第53話

 時子の一行が桑名の仮宮へ着いたのは、日の出まで半刻程残した頃だった。

 引き連れてきた殭屍キョンシーは、答志島へ向かう戎克ジャンクに積み込む為、立ち寄った港で水軍に引き渡したので、龍牙兵の牽く車列のみとなっている。

 車から介添えを受けて降りた時子達の目に映ったのは、門前を固めている羅刹兵達だ。仏像の十二神将や四天王に似た意匠の鎧に身を固め、矛や曲刀を携えている。

 その殆どが幼さを残す顔立ちの為、時子はそれを元服前の若兵ではないかと推察した。神属は寿命こそ一千年と長いが、成長するまでの速度は人間と変わらないという。

 つまり、彼等は法術を扱う力を備え、人間を上回る体力を誇りこそすれ、経験に於いては、人間の内で幼少より教養を積む機会があった者と比べれば大差がない。つまり人間の将兵でも、知略次第で手玉に取れるであろう弱兵だ。

 伊勢中で民草の宮刑と若返りを執行している最中で手が足らぬとはいえ、仮宮の警護すら百戦錬磨の兵ではなく、この様な見るからに未熟な者を充てている辺りに、統治を支える陣容が不足している窮状が見て取れる。

 自分達平家を召したのは、かつての旧臣としての忠義に対する物だけでなく、伊勢統治の即戦力として見込まれている為でもあろう。

 平郷に寄越されている警護の羅刹兵は皆熟達の者ばかりだったので、自分達がいかに厚遇されているのか、時子には身に染みる様だった。


(再びみかどをお手伝いする事こそ、我等平家の宿願にして本懐)


 時子は主君への忠誠を、改めて誓うのだった。


*  *  *


 大広間では既に、他の平郷から着いた、多くの平家の者達が通され、最後の到着となった時子達を待っていた。

 平家の総勢はおよそ千名にも及ぶ。男子は束帯、女子は十二単という古風な正装に身を包み、かつて栄華をほしいままにした頃の姿そのままである。

 ただ、女子の白粉については、天竺の民の多くは肌が黒い事から、平家の女衆もこれを廃する事とし、地肌を美しく整える為の法術による洗顔で代えている。

 また、女子は実年齢に関わらず、いずれも不老化によって十代半ばから三十位までの若い容姿となっており、醜顔に生まれついてしまった者については施術で整った顔立ちを与えられている。

 一方男子は法術的な処置を施されておらず、年齢も見た目のままであり、皺を重ねた老齢の者も少なからずいた。施術者が不足している現状から、まずは女子を優先して欲しいと固辞しているのである。

 時子の席は平家達の最前列、その中央。主と直に向かい合う位置となる。そこから左側が男子、右側が女子の列だ。

 広間内の両脇は神属達が席を占めている。全員女性で巫女姿の者が多いが、一門に属する学師は純白の紗麗サリーである。

 右は文官や学師の列であり、最前には一門の長たる計都ケートゥが座している。

 対して左は武官の列で、最前には水軍大将である茨木。彼女は側室でもあるのだが、ここでは武官の最上位の立場である事を優先している。

 侍女による主君の入来を告げる声が響き、室内の一同は全員平伏した。


「一同、面を上げよ。まずは大義であった」


 優しげな声に顔を上げた面々の目に入ったのは、皇国を司る異形の夫妻の姿であった。

 彼等から見て向かって右側には、紫地に金糸で精巧な刺繍をあしらった紗麗サリーを纏う半人半蛇の若い女が蜷局を巻いている。その肌は死人の様に青白く、鋭い眼光を放つ切れ長の眼差し。唇からは毒蛇の如き牙が覗く。

