第55話

「さあ、皆様。御願いしますわね」


 計都ケートゥの指示を受けて、毒杯を注ぎ終えて部屋の脇に控えていた侍女達が、頽れた侍達の屍を抱えて運び出して行く。

 師の非情さへの恐怖に駆られていた奥妲アウダだが、その様子を見て理性が蘇ると共に、新たな疑問が涌き起こった。


(この場で殭屍キョンシーにして、自分で歩かせれば済む事なのに。何故わざわざ運ばせるの?)


 何事にも合理的で冷徹な計都ケートゥらしからぬ処置で、いかにも不自然だ。

 顔から哀しみが消え、思考を巡らせ始めた奥妲アウダに、計都ケートゥは満足そうである。


「いかなる時でも、情に囚われずに考察する。それでこそ学問の徒ですわ」

「導師、もしかしてこれは、致死性の毒ではないのですか?」


 時子を始めとした平家の女達は、男達の死を看取っても全く悲嘆にくれるそぶりがなく、いかにも安堵した様子である。武家の矜持があるにせよ、流石に奇妙だ。

 何より、言仁自身があっさりと自裁を認めた上に、忠臣の死に様を眼前にしても落ち着き払っている。温和な彼の人となりからは考え難い事である。

 もしかして、予め示し合わせた上で、毒杯と偽って偽薬を飲ませたのだろうか。


「いいえ。貴女にもお解りでしょうけれども、眼前のこれらは既に事切れていますわよ」


 斃れ伏した平家の男達がいずれも息をしていない事は、奥妲にも一目で解る。

 淡い期待はあっさりと崩れたが、奥妲アウダは次の可能性を尋ねてみた。


「遺骸は殭屍キョンシーではなく、別の蘇生術を試みるおつもりですか? しかしそれでは……」


 意思を持たない殭屍キョンシーではなく、知性を保ったまま死者を蘇らせる事も、補陀洛ポータラカの法術であれば不可能ではない。だが、余命が大幅に縮んだり、身体能力を大きく損ねる等、手法によっても異なるが生前よりも力が劣ってしまう難点がある。


 ”新しき世の建立への参画に相応しくする”という、計都ケートゥの言葉とは全く矛盾してしまう。知性が保たれたにしても、並の人間より劣る武士等、戦力にはならないのだ。

 わざわざ一度死なせた上で蘇生させ、能力を損なった状態で仕えさせる等、合理性を重んじる計都ケートゥからは考えられない無駄の極みだ。


「従来なら……」

「センセに奥妲アウダはん。今は仮にも謁見の最中でっせ。普段の調子では困りますわ」

「も、申し訳ございません、近衛筆頭殿!」

「まあまあ、そうでしたわね」


 二人の質疑応答を、呆れ果てた英迪拉インディラが遮った。

 奥妲アウダは慌てて謝罪したが、計都ケートゥは全く意に介する様子がない。


「構わぬ、続けよ」

「ええんでっか、坊?」

「一番粗忽なのは汝じゃろうが。いくら元は乳母だったからと言うても、謁見の場で”坊”はなかろうて」


 言仁の言葉に思わず聞き返した英迪拉インディラだったが、今度は彼女が弗栗多ヴリトラからたしなめられる。

 ばつが悪そうに縮こまる猛虎の姿に、神属と平家の女衆の双方から、しのび笑いが漏れた。

 重苦しかった大広間は一転して、陽気がすっかり支配していた。


「本当に補陀洛ポータラカの宮中は、主従揃って仲睦まじゅうございますな」


 思わず感想を漏らした時子も、眼がすっかり笑っている。


「もう良い。面倒じゃから皆、普段通りに話そうぞ。此度の件については、腹を割って話すべきであろうしのう」


 弗栗多ヴリトラの提案に言仁は頷き、今回の事態について奥妲アウダにも語る事とした。


奥妲アウダ。たばかる様で済まなかったが、朕…… ああ、いや、私には元より彼等を失う気などないのだよ。呑ませたのは新式の不老長寿の薬でね。骸に適切な処置を施せば問題なく蘇生し、神属に並ぶ寿命を得られる。勿論、放置すれば屍のまま朽ち果てるから、毒というのも全くの嘘ではないけれども」

「ほ、本当!」


 言仁の口からはっきりと、平家の男達が力を得た上で問題なく蘇ると聞いた奥妲アウダは思わず、年相応の喜びの声を挙げるが、すぐに我に返ると、時子の方を向く。


「時子殿は、この事を始めから御存知だったのですか?」

「はい、奥妲アウダ殿。平家の男共がみかどから、自裁のお許しを賜らんと欲している事を知った私は、どうした物かと宮中へ御相談申し上げていたのです」

「じゃ、侍の皆様も知っていたのですね?」


 皆が承知の上で、一度死して平家の罪を償ったという事にする為、先程の様な一芝居を打ったのかと奥妲アウダは納得したが、時子はそれを否定した。


「いいえ。男共は薬の正体を知らぬまま、正に命を絶つ為にあれを呑んだのです」

「ただ赦すばかりでは、拒むのが目に見えていたからね。彼等自身の心を救う為には望み通りに罰を与えた方が、けじめがついて良いと思ったのだよ。一端絶命させた上で不老長寿に体を造り変えるという新薬の作用は、まさに丁度良かった。死を賜るとは言ったが、蘇らせないとは言っていないしね」

「”馬鹿は死ななきゃ直らない”と言いますもんなあ」

「馬鹿は汝じゃ! 真面目な話に下らぬ冗句をはさみおって!」

「えろう、すんまへん……」


 言仁の言葉に続けて英迪拉インディラが軽口を放ったが、弗栗多ヴリトラに一喝されて再び身を小さくする。

 それを見た一同からは、遠慮無い笑いが涌き起こった。


「この場で知らなかったのは、平家の男共と奥妲アウダだけだよ。前者については何故教えなかったかは今話した通りだけれども……」

「私については、解っております」

「そうだね。直に言うべき事ではないし、自ずと気付かない様では困るよ」


 言仁の言葉で、奥妲アウダは何故、自分には予め事情が知らされていなかったかを悟った。

 この謁見は平家の為ばかりではなく、自分への試問の場も兼ねていたと言う事なのだろう。では、その評価はどうだったのだろうか。


「先程、奥妲アウダ殿は我等平家の末を同胞と評して下さるばかりか、男共の自裁に際し涙して下さいました。全く、嬉しき事にございます」


 時子が謝意を述べると、言仁と弗栗多ヴリトラも頷いて同意する。

 奥妲アウダはそれを良き評価を与えられた印と解釈し、思わず微笑みを漏らした。

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