第52話

 天幕に入って四半刻程経った後、屍の群れを引き連れて出て来た普蘭プーランに、平家の女達は仰天した。

 どの屍も顔に呪符を貼り付けられ、歩くのではなく一斉に足首を使って跳躍して進んでいる。また、一様に両腕を前に真っ直ぐに伸ばしていた。


「ぷ、普蘭プーラン殿、これは如何なる術なのでしょう?」

「咎への報いとはいえ、何とも面妖な……」


 賤民として埋葬を司る隠亡の役も課せられていた為、女達には屍その物には全く抵抗感がない。まして、これまで自分達を迫害して来た者達のなれの果てに、憐憫の情などあろう筈もない。

 だが流石に、屍が列をなして一糸乱れずに飛び跳ねて進むという異様な光景には、戸惑いを隠せなかった。


「”道術”なる明国の法術の手法を記した書物を入手したので、手を加えた上で試したのです。この様に、術で動かす屍を”殭屍キョンシー”と称し、郷里から離れた地で客死した者を家へ帰す為、自ら歩かせるというのが本来の用途という事です」


 女達は、参内に際して屍の一部を運び出すとしか事前に聞かされていなかった。元々、百姓の屍を保管しているのは神属の贄とする為と認識していたので、供物を持参するのだろうと思い、それ自体は何ら訝しむ事はなかった。

 だが、運ぶには荷車の類に積んでいくのだろうとばかり考えていたのが、よもや術で操って自ら歩ませるとなれば驚く他ない。


「明国は広大と聞いております。故に、その様な術が広まったのでありましょう」

「御伝えしてあったとはいえ全く動じないとは、流石、武門を束ねる女傑」

「ですが、懸念がございます」


 狼狽うろたえる女達の中にあって、事前に話を聞いていた時子のみは平然と眼前の有様を受け止めた。

 普蘭プーランはその態度を讃えたが、続く時子の言葉は懸念を訴える物だった。


「その殭屍キョンシーとやら。見た処、息を吹き返している様ですが、よもや慈悲として蘇らせたのではありますまいな?」


 時子の指摘通り、殭屍キョンシーと化した屍はどれも肌に赤みが差し、微かながら呼吸の息づかいも聞こえる。許し難い仇が生き返ったとなれば、平家としては心穏やかではない。


「よく御覧になっておられますね。確かに、これの肉体は生者へと戻っておりますが、決して慈悲等ではありません」

「なれば如何なる目論見でしょうか?」

「我が一門が”還元”の母胎として使役する為です」


 一門が法術の為に使うと聞き、時子を始め大方の女達は納得したが、不服そうに眉を潜める者も一部にいた。

 使役している内、改悛が見られるとして恩赦が下る事もあり得る。自分達を長きに渡って辱めた者共が、万が一にも赦される事があってはならないと思った為だ。


「それと今一つ。蘇ったのは肉体のみ。脳髄は痛み、最早、智恵の欠片もありません。これは生きた傀儡、肉人形に過ぎません故、赦されるのかも知れぬという御懸念は全くの杞憂にございます」

「ほほ、ならば宜しゅうございますわ」

みかどの御為に、骨の髄まで無駄とせぬ様に朽ち果てるまで御役立て下さいませ」


 平家の女達は、死してなお赦されず使役される咎人達の末路に満足し、屍に向けて嘲りの笑いを漏らすのだった。


*  *  *


 とある農村の外れでは、泥酔した百姓の男が、月光に照らされながら上機嫌でふらついていた。


「酒を下さる様になったんはありがてえのう! かかあとおめこは出来んくなったけんども、腐って緩い古穴にぶっこむよりゃ、酒のほうがええ!」


 交合の快楽を奪った事により生じるであろう不満を抑える為、補陀洛ポータラカはこれまで飢饉対策として供給していた食糧に加え、酒類を民衆に供給する様になっていた。

 法術によって強引に短期で醸し、しかも材料は屑米や雑穀という急造の代物であるが、それまで滅多に酒を口に出来なかった民草は充分に満足出来たのだ。

 この素朴な懐柔策は驚く程効果的で、”龍神に逆らえば恐ろしいが、言う事を聞いていさえすれば食うに困らず、酒までもらえる”という認識が民衆に広まっていったのである。

 勿論これは、与えられた恩恵だけでなく、多くの者が自害に追い込まれ、自分達もまた我が子と引き裂かれた上に宮刑を受けた事による”恐怖”、神宮とは比べ物にならない圧倒的な龍神の力に対する屈服感・諦感も大きく作用していた。


