第51話

 和修吉ヴァースキ奥妲アウダだけでなく、一門の内で高度な医術を心得た学師・学徒の多くが、咎人とされた民に断種と若返りを施術する為に駆り出されていた。

 若返りという”飴”を用意した事もあり反抗する者は出ていない物の、対象全ての施術を終えるのはおよそ二十日を下らないとの見込みである。

 逃散や元賤民への襲撃を試みた村については、先の例に倣って直轄の荘園とされた。その住民は精神を拘束する新式の法術の被験体を兼ね、元は自分達の物であった田畑を懲役として耕すのだ。ただ命じられるままに粉骨砕身して働いた末に、およそ二十年の後は法術の反動で廃人と化すのが彼等に待ち受ける末路である。

 だが心を縛られる故に、当人は不平や苦痛を感じる事はない。

 懲役の内容も元々従事していた農作業であり、重罪犯に与える罰としてはやや寛大と周囲には受け取られた。他州では、鉱山での採掘や大型船の漕ぎ手といった苦役を課すのが通常で、大半は五年と持たずに力尽きて息絶える。

 その裁定を聞いた学徒の一部には、逆らった者への罰が生ぬるいと不満を漏らす者もいた。学徒達の中でも奥妲アウダに歳が近い、若手というよりは童女と言っても差し支えない者達が主体である。若衆の処遇を伝えた先の会合で、異議を唱えた奥妲アウダに同調したのもほぼ同じ面々だ。

 同年代では突出して技量が高い奥妲アウダのみが、本人の要望もあって年長の者に混ざり施術に従事していたのだが、対象の余りの多さに術者が不足した為、一門の中でも幼少の彼女達も動員する事となり、伊勢本土へと渡る様に命が下った。

 術者としては半人前にも満たない幼少の学徒についても補助として使わざるを得ないのが、伊勢統治の現状である。

 答志島の軍港で、本土へと向かう水軍の戎克ジャンクを待つ間にも、幼き学徒達の口をついて出るのは裁定に対する憤りばかりであった。


那伽摩訶羅闍ナーガマハラジャにまつろわぬ者は生かすに値せず! 鏖殺が定めであるのに、何故、即刻に首を刎ねぬのか!」

「いや、責め苦と癒しを繰り返し、寿命が尽きるまで生かさず殺さず弄ぶべき!」


 賢しき童女達は、幼い容姿に全くそぐわない口調で、憎悪を吐き出しあっていた。

 彼女達の脳裏に浮かぶのは、本国の貧民窟で幼い自分達の肉体を欲望のままに犯した、吠舍 ※平民 のおぞましい形相である。和国の百姓もその同類と彼女達は受け止めていた。

 ”何度も慈悲を踏みにじった極めつけの愚者を何故屠ってしまわぬのだろうか”との思いが、学徒達の心に禍々しく渦巻いている。


「皆様、ご苦労様ですわね」


 夢中になって悪態をまき散らしていた学徒達が振り向くと、そこには計都ケートゥがいた。

 全員、慌てて姿勢を正して合掌する。


「お話は聞かせて頂きましたわ。皆様、とても優しいのですわね」


 漏らした不満を叱咤されるかとばかり思った学徒達は、いつもの穏やかな調子で計都ケートゥが放った一言に唖然とした。


「導師、私達はあ奴等に厳しい罰を望んでいるのですが……」

「だからこそですわ」

「え?」

「皆様はあれ等を、まだ”人”として扱っていますもの。怒りも哀しみも、相手が”人”であると思えばこそ生じる情ですわよ」


 童女達は、事も無げに非情な言葉を語る計都ケートゥに衝撃を受ける。

 伊勢の統治に際しては、重罪犯は民として扱わずに獣とみなす旨が定められている。牛馬同様に”家畜”として使役され、あるいは贄として食される為にのみ存在を許されるのだ。

 家畜は生きた道具だ。それに憤りを感じ、報復を与えても詮無き事である。

 屠畜して贄とするも良いが、農耕の為に使役するのもまた、家畜の使い途としては通常の事だ。自害した者が続出した事で贄は有り余っているのだから、急いで潰す必要はない。


「牛馬に鞭をふるうのは苦しませる為でなく、よく働かせる為ですわ。出来ればそれをせずに済ませば、傷を付けずにより長く使えるでしょう?」


 冷徹な心得を微笑んで説く計都ケートゥに、学徒達は目を輝かせて頷くのだった。



*  *  *



 自害によって果てた百姓達の骸の現状だが、伊勢各地に設けられた砦の如き村々、通称”平郷”の敷地に、巨大な天幕を張って仮置きされている。

 平郷はその護りの堅さから、急遽、集団自害によって発生した大量の屍を臨時に保管する場所に充てられたのだ。

 特に先日、長老格の網元が赴いた処は伊勢に十数ヶ所ある平郷の内でも別格で、平家の末裔達の内、ある目的に任じられた寡婦が主に住んでおり、伊勢の平家全体を束ねる主家の別邸も置かれている。

