第58話

 老侍が目覚めると、見知らぬ部屋に敷かれた布団の中だった。

 ふんどしに至るまで全ての衣は脱がされ、全裸である。


「毒が効かずに死に損じたか、何と無様な……」


 自分達は毒で自裁し果てた筈だが、ここは地獄や極楽の類ではなさそうだ。

 開けられていた窓からは星空が見える。一方で夜にも関わらず、室内は昼の様に明るい。灯火ではなく、補陀洛ポータラカの法術で照らしているのだろう。

 波の音と潮の匂いで、ここが仮宮ではなく海辺である事も解る。


「御目覚めの様ですわね」


 枕元からの声に老侍が顔を向けると、そこには謁見で見かけた、純白の衣を纏った阿修羅アスラの女が座していた。和国の女ではまずしないであろう、胡座アグラである。


「貴殿は確か、計都ケートゥ殿…… でしたな。みかどに学問を説かれたという」

「ええ。その通りですわ。ここは答志島にある、小生の屋敷ですの」

「答志島……」


 九鬼水軍の本拠だった答志島が、現在は補陀洛ポータラカで学問を司る”一門”の支配下にあるという事は老侍も知っていた。自裁の後、運ばれて来たらしい。


「拙者が飲んだあれは、毒ではなかったのですかな?」

「いいえ、あれはまさしく毒でしたわ。貴方は骸となり、一月の後に蘇りましたの」

「一月ですと?」

「ええ」

「貴殿は冷徹な方と伺っております。何故、我等の如き無能を助命なさったか?」


 計都ケートゥの冷徹非情ぶりは伊勢中の噂になっていた。それがなくとも、理由もなく慈悲を掛ける様な女ではない事は一目で解る。

 穏やかに微笑んではいても、その眼光からは揺るぎない信念が見て取れる。己の理想の為ならば、数多の命を屠る事をも厭わないであろう狂信者である。


「いかにも小生は冷徹ですもの。ですから手が足りぬ現状では、皆様方の死を願う御気持ちを叶えて差し上げる余裕はありませんのよ」

補陀洛ポータラカは強大な国と伺っております。手が足りぬとは?」


 老侍の問いに頷いて答えた計都ケートゥの”手が足りず余裕がない”という意外な理由に、老侍は当然の疑問を持った。


「一門が造ろうとしている新しき世の理念に賛同する者は、残念ながら多くありませんの」

みかどは生き仏の力であやかし、ああ、御無礼を。神属の方を魅了出来るという事でしたが、それに抗しえる者がいるという事ですかな?」

「あの力は活仏が相対した者にしか効きませんの。決して万能ではありませんわ。ですから、貴重な信頼に足る臣の内、過半は遠征に加えず国元に残しておかなくてはなりませんでしたの」


 老侍にも思い当たる節はあった。補陀洛ポータラカの者は将兵・文官共に女が多く、数少ない男子は元服を迎えるかどうかの若輩ばかりが目立つ。水軍の兵はそうでもない様だが、あれは帰順した大江党で、譜代の兵ではない。

 計都ケートゥの説く思想に賛同する者はと言えば、男中心の世にあって抑えられていた、才覚ある女。そして幼少より、一門の教えを絶対視する様に染め上げた若年の者という事なのだろう。

 しかし、寡兵でありながら補陀洛ポータラカは伊勢を苦もなく手中にしている。

 平家の男子が、自分達の出る幕はないと考えたのもその為だった。補陀洛ポータラカに正面から対抗出来る軍勢等、和国の如何なる勢力も持ってはいない筈だ。


「しかしながら、和国に於いて対するであろう、人の軍勢如き問題にならぬのでは?」

「単に戦に勝つのみならば。ですけれども、広げた版図を治めるにも手は要りますもの」

「確かに……」


 士分の役目は戦のみではない。むしろ平時にあってまつりごとを担い、治安を維持するのが本分である。無闇に領土を広げても、治める者が足りなければ重荷でしかないのだ。

 通常、戦で得た領地を治める為には、下した敵の内から従順な者を召し抱えるのだが、計都ケートゥは謀反への警戒からそれを好まない。その用心深さが人材登用の枷となっていた。


「そこでまずは伊勢を掌握し、一揆衆の内から見込みのある者を登用、育成して力をつけさせた上で和国全体を併呑するつもりでしたの。おおよそ五ヶ年で支度を整える筈でしたのに……」

