第47話

 長老格の網元と白虎は、目的地への道中にある農村を訪ね続けた。既に自害に及んでいた村と、間に合った村はおよそ半々である。

 しかし間に合った村でもその場での恭順は皆無で、意思が定まった際の申し出をどの様にするかを伝えるに留まっている。

 長年の因習による賤民への蔑視、そしてその裏返しである報復への恐怖が深い事を二人は改めて思い知らされていた。

 桑名を発ってから四刻半程。対象の農村を全て訪ね終え、白虎は網元を背に乗せたまま、英迪拉に命じられた本来の目的地へと向かっている。

 日はとうに沈んで夜中となっているが、月光が周囲を照らしていた。夜目の効く白虎には何の不自由もなく、夜間の漁に慣れている網元も同様である。

 虫の鳴き声が響く中、白虎は疲れを微塵も見せずに走り続けている。


「どこぞで日を超えるのを待ってから、詫びを入れなんだ村のもんをしょっ引きに行きなさるっちゅう事ですがの、まだ遠いんですかの?」

「今少しで着く。今宵はそこに逗留すると良かろう」


 四半刻程さらに走ると、目的地らしき明かりが見えて来た。

 龍神の兵が張った陣幕だろうかと網元は思ったが、徐々に近づく内、そんなちゃちな物ではない威容が明らかになって来る。


「こ、こりゃあ……」


 道の遥か真正面、開けた平原の中に、高い土塀が張り巡らされているのが解る。

 その周囲には篝火が炊かれており、神宮統治下の門前町の如く、不夜の明るさを誇っている。

 塀は高く、内部をうかがい知る事は出来そうにないが、四方に一本づつ、高い塔の様な物が伸びている。周囲を警戒する為の、いわゆる物見櫓である。


「神宮がこげな処に、砦を築いておったんですかの……」

「否。これは吾等の手で新たに築いた物。そして、砦という訳でもない」


 そのまま道を行くと、そこには大きな門があった。仮宮のそれよりも巨大な一方、飾り気は全くなく無骨な造りとなっている。

 周囲には鎧に身を固め、矛を手にした羅刹ラークシャサの兵達が護っていた。


「仮宮詰めの近衛殿、それに一揆衆の網元殿ですな」

「うむ」

「へ、へい……」

「ご苦労様です。開門!」


 来訪者の身元を確認した羅刹兵が命じ、閉ざされていた門が静かに開かれる。

 二人が門をくぐると、中には大きな天幕が何棟も建ち並んでおり、やはりそれぞれに羅刹ラークシャサの兵達が警護していた。


「塀はしっかりしとるっちゅうに、中に建っとるもんはでっかいけど、何っちゅうか……」


 塀の堅牢さ、そして警備の厳重さに比べ、建ち並ぶ天幕は大きいばかりで何とも頼りなく、慌てて用意した物の様に見える。


「塀についてはしばらく前に築いたのだが、倉代わりの天幕は急遽用意した物だ。よもやここまで足らなくなるとは思わなかったのでな」

「倉っちゅうと、中に何ぞしまっておるんですかの?」

「見るか?」


 首を傾げる網元を、白虎は天幕の一つに招き入れた。

 天幕の中には板が一面に敷かれており、その上には何本もの簀巻が横十列程で横たえられている。およそ、四百本程だろうか。

 そして簀巻の端からは、人間の足がのぞいている。


「こ、こりゃあ…… 屍でねえか……」


 網元は簀巻の中身が、既に自害に及んだ百姓達のなれの果てであると知り、思わず立ち尽くした。

 ここに並ぶ屍は咎人として、神属の贄に供される事となるのだろう。


(阿呆共が。生きておりゃ、ええ思いが出来たじゃろうに…… 神宮に散々に搾り取られた分を、龍神様が補って下さるっちゅうに…… そんなに、かわたもんと並ぶのが耐えられんかったんじゃろうか……)


