第4話
二人は身支度を調え、元締めと三人で朝餉の席を囲んでいた。
味噌汁に焼き魚、沢庵、そして麦飯。
この時代としては、比較的豪華な朝餉である。
「良かったじゃないか! これでまた、人気が出るだろう。身請けの口があるかも知れないし、頑張れよ!」
「そういう人を捕まえられるといいですよね!」
元締めと飯盛女は、笑顔で盛り上がっている。
昨日までは厄介者だったのが、治った途端に期待の稼ぎ手扱いである。
手の平を返した様な元締めの態度に、女は内心で苦笑していた。
「喜んでいるとこを悪いんだけど。今後の事について大事な話があるんだよ」
朝餉を食べ終えて湯を飲みながら、女は切り出した。
「…これには席を外させましょうか?」
「いいや。一緒に聞いておいて欲しい事だからね」
「それで、どういった話でしょうか」
「あの張型。元々は花柳病の薬じゃないって事は、元締めさんには話したよねえ?」
「ええ。しかし、効きさえすりゃ、手前どもとしてはどうでもいい訳ですが。どういう物なのです?」
「あれはねえ、種付け薬なんだよ」
「種付け?」
「そう。あれの中に詰まってたのは、男から絞った子種と、子を確実に孕んで無事に育つ為の薬が調合されてるんだよ」
「ブゥッ!」
元締めと飯盛女は、同時に湯を吹き出し、ケホケホとむせ返った。
「何だい、汚いねえ」
「じゃ、私のお腹には…」
「あれで子が宿った筈さ。産まれるまでおよそ十月の間、薬の効能で花柳病とは無縁だね」
「そ、そんな…」
「お前様方、治るならどんなでも構わないと言った筈だよ?」
「中条流で流してしまう訳にはいかないのですかな?」
中条流とは、いわゆる堕胎の事である。
この時代の堕胎は、母体の死亡率も高い、危険な行為だった。
「駄目だね。その薬は、腹の子を守ろうとする母親の身体のしくみを徹底的に強めるのが効能でね。花柳病が治るのもかからなくなるのも、その内の一つだからさ。もし流したら、効能も消えるよ?」
「しかし腹が大きくなってしまうと、客がつきにくくなるのですよ」
「薬が効いている女を花柳病にかかった男が抱けば、男の側も治るんだよ。その効能をうたってやれば、客なんていくらでもつくさ」
「それは凄い。しかしそうなると、産ませた上で間引く他ないでしょうかなあ」
元締めは善後策を冷静に考えているが、飯盛女の方はと言えば、先程の笑顔は消え、沈んだ様子である。
治療の為とは言え、流す事が出来ず、産んですぐに間引かれる運命の赤子を腹に抱え続ける事になるのだから無理もない。
「さあ、そこで。伊勢ではあたし達の様な行商人を使って、赤子を仕入れている事は知っているかい?」
「確か、飢饉のせいで七つまでの子を一人残らず”返して”しまって、その代わりと聞いております」
流石に宿場街の元締めだけあって、情報には耳ざとい。
一方、飯盛女の方は衝撃を受けている様だ。
「一人残らず”返す”なんて…そんな、酷い事を…」
「仕方なかったのさ。お前様だって貧しい暮らしを知ってりゃ解るだろう? 伊勢の百姓は圧政に耐えかねて一揆を起こし、下克上は成ったけど。食うに困らなくなっても、返した子の事はどうしようもなくてねえ」
「身から出た錆ですよ、そんなの!」
女は事情を説いたが、飯盛女はよほど腹に据えかねたのか、吐き捨てる様に言葉を返した。
自分を口減らしの為に売った親と、子を返した伊勢の百姓を重ね合わせたのかも知れない。
そうしなければ皆が飢えると解っていても、犠牲になる側としてはたまった物ではない。
まして、食える様になったから代わりを買い漁るとは、身勝手も極まれりと思われて当然だろう。
「今は良くとも、二十年も経てば働き手が不足する訳ですな。今から産み始めても、七年の間が空いてしまっているのは苦しいでしょう」
「それで、一揆衆の指示であたし達行商人が、本職の傍らにいらぬ赤子を買って廻ってるんだけど。全然足りやしなくてねえ…」
