第50話

 長老格の網元が、平家の末裔たる元賤民の屋敷で目覚めた頃。

 彼の村では、血判状を取りまとめて桑名へ向かった物の、一夜明けても帰らぬままの網元を心配する漁師達が、浜辺に集まっていた。

 咎を認める日限はとうに過ぎ、日が昇っているのだが、龍神からは未だ何の音沙汰もないままである。


「赦して頂けなんだのじゃろうか」

「俺等、鬼侍様に討伐されちまうんか?」


 口々に不安を漏らす漁師達は、出漁もせずに網元の帰りを待ちわびている。


「おい、桑名の方から車が来おったぞ!」


 一人の漁師が、桑名の方角へ続く道から、荷車が村へ向かって来るのに気付いて叫ぶ。

 漁獲を内陸に運び出す為の荷車は、毎日の様に漁村を訪れる為にさして珍しくはない。だが、この時向かって来た荷車は、異様を放っていた。

 その数は六台。しかもそれを牽いているのは馬や牛ではなく、あろう事か骸骨だ。

 骸骨の牽く車列は、馬にも劣らぬ速さで村へと近付いて来る。沙汰を告げに来た、龍神の遣いである事は誰の目にも明らかだった。


「き、来やがった……」


 普段使っている馬ではなく、わざわざ神通力で動かしているのであろう骸骨に車を牽かせている。あたかも罪人の魂を奈落へと引き込む為の車であるかの様だ。

 この様な遣いの告げる内容が寛大である筈がない、きっと重い罰を下しに来るのであろうと漁師の誰もが思った。


「俺達を捕らえに来たんでねえか?」

「いっそ、駄目元で闘うべ!」


 破れかぶれの反抗を主張する者もいたが、年配の漁師が一喝する。


「滅多な事を言うもんじゃねえ! ええか、絶対に無礼があっちゃなんねえぞ!」


 龍神の兵に只の人間がかなう筈もないのは、一揆衆たる漁師ならば誰でも知っている事だ。無駄な抵抗をすれば、せめて斬首で楽に死ねる処を、苦しみ抜いた末のなぶり殺しになりかねない。

 車列は漁師の集まる浜辺へと達して停まり、牽いていた骸骨はそのまま身動き一つしなくなった。

 車はその殆どが屈強かつ簡素な造りの荷車で、普段から荷役に使われている物と大差ない。

 先頭の一台のみ乗用で、黒塗りの車体に金箔で補陀洛ポータラカ皇家の紋章が描かれている。

 何を意味するか、それを見た内の何名かは即座に理解した。

 ここに来たのは一介の兵ではなく、龍神の代参たる勅使という事である。龍神自らが足を運んだ物として遇さねばならない。


「龍神様の紋じゃ! 皆、頭を下げえ!」


 年配の漁師の声に慌てて皆が平伏する中、車中から骸骨の介添えを受け、白い紗麗サリーを身に纏い漆黒の肌をした二人の女が姿を現した。

 一人は三十路程に見える女。毒蛇の様な鋭い牙を唇から覗かせ、額にも瞳を持つ三つ眼、そして腰から下は蛇身という異形である。今一人は童女といっても差し支えない年頃の娘で、肌の色を除けばさして和国の民と変わらない。

 和修吉ヴァースキ、そして奥妲アウダである。


「出迎え、誠に大義である。面を上げよ」


 平伏から直った漁師達は和修吉ヴァースキの姿を見ると、その恐ろしげな容姿に打ちのめされた。

 筋骨隆々とした水軍の羅刹兵ならば彼等も見慣れているが、それとは全く異なる妖艶な禍々しさを放っている。


「我は和修吉ヴァースキ補陀洛ポータラカ皇家に連なる那伽ナーガ、即ち龍にして、学問を司る一門に籍を置く学師である。こちらは一門の元で学ぶ学徒の奥妲アウダ。本日は那伽摩訶羅闍ナーガマハラジャの代参たる勅使として、沙汰を申し渡しに参った」


 和修吉ヴァースキは名乗りの口上に続き、怯える漁民達へ裁きを宣告する。


「汝等、賤民解放の勅令に反する事甚だしく。本来であれば村落もろともに滅するべき処である。なれど、前非を悔いる旨の血判を差し出した故、慈悲により罪を減じ、宮刑に処する物也。刑に服した後は放免し、日々の営みに戻る事を許す。左様、格別の計らいと心得よ」