「ある程度救えただけでも、それで良しとせねばなるまい。汝等が動かずに見捨てれば、この数倍の者がこうなっておった」


 沈痛な面持ちで立ち尽くす網元だったが、白虎に促されて天幕を出ると、外には提灯を持った齢三十程の女が待っていた。

 背中まで延ばした髪を後ろでまとめ、小袖を纏っている。手にした提灯には、蝶を表した紋が入っていた。

 神宮の治世で言えば衛士の女房といった装いで、簡素ではあるが民草のする様な格好ではない為、相応の立場であると思われた。

 侍女・女官であれば巫女姿、学者であれば白い天竺衣装を纏うのが常なので、そういった類の宮仕えとは違うのだろう。

 また天竺の民は肌が漆黒だが、この女は和国の民と思しき容貌である。神属が人間の姿に化身する場合は天竺の民を模するのが常なので、この女は恐らく、伊勢の民の内から登用された人間だろう。どこかで見覚えがある顔の様な気がするのは気のせいだろうか。

 一体何者であろうかと、網元は女の身元が気になった。


「お話は伺っております。本日はご苦労様でございました」

「い、いや、こちらこそ……」


 女の丁寧な挨拶に、網元は恐縮して頭を下げた。

 仮宮に出向いた時に侍女や羅刹兵と相対した時もそうだが、自分より上等な身なりで教養もありそうな相手から丁寧に応対される事に、彼も含めて一揆衆の面々の大方は未だに慣れていない。


「さて、吾は今一つ役目が残っておるのでな。この者をもてなしてやってくれ」

「承りました、近衛殿。網元殿、夕餉ゆうげと宿を用意してございます。御案内しますので、どうぞこちらへ」


 網元は日を超えると共に、最後まで恭順を示さなかった者を捕縛しに向かうという白虎と分かれ、女に従ってその場を後にした。

 天幕が建ち並び、羅刹ラークシャサ乾闥婆ガンダルヴァといった神属の兵達が巡回する一帯を抜けると、大きな造りの屋敷が建ち並んでいた。村というよりは町の様な趣である。この地に駐屯する者達の為の住まいであろう。

 どの家も真新しく大きな造りで、神宮が栄華を誇っていた頃に護士が住んでいた武家屋敷に似ている。

 特に目を引くのは、屋根がいずれも瓦葺きな事だ。

 瓦は火災や雨漏りによく耐えるが、高価な物であり、武家屋敷であってもそれを用いるのは上級の者だけである。


(ここは砦じゃないっちゅうが、龍神様の肝いりで造ったんじゃろうなあ。流石に豪勢じゃのう……)


 龍神の権勢を知る網元は、目の前に広がる豊かさに目を見はった。

 ただ、いかにもな豊かさぶりに反し、どの家もひっそりと静まり返り、巡回の羅刹兵の他は全く通りに人影がないのが薄気味悪い。


「さあ、どうぞお上がり下さいませ」


 女は最も立派な屋敷の門前で立ち止まり、網元を招き入れた。

 門をくぐると、幾名もの女中が出迎えて来る。

 いずれも年の頃は三十前後で、使用人としては上等な服装。顔立ちが整った綺麗所揃いである。


「お方様、お帰りなさいませ。お客人、ようこそおいで下さいました」


 網元は女中に屋敷を案内され、ややこぢんまりとした客間に通された。


「これはまた、立派な……」


 床には畳が敷き詰められており、襖には提灯と同じ蝶の紋が描かれている。

 床の間に掛けられた、赤無地の幟を掲げた軍勢を描いた軸が、網元の気をひいた。


「赤い幟っちゅう事は、大昔の平家じゃな」


 清盛公が頼朝・義経の兄弟に情けをかけて助命したが為に、成長した彼等によって平家が滅ぼされたという源平の戦の顛末は、”逆らう者は赤子一人とて容赦せぬ”という方針の根拠として弗栗多ヴリトラが度々語る。

 一揆衆たる網元もよく心得ており、屋敷の主も知っていると思われるのだが、ならば何故この様な絵を飾るのか。


「また酔狂じゃが、戒めっちゅう事かいのう」


 窓の外には白州を基調とした庭がしつらえてあり、緋鯉の泳ぐ池の水面には満月が映っている。

 網元は出された茶を飲みつつ窓の外の景色を眺めながら、女の素性を考えていた。


(”お方様”っちゅう事は、武家の様じゃが。神宮の衛士の内に赦されたもんがおったとして、こんな贅沢な家で暮らす事は許されんじゃろう。やっぱり人間ではなく、夜叉様辺りが化身しとるんじゃろうか……)


