不老不死の心臓を喰らえば不死となれる

 不老不死の心臓を喰らえば不死となれる。


◆◆◆


 セネカはもう疲れたと足を止めた。


「不死なんて馬鹿げている。王様はご乱心だ!」


 叫んでから周囲を見渡した。静まり返る夜の森には獣一匹見当たらない。ふむ、誰かに聞かれて密告されたり兵士に捕まったりはなさそうだ。


「あーあ。本当に死神がいるかなんて何で俺が見に行かないといけないんだ。こんなの騎士の仕事じゃない」


 面倒臭いとセネカは木の根に腰を下ろした。


「死神の森ねぇ。ちびっこイタズラ王様の無茶苦茶な命令には参っちまう」


 七歳になったばかりで戴冠たいかんしたお飾りの王様はわがままだ。ドラゴンの尾が欲しいだの、人魚を飼いたいだの、死神の不死の力を手に入れろだの、子供の夢物語ばかりだが王様だから彼の命令には従うしかない。


「自分の命令の末路を知らないというのは罪だよなあ」


 昔から魔女が住むとか妖精の家だと伝えられている"黒の迷い森"。名称の通り枯葉ばかり、それも黒い葉ばかりの暗く不気味な森に、王様は死神がいるとセネカに探索を命じた。失敗すれば田舎の一族郎党罰を受けるだろう。幼い王様はそんなこと知りもしない。


「どんな嘘で帰国するかね」


 面倒だとセネカが溜息を吐いた瞬間、ドサリと何かが落ちてきた。黒い塊がノソリと動く。立ち上がって腰の剣を引き抜いてに向かって切っ先を突きつけた。


「嘘なんて必要ないわ。ついて行ってあげる」


 黒いフード付きマントから若い女の声がした。女は直ぐにフードから頭を出した。あまりの美しさにセネカは呼吸を忘れた。


 雪のように白い肌、異色の瞳、蜂蜜色の長い髪。城下街を行き交う着飾った貴族の娘も霞む程の麗人れいじん。しかし生気が全く感じられない。


「お望みの死神よ」


 無表情の女が一歩、一歩とセネカに近寄ってくる。逃げるも戦うも選ぶ前に剣を手で掴まれた。


「本当に死神か……」


 女は素手で剣の刃を握ったのに血の一滴も流さなかった。男であるセネカの力をもってしてもピクリとも剣は動かない。


「さあ?そろそろ退屈していたの」


 あどけない顔つきなのにまるでセネカよりもずっと長く生きているような、妖艶ようえんな微笑にセネカの心臓は鷲掴わしづかみにされた。


◆◆◆


 死神を連れ帰ったセネカに王様は褒賞ほうしょうを授けた。田舎の病気がちな両親に薬を与えることができ、不作の村が一冬越せる。セネカは大喜びした。しかしのその後は不明で常に気になった。


「王様が新たな御布令おふれを出すそうだ」


 城下街、城の正面の噴水大広場の掲示板に王の新たな法令が掲示された。


【死神に心臓を作れ】


 ところが1日で撤回された。そして次の日から死神を名乗る女が噴水大広場に現れるようになった。


「不老不死の心臓を喰らえば不死となれる。私に心臓を与えれば不死を手に入れられるわよ」


 質素な白いドレスに身を包んだ美女が噴水の前で歌い、踊る。美麗さに目を奪われても、いやいやあれは基地外女だと遠巻きにされた。そこに王様が現れた。先王時代の戦争で疲弊ひへいし、食糧難に喘ぐ街にはそぐわない豪華絢爛ごうかけんらんな装い。城門警備をしていたセネカは王様の背後に剣を構えた。民が今にも暴動を起こしても不思議ではない。


「ハロスよ、どうしたら君に心臓が作れるのか?約束通り外へ出た」


「死神の心臓は心よ。さあ周りを見渡してバシレウス。この国に心はあるかしら?」


 王様がぐるりと噴水大広場を見渡した。


「なぜ皆あのように小汚くげっそりとしているのだ!あの子供など裸足ではないか!」


 王様の台詞にその場に居るものが怒りを覚えた。お前のせいだと激怒が爆発する寸前、噴水の頂上にハロスが座った。まるで椅子に腰を下ろすように噴き出す水の上に優雅に。民は凍りついた。基地外女ではなく、本当に得体の知れない何か、。民はハロスに釘付けになった。