 とりあえず、日限までに申し出たかいがあって命は助かった事に、漁師達は胸をなで下ろした。

 だが、宮刑とは一体何なのだろうかと一同は首をひねる。


「宮刑って、何じゃあ?」

「百叩きの様なもんかのう?」

「男子は睾丸を潰す。女子は子袋と真子 ※卵巣 を腹から引きずり出して玉門 ※膣口 を塞ぐという刑です」


 奥妲アウダが宮刑の事を説明すると、漁民達からは悲鳴が挙がった。


「じょ、冗談じゃねえ!」

「金玉がなくなったら、男じゃなくなちまっちまう!」

「睾丸の代わりに首が良いなら、その様に致しましょう」


 奥妲アウダが言い放つと、漁師達は己の立場を思い起こして、命があるだけでも儲け物ではないかと再び静まりかける。

 だが、一人の壮年の女が勇気を奮って懇願の叫びをあげた。


「わ、儂等はともかく、童達は御勘弁を! 童達には何の罪もねえです!」


 女の願いに、奥妲アウダは顔を変えぬまま内心で冷笑するが、和修吉ヴァースキは重々しく頷いた。


「和国の武家の風習では、齢十六で元服であったな。準用する故、それに満たぬ童は男女を問わず前に出よ」


 和修吉ヴァースキに命じられるまま、三十名程の童が恐る恐る不安げに、群衆の中から進み出て来た。

 和修吉ヴァースキは彼等に、衣を脱いで裸身を晒し、縦一列になって奥妲の前に並ぶ様に命じた。

 漁村に於いては裸同然で働く事も日常的に行われる為、童達は大して恥じらいを感じずに応じる。


「これより検分を行います。否と評された者は成年と同じ処遇としますから、衣を着て親の元へ戻る様に。可と評された者は残りなさい」


 奥妲アウダは一糸まとわぬ童達を一人ずつ、男子は睾丸を軽く握り、女子には女陰に指を軽く差し入れて検分していく。


「可、可、否、可、否、否……」


 奥妲アウダに”否”とされた童はほっとした表情で再び衣を纏い、親の元へと駆け寄って戻る。

 少なくとも、命まで奪われる事は無い。睾丸や子袋を差し出せばそれで済むのだ。

 一方”可”とされた童達は、他の者よりもきつい罰を与えられるのではないかと顔をひきつらせている。

 検分を終えた後、可とされた二十名の童達に和修吉ヴァースキは微笑んで運命の選択を示した。


「さて、お前等には選ばせてやろう。父母を捨て村を去り、我が一門の元に来れば宮刑を免じる。読み書きや算術も教えてやろう。意思が有れば、武芸や学問、芸事等も才覚に応じて伝授する。那伽摩訶羅闍ナーガマハラジャの造る新しき世では、身分は世襲にあらずして一代限りなのだ。仕官して刹帝利クシャトリヤ、和国で言う侍となるのも夢ではないぞ?」