 四半刻程経った頃。女中の手によって二つの食膳が運ばれて来て、次いで女が現れた。


「お待たせしました」


 網元と女が差し向かいに置かれた食膳に付くと、女中は一礼して客間を下がる。

 食膳に据えられた白磁の大皿には、一杯に盛られた白米の飯に黄身ががった汁がかけられており、香ばしく刺激的な匂いをあげている。

 箸ではなく木製の匙が添えられているので、これで食べるのだろう。


「さあ、どうぞお召し上がり下さい」


 女が勧めて来た物の、嗅いだ事のない異様な匂いに手をつけかねた網元は、まずはこれが何であるのか尋ねる事にした。


「こりゃあ、何っちゅうもんですかのう?」

「天竺で良く食べられている、咖哩カリーと申します。この黄色い汁は、様々な薬味を混ぜ合わせて造られる物で、一種の薬膳です」

「薬膳っちゅうと、体にええっちゅう事ですかのう」

「ええ。神宮が百姓に造らせていた薬草は、効能が遥かに強い天竺由来の薬が出来る様になりましたので、薬としては使い途がなくなりました。ですが、咖哩カリーの薬味の素材としても使えますので、以後はその為に造るという事です」


(儂の体を気遣って薬膳を出して下さったんじゃ。我慢して食わねばのう)


 女の答えに網元は意を決し、汁の掛けられた米飯を怖々と口にした。

 一口含むと、舌の上に心地良い辛みが広がって行く。


「こ、こりゃあ!」


 山葵や味噌とは全く異なる、初めて味わう辛みだ。白米のほのかな甘みと良く合い、一口、また一口と食が進んでいく。

 具材もよく煮込まれていて汁の味が染み渡っている。魚ではなく肉の様だ。雉か鴨だろうか。


「旨いですのう! 旨いですのう!」


 咖哩カリーに舌鼓を打つ網元を満足そうに眺めつつ、女も自らの咖哩カリーを味わった。

 大皿は程なく空になり、網元は満足そうに出された咖哩カリーを称賛した。


「こんなええもん、初めて食いましたわい」

「近い内に当たり前に食べられる様になるという事ですので、ご期待下さい」

「白米を腹一杯食うだけでも贅沢だっちゅうに、咖哩カリーとやらもですかいのう?」

「はい。それを贅沢ではなく日常にする事が、補陀洛ポータラカの加護の一つなのです」


(こんなもんが普段から食えるなら、それだけでも浄土の様じゃ! くたばった百姓共は、こんなええ目を捨てよったんじゃのう……)


 網元は、龍神が民に与える恩恵の深さに心を振るわせた。

 民草の身分でも、これまで味わった事のない旨い物が、いつでも食える様になるというのだ。


「あの黄色い汁もええが、具に入っておった鳥も、良く味が染みこんでおったのう」

「いえ、あれは鳥ではありません。老いて働きの悪くなった牛を屠った物です」


 女の答えに網元は固まり、数秒の後に恐る恐る聞き返した。


「う、牛? 屠る? 家畜を食うのは御法度ですじゃろ?」


 和国に於いては、家畜はあくまで農耕や荷役に使用する物であり、肉を食する事は朝廷によって禁忌とされていた。

 獣肉食は命の尊さを弁えない蛮行というのである。


「いいえ。帝はそれを、偽善と仰っておられます。鳥や魚を食らうならば、獣も食らっても良いではありませんか。働けなくなった牛馬を寿命まで生かしておいては、餌の無駄という物です」


 女のいう”帝”とは和国の天皇ではなく、補陀洛ポータラカの龍帝、つまり龍神の事だろう。確かに、今の伊勢は事実上、補陀洛ポータラカの領地に等しいのだから、和国の朝廷が発した勅令に従う必要はない。

