第49話

 日限まで四半刻となった頃の、仮宮・軍議の間。

 卓上に置かれた地図に記された農村には、その全てに彼等が選んだ運命を示す印が記されていた。

 新たに自害に及んだ村は刻限の三刻前以降は報告されておらず、また、最後まで態度を決めかねた村も皆無である。

 最終的に、農村の七割は謝罪と恭順を示した事が報告されると、室内の張り詰めた様子は一気に緩んだ。


「えかったやん。どん百姓共がみんなくたばりよったら、一年やそこらじゃ食いきれんとこやったで」


 英迪拉インディラが漏らした軽口に、室内の侍女や武官からは同調の笑いが起こる。

 だが唯一人、厳しい顔のままの頭目を見て、雰囲気は再び引き締まった。


「確かに、民の悉くを始末せねばならぬという、最悪の結果だけは避けられた。だが、多くの民を善導出来ぬままに死なせたのは、全く口惜しい限りだ」


 法術による補助や家畜の導入を考慮すれば、三割の百姓が欠けても耕作には支障がない。

 労働力の損失という面では、伊勢の統治に与える影響は限定的である。

 また、賤民の解放という大方針に反し続ける様な者は、いずれ粛清する必要があった事も確かだ。

 だが頭目は当初、見せしめの首を晒しさえすれば大方は従うだろうと考えていた。よもや三割もの百姓が自害に及んでまで、賤民が自分達と対等に扱われる事を拒んだのは全くの見込み違いだった。


「無知蒙昧な民に広範な自治を認めた事が、愚行を見過ごす事につながってしまった……」


 伊勢の一揆衆は補陀洛ポータラカの臣民ではなく、盟約による庇護の関係に留まる。その為、各村に対しては広範な自治、言い換えれば日々の生活に対する不干渉を保証しており、結果、悪習の矯正については後手にまわってしまっていた。


「これからは野放しにせんときっちり見張っとけば、阿呆共も従いますやろ」

「うむ。だが、賤民への狼藉が当然として育った者達の性根が改まるのは期待出来まい。あくまで抑えるに過ぎぬのだ。世を正すには禍根を断たねばならない」

「では、先に我等が門妹たる奥妲アウダが願った通りに」


 頭目の発言を受け、部屋の隅で一門への伝令役として控えていた一人の学徒が、その意向を確認する。

 頭目は重々しく頷いて勅意を示した。


「うむ。遣わした将兵には、既に命じてある。恭順を誓った者とて、此度の咎に問われた者が児を産み育てる事は、以後あいならぬ」


 先日に奥妲アウダが頭目へ願ったのは、伊勢の民に対し、勅令に背いて賤民への虐待を続けた罪を問い、罰として宮刑に処する事であった。

 補陀洛ポータラカの神属は、産まれてすぐに実親から引き離され、一門の手によって養育される。 伊勢に於いては神属のみならず人間に対しても同様の制度を適用するのが、弗栗多ヴリトラ、そしてその背後にある計都の統治方針である。

 神属に多く生まれる畸形の赤児を排し、また親から子へ悪習が伝わるのを防ぐと共に、世襲ではなく個々の才覚に相応しい教育を施して有能かつ忠実な臣民とする為だ。賤民の階層を完全に廃止する為にも必須であり、一門、特に自らも賤民の出身である学徒達はその早期施行を強く望んでいた。

 一揆衆と盟約を結ぶ際、齢八歳に満たない童を贄の名目で差し出させる事によって、現在の世代と断絶する処置は既に取られている。

 次の課題は、今後に伊勢の民が産み落とす赤児についても、引き続き親元から引きはがす旨を制度として定める事である。

 しかし、当然ながら民衆の反発が予測されており、頭目もその施行には躊躇していた。

 だが、勅令にも関わらず賤民への蔑視・虐待が続いている事を聞きつけた奥妲アウダは業を煮やし、伊勢の民を悉く宮刑に処す事で、新たな子が産まれない様にすべきであると迫り、頭目もそれを是とした。刑罰としての断種なら大義名分が充分立つし、次代を担わせる為に必要な赤児は他州から購う経路もある。