 美しくも恐ろしげなこの人外こそが、補陀洛ポータラカ皇国の君主たる那伽摩訶羅闍ナーガマハラジャ、和語で言えば龍帝の座にある弗栗多ヴリトラである。

 さらにその脇には、近衛筆頭である白虎・英迪拉インディラが獣形で、主君の剣に代わる者として控えている。

 だが、平家達が主君として仰ぎ、第一の忠義を向けるのは弗栗多ヴリトラではない。

 弗栗多ヴリトラの傍ら、平家の側から見て中央左に座する、黄色に赤みを加えた黄櫨染こうろぜんの束帯を纏った、中性的で線の細い青年。和国の伝統ではただ一人にしか許されぬ衣に身を包んだ、一揆衆頭目を仮の身分として名乗る彼こそが、平家の者達が長きにわたって待ち焦がれていた主である。

 さらに平家達の目を引くのは、青年の脇に控える、学師と同じ純白の紗麗サリーを纏った肌黒き童女が捧げ持っている三尺ほどの剣である。鞘に収まっているが、見たところ、現在和国で主流の刀とも、羅刹兵が好んで使う曲刀とも異なる直剣だ。あれこそが恐らくは…… 壇ノ浦で失われたとされる和国皇家の宝剣”草薙剣”であろう。


みかどの御戻りに際し、心より御祝い申し上げます。我等平家一同、御待ち申し上げておりました」


 時子が主の帰国を祝う言葉を述べると、青年も鷹揚に頷く。


「うむ。朕の帰国まで三百五十余年、よくぞ雌伏の時を耐えた。随分と待たせた事を、朕・言仁ときひとも汝等に詫びねばならぬ」


 青年は、普段は使わない真名を名乗り、国主が自らを指す”朕”と称した。

 彼の真名は、源平の乱の決戦の地たる壇ノ浦にて、海の藻屑として果てたとされる、幼少の天皇の名だ。安徳という追号の方が、月日を経た戦乱の和国ではよく知られている。

 だが彼は祖母である二位尼、即ち初代の時子が最後の力を振り絞った法術で石と化し、ただ一人舟に乗せられて逃がされた。

 この経緯を知る平家の落人の内の極一部は、言仁、或いはその子孫がいずれ捲土重来を期して和国に戻って来ると信じ、屈辱に甘んじて雌伏の時を送ったのである。

 三百五十余年を経て、彼等の念願は成就した。異郷の地から強力な神属の一行を従えた言仁が、ついに戻って来たのである。


「壇ノ浦でみかどを御護り出来なかった無能の末に対し、勿体なき御言葉にございます」

「幼少の朕を奉り、国政をほしいままにした末に敗れた、かつての平家の所行。思う処がない訳では無い」


 源平の乱での父祖の敗北を恥じる時子に、言仁は意外にも、父祖の失態を許してはいないという含みを持つ厳しい答を返す。平家一同に冷や汗が流れた。


「僭越ながらそれにつき、平家の末を称する皆様へ問いただしたき事がございます」

「申してみよ、奥妲アウダ


 口を開いたのは、太刀持ちの童女を務めている奥妲アウダである。太刀持ちを幼少の小姓が務めるという和国の慣習があると聞き、計都ケートゥの推挙を得て臨時に役を任されていた。

 天皇の地位を示す宝物の一つを預かる重要な役とは言えども、この場では軽輩。通常なら発言が許される様な立場でない筈だが、言仁が先を促した事で、平家の者達は戦慄した。


(あの娘は、明らかにみかどの御意を酌んで口を開いている……!)


