第3章 地侍の女房

第1話

 女が次の目的地に向かうべく街道で馬車を進ませていると、道端で手を挙げて呼び止めようとする人影を見つけた。

 女同様の壺装束という事から、武家の女性と思われる。

 年齢は十八位か、同じ年頃の娘に比べてやや背が高く、女とほぼ同じ位である。

 背には赤子を背負っていた。


「何か用かい?」


 女は、呼び止めようとした武家らしき娘の横で馬車を止めた。


「もし、薬売りの方ですか?」


 どうやら、薬を求める客の様だ。


「よく分かったねえ」

「女性の御者が乗った、馬が牽く荷車なら、それが薬売りの看板みたいな物と伺っております」


 伊勢の薬種商が行商に馬車を使い始めたという噂は、当事者が戸惑う程の短い間に、尾州中に広まっていた。

 ”馬車に乗るのは伊勢の民、その内で御者が女であれば薬売り”というのは、尾州では常識になりつつある。

 女自身は、何故かそれを自覚出来ないままだったが。


「そうかい。本来は得意先の家々を廻っての置き薬があたしらの商売のやり方だけどさ。誰か急病人でも出たんなら、お代さえ頂けりゃ薬を分けてあげないでもないよ?」

「いえ、そうではないのです」

「じゃあ何だい?」

「この子を買っては頂けませんか?」


 伊勢の薬売りは赤子を買うという話もまた、尾州で急速に広まっていた。

 七つまでは殺しても罪に問われないとはいえ、育てるつもりがなくとも我が子を手に掛ければ後味が悪い。

 銭になるのだから売ろうと思うのは、人情からも損得勘定からも自然な流れである。


「そういう事かい。しかしお前様、身なりも良い様だし、食うに困っている様には見えないけどねえ」


 貧しさから養えないという訳では無く、手元におけない事情が別にあるのではないかと女は察し、詳しい話を聞く事にした。

 相手は嫌がるかも知れないが、拐かされた子という事もあり得るので、子を買う前には一通り事情を確かめる必要がある。


「お前様、旅装束と言う事は、この子が原因で出奔でもしたのかい?」

「ええ、まあ…」


 武家らしき娘は、口を濁しつつ認めた。

 離縁されたというなら、子は嫁ぎ先に置いていくのが通常だから、その線は薄いだろうと女は考えていた。

 不義の子でも産んだのだろうか。

 望まれぬ子ならば、伊勢にとっては丁度良い。

 また女は、子だけでなく母親の側にも利用価値があると考えた。

 伊勢では、神宮側の知識層の多くが一揆勢による処断の対象となった為、教養を備えた人材が不足しているのである。

 武家の出身であれば、教養を身につけているだろう。


「もし良ければ…」


 女が言いかけた時、側道の方から、勢いよく蹄の音が響いて来た。

 騎馬とみて間違い無い。それも複数だ。


「き、来た!」

「追われてるのかい? とりあえず馬車に隠れておいで」


 武家らしき娘は赤子を抱えて馬車の奥に潜り込み、荷の後ろに隠れた。

 女は厄介事に巻き込まれつつある事に心中で舌打ちしつつ、場合によっては追っ手と争う腹づもりを固めた。

 馬車では早馬から逃げ切れないが、女がその気になれば、人間の兵如きどうという事は無いのだ。

 後々の処理が面倒になる為、荒事を控えているだけである。


「いたぞ!」


 騎馬の集団は、馬車に駆け寄ると、騎乗したまま周囲を取り囲んだ。

 数は六騎。

 騎馬を乗りこなすからには雑兵の類ではない事はすぐわかる。

 また全員、大小の刀を腰に差し、揃いの胴丸を身に付けている。

 武具が整っている事から、野盗とも思われない。

 本職の武士、つまりは士分の身分を持つ者達だ。

 しかし、尾州領家の手勢である事を示す五瓜紋はない。

 それらの事から、女はこの武士達を、村落規模の荘園を自治支配する小領主、いわゆる地侍の郎党だろうと判断した。

 地侍は近隣の守護、この地の場合は尾州領家と盟約を結び、戦時の出征を条件に自領の自治権を保証されている立場である。


「女! 匿った母子連れを引き渡せ!」

「何の事だい?」


 馬車の前に回り込んだ統率役らしき武士が、居丈高に怒鳴りつけたが、女はすまし顔でとぼけた。


「とぼけても無駄だ。お前がその荷車に乗せるのを見た!」

「おや、お前様、遠目が利くのかい。でも事情が解らない内に、はいそうですかと渡す訳には行かないねえ」

「家中の事に、関わり無用!」

「馬車に乗せた以上、こっちにも責があるからさ」