*  *  *


 余談ではあるが、伊勢に始まる皇国膨張期の新領地に於ける、旧来の住民への処遇、断種・親子分離という”鞭”と、食糧・嗜好品の安定供給や娯楽の提供という”飴”を使い分ける政策については、現代に於ける歴史的評価が各国によって全く異なる。

 まず、皇国内では概ね肯定的ではある物の、より穏健かつ寛大な方針をとれなかったのかという批判も、旧明国等を源流とした、国学たる計都ケートゥ派に対抗する一部学派にある。

 列強を構成する主要他国の内、皇国との友邦ではある物の、未だ神属が支配階層をほぼ占める哀提伯エチオピア帝国では、統治に従わない人間を鏖殺しなかったのは優柔不断であったとの批判が強い。

 逆に、五十年程前にようやく不可侵協定が成立した物の、人間種至上主義を掲げる為に仮想敵とされる羅馬ローマ帝国では、皇国の非道の一つとして語られている。同じく人間種至上主義国家であり、皇国・羅馬ローマ双方と激しく対立する土耳古トルコ帝国でも同様である。

 伝統的な同盟国であり、皇国と類似した多種族共存体制に落ち着いた波斯ペルシャ帝国は、”問題もあるが当時の事を考えればやむを得ぬ措置”として、主要国では唯一、好意的な見解を示している様である。


*  *  *


 酔漢の百姓に話を戻す。

 飲み慣れぬ酒をたらふく煽った末、騒がしいとして妻に家から叩き出されたこの男は、それでも上機嫌のままに村外れを徘徊していた。


「あぁ? もうねえのかあ?」


 持ち出した瓢箪ひょうたんが空になったのに気づき、一転して不機嫌になった百姓は、多くの車らしき車輪の音、そして大勢の足音の様な物が遠方から聞こえてくるのに気付いた。

 村落間を繋げる道の、僻地に続く側の方角である。


「こんな夜更けに、御苦労さんなこっちゃのう」


 物資を運ぶ荷車だと百姓は思ったが、近付いてくる車列がよく見えてくると、酔いが一気に覚めてその場にへたり込んでしまった。


「ば、ばけもん……」


 骸骨が牽く、うるし塗りで金箔によって彩られた何台もの車。さらに彼を驚かせたのは、車の後に付き従う人の列である。

 死人の様な白装束に身を包み、顔面には奇妙な呪符を貼り付けている。全員が女の様だ。両腕を前に延ばし飛び跳ねて進む様は滑稽だが、恐慌に陥った百姓は笑うどころではない。

 その内の何人かに見覚えがあった事で、百姓の恐怖は頂点に達した。村もろともに自害したと聞いた隣村の住人で、親しく交流していた者も含まれている。


(屍じゃあ! 神通力でひっぱりまわされとる…… 咎人は死んでも許してもらえないんじゃあ!)


 声も挙げられずにへたり込んだままの百姓の前で、進んでいた行列が一斉に停まる。

 最後尾の車の窓が開き、中から、いかにも豪奢な出で立ちをした女が顔を覗かせた。時子である。


「この様な夜更けにどうされましたの?」

「ひ。ひいい! どうか命だけは御勘弁下せえ!」


 ただ声を掛けただけというのに怯えて命乞いをする百姓を、時子は不思議そうに眺めていたが、同乗する側近が耳打ちすると穏やかな口調で再び語りかけた。


「これは私共平家がみかどの元に帰参する、目出度き列なのです。御見送りに来て下さった貴方にも、ささやかですが御祝いの品を差し上げましょう。どうぞ、御召し上がり下さいませ」


 時子が窓から白磁の徳利とっくりを差し出すと、車を牽いていた龍牙兵がそれを受け取り、百姓の前へと進み出る。

 百姓が震える手で徳利を受け取ると、龍牙兵は車の前へと戻り、列は再び桑名の方向へと進んでいった。

 一行が通り過ぎた後、百姓が徳利とっくりの封を開けてみると、中に入っていたのは血の様に赤い濁酒であった。大江党伝来の、赤米を使った物である。

 気味が悪い為に捨ててしまおうかと思ったが、飲まなかったと知れれば後難が無いとも限らない。ままよ、と思い切って飲むと、無償で配られている安酒とは比べものにならない、何とも喉越しの良い美酒だった。

 家に戻った百姓は朝になると、昨晩の面妖な行列の事を村中に触れ回った。

 当初は酔漢の戯言として聞き流されるばかりだったが、程なく近隣の村々から同じ様な話が伝わって来た為に信じられる様になっていった。

 百姓達は龍神に逆らって死を選び、屍になっても使役されている者の末路を憐れんだ。そして、平家の末裔である事を明かして龍神の臣下となった元賤民の怒りを再び受ければ、今度こそ自分達も終わりだと怯えるのだった。

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