第57話

「早速だが、仕事を始めさせてもらおう」


 和修吉ヴァースキは村役場の前の広場で腕輪を放り、封じられている天幕を広げると、奥妲アウダと共に診療の準備を始めた。

 半刻程で準備を整えて天幕から出ると、外では総勢で百名程の民が並んで待っていた。

 彼等は異形の神属に対し、不安や怯えは一切見せていない。多くの者が宮刑の罰を受ける中、無辜の民として扱われている事ですっかり信を置いている様だ。

 八割程が女といういびつな性比だが、ここにいるのは賤民への陵辱や虐待を行わなかった者なので、男が少ないのは必然と言える。 

 彼等は天幕から現れた和修吉ヴァースキ奥妲アウダに恭しく頭を垂れた。二人も合掌で応える。


「先生様に御弟子様。この度は御苦労様でごぜえます」

「うむ」

「御忙しい中、御足労頂き有り難うございます。御夫君様の田畑を耕す方々が健やかに暮らして頂ける様に微力を尽くしますので、宜しく御願い申し上げます」


 荘園を束ねる立場として、代官が改めて挨拶する。

 和修吉ヴァースキは一言を返したのみだったが、奥妲アウダは丁寧な口上を述べた。


「へ、へい……」「こりゃ、どうも……」


 村人は、奥妲アウダの挨拶に戸惑った。神宮の治世下における横暴な役人とは違うとはいう物の、龍神の家臣ともあろう者が、一介の百姓風情にとるとは思えない腰の低さだった為である。


(無知・無学の輩として民を見下す事無く、働き手として尊重する姿勢は良し。だが、それ故にこの試問は辛いやも知れぬ。さて、これは如何なる答えを出す物か……)


 これまで伊勢の平民を相手にしていた時の様な刺々しさを全く見せず、とても穏やかな奥妲アウダの様子に、和修吉ヴァースキは内心でつぶやいた。



*  *  *



「おねげえしますだ」


 診療が始まり、最初に入って来た初老の男に、奥妲アウダは裸となって寝台に横たわる様に指示する。

 さして疑問を持った様子もなく言われた通りにした男の裸身を、和修吉ヴァースキは手をかざして探って行く。

 最後に額に掌を当てて診た時、和修吉ヴァースキは表情は変えない物の、唇の端を僅かに歪めて奥妲アウダに目線を送った。


『……これは駄目だな…… 軽愚だ』


 男に聞かれない様に梵語でつぶやいた和修吉の言葉に、奥妲アウダは険しい顔となる。だが、男が自分の顔を見ているのに気付くと、平易な表情を造って改めた。


(危ない、患者に心配させちゃいけないよね)


「あの、どっかわるいんだか?」

「いいえ。命に別状はありませんから御心配なく。御歳の割に、身体の方は健やかです」


 男が挙げた不安に、奥妲アウダは優しく答える。


「そっかあ、ならえがっただよ。ありがとうございましただ」


 診療が終わり男は礼を言い、衣を着て天幕を出て行った。


(確かに命には関わりないんだけど……)


 奥妲アウダは男の抱える疾患に、複雑な思いに囚われると共に、どうすべきか施策を巡らせ始めたが、和修吉ヴァースキに声を掛けられて我に還る。


「思う事はあろうが、まずは次が来る。気を引き締めたまえよ」

「は、はい、和修吉ヴァースキ師!」


 師の叱責を受け、奥妲アウダは次に入ってくる民を診るべく心を整えた。



*  *  *



 今回の診療では、これまで他の村で行っていた身体の不自由や疾病に対する治療のみを行い、若返りの処置を施していない。勿論、年配の者には労働に支障ない程度に衰えを緩和する治療は施したが、外観はそのままとなっている。

 その事について問う者もいたが、寿命が縮むという副作用を聞かせると、それ以上の不満を漏らす者はいなかった。

 既に不老長寿を得た代官については、彼と同村の出身者が皆無で本来の年齢を知る者がいない為、村人はその点で疑問を持ってはいない。

 診療を終え、村人達が口々に礼を言って戻って行った後、代官を交えて三人との懇談となった。

 代官から真っ先に出たのは当然ながら、この荘園の民に何故、若返りを施さなかったのかという疑問と不満である。


「咎人が若返って、ここのもんには老いていけっちゅうのは道理が通らねえですだよ」


 代官は支配下の民の利益を代弁せねばならない。皇族たる那伽ナーガ和修吉ヴァースキにも臆する事無くそれを訴えた事に、二人は感心した。


「当初は若返らせるつもりだったが、奥妲アウダの案で今回は取りやめたのだ」

「御弟子様の?」


 首を捻る代官に、奥妲アウダが解説する。


「あの様な見せかけの若さではなく、代官殿の様な、本物の不老長寿を与えたいのです。うかつに若返らせてしまうと、長寿を与える為に処置をし直すのが大変ですので。身体を造り変える訳ですから」