 当代の当主は、先代の後家である”お方様”こと、平時子。賤民としての名は”とき”と称していた。

 亡き先代は郎党筋からの婿の為、平家の血統は妻である時子の方が濃く、かつての平一党の首魁・清盛公の妻の名を受け継いでいる程の立場である。

 賤民の境遇にあっても雅を嗜む事を忘れなかった淑女だが、先日には手ずから網元を宮刑に処した様に、武家を束ねる烈女の一面も見せる。

 伊勢中が宮刑の執行で慌ただしい中、時子の別邸を、頭目の勅使として阿修羅アスラの女官が訪れていた。


みかどが私共をお召しに?」

「はい。平家に連なる皆様方の帰参に際し、三百五十余年もの長きに渡る御労苦を是非とも直にねぎらいたいとの仰せにございます。主立った方々と御参内頂きます様、御願い申し上げます」


 勅使の阿修羅アスラは自らも皇族の一員であるにも関わらず、人間、しかも先日まで賤民とされていた相手に敬意をもって主君の意を伝えていた。

 時子の側も、勅使の言葉を噛みしめ、重く受け止める。

 主君から召されての参内が叶うというのは、賤民の身に甘んじていた彼等にとって特別の意味を持つ。

 穢らわしいとされていた自分達が宮中へと上がる事で、名実共に士分へと戻った事が示されるのだ。


「全く有難き幸せ。どんなに待ち望んだ事でしょう……」

「ただ、それに際し…… 今一つ御願いしたき事がございます」


 勅使は言いにくそうに続く用件を切り出し、それを聞いた時子も怪訝な顔をした。


みかどがその様な事を?」

「いえ、導師計都ケートゥの意による物でございます。導師は時折、奇矯な事を仰る事がございまして……」


 勅使の口調からは、彼女が皇道楽土の思想には共鳴しつつも、計都ケートゥの専横を快く思っていない様子がうかがえる。

 また時子も、計都ケートゥが主君に対しても、教えを垂れた師としての立場で強い影響力を与え続けている事は承知していた。

 だが、そもそも計都ケートゥが和国親征を企てなければ、平家の復権もなかったのだ。いわば平家は、計都ケートゥから大恩を受けているのである。


「導師がみかどを御導き下さったからこそ、賤民に甘んじていた私達の帰参が叶ったのです。お話の件ですが、喜んでお受けする旨、宜しくお伝え下さいませ」

「よ、宜しいのでしょうか?」


 難色を示されるとばかり思っていた勅使は、時子の快諾に驚く。


「平家は元来、武士なのです。その程度の事で怯みましょうか? いえ、これこそが一興という物でありましょう」


 時子は勅使に、武家の当主に相応しい不敵な笑みを見せた。



*  *  *



 時子の承諾により参内の支度は進められ、勅使の訪問から三日後の夜に桑名へと向かう事と決まった。

 出立の日の夕刻頃。迎えの車が列をなし、時子達の住まう平郷へと訪れた。

 いにしえの風習にならって歯を黒く染め上げ、仕舞い込まれていた父祖の代より伝わる豪奢な十二単衣を纏って身支度を調えていた平家の女達だが、車を見るなりその多くが顔を引きつらせた。

 神宮より接収した貴人の為の牛車なのだが、牽いていたのは牛馬ではなく、大柄な骸骨…… 龍牙兵だったのである。


「お、お方様! これは一体!」


 牛ではなく骸骨が牽いている事に、武家の女の矜持として悲鳴こそ挙げない物の、一門の女達は震え上がる。

 顔をこわばらせた女達に、骸骨がどの様な物か勅使から事前に聞かされていた時子は、笑いながら落ち着く様に促した。


「これは人の骸ではありません。抜け落ちた龍の牙に術を掛けると、この様な姿となるという事です。龍牙兵と称し、足軽や従僕の代わりに使役するのだとか」

「そ、そうなのですか?」

「これの使役が許されるのは、天竺のすめら一族たる龍と阿修羅アスラの方々、そしてみかどのみとの事。ですから、これを迎えに遣わされたのは、とても誉れな事なのです」


 ”自分達の目には怪奇に映ろうとも、帝の育った天竺では当然の事なのだ”と、女達は時子の説明に納得する他なかった。

 羅刹ラークシャサの兵が郷の警護に就く様になって暫く経つが、共に暮らす内、恐ろしさは既に感じなくなっていた。龍牙兵とやらにも、程なく慣れて行くのだろう。

 女達が落ち着きを取り戻した頃、先頭の車から普蘭プーランが降り立った。

 この平郷の女達に不老長寿の術を施したのは彼女であり、皆とは既に顔なじみである。

 迎えの車列は彼女一人で操っていた。今回の始末の為の動員によって、伊勢中で神属の手が足りないのだ。通常なら近衛の白虎が車を牽くべき処だが、龍牙兵を使役しているのもその為である。


「これは普蘭プーラン殿、御苦労様です」

「しばらくぶりです。早速ですが、あれに術を施したいのですよ」


 時子達は一斉に礼をして出迎える。だが普蘭プーランは挨拶もそこそこに、屋敷を警護している羅刹兵に案内させ、屍を収容している天幕の一つに入った。

 中に入ると、簀巻を解かれた屍が白い死装束を着、包まれていたむしろの上で仰向けに横たえられていた。その数は二百体、十代から四十代半ばの女で占められている。

 瞼が開き、虚ろな瞳を天井に向けて並ぶ屍の顔に、普蘭プーランは一体ずつ、漢字で書かれた呪符を貼り付けていく。

 全ての屍に呪符を貼り終えた普蘭プーランが両手を打つと、死した女達は一斉に起き上がった。

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