが解る。

 差し向かいで共に食事を済ませた計都ケートゥにそれを訴えると、彼女は満足そうに頷いた。


「尸解仙の身体を保つには、これまでの食や水に加えて、霊力を外から補わねばなりませんの。身体がそれを欲しているのですわ。大丈夫、術式が成った証ですわよ」

「……それは、神属の方々が食している、人間の脳髄ですかな?」


 霊力を補わねばならない身体になったと聞き、老侍の頭に浮かんだのは、神属が”贄”と称して食している、人間の脳髄の事だった。

 自分達もそれを食わねばならぬのかと彼は覚悟したが、計都ケートゥの答えは違った。


「いいえ。並の人間に不老長寿を与える手法はいくつかありますけれども、なるべく贄の食い扶持を増やさずに済む物にしませんとね。皇国の臣民を皆、その様にするのですから」


 不老長寿を得た人間は神属に体質が近付く分、体内で造られる霊力だけでは身体が維持出来なくなってしまう。

 不老長寿を得た人間が霊力を補う為、神属同様に贄の脳髄を食する様になると、白痴の畜産が順調に進んでも、需要を満たす事は到底困難となるのは間違いない。

 その為、不老長寿を与える際には、人間の脳髄以外の物から霊力を摂取出来る様になる手法である事が望ましいのだが、その殆どが大古の戦乱で失われて久しい。

 捜索の末、ようやく探り出した幾つかの手法の内の一つが、”尸解仙”化である。補陀洛ポータラカでは馴染みの薄い”道術”の系統に属する物だが、ふとした偶然で秘伝書らしき書物を入手したので、若干の改良を加えた上で平家の男子に使ってみたという訳である。


「御苦心なさっておられるようですが、そこまでして人間に不老長寿を与えるべきものでしょうかな。人の身に生まれた上は、備わった寿命で満足すべきかと拙者は思いますがな」


 計都ケートゥの解説を聞いた老侍は、その思慮に感心しつつも疑問に思った。

 一度生を受け、滅せぬ物等ない。身体を歪めてまで生に執着すべき物であろうか。

 自分達は侍の務めを果たす為に尸解仙とされた。それはやむなき事だろうが、闘う為の力は有用でも、長寿については蛇足に思われる。


「そういった考えに立ち、不老長寿を求める者を浅ましいと忌む向きもありますけれども。寿命が並ばぬ限り、いつまでも人間は神属に組み敷かれたままになってしまいますもの」