 咎人の子とは思えない厚遇の申し入れであったが、童達は反発した。


「おっ父、おっ母と暮らせるんなら、金玉なんぞいらん!」

「嫌じゃ! 侍なんぞならんでええ!」

「村で漁して暮らして何が悪いんじゃ!」


 幼い彼等にとって、将来の栄達を示されてもその価値が解ろう筈もない。父母と引き離されたくない一心だったのである。


「あえて罰を受け、終わり行く旧き世の末席に留まり、せいぜい八十年程のはかない命を全うしたいというなら、それもまた良いでしょう」


 和修吉ヴァースキの誘いを拒む童達に、奥妲アウダは唇を歪めて嗤う。

 だが童達は、奥妲アウダから向けられた強烈な害意にも怯まず、悪態をついて挑発し始めた。


「そんな目えしても怖かねえぞ!」

「さっさとやってみろってんだ! この黒ん坊女に蛇の三つ目!」


 奥妲アウダは内心が沸騰している物の、挑発に乗る事なく嗤いを顔に貼り付けたまま童達を鋭くにらみ付けている。

 和修吉ヴァースキは、童達の様子に戸惑っている漁師達に視線を向け、困り顔で対応を暗喩した。

 和修吉ヴァースキの意向を察した一人の壮年の漁師が頷いてそれに応じ、童達の中にいた倅、最初に声を挙げた男児の頬を張り飛ばした。


「ええ加減にせえ!」

「おっ父、何するだあ!」

「龍神様のお遣いに、は、刃向かう様な阿呆は、か、勘当じゃ! もう、手前なんぞうちの倅じゃねえ!」


 突然の殴打に頬を抑えて抗議する男児から父は顔を背け、肩を震わせながら絶縁を言い放つ。

 それを見た他の漁師達も、追従して次々に我が子との決別を宣言した。


「丁度ええ口減らしじゃあ! 連れていって下され!」

「う、うちに童なんぞいらん!」


 童達は、親から突然に勘当を宣告された事に呆然と立ち尽くす。


「と、父ちゃん……」

「何で……」


 和修吉ヴァースキはすかさず指を鳴らして金縛りをかけ、童達が再び騒ぎ出す前に拘束した。

 童達はその場で像の様に固まってしまう。


「龍牙兵共。この童共を車に積み込んでおきたまえ」


 車の側で身じろぎ一つせずに控えていた骸骨は和修吉ヴァースキに命じられ、硬直して動けない童達を次々と抱えて荷車へと運び込んで行く。

 漁師達は涙を堪えながらその様子を見守っていたが、奥妲アウダはそれを冷ややかな目で眺めていた。


(己が身可愛さに子を見限ったというのに、この愚民共は何故泣くか。全く笑止な……)


「その…… どうやって童をより分けたんですだか?」


 先程、童への慈悲を懇願した女が、涙ぐみながらも疑問を口にした。

 ちなみに彼女の童は二人いたが、いずれも”可”とされており、宮刑は免れた物のこれが別れとなる。

 ”可”とされた童の多くは陰毛が生えておらず、女子の場合は胸の膨らみも乏しい。年齢もおよそ年少に偏っている事は、漁師達にも察せられた。

 だがそれが絶対という訳では無く、齢十五で陰毛が生えていながらも”可”とされたり、逆に無毛で齢八歳でありながら”否”とされた者もいた。

 性格も、手の付けられない悪童から孝行者まで可否双方に混ざっていた為、何をもってより分けたのかが解らなかったのである。


「男子は男根より胤が漏れ出る前、女子は初潮を迎える前の者です。一門で学びを授ける前に”還元”という術式を施すのですが、子を為せる様になった身には効きにくいのです」


 先日、荘園とした村の民の悉くを咎人として罰した際、齢十六に満たない童については一律に”還元”の御試し御用 ※実験台 とした。

 その結果、幼少であっても性が機能し始めた者は還元に絶えきれず、畸形と化して死に至る事が判明したのである。

 和修吉ヴァースキとしては慈悲を兼ねたつもりだったのだが、思わぬ結果となった。勿論、あくまで咎人に対する罰なのだから、彼女に後悔は微塵もない。


「連れて行くか残すかに、罪の軽い重いは関わりねえという訳ですだか?」

「その通りです」


 可否を分けたのは公正な裁きではなく、あくまで龍神側の都合に合う者を選んだのだ。

 奥妲アウダの説明に、問いを発した女は苦い思いにとらわれる。 

 我が子を奪われて気落ちする漁師達に和修吉ヴァースキは、先に贄として連れ去った幼少の童の現況を語る事にした。


「さて、一つ良い事を教えてやろう。盟約の際にお前等が贄として差し出した、齢八歳までの童。我等はあれを、食わぬ事としたのだ」

「本当ですかい!」


 思わぬ吉報に沸き立つ漁師達だが、和修吉ヴァースキの次なる一言は彼等を落胆させる物だった。


「今連れて行く事とした童、そして他州より買い集めている赤子と共に、新たなる世に相応しくなる様、我等一門の手で養育する」

「……結局、返してはもらえんのですかいのう……」

「それこそが伊勢の民に対する報いです。皆様方が育てたら、読み書きもままならない無知蒙昧として終わってしまいます。それに、賤民を蔑む愚かな因習も引き継いでしまうではありませんか」


