第42話

 ある農村。

 桑名で行われた一揆衆の会合の話を聞くべく、戻って来た庄屋の屋敷に集まった村人達は、その内容に激昂していた。


「冗談じゃねえ! かわたを小突いた位で死罪かよ!」

「何であんなもんを俺等と同じ身分にしてえんだ! 龍神様も頭目も、何考えてやがるんだ!」


 賤民解放の勅意に背いたとして、六名もの一揆衆を一度に斬首に処した頭目の処置を聞き、村人達は次々に怒号を挙げた。


「と、ところでよ。俺等も他人事じゃねえぞ。身に覚えのあるもんはこの村にも仰山おるぞ?」


 怒りと不満が渦巻く中、一人が漏らした不安に、部屋中は静まり返る。

 処罰を受けた者の村同様、この村においても、賤民解放の勅令は全く意識される事なく、賤民への暴行は続いていた。つまり、明日は我が身という事である。


「頭目は”十日の内に名乗り出れば軽い罰で済ます”っちゅうとったが……」


 庄屋は不安の声に対して、頭目が猶予を与えた上で出頭を促している事を改めて告げた。

 しかし、それにも猜疑を唱える者が出る。


「嘘をこけ! のこのこ出て行ったら、首と胴がおさらばってもんだ!」

「じゃあ、どうするだ?」

「黙っときゃ解りゃしねえよ! 銭がもらえるからっちゅうて、村のもんを売る奴はいねえよな?」


 ”密告に報奨を与える”という布告に従う者が出ない様に釘を刺す声に、皆が頷く。

 桑名の様に大きな街であればともかく、狭い農村で捕縛される者が出て、一方で急に羽振りが良くなった者が現れれば、誰が密告したかは明白である為、一時の利益に目が眩む者は出ないと思われた。

 だが、それに対しても庄屋が否定した。


「阿呆が! 村のもんが口をつぐんでも、かわたの側から龍神様に訴え出りゃ終わりなんじゃ!」

「んじゃあよお、かわた共がある事ない事言い立てたら、龍神様は……」

「そうじゃ。御触れを無視されて頭目は御立腹じゃあ。恐らく龍神様も同じじゃろ。あの分じゃ、かわたの言い分を全部呑みかねん……」


 加害者が出頭しなくても、被害者が訴え出れば、当然に捕縛の兵が差し向けられる。

 そして疑いを掛けられた者は、白状するまで容赦ない拷問に掛けられるだろう。

 それが真実かどうかは問題ではない。問う側が聞きたい答えが返ってくるまで、責めは容赦なく続くのだ。


「どっちにしろ、俺等は終わりって事かよ……」

「”逆らうもんはみなごろし、赤子一人とて見逃さぬ”っちゅうのが、龍神様の口癖じゃからのう……」

「そ、そんな事もないじゃろ、庄屋様。頭目は今回も、豪勢な土産を持たせてくれたでねえか。俺等の言い分だって聞いて下さるじゃろ」


 沈み込む皆に、一人の村人が希望を口にした。

 会合に参加した一揆衆には、前回同様、帰途につく際に豪勢な土産を持たされていた。

 今回は、尾州で買い付けたという酒と餅だ。正月でもなければ、百姓が食する事等かなわなかった物である。

 滅ぼすつもりの相手に、そんな贅沢な物を渡す筈がないというのが、希望を口にした者の根拠である。

 実はそれが正しい答だったのだが、場に渦巻く疑念がそれを打ち消してしまった。


「罪人が仕置場に引き出される前によ。未練を残さねえ様、馳走が振る舞われるってのを聞いた事ねえか?」

「じゃあ、あれは……」

「間違いねえ。”村ごと死罪にするから覚悟せい”っちゅう前置きだ。気前がいいのも無理はねえ」


 頭目としては、厳しい事を申し付けた事もあり、民をなだめる意図での土産だった。

 しかしこの村では、それがかえって疑念を抱かせる元となってしまったのである。


「だ、だけんども。かわたをどついた事でいちいち死罪にしとったら、伊勢の百姓は鏖じゃあ。誰が田畑を耕すだよ?」

「龍神様にしてみりゃ、儂等がくたばった後に天竺から百姓を連れて来て、主がなくなった田畑を与えて代わりにすりゃええんじゃ。田畑を継げん次男・三男なんぞは、天竺にもいくらでもおるじゃろうしのう」


 働き手としての百姓の価値を指摘する声をも、首のすげ替えがきく物として庄屋は否定した。

 だが、庄屋の予測に反し、弗栗多ヴリトラは、自国の民を伊勢に入植させる事には慎重だった。

 旧弊を改める実践の地として和国を欲したのだから、和国以上に過酷な身分制度に意識が囚われた本国の民衆は、改革の妨げになると考えている為である。普蘭プーラン奥妲アウダの様な学徒は、才覚によって選ばれ、かつ一門によって徹底的に思想を植え付けられた知識層として、あくまで例外という位置づけだ。