「女、命が惜しくば従え!」

「あたしは伊勢の薬売りだよ? 手を出したらどうなるか、お前様方も知ってるだろう?」


 伊勢の薬種商に危害を加えれば、間違いなく死罪である。

 薬種商が訪問しなくなれば、治世に重大な支障を来しかねない為だ。


「我等は尾州殿から自治を保証されている。伊勢の薬座と言えども、逃亡者を匿えば処断するのみ!」

「この街道は尾州の直轄領だよ。お前様方の自治の外さ。あたし達相手に騒ぎを起こせば、お前様方の領地なんて取り潰しだよ?」


 自治権が保証されている以上、自領では伊勢の薬種商の特権を認めないというのが、地侍側の主張だ。

 しかし、ここは既に領外である為、尾州の法が適用される。


「尾州も、お前様方の様な地侍は目の上の瘤なのさ。領地を召し上げる機会があれば躊躇しないだろうねえ」

「女の分際で御政道を語るか!」


 守護にとって、完全に臣従する事を拒み盟約の関係に留まる地侍は、煩わしい存在でもある。

 図星を突かれた統率役は声を荒げたが、女は嗤った。


「違うというなら斬りかかってくればいいさ。あたしを斬れば、尾州がやらなくても、うちの龍神様がお前様方の領地を滅ぼしてしまうけどね」

「出来る物か!」

「龍神様なら伊勢からここまでひとっ飛びさ。後から治める事を考えないなら、丸ごと鏖殺しちまえば楽だしねえ」

「お、鏖殺とは?」


 ”鏖殺”の一言に武士達が狼狽えた処に、女はさらに追い打ちの言葉を放った。


「解らないかい? 女子供に至るまで領民もろとも皆殺しって事さ」

「龍神は、女子供も手にかけるというのか…」

「当然さ。なまじ見逃せば、後から仇討ちを企てるかも知れないじゃないか。神宮の連中は、赤子一人に至るまで処断したよ」

「酷い事を…」

「大昔の清盛入道とかいう奴は、敵方の幼子を助命した余りに、後から天下を奪われたって言うからねえ。先の例があるってのに二の舞を演じたら、阿呆も極まれりってもんさ」


 ”皆殺し”と平然と言い放つ女の言葉に、武士達は唾を飲み込んだ。

 一揆衆による伊勢の下克上が、異国から来訪した龍神の加護による物だという事は、彼等も承知している。

 女の話が大袈裟なはったりと受け止めてはいなかった。

 龍神にとって、加護を与えている民に危害を加えた者を、領民もろとも踏みつぶす事に何の躊躇もないだろう。

 だからといって母子を見逃す訳にもいかない。

 退くに退けない彼等は無言のまま、女とにらみ合いを続けた。


「こうしていても埒があかないねえ。まずはお前様方の屋敷に行って、両方の言い分を聞こうじゃないか。その上で決めさせてもらうよ」

「ご同道頂けると言うのか」

「こっちも、あまり派手な振る舞いはつつしみたいんだよ。交渉事でおさまるんなら、その方がいいじゃないか」


 女の思わぬ譲歩に、武士達は胸を撫で下ろした。


「お前様がこの中で格上と考えていいのかい?」

「如何にも。拙者は近隣の村を領地としておる。後の者は、当家の郎党共だ」


 女は統率役の答えに、少し驚いた。

 装備が他の者と大差がない為、単に筆頭格の郎党だと思っていたのだ。

 領主が自ら郎党を引き連れて追うという事は、よほどの訳ありなのだろう。


「言っておくけどさ。話を聞いた上であたしがお前様方の言い分を否としても、力づくでどうこう出来るとは思わない方がいいよ?」

「承知した。ところで、母子連れを改めさせて頂きたいのだが。手荒な真似はせぬと約束する」

「じゃ、荷の隙間から覗いておくれ」


 領主の求めに対し、女は、馬車に積まれた樽や木箱の隙間から覗く様に言った。

 それに従い領主が馬車を覗き込むと、確かに目的の母子連れがいた。

 母親は赤子を抱えたまま眠りこけている。


「よほど疲れていたとみえて、よく寝てるよ。起こさない方が面倒がなくて良いだろう?」


 伊勢の馬車には、盗難対策として結界が仕掛けてある。

 人間が不用意に馬車の中に入ると眠り込んでしまうのだ。

 入る場合は、結界に対応した呪府を携帯するか、予め対抗する法術を自分に掛けておく必要がある。

 また、人間のみを対象とした結界なので、女には全く影響がない。


「では、参ろう」


 母子の姿を確認した領主は、女に馬車へ乗る様に促した。

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