第43話

 頭目が一揆衆に申し付けた、賤民を虐待した者が自ら出頭する日限の当日朝となった。未だ、自発的に出頭する者は皆無である。

 先に一例として挙げた村と同様に、頭目の慈悲を信じず集団自害に及んだ村落は、現時点で三十二村に及ぶ。

 また、旧賤民の集落に対し、自分達の虐待を訴えない様、集団で脅迫に及んだ村落が十二村あるが、いずれも程なく鎮圧された。住民は全て石化された上で、成年は獄中にて死罪を待つ身、幼少の童は答志島で還元の被験体とされる事となっている。

 集団逃亡、いわゆる逃散をはかった村落は五村。これも全て州境にて取り押さえられ、やはり成年は死罪、童は被験体である。

 ちなみに、密告については殆ど機能しなかった。民衆の結束、言い換えれば相互監視は思いの外強く、密告が発覚した場合の報復を怖れ、銭で隣近所を売ろうとする者が出なかったのである。

 無論、賤民の側からも被害についての聴取は行っており、このまま名乗り出ないのであれば、下手人を捕縛した上で予告通りに厳罰に処さねばならない。

 しかもその対象は、元賤民を除き、伊勢の民の九割八分に及ぶと目されている。重罪犯として家族・親類への連座を適用する為だ。

 英迪拉インディラが会合で”名乗り出なかった者は楽に死ねると思うな”と言い放った事もあり、ただ首を刎ねるのではなく、見せしめとして苦痛に満ちた手法をとる必要がある。

 愚行に走る村が出たとの報が次々と届く事で、頭目はすっかりやつれ果てていた。食も受け付けず、英迪拉インディラの乳を吸って滋養をとらねばならないありさまである。


「御夫君様。こちらから民草に、名乗り出る様に改めて促してはいかがでしょうか」

「それでは意味がない! 自ら悔い改めるのでなければ、勅令に背くという大罪を赦せる物か!」


 見かねた侍女の一人が進言したが、頭目はそれを退けた。

 これ以上甘い顔をしては、勅令の重さが民衆に伝わらない。慣例に固執して新たな秩序を民意が拒む以上、恐怖をもって従わせるしかないのである。

 一揆衆の会合以降、頭目はあえて弗栗多ヴリトラと顔を合わせていない。

 件の庄屋一家を捕縛した際、”罰する対象が広がろうとも為すべき事を為す”と覚悟を示した手前、意見を求める訳にも、まして甘える訳にもいかなかったのである。

 英迪拉インディラに夜の床ですがる事のみが、彼の唯一の慰めだった。

 日に日に憔悴していく頭目を英迪拉インディラは憂いたが、身辺の警護や儀典といった近衛としての職務には長けている物の、御政道が苦手な彼女は、良き相談相手になる事が出来ないでいる。

 英迪拉インディラ弗栗多ヴリトラへ現状を報告した上で助言を求めようとも考えたが、頭目自身がそれを避けているのを頭越しに行えば、彼の面目を潰す事になりかねない。

 計都ケートゥ、そして一門の学師達は相談先として論外だ。”皇道楽土”実現の為ならば微笑を浮かべて平然と殺戮を行える計都ケートゥならば、更なる苛烈な提案を行い、頭目を余計に苦しめる事になるのではないかと英迪拉は警戒していた。

 那伽摩訶羅闍ナーガマハラジャの権威を保ちつつ、粛清の対象を極力抑え、かつ元賤民への蔑視を改めさせる。その様な提案を頭目は欲しているのであろうが、それに応えられそうな者は陣営に全く見当たらない。


英迪拉インディラ

「何でっしゃろ、坊?」


 正午に達し、時を知らせる銅鑼どらが鳴り終わると、頭目は傍らの英迪拉インディラに声を掛ける。

 続く言葉は、非情な決断だった。


「明日となったら直ちに兵を差し向けられる様、配下の将兵へ支度を整えさせよ。抵抗も逃亡も許してはならぬ。夜が明けぬ内に、迅速に各村を襲い、対象となっている全ての民を法術で拘束せよ。数が膨大だ、回収は後で良い」

「坊、坊! どないしはったんですか!」


 頭目の抑揚がない口調に、尋常ならざる物を感じた英迪拉インディラは思わず声を挙げる。

 顔を見ると、その瞳は濁り、感情が全くこもっていない。悲痛の余り心を閉ざし、理のみで動いている事が察せられた。


「悔い改める機会は充分に与えた。もはや寛恕の余地はない。救民が我等の大義であれば、最も弱き賤民の庇護こそがそれである。旧き世に固執する民百姓は、神宮やそれにおもねっていた者共同様に、討ち懲らすべき害悪となり果てた」

「……」

英迪拉インディラ。近衛筆頭として我が意を果たせ」


 民衆を鏖殺する決意を、まるで棒読みの様に淡々と述べる頭目の言葉に、英迪拉インディラは無言のまま呆然と立ち尽くして躊躇する。だが叱責を受けると、動揺を覚えながらも主命を果たすべく退席した。


(主上もセンセもあかん。誰か他におらへんのかいな。このまま伊勢の民を鏖殺っちゅう事になろうもんなら、坊がいかれてまう……)


 心優しき頭目が変わり果ててしまうのではないかと焦りを抱きつつも、捕縛の隊を編成する為、英迪拉インディラは室外に控えていた近衛に声を掛けた。


「おう、非番のもんも含めて、動かせる近衛全員に集合かけい。坊を困らせとる阿呆んだら共を、根こそぎひっ捕まえるんや」

「漁村、そして船大工や船方、沖仲仕 ※港湾荷役 の座といった、河や海に関わる民については水軍の所轄ですが、いかがしましょうか?」


 伊勢の沿岸部や海洋・河川の治安は、茨木童子の率いる水軍が担う。

 また、補陀洛ポータラカが漁村に供した新式の船舶である戎克ジャンクの習熟指導や、法術を使用した漁獲の向上といった活動にも水軍は深く関わっている。

 近衛は那伽摩訶羅闍ナーガマハラジャの名代たる特権を持つ為、水軍を介さず直接に沿岸部の住民を捕縛しても越権とはならないが、確執が生じない様に筋を通しておく必要がある。


「手が足らんよってな。そっちは水軍に任せるさかい、茨木の大将に遣いを出しい。海から他州へ逃げだそうとしたもんは土左衛門にせいっちゅうたれ!」

「承知しました!」


 英迪拉インディラの指示を近衛が受けた処へ、門衛を務めている羅刹兵が駆け寄って来る。


「どないした?」

「近衛筆頭殿。水軍大将殿が、御夫君様に目通りを願っております」

「捕縛の命が下るんを待ちかねて、自ら来たんかい。手間が省けたけども、全く血の気が多いやっちゃで」


 今日が賤民を虐待した者の出頭日限という事は、茨木童子も承知している筈である。捕縛の命が水軍にも下る事を見越して参内したのだろうと英迪拉インディラは思ったが、その用件は全く異なっていた。


「いえ。それが、一揆衆の内、水軍の所轄にある者共を引き連れております。旃陀羅チャンダーラ ※賤民 への虐待を行った者を説得し、引率して来たとの事です」

「ほんまか! ほいたら坊を呼ぶさかい、広間に通しときい」


(茨木の大将に一本取られてしもうたが、これで坊もちっとは楽になるで!)


 この十日間、頭目がずっと待っていた物が、ようやくもたらされたのである。

 英迪拉インディラは吉報を届けるべく、再び頭目の元へと戻って行った。

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