第46話

 仮宮にある、一門の者が来訪した際に用いる控えの間では、純白の紗麗サリーを纏った人間の学徒が、焦った様子で鏡に向かっていた。

 これは遠隔地との会話にも用いる事が出来る八咫鏡の複製品で、映っている相手方は、一門を率いる計都ケートゥである。


「導師。面倒な事になりました」

「まあまあ、どうしましたの?」


 困惑を隠さない学徒に、計都ケートゥは普段通りの調子で優しく問いかける。

 学徒は、農村の説得に動こうとしている網元達に協力しようと近衛が動いている事を、苛立ちを隠そうともせず報告して指示を仰いだ。


「看過すれば、折角の試しに水を差す事になりましょう。止めさせる様に動きますか?」

「放っておきなさいな」

「宜しいのですか?」

「説得を試みる者の存在もこの際、達成を妨げる要因として考える事にしましょう」

「成る程。他州でこの策を行うのであれば、その様な事も考えませんと」


 計都ケートゥの即答を聞いて学徒は意外に思ったが、理由を聞いて納得する。

 民の自滅を促す今回の試策を他州攻略に使える様、より効果的に洗練するには、阻害要因も考慮しておくべきなのである。


「貴女達はいっそこの際、百姓共は死に絶えてしまえばいいと思っているのでしょうけれどもね」

「ええ…… しかし皆が自害してしまっては、それはそれで困りますから。和修吉ヴァースキ師の、心を縛る新式の術についても丸太が多く要ります」


 賤民の出自である学徒にとって、解放の勅令に抵抗する百姓は生かすに値しない。咎人どころか害獣、害虫に等しい存在である。

 だが一方で、一門には法術の実験台、いわゆる丸太が多く必要な事も解っている。許し難い咎人と言えども、ただ滅ぼしてしまうには貴重な資源なのだ。

 冷徹な合理性が、憎む仇の鏖殺を望む心を抑えているのである。

 学徒の感情を抑えた理性的な答に、計都は満足した。


「そうですわね。そういう意味では、日限を超えるまでに態度を決められないまま捕らえられる百姓が多く出るという結末が望ましいですわね」

「しかしそれでは、導師としては不本意ではありませんか?」

「元々あの仕込みを農村に施していたのは、件の庄屋の後妻となっていた熱田の間者とやらですもの。その思いつきに関心した物ですから、本当に旨く行く物かどうか、見てみたくなっただけの事ですわ」