 老侍の様な疑問を持つ者は初めてではない。有史以来、不老長寿を求める者、対してそれに異を唱える者は双方とも数多いる。

 不老長寿を欲さぬ老侍の心情を計都ケートゥは静かに受け止めつつ、自分達の意図を語った。

 和国統治に際して、臣民と認められた人間には不老長寿を与えるのが補陀洛ポータラカの方針である。

 寿命の長短は知識・経験の蓄積の差に直結し、神属と人間が隔てなく暮らす”諸族協和”の最大の障害と考えられている為だ。


「寿命が著しく異なる種が共に暮らせば、優劣が生じて当然ですわ。それを無くす事こそ、活仏の望みですのよ。小生がその様に説くまでもなく、あれが自ら唱えた事ですわ」


 主君たる言仁の意思とあれば、平家はその実現に邁進する事こそが務めである。

 明らかに過ちであれば諫める事も臣の役割であろうが、計都ケートゥの説明は全く理にかなっており、否定する様な物ではなかった。


「帝の御慈悲あふれる御意なれば、万難を排して果たしましょうぞ」

「結構ですわね。ならば早速、体の内から湧き出る渇望を満たしに参りましょうか」


 計都ケートゥは老侍を、屋敷の外にある”施術の間”の前へといざなった。

 宮司の嫡男を二形ふたなりに造り変える時にも使われた、高度な医術を施す為の離れである。

 その前には齢十歳程の、剃髪された少年が全裸で座らされており、傍らには、学徒らしき若い女が介添えとして控えていた。普蘭プーランである。

 少年は眼を閉じ、静かに寝息を立てている。薬か法術で眠らされているのだろう。

 この場で何が行われようとしているか、自分が何を担わさせられるのかを老侍は察した。

 罪人の仕置である。


「もしや拙者に、この者を斬れと申されるか! この様に幼き者を!」

「ええ。見事、首を刎ねて下さいませ」


 思わず声を荒げた老侍に、計都ケートゥは動じる様子もなく淡々と応じた。

 罪人であれば屠る事に躊躇ちゅうちょはないが、この幼子自身が死罪に値する咎を犯した訳ではないだろう。恐らくは神宮に連なる者としての連座という事なのであろうが…… 

 眠らせてあるのは、せめてもの慈悲であろうか。

 老侍は躊躇ためらったが、計都ケートゥが自分達の覚悟を試しているのは明白である。

 ここで自分が拒めば、平家その物の忠節を疑われかねない。


「わかり申した」

「こちらをお使い下さい」


 意を決した老侍が頷くと、普蘭プーランが太刀を手渡してきた。

 老侍が愛用していた古太刀で、馬上から振るうのに適した長尺で厚手の刃である。

 公家の如く雅を尊んだ平家の好みではなく、実用を重んじた板東武者、即ち源氏が好んだ無骨な造りだ。

 伝わる由来ではかつての平治の乱の際、討った敵から奪った物という。

 老侍は童の背後に廻ると、愛刀を振りかぶって構えたが、心にはまだ迷いが消えていない。

 手元が狂ってし損じてはならないと、平静を取り戻す為に彼はそっと眼を閉じ、涅槃経の一節を口ずさんだ。


「諸行無常、是生滅法、生滅々己」


 経文により瞬時に頭が澄み渡った老侍は、再び目を見開いた。


「寂滅為楽ッ!」


 最後の一言と共に刃を振り下ろすと、瞬時に童の頭部は落ち、前のめりに崩れた躰の切り口からは鮮血が吹き上げる。

 太刀を振り鞘に収めた老侍は、童の骸に合掌して悼んだ。

 普蘭プーランは首を拾い上げると愛おしそうに抱きかかえ、施術の間へと入って行く。脳髄を贄に供する為、頭蓋から抉るのだろうかと老侍は思った。

 だが、尸解仙は脳髄を食する必要はないという。ならば自分は何の為に、童の斬首をさせられたのだろうか。


「では、骸の血抜きを行いましょうか」


 計都ケートゥに示されるまま、老侍は用意してあった縄で骸の両足を縛り、”施術の間”の軒下へとと吊す。その下には、やはり用意してあった大瓶を置いた。

 したたり落ちて瓶に溜まった血潮を計都ケートゥ柄杓ひしゃくですくい上げて老侍へと差し出す。


「お飲みなさいな」


 老侍が怖々と柄杓ひしゃくに口を付けると、甘美な味が口いっぱいに広がった。

 たまらず一気に飲み干した後で、思わず我に還る。


「拙者の体は……」

「ええ。人間の生血こそ、尸解仙の霊力の源ですの」


 計都ケートゥから、自分達が生血を啜らねばならぬ異形となったと聞き、老侍は思わずうな垂れた。

 補陀洛ポータラカは、善男善女を贄とする事を厳しく禁じている。無分別に他者を襲わず、然るべき者だけを贄とする限り、恥じる様な事ではないと頭では解る。

 だが、容易に割り切れる物ではなかった。


「十日に一度、一合 ※約180ml 程で結構ですわ。神属が脳髄を得る為に贄を潰せば、当然に血が出ますわよね。それを尸解仙が飲めば無駄がありませんわよ」


 打ちひしがれる老侍をなだめる様に、計都ケートゥが解説を加える。

 確かにそういう事であれば、尸解仙の為だけに贄が屠られる事がない。これまで無駄になっていた生血を、無駄なく活用するだけだ。また、一合程度であれば、相手を必ずしも死なせずに血を抜く事も出来るだろう。

 計都ケートゥの策は常に理にかなっている。情で一時は反発しても、結局は納得するしかないのだ。

 老侍は、師の立場で実質的に言仁の上に立つ阿修羅アスラの女に、底知れない畏怖を感じざるを得なかった。

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