「”平家にあらずんば人にあらず”と皆様方の父祖が放言したと聞いております。事実ならば捨て置ける物ではございませんが、真偽は如何に?」


 奥妲アウダの詰問に、広間の一同は凍り付く。

 沈黙を破ったのは英迪拉の間延びした、半信半疑の声だ。


「ほんまにそげな事を言うた阿呆がおったんかいな?」

「血統の上で活仏の母方の叔父にあたり、関白を務めた平時忠たいらのときただの言ですわね」


 計都ケートゥの答に、広間の神属達は時子を注視する。


「…… 真に…… ございます……」

「何という傲慢か! 自らの一族のみを至上と奢り、他を卑しむ様な輩が臣下の列に加わる等、到底許す訳には参りませぬ」


 事実として消え入る様な声で認めた時子を、奥妲アウダは容赦なく面罵した。


「朕は敗北の責を問いたいのではない。だが、そもそも民心の離反、源氏の蜂起に至ったのは、時の平家が驕り高ぶった故ではないか、そう思うておるのだ」

「仰せの通りで…… ございます……」


 言仁の静かで重い問いに、時子は唇を噛みしめて同意する。その口元からは、一筋の血が滴り落ちた。


「皇道楽土の理念に相反する妄言、よもや、未だ奉じてはおりますまいな?」

「それこそが一族の恥、全く慚愧ざんきに堪えませぬ」

「ならばその件は良し。父祖の轍を踏まぬ様に心がけよ」


 奥妲アウダの詰問に、時子は父祖の暴言、そして失策を恥じていると明言する。

 言仁はそれを受け容れたが、奥妲アウダの責めはこれで終わらなかった。


「それと今一つ。私は先日、伊勢の賤民たる皆様方への民百姓の暴虐は許し難いと、厳罰に処する様に御夫君様へ言上申し上げました。その結果は皆様がよく御存知と思われます」


 奥妲アウダの発言に言仁は頷いた。

 賤民解放の勅令に反した者への宮刑はこの童女が進言した結果と知り、平家達からは驚愕のどよめきが起こる。

 時子が手を挙げて制すると、再び静寂が訪れた。


「我等学徒の多くは、旃陀羅チャンダーラ ※賤民、あるいは首陀羅シュードラ ※奴隷 から身分を引き上げられた者。故に、伊勢の同胞はらからを助ける為ならば、詔に背く愚民共の鏖殺おうさつも厭いませぬ。我等にとって同胞はらから一人の命は、万の愚民共よりも重く尊い。そう思うておりました」


 奥妲アウダはいったん言葉を切ると、時子を真っ直ぐ見据える。


「故に問います。皆様方は平家の末であると共に、賤民として貶められた民の血も牽いておられる。帰参に浮かれ忘れてはおられませぬな? 血の半分を恥じてはおられませぬな?」


 落ち延びた平家を匿った賤民と交わった末が、今の彼等である。

 家臣として帰参が叶う事で、もう一方の父祖を恥じて否定するのであれば、自分達は平家を支持しないと奥妲アウダは迫ったのだ。


「勿論でございます。獣の皮を剥ぎて細工物とする、あるいは死者を葬る。いずれも世を支える生業であり、恥じる様な物ではございません。また、選りすぐりの俊才たる学徒の方に同胞と評されるは、身に余る誉れと存じます」 

「なれば新たなる同胞の皆様方。どうか、若輩の無礼を御許し下さいませ」


 淀みなく答えた時子に奥妲アウダは矛先を収め、非礼を詫びた。

 納得のいく言葉を平家から公の場で引き出せた事で、奥妲アウダとしては満足である。


「では、平家の末裔たる者達よ。朕の元に戻り仕えるに際し、何か望みの職があるか」

「では畏れながら、我等平家の男子一同、みかどに御願い申し上げたき事がございます」


 言仁から官職の希望を問われ、時子の隣席に座する、平家男子の筆頭たる老人が口を開く。時子から見れば亡き夫の弟、即ち義弟にあたる人物だ。


「申してみよ」

「どうか我等男子には、自裁のみことのりを賜りたく存じます。父祖がみかどを蔑ろにし、御政道を私した罪は償われなければなりませぬ」


 老侍の言葉と共に、平家の男子達は一斉に平伏した。


「それは問わぬと申したばかり。父祖の過ちを認めた上は、子孫がその責めを受ける道理もあるまい」


 言仁は彼等に罪なしと改めて言い渡すが、老侍は頭を横に振って言葉を続けた。


「父祖の家門故に帰参が叶うならば、その罪も背負うのは当然の事。主君を蔑ろにし、国を損ねたという大罪に対し、何ら罰を受ける事無く遇されては、末代まで平家はそしられましょう」


 ただ赦されるには、かつての平家の罪はあまりに大きい。その清算なくしての厚遇はむしろ立場を損ねる物だと、老侍は訴えた。

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