 熱田の間者である事が発覚した庄屋の後妻は、さらに徹底して尋問された。

 強力な媚薬を盛られ発情した後妻は、詮議役の羅刹ラークシャサによって逞しい怒張で貫かれ続ける内、農村へ施した工作について快楽の中で漏らしたのだ。

 その内容を知り発想に関心した計都は、奥妲が頭目に願った施策に便乗する形で、眠っていた工作が発動する様に仕向けたのである。この事は頭目も知らされていない。


「成ればそれで良し。成らずとも元々。どう転んでも、導師としては構わないと」

「ええ。それに仕向けたとはいえ、自害を決めたのは百姓共自身ですもの。捕らえられるのも自害も嫌なら、素直に前非を悔い慈悲を請えば良いだけの事ですわよ」


 計都ケートゥは穏やかな口調を崩さず、自害した百姓の運命を自業自得と言い放つ。一門の思い描く皇道楽土には、旧弊に固執する者達が臣民として身を置く場所は無いのだ。


「そうですね。いずれにせよ、明日になれば汚らわしい害獣共は除かれ、伊勢もより住み易くなりましょう」

「愉しみになさいな」


 学徒と計都は共に、クスクスと嗤いあった。



*  *  *



 頭目は英迪拉インディラ、そして数名の侍女を伴い”軍議の間”に詰めていた。

 中心に置かれた机上には、伊勢の地図が置かれており、沿岸部の漁村には恭順を示した印として、丸印が付けられている。

 一方、少なからぬ農村にはバツが付けられており、これは集団自害、元賤民への圧力、あるいは逃散といった理由により住民が死滅や捕縛に至った印である。

 斥候が入室して報告する度にバツ印は増え続け、丸の数は変わらないままだ。

 頭目は落ちくぼんだ瞳で、地図を食い入る様に見つめ続けている。


「坊、まだ名乗り出て来るかも知れまへんで」

「そうかも知れぬ。だが、既に多くの者が、自らの命を絶った。これこそがうつつだ。目を背けてはならぬのだ……」


 英迪拉インディラが気遣うが、頭目は自らに言い聞かせる様に覚悟の程をつぶやく。

 頭目には百姓達の自害が、慣例を顧みない、受け容れがたき”非道”に対する最後の抵抗、痛烈な抗議として、自らに突きつけられた物と思えてならない。

 ”かわたが自分等と同じ身分になる世の中なら、死んだ方がましだ”という、皇道楽土の理念に対する真っ向からの否定である。

 瓦爾那ヴァルナ ※種姓、身分 による厳格な区分が根付く補陀洛ポータラカよりも、まずは自らの出生の地である和国で改革を試そうという自分の考えは甘かったのかと、頭目の苦悩は続く。


「圧政から解き放っても、衣食を供しても、刑罰で脅しても! 百姓共は何故、賤民を卑しみ暴虐を振るおうとし続ける! 友とまでは言わぬ、せめて隣人として対等に付き合っていこうと、どうして思えぬか!」

「御夫君様、どうか気をお鎮め下さいませ!」

「貶められていた旃陀羅チャンダーラは皆、御夫君様を讃えております! 御威光の賜物でございます!」

「坊、落ち着きなはれ」


 頭目が挙げた悲嘆と憤怒の入り交じる絶叫に、侍女達は狼狽えながらも必死に慰めの声を掛ける。

 英迪拉インディラは頭目に寄り添いながらも、配下の近衛に思いを馳せた。


(あいつ等、旨くやってくれよるかいな……)