 六名もの庄屋を斬首に処した上での一揆衆に対する強硬な最後通告は、本来であれば勅令に背いたとして死罪に処すべきを、自ら名乗り出れば罪を減じて宮刑とするという事で民衆に受け容れさせる為でもあったのだ。


「造反、或いは逃散を企てた末に捕縛された者共については、和修吉ヴァースキ師の御試し御用 ※実験台 として存分に活用して頂こう」

「承知しました。後は、自害に及んだ屍の処置ですが」

「差し当たり集めておく様には命じた物の、どうすべきであろうか」


 頭目は深く溜息をついた。

 腐敗が進まぬ様に法術で処置はした物の、自害した民は余りに多過ぎ、糧食に充てるだけでは消費出来ない。

 重罪犯の骸を弔うという発想は、頭目を含めてこの場の者にとって論外だが、ただ廃棄するには惜しい資源だ。

 あえて言えば、命を無駄にしない様に活用する事こそが、せめてもの弔いである。


「ならば、一門として案がございます」


 学徒が屍の利用について一つの案を示すと、室内の者全てが称賛の声を挙げた。


「おお!」

「それはええやん!」


 頭目も満足そうに頷き、学徒に同意を与える。


「今の案を是とする。計都ケートゥ師にも左様にお伝えせよ」

「畏まりました。既に支度を調えてございます」

「相変わらず手際がええこっちゃで」


 英迪拉インディラの苦笑にも、学徒は微笑んで応じた。

 一門の独断専行は今に始まった事ではない。弗栗多ヴリトラも頭目も、導師たる計都ケートゥの意向に正面から異を唱える事はまずないからだ。

 形式的な報告と確認を行った学徒は恭しく合掌し、計都ケートゥに勅意が下った旨を伝える為に控えの間へと急いだ。



*  *  *



 宮刑の激痛に悶絶した網元が目覚めると、通された客間だった。

 寝間着に着替えさせられ、布団に寝かされていた様だ。

 外は既に明るく、日が高く昇っている。


「そうじゃ、わ、儂の金玉は!」


 股間に触れてみると、睾丸の手触りがない。

 空になった陰嚢も垂れ下がる事なく縮みきり、衰えて久しい男根だけがしなびたまま生えているのがわかる。

 股間に痛みは全く無いので、気を失った後に、法術の類で手当を施されたのであろう事が察せられた。


(やっぱり、潰されてしもうたんじゃのう……)


 睾丸を潰された事への喪失感、過去の悪行を責められた事への痛みが、網元を苛む。

 網元が床から起き上がった処で襖が開き、巫女装束を纏った漆黒の肌の若い女が入って来た。


「目が覚めた様だな。迎えに来てやったぞ」


 姿形は異なるが、昨晩に自分を乗せて走った白虎が人間に化身した姿である事は、声で網元にもわかる。


「白虎様ですだか……」

「間に合った村は全て、前非を悔い罰を受けると誓った。昨日の労苦は報われたぞ」

「そりゃあ良かったけども…… 儂は何とも情けない事になっちまちまいましてのう……」


 網元はやるせない口調で昨晩の出来事を語ったが、聞き終えた白虎は静かに告げる。


「それだけの事をしたのだと知るが良い」

「へい……」

「それに以後、咎人として扱われる事はない。罰を与えたのは、遺恨を残さぬ為でもあるのだ」

「わかっとります……」


 低く落ち着いた白虎の声に、網元は自分達の罪深さを却って思い知らされた。

 白虎もまた女性であり、手込めを働いた網元への女の憤りに共感していてもおかしくはないのである。


「それに悪い事ばかりではない」

「へ?」


 首を傾げる網元に、白虎は窓の障子を開けて外の庭を示す。


「水面を見よ」


 言われるままに網元が庭の池を見ると、そこには齢三十程の壮年の男が映っていた。


「わ、儂?」

「御夫君様は、一揆衆に属する民悉くに不老を与えよと仰せられた。寿命はそのままだが、もはや老いる事は無い」


 若返った己の姿に戸惑う網元は額をなでる。深い皺が刻まれていた筈の肌は、みずみずしく滑らかだった。


「お、おおお……」


 咎人に与えられる筈がないであろう処遇に、自らが罪を償い終え赦しを得たのだと実感した網元は、思わず声を挙げてうち震える。

 その眼からは涙がこぼれ落ちていた。

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