「成る程。それで、花柳病にも効能がある種付け薬を、手前どもの様な宿場に売り込んで、借り腹をしようという魂胆ですか」
「そういう事だよ。元締めだけあって察しがいいねえ。産婆は臨月の頃になったら伊勢の者をこちらへ寄越すし、産んだ子は全て伊勢で引き取るって事でどうだい?」
元締めは冷静に事情を汲み、女の狙いを言い当てた。
女もそれに応え、交渉が始まった。
「そうですなあ…赤子一人につき、銀五匁も頂ければ」
「うーん、それじゃあ高すぎるよ。薬を只にする代わり、一人につき一匁でどうだい?」
「銭百文で銀一匁ですから、その条件なら実で二匁と等価になりますか。そちらが寄越した産婆の宿代は頂けるのでしょうな?」
「相談次第で、今後は薬座の者の宿賃を勉強するって言ってたねえ? それに含まれてるかい?」
「そうですな。産婆も含めて、薬座の方の宿代は三割引かせて頂きましょう」
「高いよ。半値だね」
「ふむう。ではその代わり、伊勢の薬を手前共に卸して頂けませんかな。客に売れると思いますのでな」
「百文で良ければ、卸す様に手配してもいいよ。利をどの位乗せるかは、お前様方の裁量さ」
「伊勢の薬を扱えるなら、願ってもない事です。では、その辺りで手を打ちましょうかな」
「待って下さい!」
女と元締めとの商談がまとまろうとした時、それまで双方のやり取りを黙って聞いていた飯盛女が声を挙げた。
「何だい? お前様だって花柳病の心配をしなくて済むじゃないか。損な話じゃないだろう?」
「誰の種やら解らない子でも、お腹を痛めて産むのは私達じゃないですか!」
「大切に育てるさ。龍神様がいるから、伊勢は豊作に豊漁が約束されてるんだ。二度と”子返し”なんてしないから安心おしよ」
「薬屋さん、これはそういう事を言ってるんじゃあないと思いますよ?」
「ああ、そういう事かい」
元締めの指摘で、飯盛女が産んだ子の運命を思いやっているのではなく、実際に産む飯盛女の取り分を求めているのだと、女は理解した。
口減らしを非難した同じ口で、我が子の値を交渉しようとするとはいかがな物かとも思うが、その位図太くなければ生き辛い世でもある事も解る。
「じゃあ、宿に払う銀一匁とは別にさ。産んだお前様にも、子との手切れとして五十文を払うとしようかね。それで納得するかい?」
「産んだ子を売る外道に墜ちるんだから、もう少し色をつけてもいいじゃないですか?」
「お前様も言うねえ。そういうしたたかな娘は大好きさ。銀一匁だ。宿の取り分と等価だから、これが天井だよ?」
「…解りました。他の娘達も、同じ条件でお願いします」
「釘差しとはしっかりしてるねえ。約束するよ」
朝餉を終えると、元締めの手配により、この店の飯盛女全員へ投薬する事となった。
飯盛女達は皆、最初の一人が綺麗に治ったのを見て、花柳病の薬が出来た事を素直に喜んでいた。
いずれ自分達も重い病を抱えて野垂れ死ぬ運命と諦めていたのが、健やかに年季明けを迎えられる希望が出来た為である。
借り腹の事や、赤子を買い上げる条件についても、特に異議は出なかった。
春をひさげば妊娠はつき物で、出来た子に情を持つ飯盛女は希有との事だ。
投薬の苦痛も、効能がはっきりしているので、飯盛女達はよく耐えた。
また、張型の話を聞きつけ、他の宿の主達も売って欲しいと持ちかけて来た為、女が馬車で持参した全てがすぐに売り切れる事となった。
条件は元締めの宿と同一で、やはり同様に、他の薬も宿泊客への販売用として卸す事になった為、この宿場街での女の商いは結構な売り上げとなった。
「子の対価は気前よくし過ぎたが、この宿場街をすんなり”赤子の畑”に出来た事は概ね満足じゃな。それに他の薬も売れる益を考えれば、銭の面でも儲けは充分出るのう」
誰に聞かれるでもなく、女は本来の口調で今回の総括をつぶやいた。
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