「それを、今日やる訳にはいかんかったのですだか?」

奥妲アウダが今日になって出した案を容れた為、支度が調っていない。それに加えて、神属に並ぶ不老長寿を人間に与えるには条件がある」

「条件?」

「お前の様に、読み書きの心得を身につける事だ。これが出来ねば、千年の命を得るに値せぬ」


 代官は庄屋の家に生まれた為に、読み書き算術を修得している。登用されたのも単に行いが弗栗多ヴリトラに称賛された為だけではなく、能力を見込まれての事だ。

 だが、この時代の和国の識字率は低く、特に百姓は殆どが文盲だった。


「百姓が読み書きですだか?」

「左様。触れ書きの書かれた高札も読めぬ様な無知の民を、皇国は欲さぬ。今、生きておる者については寿命が尽きるまで”仮初めの民”として、庇護を与え暮らしを安堵する。だが寿命を延ばすとなればそうもいかぬでな」

「これまで学には縁がなかったもんに、無理ですだよ……」


 代官はうな垂れて嘆くが、和修吉ヴァースキはそれを否定した。


「否、並の智恵があれば出来る。荘園の民に於いては、読み書きの修練を賦役として課す事とした」


 賦役、即ち税の一部たる労役として、読み書きの修得を義務づけるというのだ。ただ習えと奨めても百姓に学はいらないと言う者が大半だろうが、賦役となれば否応もない。


「賦役…… ですだか。だども、おら一人で教えるっちゅうのはきついですだよ」

「荘園の警護にあたっている羅刹兵も和語の読み書きが出来る故、手伝わせると良い。修練の為の紙や筆、墨や硯も供しよう。主には稲作の刈り取りを終えた後に行う。故に、裏作の作付けを免ずる」

「ただの百姓に、そこまでして下さるんですだか……」


 高価な紙や筆記具を与え、学ぶ時を作る為に裏作を行わないという。

 手間も銭もかかるというのに、百姓をそこまで思いやって下さるのかと、代官は感銘を受けた。


「荘園の皆様は、善良な心根を持っております。故に、新しき世に御迎えしたいのです」


 奥妲アウダは和国支配に際して、その全てを補陀洛ポータラカの色に染め上げるのではなく、良き物を伝える為に品行方正な民をある程度残しておく必要があると和修吉ヴァースキに訴え、それが容れられたのである。

 また、彼女は賤民への虐待に加わらなかった民に深く感謝しており、不老長寿を与える事で恩に報いたいとも考えていた。


「うむ。不老長寿を得られるなら、大いに励むであろう」

「そういう事なら、大丈夫ですだな」


 代官は納得したが、奥妲アウダが言いにくそうに懸案を口から漏らした。


「問題は…… その、並の智恵を備えていない者が、この村の三割を占めている事なのです」

「どういう事ですだか?」

「先程の診療で、脳を調べて解ったのですが。これが、それに該当する者です」


 奥妲は、三十名余りの名が記された名簿を代官に示した。

 名が朱書きされた者と、通常の墨で書かれた者がほぼ半分づつ混ざっているのが代官には気になった。男女の区分かと思ったが、名を見るとそうでない事はすぐ解る。


「そういや、ここに載っとるもんは”抜け作”っちゅうか、どうにもしまらねえとこがありますだよ」


 確かに、この名簿に名を挙げられている者は働きぶりが良くないことに代官は気付いた。言われた事をこなすのが精一杯で機転が利かず、複雑な事が出来ない。また動作も鈍い。

 決して怠惰ではなく、むしろ勤勉なのだが、熱意ばかりが空回りして成果に結びつかず、倍以上の労力を使ってようやく半人前の仕事ぶりである。

 幼い時に間引かれてしまう事が多い白痴と違い、”少々頭の出来が悪い愚鈍な者”は時折見られ、それ程珍しくはない。こういった者は小馬鹿にされ続けてひねくれたり、周囲の顔色を伺って常に怯える小心者になりがちなのだが、この荘園にいる者についてはそういった事はなかった。


「その様な者を”軽愚”と称する。全く言葉を解さぬ”白痴”は獣として扱うが、軽愚は言葉を解する故に、一応は民の範疇に入る。だが、文字の習得は無理であろうな。故に、不老長寿は与えられぬ」


 補陀洛ポータラカは様々な種が混在する社会の為、民と獣の区分を、種ではなく、個々の知性の有無で行っている。人間から産まれても言葉を理解出来ない白痴なら”獣”として食用になり、逆に鳥獣から産まれても、言葉を解するならばそれは”民”なのだ。

 だが、その区分は綺麗に分かれる物ではなく、中間に位置する者も多くいる。それが”軽愚”と呼ばれる存在である。


「色分けはどういう意味ですだか?」

「まず、熱病や頭を打った、幼少の頃に充分な滋養を得られなかった等で脳を痛めた者が”黒”。この者達には、脳を治す様に法術を掛けましたので問題有りません。二月もすれば、常人に智恵が追いつくでしょう」

