第44話

「御夫君様が、御会いになられるとの事です」

「かたじけない」


 茨木童子は引率した一揆衆と共に、夜叉ヤクシャの侍女に案内されて大広間へと通された。

 先の一揆衆の会合で使われた部屋なのだが、今回は漁村の網元等、海や川に暮らす民を代表する立場の者のみで、一揆衆総勢の二割程しかいない。

 彼等にとって、十日ぶりに入った大広間は随分と広く感じられた。


補陀洛ポータラカ皇国皇配にして、伊勢一揆衆頭目の御入来!」


 侍女が頭目の入来を告げると、茨木童子は平伏し、網元達も一斉に倣う。

 頭目、弗栗多ヴリトラ共に、民から格式張った仰々しい態度を取られるのを好まない事は、この場の誰もが承知している。

 しかし今回は罪の許しを請う立場である為、彼等はあえて平伏してその意思を示した。


「皆様、よく来て下さいました。面をお上げ下さい」


 普段通りの優しげな呼び掛けを受けて網元達は顔を上げるが、半病人の如くやつれた頭目の有様に、彼等は当惑した。

 肌は土気色で張りが無く、目の下には隈が出来ている。頬はやせこけ、食もまともに取れていない様だ。伊勢の民が賤民解放の勅令を拒んでいる為による心労が原因という事は、一目瞭然である。

 頭目の傍らには、英迪拉インディラが心配そうに寄り添い、さらにその脇には一同を案内して来た侍女が控えている。


「頭目殿。水軍に任されている海・河の民草共ですが、皆、前非を悔い許しを請うております。各村、そして座を治める者共を、その代表として連れて参りました」

「茨木。あくまで、この者共が自らの意志で名乗り出たのであろうな?」

「左様にございます」


 頭目の真正面に座する茨木童子が、不安げな一同に代わり口上を述べるが、頭目は不審げな顔をする。強いられた出頭では意味がないのだ。

 しかし、茨木はきっぱりと頭目の問いに答え、自発的な出頭であると言い切る。地道に茨木や配下の兵が説得を続けた結果ではあるが、決して強制はしていなかった。

 説得が好調だったのは、沿岸部の民は水軍の神属と接する機会が多い為、気心が知れていた事も大きい。


「なれば問います。如何なる心境で、過ちを御認めになったのでしょう?」

「儂等漁師は、海に泳ぐ魚を捕らえ、殺めて糧食として供する事を生業としております。魚と獣の違いこそあれど、屍から皮を剥いで細工物をこしらえる者達を卑しむ道理はありませんでした……」

「それに気付いたならば結構です」


 頭目が長老格の網元に問うと、彼は淀みなく答える。筋の通った答えに、頭目は満足そうに頷いた。

 ただ勅令だから、命が惜しいから渋々従うというのではなく、理屈としてなぜ賤民を卑しむべきではないのかを理解した上での出頭ならば、より好ましい。


「こちらが、水軍が所轄する民の連判状にございます。御査収下さいます様」


 茨木は、携えていた紙の束を差し出した。村や座ごとに、一揆衆たるその長が纏めた、賤民を害した罪を認める連判状だ。

 大半の民は文盲の為、署名は長の代筆だが、当人の証として血判が押されている。


「後程、改めさせて頂きます」


 頭目は英迪拉インディラの脇に控えている、夜叉の侍女に目配せする。侍女は茨木童子の前に進み出ると連判状の束を受け取った。


「ところで、儂等の他に、誰ぞ来たもんはおりますでしょうか」

「それがなあ。あんさん方が最初なんや」

「今し方この英迪拉インディラに、名乗り出なかった者を日限が尽きたと同時に捕らえる為、将兵に支度を調えさせる様に命じたところなのです」


 長老格の網元の問いに、英迪拉インディラは嘆息して答え、頭目が言葉を続ける。

 それを聞いた一同の額に、冷たい物が流れた。茨木童子の説得に応じなければ、自分達も危うい処だったのだ。


「どの位のもんが、かわたに手え出した咎を犯したんですかのう?」

「元の賤民を除いた伊勢の民全ての内、およそ九割八分程になります」

「な、何じゃとう!」「い、いくら何でもそんな仰山……」「無茶苦茶じゃあ!」


 伊勢の民のほとんど全てが捕縛の対象となるという頭目の答に、一同は驚愕した。


「七割位は、やらかした当人やのうて連座やけどな。身内を残すと、逆恨みするもんが出かねんよって。綺麗さっぱり始末するんが、皇国のやり方やで」


 英迪拉インディラは何でもない事の様に軽い口調で話すが、それだけに一同は強い恐怖を抱く。

 この龍神の忠実な眷属は、主に逆らう者の命など、田畑に生える雑草にも劣る物としか思っていないのだ。彼女が案じているのは、あくまで憔悴しきった頭目の心身のみなのだろう。