「殆どの民百姓を処断する事になり、目論見が崩れたという訳ですな」

「ええ。圧政から救い出した恩を以てしても、卑しき身分とされた者を虐げる悪弊を正すには至りませんでしたわ」


 伊勢の内政が落ち着いた後、家畜や法術の導入で余剰となった人手から足軽を募って和国併呑に活用するというのが、一門が画策した当初の企てだった。

 だが、賤民解放の勅令に抗する一揆衆の姿勢を受け、計都ケートゥは”価値観が共有出来ず、かつ従順さに欠け信頼が出来ぬ”と早々に見切りをつけた。

 言仁が一揆衆へ勅令に従う様、厳罰を示して強く迫ったのを機に、計都ケートゥは熱田の間者が残した仕込みを利用して、相容れぬ民を鏖殺すべく自害に追い込んだのである。

 働き手としての価値よりも、皇道楽土の障害を廃する方を優先したのだ。勿論、穴を埋める算段も考えていた。

 しかし水軍と近衛が説得に動いた事で、一揆衆の多くは自害を思い留まり改悛の意を示した為、鏖殺は不充分に終わる。

 だが、宮刑に処した上で放免はする物の、一揆衆を和国併呑の先兵として登用する程の信頼はもはや出来ない。彼等は同志たり得ない事がはっきりしたのだ。

 平家の末たる賤民達は、それを補う為にも貴重な人材なのである。


「伊勢の賤民が平家の末と知ったのも丁度その頃ですの。皆様方であれば、政に携わるに申し分ありませんわ」

「帝に御仕えするには、人の身ではあまりに非力ではありませぬか?」

「なればこそ、皆様方には新たな力を供しましたの。あの薬は、皆様の身体を”尸解仙”に造り変える為の物ですわ」

「尸解仙というと確か…… 肉体が朽ち果てた後、不老長寿を得て仙人と化した道術使いの事ですな」


 老侍は合点がいった。

 尸解仙は、一度死した後に蘇って成る物という。ならば、それと化す為の仙薬は毒であって然りだろう。

 人間のままでは弱いならば、それを超える力を与えれば済む。補陀洛ポータラカにはそれが出来るのである。

 死を望む自分達の願いを聞き入れて自裁を認め、力を得て蘇った後に仕えさせる。

 自分達は蘇る事を知らされていなかった為、あれで父祖の罪を購ったという体裁は整ったという事にもなる。

 見事な頓智とんちとしか言い様がない。


「不老長寿だけでなく、夜叉ヤクシャに比する力と速さ。そして法術を使うに足る法力。勿論、学ばねば法術は扱えませんけれども。それにしても、よく御存知ですわね」

「読み書きを学ぶ為に幼い頃読んだ御伽草子に、その様な物語がありましてな。よもや真の事とは思いませなんだ」

「御伽草子等、街で余裕のある層でのみ出回る物。幕府の力が落ちて乱世となって以後は殆ど描かれなくなったと言いますけれども、どの様に入手なさいましたの?」

「平家が天下を握っておった頃の物です。落ち延びる際、子弟の為にはこういう物も入り様であろうと、捨てずに残しておいたという事です」

「それは素晴らしい慧眼ですわね」


 御伽草子で読み書きを学んだと聞き、賤民に身をやつし雌伏の時を送る最中でも幼子に教養を伝える具を保ち続けた平家の姿勢に、計都ケートゥは学師として感心した。


「ところで、他の者はいずこに?」


 老侍は、共に自裁に及んだ五百名程の者が心配になった。自分一人だけが残されたという訳ではあるまいが、どの様な処遇を受けているのだろうか。


「こちらを御覧なさいな」


 計都ケートゥは、部屋の壁に掛けられた銅鏡を示した。幻灯を映し出す機能を持った、八咫鏡の複製品である。


「!」


 そこに映し出された異様な儀式の光景に、老侍は絶句した。

 板張りの広間に、何百名もの全裸となった男達が仰向けで横たわり、その腰の上には漆黒の肌を持つ若い女が、やはり全裸でまたがり、身体を上下に振っている。

 男の側は平家、女の側は一門である事が見て取れる。

 一見、交合の様に見えるが、男は氷の様に固まったままで身じろぎ一つしない。

 女の顔も座禅を組む禅僧の様に乱れがなく、ただ一心不乱にいきり立った陽根を女陰から抜き差ししている。