「ほいたら、朱書きのもんがあかんっちゅうことですだか。どういうもんですだか?」

「生来、即ち生まれながらの軽愚です」

「朱書きのもんは治らんのですだか?」

「術はあります。ですが皇国の法では、智恵を備えず、あるいは足りずに生まれた者に、後から施術でそれを補ってはならないと定められているのです」


 代官の問いに、奥妲アウダはいかにも不本意そうに答えた。


「……どうなりますだか? 神属の方々が白痴のもんを贄にするっちゅうんは聞いとりますだが、こいつ等も食われちまうんですだか?」

「それはない。軽愚は離島や僻地に築いた悲田院 ※福祉施設 に固めて住まわせ、あてがい扶持で老いて死ぬまで養う事になっておる」


 要するに補陀洛ポータラカは、生まれつき智恵が足りずに読み書きが覚えられない者を一応は民として扱うが、国を担う働き手としては見ていない。慈悲として、老いて死ぬまで世間と隔絶した場所で養うというのだ。


「勿体ねえ。頭の回るもんが指図してやりゃあ、足りんとはいえ一応は働けますだよ」

「手間がかかる。それに常人と混ぜて暮らせば、軽愚を見下し、暴虐や搾取の対象にする様な風潮が世に広まりかねぬ」


 和修吉ヴァースキの言う通りである。実際、軽愚に相当する者達が侮蔑の対象になっているのは、代官自身もよく目にしていた。

 この荘園ではその様な事がないかと言えば、からかいの類こそない物の、愚鈍さにしびれを切らした者がどやしつけたり、失敗の折檻として鉄拳や平手打ちを食らわすといった事がどうしても起こってしまう。


「私としては、生来の軽愚に対しても法術で智恵を補った上で不老長寿を与え、皇道楽土を謳歌させたいのですが。代官殿はどう思われますか?」

「おらとしちゃあ、いくら抜け作っちゅうても、こんだけごっそり連れて行かれたら耕し手が減って困りますだよ。神通力でまともな智恵がつくっちゅうなら、是非そうして欲しいですだ」


 代官にしてみれば半人前にも満たないとはいえ、多くの働き手を失うのは困る。

 ただでさえ、伊勢は多くの百姓が自害して人手不足なのだ。ましてここは無辜の民のみを集めた皇配の荘園という性格上、他からの労力の補填は期待出来ない。

 代官の賛同を得られた事で、奥妲アウダ和修吉ヴァースキに同意を請う。


「代官殿もこう申しております。師よ、如何でしょうか?」

「人手については勘定方が策を講じておる様だが、すぐには難しいな。故に代官の要望はもっともだが、さりとて特例をむやみには造れぬ」

「なれば、賤民解放の勅令に従った褒美という名目では如何でしょうか?」

「勅令は従うのが当然である。逆らう者が多かった事がおかしいのだ」


 ”特例を認めるに値する名目を出してみよ”という和修吉ヴァースキの暗喩を察した奥妲アウダは早速、一案を示した。

 すげなく否定されたが、諦めずに次案を示す。


「新式の術の御試し御用という事では?」

「ふむ…… 平家の男子に施す尸解仙の術式以外にも、試してみたい不老長寿の術式は幾つかある。咎人ではない故に無理強いは出来ぬから、当人に選ばせよ」


 新たな提案に和修吉アウダは少し考え込み、条件を示して同意した。


「当人にですか?」

「当然だ。命が短くとも、不労で衣食を安堵される方が良いと言うかも知れぬであろうしな」


 和修吉アウダの指摘通り、幸福の形はそれぞれなのだから、どちらを選ぶかは本人次第である。

 奥妲アウダは一抹の不安を覚えつつも、生来の軽愚と判じられた者達を改めて個別に訪問した上で、要望を尋ねる事にした。


「馬鹿のままで普通に歳を取る代わりに、死ぬまで働かずに飯が食べられるのと。馬鹿が治って若いままずっと長生き出来るのと。どちらがいいですか?」

「ば、ばかがなおるだか?」


 丁寧に解りやすく、ゆっくりと話した奥妲アウダの質問に、問われた男は目を輝かせた。


「ええ。賢くなれますよ」

「おら、ばかをなおしてえだ。いちにんまえになりてえだ!」

「良い御返事です。御任せ下さい」


 男の訴えに、奥妲アウダは微笑んで応えた。

 荘園に住む生来の軽愚全てに意向を尋ねた結果、彼等はいずれも知性の強化と不老長寿を選んだ。

 奥妲アウダはその結果に喜びつつも意外に感じた。短命でも安楽に生きたいと願う者が多いのではないかと予測していたのだ。

 軽愚達は、頭が悪く働きが悪い事を周囲から責められがちだった為、それを治したいと心から願う者が多かった。

 また、これは軽愚に限った事ではなく和国の民百姓全般に言える事だが、幼少の頃より”額に汗して働け、怠惰は悪だ”という価値観に染まっている為に、働かずに安穏とした暮らしを選ぶ事を考えられなかったのである。

 尚、後日に巡回した他の荘園でも同様に意向の聞き取りが行われたが、やはり同様の結果が出た。それを踏まえ、弗栗多ヴリトラ・言仁双方の承認の下、荘園の軽愚全てに対し、新式の知性強化及び不老長寿化の施術が施される事となった。

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