 実際、猪を”山鯨”と称したり、兔を鳥とみなして何羽と数えるのは、法に触れずに食う為の詭弁だ。それがまかり通っているのは、獣肉食を本心から禁忌と思っている者がほとんどいない証である。

 女の言う理屈は全く正しいと、網元は思った。皆がこれまで、目を背けて来ただけなのだ。


「それにしても、牛の様なでっかい畜生をよく捌けましたのう」


 獣肉食の禁忌が解けたからといっても、大型の獣である牛を解体して食肉にするとなると、中々に大変な筈である。

 漁師として鮪や鯨の解体を心得ている網元がその事を指摘すると、女からは意外な答えが返って来た。


「はい、手慣れておりますから」

「手慣れとるっちゅうと、お前様方はもしや……」

「お察しの通りです。私達はいわゆる”かわた”。牛馬の屍から皮を剥ぎ、鞣して細工にする事を生業としております」

「なる程のう……」


 賤民解放の勅令に従えと百姓達に説いて廻っていたばかりの網元は、女の素性を聞いても特に騒ぐ事はなかった。

 確かにかわたであれば、牛の解体は従来から手慣れているだろう。

 だが、かわたが武家と思しき上等の衣を纏い、豪勢な屋敷に住んでいるという事に、網元は驚いていた。貧しい平民よりも、かわたはさらに惨めな暮らしを送っているという印象があった為だ。

 過去の迫害を慰撫する為に龍神が多くの財物を賤民へ贈ったという事は聞いているので、豊かな暮らしぶりについては納得のしようがある。屋敷が真新しい事から、龍神の手配でかわたの為に建てられたのであろう事が伺えた。

 だが立ち居振る舞いについては、一月や二月で上品になる様な物ではない。急に豊かになった成り上がりは、むしろ銭にあかせて露骨に欲望を満たす様になりがちだ。

 賤民達は解放されるよりずっと以前から、武家の様な丁寧な振る舞いを身につけていたのではないか。


「お前様方、ただの”かわた”っちゅう訳でもないじゃろ。武家の女房の様な振る舞いなんぞ、衣装や屋敷を変えたところで、簡単には身につくもんじゃないからのう」

「源平の乱で破れた平家の隠れ里が、和国のあちこちにあるという伝承を御存知ありませんか?」

「まあ、話半分に聞いた事はあるがの。ここがそうじゃと?」


 源平の乱に破れた平家の落人が、僻地へ逃れて隠れ里を造ったという伝承は、和国のあちこちにある。網元を含め、多くの者は与太話の類だと思っていた。

 よもや、このかわた村がその一つと言うのだろうか。


「はい。その昔、伊勢のかわたは、逃げ延びてきた平家の落人を匿いました。革を材とする武具を、平家に納めていた事から縁があったのです。匿われる内、落人達とかわたはまぐわって子を為し、混ざり合いました。それが私達の祖になりました」

「それじゃあ、お前様方は、平家とかわたの間の子孫っちゅうことじゃな」

「はい。世の目を忍ぶ為、平家の血をひく事を隠し、表向きはあくまで賤民として振る舞っていたのです。ですが、侍としての矜持は心に秘め、武芸や作法、教養は密かに伝えておりました」


 女の話を聞く限り、平家の落人が伊勢のかわたに匿われたという事については、ある程度の信憑性がある様だと網元は考えた。

 あるいは、平家の末と称するのは騙りにしても、応仁の乱より続く戦国の世で、いずこかから流れてきた敗軍の落人という事もありえる。

 いずれにせよ、彼等が武家の血筋をひき、備えていた物を子々孫々まで密かに伝えていたというのであれば、彼等の有様についても合点がいく。


「侍は同じ人間を戦で殺める事が役目。なれば、かわたよりもさらに穢れている忌まわしき身分の筈なのに、民百姓の上に立つ物とされております。故に、殺生や屍に関わる事が穢れというのは、全く笑止千万でございましょう? 侍もかわたも、そして魚を殺める漁師も、紙一重の生業とは思いませんか?」


 女は士分、賤民、そして漁師の所行は等しく殺生であり、その間に貴賤の差はないと説く。これはまさしく、龍神の語る”皇道楽土””新しき世”の思想であった。

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