 近衛の白虎が、百姓の説得を試みる網元達に助力を申し出、彼等を背に乗せて農村へと向かった事については、頭目の耳には入っていない。

 英迪拉インディラの示唆によって、近衛に属する個々が、あくまで私的な立場で勝手に行ったという方便の為である。

 もし万が一にも咎められれば、英迪拉インディラは自らの一身で責を負う覚悟だった。



*  *  *


 長老格の網元は白虎と共に、既に四ヶ所の村を訪れていたが、どこも手遅れで村中の者が死に絶えていた。

 遺骸の体温から推察し、どの村でも正午頃に村で寄合いを開いた上で、自害を決行したのではないかというのが白虎の見立てである。


「出るのが遅すぎたんですかのう……」

「今はそれを言う時ではない。急げばまだ、間に合う村があるやも知れぬ」


 陰鬱とした気分を抱えつつも、二人は五ヶ所目の村に急ぐ。迷いや悲嘆に暮れる暇はないのだ。

 二人は五ヶ所目の村に到着したが、人の気配がなく静まり返っている。


「人っ子一人おらん。ここも駄目ですかのう……」

「いや、待て。人の声…… 大勢集まっておる様だ」


 白虎は、かすかに聞こえる声に耳をそばだてた。

 人間の物よりも遥かに優れている白虎の耳は、網元に聞き取れなかった音をも逃さない。

 声がする方へと向かうと、周囲に比べて大きな家がある。

 恐らく庄屋の屋敷で、中では今後について話し合う寄合いの最中なのであろう。


「何とか間に合いましたのう……」


 戸が開いたままの屋敷に二人が入ると、中では大勢の百姓達が、結論の出ないまま、議論を続けていた。誰もが来客に気付く様子はない。


「御免」


 白虎が声をかけると百姓達は誰が来たのかと一斉に顔を向け、次いで口々に悲鳴を挙げた。日限を待たず現れた龍神の遣いに仰天したのである。


「ひゃああっ!」

「き、来たあっ!」

「慌てるな。まだ日限は尽きておらぬ故、捕らえに来た訳では無い。吾はこの者を乗せてきたに過ぎぬ」


 慌てる様子に白虎が説明すると百姓達は落ち着きを取り戻し、網元へと目をやる。


「取り込み中に済まんが、勝手に上がらせてもらいましたわい」

「爺様は確か、網元の中で一番年嵩としかさのもんだったなあ。何の用ですかい」


 一揆衆の会合で一応の面識がある庄屋が用向きを尋ねると、網元は一呼吸置いてまくしたてた。


「聞いて下され! 儂等漁師は皆、頭目に詫びを入れたんじゃ。街のもんも後に続いとる! じゃから悪い事は言わん! お前様方も、早うそうしなされ!」


 網元の話を聞く限り、名乗り出た余りに斬首されてしまう様な恐れはない様だ。

 軽い罰で済むのは本当であろうと、その場のおよそ半分程が納得しかけたところで、異論を唱える者が出た。


「俺達はなあ。”上見て暮らすな、下見て暮らせ”っちゅうてよう。ボロを纏って腹をすかせても、まだ下のもんがおるもんだから我慢出来たんじゃあ!」

「そうじゃ! かわたなんぞに並ばれるのは我慢なんねえ!」

「いつまでそげな事を言うておるんじゃ。龍神様のお陰で、皆でええ衣を着て旨い飯を食らえる世になったんでねえか! それなのに、かわたをいつまでも小突くっちゅうんじゃ、神宮の屑共と一緒じゃぞ!」


 主にに若い者からなる十数名が賤民解放の勅令に対する不満をぶちまけたところで、網元が一喝する。

 蔑視を続ければ、百姓を搾取した神宮と同じであるとの辛辣な言葉は、不満を挙げた者達の幾人かを揺らした。

 だが、それとは別の懸念を訴える者も現れた。


「向こうがどう思っとるかは知れたもんじゃねえ。たまに道でかわたに行き会うと、鬼侍がぴったりくっついててよ。奴等はこっちを見て得意げにしよる。”手ぇ出せるもんなら出してみい”っちゅう顔をしよって!」

「龍神様の御威光を笠に着て、俺等に仕返ししようと企てとるんじゃあ!」


 百姓達の脳裏には、賤民が報復を企てているのではないかとの疑念もあった。

 その背景としては、賤民の集落に羅刹兵が常駐し、遠出の際には必ず警護として随伴する様になった事がある。

 これは賤民に対して、虐待を告発しない様に脅迫に及ぶ百姓が多く出た事による措置だ。

 賤民へ一切手を出せない様になった百姓達は、今度は自分達が虐待されてしまうのではないかとの恐れを抱き始めたのである。


「かわたもんを今まで散々どついたり、手込めにしたんじゃろうが。鬼侍様に護られんと、安心して道も歩けんのは向こうじゃぞ!」

「弁済として充分な財物を渡すと共に、賤民の側から決して手を出さぬ様にきつく戒めてある。羅刹ラークシャサの兵で彼等を護っておるのは、その様な事を防ぐ為でもあるのだ」


 網元の反論に、白虎が補足を加えた。

 羅刹兵は単に賤民を護るだけでなく、報復を思いとどまらせる為の監視を兼ねており、決して一方的に賤民を擁護する為ではないのである。


「百姓がどうなろうと、漁師の爺にゃ関わりねえ。放っといてくれ!」

「そうじゃ! 余所者は帰れ!」

「去ねや糞爺!」


 次々と疑念を否定された末、百姓の内からは言葉が尽きて暴言を放つ者が現れた。

 最早、余所者に言い負かされたくない余りの感情的な反発に過ぎないが、村の運命に関わる話し合いでの見苦しい態度に、網元は思わず怒りをぶちまけた。


「お前様方、下克上が成ってから今日まで、何を食ってた! 儂等が採った魚や貝でねえか! お前様方がどうしても首を刎ねられたいってんならしょうがねえ。だけどな、その前に食わせてやった恩ぐらいは返さんか!」