「道術でいう”房中術”ですわ。仙薬で一月かけて造り変えられた屍に、男女の交合により霊力を循環させる事で再び生命を吹き込みますの。あれが仕上げですわね」

「術と言えども男女のまぐわい。あの様な事をして、子を為した場合は如何するおつもりか?」


 自分達に不老長寿を与える為、学徒が夫でもない男の胤を孕むというのであれば、老侍としては何とも心苦しい。

 また、妻帯の者も多い為、子が産まれたとなると、平家の女衆と一門との間で確執が生じる事にもなりかねない。


「尸解仙に限らず、不老長寿の為に身体を造り変えた人間は、男女を問わず子を為せぬ身になりますから無用の心配ですわね」

「何ですと!」


 老侍は思わず声を荒げた。不老長寿と引き替えとはいえ、子孫を残せぬとは一大事である。


「子を為せぬと言っても、宮刑を受けた百姓共と違って交合には差し障りありませんわ」

「その様な事ではなく、みかども胤を断たれてしまったと申されるか!」


 老侍の頭に真っ先に浮かんだのは自分達の事よりも、既に不老長寿を得ている言仁の事だった。

 千年の命があるとはいっても、言仁もいずれは寿命が尽きる。そうなれば皇統が絶えてしまうではないか。

 かと言って、現在の京にある朝廷は、言仁から見れば偽朝にあたる。禍根を残さない為に敵は鏖殺すべきと唱える計都ケートゥが、血統を保つ為にその存続を許すとは思えなかった。


「活仏や一門の者の様な、生まれながらに法力を持つ阿羅漢アルハットは大丈夫ですわ。身体を造り変えずとも、十日に一度程、神属の乳を飲むか、あるいは腎水 ※精液 を胎に受ければ、不老長寿を保てますの。そういった霊力の素を得なければ常人と同じ様に老いますから、和国に限らず、阿羅漢アルハットであっても不老長寿の者は希ですけれどもね」

「左様であったか……」


 言仁が子孫を残せると聞いて老侍は胸を撫で下ろしたが、ふと気が付いた。

 尸解仙を目覚めさせるには術者が交合して房中術を施す必要がある。ならば、自分にそれをしたのは誰なのか。


「ところで、拙者に房中術とやらを施したのはどなたですかな?」

「小生ですわ。こんな綺麗な子とまぐわえるとは役得でしたわよ」


 事も無げに応えた計都ケートゥに、老侍の目は点になった。

 補陀洛ポータラカの神属社会と和国では貞操感が全く異なる事は、老侍もある程度の話を聞いて知っていた。特に計都ケートゥであれば、必要とあらば情を交えず誰とでも躊躇なく同衾に及ぶだろう。

 だが、自分の様な老人を”綺麗な子”とはどういう事だろうか。長命な阿修羅アスラにしてみれば自分は童に等しいかも知れないが、見てくれはこちらの方が遥かに老いている。


「こんな老いぼれが相手では、世辞にもなりませんぞ」

「そんな事はありませんわよ」


 老侍が苦笑すると、計都ケートゥは指を鳴らして八咫鏡に映っていた光景を消し、改めて鏡面を覗く様に促す。

 老侍が鏡に映る己の顔を見ると、そこには齢十五前後の、女と見まがう様な若人が映っていた。

 先に不老長寿を得た女衆を見ていたので、若返っている事自体は驚くにはあたらない。それを忘れて己を”老いぼれ”と称したのは、計都ケートゥも心外だっただろう。

 確かに顔立ちは、若かりし頃の自分の面影がある様にも思う。だが、端々に現れている特徴が、単純に若さを取り戻したのではない事を示していた。

 まず、薄くなっていた髪は白髪のまま、ふさふさと繁って肩まで伸びていた。

 肌は血の気がない蒼白と化し、対比する様に瞳は血潮の様に紅く染まっている。そこまでなら、希に生まれる”白子”に近く、人間から外れるという程ではない。

 しかし、唇から伸びる夜叉ヤクシャの如き鋭い牙を持つ人間はいないだろう。


「姿が少々変わりましたけれども、とても綺麗ですわよ」

「これが…… 尸解仙……」

「皇国には様々な種がいますもの。腕が六本ある小生の前で、牙が生えた位で狼狽える様ではいけませんわよ?」


 人外に変化した己の姿に呆然とする老侍を、計都ケートゥはさも可笑しそうに笑うのだった。

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