 民の大半を捕らえられた末に鏖殺する事になれば、伊勢はこれからどうなってしまうというのか。

 このまま半日が経てば、それは現実になる。


「ほ、ほんで、儂等の他に、来る様子はないんですかの?」

「残念ながら……」


 恐る恐る一人の網元が発した問いに対し、頭目は寂しげに否定して目を伏せた。


「失礼致します」


 声と共に、乾闥婆ガンダルヴァの女武官が襖を開けた。

 翼を持ち飛空が出来る乾闥婆ガンダルヴァは、軍では伝令や斥候の役を担う者が多く、彼女も斥候の一隊を任されている一人である。


『誠に申し訳ございませんが、急ぎ御報告申し上げたき事がございます』

「日限を控え、民草に動きがあったのであろう? ならば、梵語ではなく和語で申せ」

「まさしく、その件でございますが…… 宜しいのですか?」

「如何なる事態であろうと、この者達も知らねばならぬ事である」


 梵語で報告しかけた女武官に、頭目は和語を使う様に命じた。

 女武官は戸惑った様子で、何事かとざわめく網元達に目をやった。彼等に聞かせれば動揺を与えるのは必定なので、梵語で報告しようと考えていたのだ。

 だが、頭目はあえてそれを伏せるなと言う。

 女武官はどうした物かと、その場に同席している英迪拉インディラ、次いで茨木童子の顔を伺った。


「坊の言う通りにしい」

「然り。ここで伏せても程なく露呈する故、包み隠さず語るべきであろうな」

「畏まりました」


 二人の将はいずれも頭目の指示を是とした為、女武官は配下の兵から得た、伊勢各地の状況を取りまとめた書状を取り出した。


「日限を控え、この桑名を始め、亀山、四日市等の街部では、徐々に役場、或いは兵の屯所まで出頭する者が現れております。主には商人や職人の座長が、配下の民の連判状を取りまとめる形となっている様です」

「本当か! 間違いないのだな!」

「相違ございません」


 予想外の報告に、頭目は思わず声を挙げ念を押す。半ば、諦めていたのだ。

 返ってきた答えには頭目だけでなく、その場の者達が一様に安堵した。


「様子を見ていた者達も、厳罰を科される事はないと納得すれば後に続くでありましょうな」

「どうなる事かと思うたけど、何とか収まりそうやないか」


 茨木童子、そして英迪拉インディラも楽観的な見通しを口にする。

 だが、続く報告により、広間には再び緊迫が走った。


「しかしながら、農村に於いては全くその様な動きがみられません。それどころか、既に十五村、集団自害に及んだ村が新たに見つかりました」

「集団…… 自害っ……!」「何ちゅう早まった事をしよる!」「阿呆のどん百姓共が!」


 農村の百姓達による愚挙に、網元達は口々に、驚きや罵倒を口にする。


「十五もの村が心中をやらかしたっちゅうのは、本当ですかいのう?」

「事実です。本日の分を足して、これまで五十七の村が自害に及びました」

「五十…… 七じゃと……」

「それだけではございません。逃散を試みた村が五村。旧賤民の集落に対し、被害を訴えぬよう脅迫に及ぼうとした村が十二村。これらはいずれも造反として取り押さえました。極刑に処される事となりましょう」


 長老格の網元が問い直すと、女武官はそれが事実である事を再度告げると共に、昨日までの状況を付け加えた。

 自ら滅びを選んだ農村の多さに、網元達は絶句する他なかった。

 頭目が憔悴していたのは、単に出頭する者がいなかった為ではない。命を賭して、あるいは棄ててまで勅令を拒絶する態度を示した民が、あまりに多かったからなのである。


「ご苦労。引き続き、不穏な動きを見逃さぬ様」

「御意」


 女武官が合掌して下がり、大広間には重苦しい沈黙が流れる。それを破ったのは、一人の網元が挙げた悲痛な叫びだった。


「お頭! はよ何とかせんと!」

「御安心下さい。不届き者が逃げおおせぬ様、州境は兵が見張っております。また、元の賤民が自暴自棄になった輩に襲われぬ様、集落の護りも万全です」

「い、いや、それも大切だけども…… ”意地張っとらんと、早よ詫びを入れい”っちゅうて百姓共に遣いを出せんもんですかい? まだ間に合うと違いますかい?」


 逆らう者への対処は怠りないと話す頭目に、それだけではなく説得の使者を出す様にと網元は訴える。だが、頭目は厳しい顔で首を横に振った。


「皆様方が来る前にも、家臣の内にその様に進言する者がおりました。しかし、それはならぬ事です」

「なんでですかい?」

「勅令が軽んじられたのです。加えて言えば、虐待を受けた側の賤民にしてみても、頭を垂れて許しを請うのは百姓の側でありましょう。ここまでも、私は大きく譲りました。平民・賤民の別なく豊かな暮らしを享受するか、それを否としてみなごろしとなるか。後は、各々が決める事です」


 古今東西、いかなる国に於いても、君主の勅令に背くという事は死を以て罰せられるべき大罪である。

 まして、今回は猶予を与えた上での事だ。これ以上の譲歩は、補陀洛《ポータラカ

》皇国の権威に傷がついてしまう。


「最後まで逆らい続けた者への対処の支度があります。わざわざ御足労下さったところ申し訳ありませんが、本日はこれにて失礼致します」


 頭目は立ち上がり、英迪拉を伴って大広間を後にする。

 網元達はそれを、黙って見送る事しか出来なかった。

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