 漁師から漏れる嘆きに、奥妲は冷たく告げる。その蔑みのこもった声に彼等は鼻白み、絶句して立ち尽くした。

 そこへ、一人の壮年の男がひょっこりと現れた。


「おお、皆の衆。心配をかけたのう。先生様にお供の方も、御苦労様でございます」


 男の挨拶に、和修吉ヴァースキ奥妲アウダも合掌で応える。

 一方で漁師達は余所者の来訪を訝しむが、老齢の者達は彼の容貌に見覚えがある事を思い出した。


「あんた、もしかして網元か? えらく若返ったもんだが、土産代わりに神通力でもかけてもろうたんか?」

「よう解ったのう。その通りじゃよ」


 網元は、昨日の顛末を漁師達に話す。

 多くの農村が日限を待たずに悲観して自害に及んだ事、それを止める為に網元達は手分けして説得に向かった事。

 賤民は龍神の手によって築かれた、砦の様な村に移り住み、羅刹兵によって護られている事。

 そして、伊勢の賤民は平家の落人の末であり、龍神の臣として、父祖の頃の暮らしに戻っている事。

 いずれも普段なら漁師達を驚かせるに充分な内容だったが、彼等にはそんな事より差し迫った一大事がある。


「網元! 儂等、宮刑っちゅうて、金玉や子袋を取られちまうだよ!」

「おう、これか!」


 網元は袴を脱ぎ、褌を解いて股間を晒す。

 しなびた逸物を持ち上げると、睾丸を失ってすっかり縮んだ陰嚢が漁師達の目に入った。


「金玉なんぞ邪魔っけなだけじゃぞ! ちいと痛いが、これまでの落とし前がそれでつくなら充分じゃ! それにな、皆の衆も儂の様に若返らせて頂けるんじゃぞ!」


 軽い調子で話す網元に、漁師達にも宮刑を受け容れる雰囲気が広がって行く。

 済んでしまえば終わりというなら、むやみに怖れる事はないのだろう。しかも、若返りという見返りもあるのだ。


「若返りと引き替えなら、それもええかのう……」

「んだなや。よぼよぼの爺婆のままより、そっちの方が有難えだよ」


 老人は言うまでもなく、衰えが見え始めた四十過ぎの者達からも、次々に歓迎の声が出始めた。

 だが、若い男達からは不安が出る。


「網元さんよ、俺等の様な若いもんはどうなるんじゃ。童にされちまうんか?」

「童にはなりゃせんが、死ぬまで歳を取らん様になるんじゃと」


 網元の答えに、若い女からも歓声が挙がった。いつまでも若くありたいのは、女の性という物である。


「けどもよう…… 儂等、童を連れて行かれて、胤を断たれて赤子を授かれん様にもなって、これからどうすればええんじゃ……」


 なおも不安を漏らす者がいたが、網元は明るい声でそれを打ち消した。


「老いん様になるんじゃ! 倅に養われんでも、寿命が来るまで元気に働けるんじゃぞ!」

「その通りです。逆に、養う口がいなくなるのですから、働いて稼いだ分は皆、自分で使えるのですよ?」

「酒でも、着物でも、好きな物を購える様になるのだ。もっと喜びたまえよ」


 網元に続く奥妲アウダ和修吉ヴァースキの甘い言葉に、若い男達も思わず手を打つ。


「そう言えば、そうじゃのう!」

「童を養わなんでええなら、その分呑めるんじゃ!」


 ”どの道逆らえぬのだから、物事は良い方に考えるべきである”との逃避が、この場を支配していった。


「皆、納得出来た様で大いに結構である」


 全ての者が宮刑に恐れを抱く様子を見せなくなった事に、和修吉ヴァースキは満足そうに頷く。そして耳飾りの一つを外して放り投げ、封じられていた天幕を張った。


「一人ずつ入って来たまえ。皆の覚悟に免じて、痛みの無い様に施術してやろう」


 和修吉ヴァースキ奥妲アウダが天幕の内へと入っていった後、漁師達は誰から行った物かと戸惑った。

 若返りも伴うとはいえ、いざ胤を断たれるとなると躊躇する物である。


「お前、どうじゃ」

「いや、あんたこそどうじゃ」


 皆が尻込みする中、網元と歳の近い老婆が意を決した。


「儂からじゃ!」


 老婆が天幕に飛び込んで、軽く茶を飲む程の時が経った後。中からは齢十七、八程の器量好しの娘が現れた。老婆は若かりし頃の姿を取り戻したのだ。


「ば、婆様! 大丈夫かの?」


 心配する漁師達に、先程まで老婆であった娘は胸を張る。


「おお、見てみい! おそその穴はなくなっちまっただが、若い娘っ子に戻れたんじゃ!」


 それを見た漁師達は一転して我先に天幕へ入ろうとし、網元の一喝によって歳の順に宮刑を受ける事となった。

 全ての漁師達が宮刑を終えた頃には、既に昼下がりとなっていた。

 今や全てが若人となった漁師達は、天幕を片付けて車へと乗り込む二人を満足げに見送る。その頭からは、胤を断たれた事や、童を連れ去られる事への嘆きは一切消え失せていた。

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