 神宮の搾取と凶作で疲弊した農村の糧食として、漁村からは多くの魚介類が供出されていた。その負担は決して軽くなかったが、同じ一揆衆と思えばこそ、不平を言わずに応じていたのである。

 それを無下にされれば、流石に怒ろうという物だ。

 食の恩を持ち出され、不満を漏らしていた者達もそれ以上は何も言えなくなった。


「まあええわ。言うだけは言うた。後はお前様方が決めい! 次の村に行かにゃならんからのう」


 押し黙る百姓達に、網元はきびすを返して出て行こうとしたが、白虎はそれを押しとどめた。


「ああ、その前に。神宮に対して決起した際、敗北に備えて自害に使う毒を用意してあったと聞く。出せ」

「へ、へい……」


 白虎がにらみ付けて命じると、庄屋は恐る恐る床板の一枚を外して、下から木箱を取り出した。


「こげな物があったんですかの!」

「元々は、薬売りの商品の一つとして、神宮より命じられて百姓が造っていた薬草でな。扱いを誤れば猛毒となる代物だ」

「わしゃあてっきり、自害したもんはまむしにでも嚙ませたか、毒茸でも貪ったんじゃないかと思っとったんですじゃ……」


 長老格の網元は、この村が一揆の際に自害用の毒を用意していた事に驚いた。

 敗北が決定的となった際に毒をあおいで自害するというのは、神宮の圧政に反抗した一揆衆全体の方針ではなく、個々の農村の判断で用意した物である。但し、殆どの農村は、口伝えによってそれを備えるに至ったのだが。

 一方、薬草を栽培していない街や沿岸部ではその様な物はなく、一揆に際して農村が毒を用意した事すら知られていなかった。

 今回、農村のみで自害が横行している理由の一つは、自害用の毒の有無だったのである。


「滅!」


 白虎が毒薬の納められた箱を睨むと、それは一瞬の間青白く光り輝き、砂の様に崩れ落ちた。


「これで効力は失せた。最早その毒は只の粉に過ぎぬから棄ててしまえ」

「な、何で……」

「”楽には死なせぬ”と筆頭殿が一揆衆の会合で仰られたであろう? 咎人として極刑に処す前に、勝手に死なせたくはないのでな」

「なら…… 何故、俺達を今捕らえないんで? 神通力で石に変えちまう事も出来るってのに……」

「御夫君様が切った日限までは、決して手を出さぬ。日を超えれば直ちに捕らえよとの詔でな」


 戸惑いつつも、庄屋は白虎に問い返す。

 罪人には自害すら許さぬという答を返されると、百姓達は龍神の怒りの深さを感じて震え上がった。


「お前様方、ぐずぐずしとる暇はないぞ! 早う詫びを入れなされ!」

「す、すぐには決められん……」

「ならば話がまとまった後、名は代筆でよいから、名乗り出る者の分の血判状をしたためた上で狼煙のろしをあげよ。日が暮れた後であれば篝火かがりびを炊け。さすれば直ちに空より兵が舞い降りて改める」


 網元が促すが、庄屋は煮え切らぬままである。

 この場で話をまとめられなければ、この村にばかり時はかけられない。

 白虎はやむを得ず、意を決した際にどうすればいいかを語った。

 伊勢の上空では、乾闥婆ガンダルヴァの斥候が、村々に動きがないか監視の為に巡回している。従う意思を見せた者への迅速な対処もその任に含まれていた。


「賤民からの訴えにより、捕縛すべきが誰かは把握しておる。名乗り出なければ当人は勿論の事、家族・縁者も悉く連座に処すであろう。既に州境は固められておる故、逃げようとしても無駄だ。以上を承知の上、心して決めよ!」


 白虎は最後に警告を残し、網元と共に屋敷を後にする。

 進退窮まった百姓達は、呆然と見送るのみだった。

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