 だが、弗栗多ヴリトラのその様な思惑を知らないこの村の者達は、悪い方へと連想を走らせて行く。


「掟を守らんもんはいらん、そういうこっちゃろ。約定を軽んじたのは、伊勢の百姓の側なんじゃ……」

「ほんじゃあ、尾州でも美州でも、伊勢の外へ皆で逃げるべえ! 命あっての物種じゃあ!」

「どこへじゃ! 街道も州境も、鬼侍が目ぇ光らせとる! 海も水軍の船が巡っとるぞ!」

「逃がさんぞっちゅう事かよ……」


 前回の会合以後、伊勢では軍による巡回が厳重になっている。

 件の庄屋の妻が熱田の間者であった事を受け、領外に通じる者が他にいないか、侵入を企てる者がいないかを警戒しての事なのだが、一揆衆を含めて伊勢の民にその理由が知らされる事はなかった。

 その為、勅令に反した事への懲罰を怖れた民が他州へ逃亡する事を防ぐ為ではないかと、この村の民は受け取ったのである。


「八方塞がりっちゅう事かい!」

「名乗り出て慈悲にすがりゃあ、仕置きされるにしても、ちったあましかも知れんぞ……」

「首を刎ねられたもんは、どれも苦しみ抜いた死に顔じゃった。きっと、散々に責められたんじゃろうなあ……」

「ほんじゃあ、どうすりゃええだよ!」


 刎ねられた首を見た庄屋は、出頭すればせめて楽に死なせてくれるのではないかという希望すらも否定した。

 進退窮まった村人達を前に、庄屋は意を決し、傍らの女房に声を掛けた。


「おい、こういう時にこそ使うあれがあったじゃろ。持って来てくれい」

「でも、御前さん。あれは……」

「ええから!」


 女房は躊躇した物の、庄屋に強く求められた為、隣室の押し入れから木箱を持ち出して来た。


「庄屋様、こいつぁ!」

「ああ、一揆衆が神宮に対して決起した時なあ。はっきり言って勝ちの目は薄かったんじゃ。負けて捕らえらりゃあ、惨い責めが待ち受けとると思ってのう」


 木箱の中身は、一服分づつ紙に包まれた劇薬である。

 神宮の治世下で、農村は穀物や菜物の他、薬売りの商品として薬草を栽培させられていた。

 薬草は神宮の専売とされ、僅かな銭で強制的に買い上げられる為、百姓の利益には殆どならなかったのだが。

 これらの内には、薬効が高い代わりに、熟練した者が扱わねば死に至る劇薬もあった。

 一揆衆は決起する際、敗北に備えてその様な劇薬を自害の為に用意していた。

 捕らえられて責め苦を受けぬ為、そして耕し手である自分達を滅ぼす事で、為政者側の神宮を道連れにしようと考えていたのである。

 龍神の加護を得た為に一揆衆は勝利し、劇薬は使う必要が失せてしまい込まれていた。

 よもやこれを使う事態になるとは、村民の誰もが思いもしなかっただろう。


「これで…… 死ねってかあ!」


 死を目前に突きつけられた村人の悲痛な叫びに、庄屋は黙って頷いた。


「龍神様の責めと来りゃあ、神宮のそれとは比べもんにならんじゃろ。何せ、奈落で罪人を責め立てとるのと同じ、赤鬼青鬼が何百も側に侍っとるんじゃからなあ」

「で、でもよう……」

「潔うせんかい! 儂等は博打に負けたんじゃ。龍神様の造りたい世は、儂等の望むもんじゃなかった。かわたと百姓を対等に扱う世なんじゃ!」


 庄屋の怒声に村人達は絶句し、そして誰ともなく嗚咽を漏らし始めた。

 やがて一人が、家族の数だけの毒、そして酒と餅を受け取ると、うつむききながら屋敷を後にして行く。

 それを見て、一人、また一人と村人が続き、最後に庄屋夫妻が残された。

 帰途につく村人達を見送った庄屋は女房に盃を二つ用意させ、酒を注がせると、それに劇薬を溶かす。


「御前さん…… これで良かったのかい……」

「邪神に縋った因果応報かのう。これも運命じゃ……」


 二人は毒杯をあおり、半刻程もがき苦しんだ末に息絶えた。



*  *  *



 翌朝。

 ひっそりと静まり返った村で、羅刹兵の一隊が家々を廻っている。


「全戸の屍を人別改と照合しました。相違、漏れ共ありません」

「よし。腐らぬ様、法術で処置したな?」


 家屋から遺骸を担いで出て来た兵達の報告に、指揮する武官が確認する。


「勿論です」

「うむ。死ねば田畑は耕せぬが、贄として神属の腹を満たすにはまだ使える。毒をあおいだ様だが、神属には効かぬ種だ」


 兵の答えに武官は満足そうに頷いた。

 那伽摩訶羅闍ナーガマハラジャに忠誠を尽くす彼等にとって、勅令に背いた民の遺骸を糧食とみなすのは当然の事である。

 労働の役に立たなくなったのだから、最後には食して利用すれば無駄が無い。


「御夫君様の御慈悲を受ければ、軽い罰で済んだ物を……」

「哀れむ値打ちなどない。詔を軽んずる様な輩、生かしておいてもいずれ皇国に仇為すのは必定だ。皇国の兵たる者、背いた民に情けは無用と心得よ」

「申し訳ありませんでした!」


 一人の兵が哀れみの言葉を漏らすが、武官がそれを打ち消す。

 羅刹ラークシャサ達は次々と遺骸をむしろにくるんで簀巻すまきにすると、馬車へと積み込んで行くのだった。

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