「聞いてみたらどうかしら?だってここは貴方の国よバシレウス」


 ハロスは今度は噴水の上に立った。くるりと体を回転させて両腕を広げる。太陽がハロスの髪の毛一本動かない黄金の髪に反射してまるで背中に翼が生えているかのように煌めいた。「天使だ」と誰かが呟いた。


 王様が一番近くにいた子供に声をかけた。誰もが知っている、裏通りの孤児。手を繋ぎ合う王様と歳の変わらなそうな男女。


「何故裸足なのだ」


「靴など買うお金はありません」


 孤児達は恐れおののきながらも素直に答えた。それならばと王様が胸元のエメラルドの宝石を差し出した。その瞬間ハロスが飛んでバシレウスの背後にトンッと着地した。


「あらこんな幼い子達。その宝石を奪われて殺されるかもしれないわね。それでも良いの?」


 ハロスが愉快そうに声を上げて笑った。その瞬間セネカの背筋が寒くなった。的確かつ真実。ハロスはこの国の現状も繰り返される犯罪もまるで全部知っていると言わんばかりのあざけりの声だった。


「どういうことだ?」


「周りを見渡してバシレウス。他にもいない?その宝石が必要な者」


 王様は立ち上がって噴水大広場をぐるりと眺めた。


「南の村三つ、東には四つ、北と西には二つずつ村や町があって全部貴方の掌の上よ。バシレウス、もう一度問うわ死神の心臓は心よ。この国には心はあるかしら?私はこの国の死神よ。この国に心がないと死神に心臓は作られない」


 ハロスが孤児の女の子を捕まえた。悲鳴をあげた女の子はハロスの腕に抱きしめられた。


「聞こえるかしら?私の鼓動」


 恐怖で青ざめた女の子がブルブルと首を横に振った。孤児の男の子がハロスの足に体当たりしたがハロスはピクリととも動かなかった。ハロスは女の子を腕から降ろして頭を撫でた。それから呆然とする民に背を向けて、王様を城へと引きずっていった。


◆◆◆


 翌日、城下街の孤児達が何者かに誘拐された。


◆◆◆


 セネカは頭痛をやわらげようと、こめかみを指で揉んだ。


「それで死神よ、いや天使よ。貴方はこの国を救いに来たのならば何故こんな回りくどい真似をするのだ?」


 風呂から出て来た孤児達は一人一人ハロスに布で水気を拭かれて、粗末ながら以前よりはマシな服を着せられた。絢爛けんらんな室内の隅に子供達が集まって怯えた目をしてハロスを見つめている。


「救いに?滅ぼしても良いのよ。どちらでも良いの。バシレウスが心臓をくれるか、くれないか。大事なのはそれなのよ」


 サラリと告げた言葉には威圧感が含まれていた。それもセネカの足を震わせるほどの。ハロスは自身が名乗る通りだ。慈悲ある天使とは感じられない程におどろおどろしい。


「あの小さな無知で愚かな王様がこの国をどうするのか?さあ見届けなさい。貴方が死神を招いたのよ」


 最後の子の身支度を終えるとハロスは立ち上がってセネカの前に立った。それからそっと頬に唇を寄せてきた。恐怖で動かずにいたが、ハロスのあまりにも冷たい接吻にセネカは更に体を固めた。


◆◆◆


 翌日、ハロスに唆された王様により王家の従者の半数以上は城から追い出された。


 死神に国を乗っ取っられ多くの者が嘆き悲しんだ。


◆◆◆


 それから六十年経過した。


◆◆◆


「不老不死の心臓を喰らえば不死となれる。心臓はまだ?」


 いつも聞かされきた歌はいつの間にか子守唄のように優しい響きに変わった。いつからだっただろう?


 父親と母親が病死して死を恐れた幼かった自分を思い出し、質素な寝台の上でバシレウスは微笑んだ。死神を招いた騎士は恐怖で城から逃げ出したのに、ハロスは追わずにバシレウスの隣で「心臓はまだ?」と歌ってきた。不思議な死神は怖い存在ではなかった。


「どうだいハロス?心臓は作られたかい?」


 遠退く意識の中でハロスの冷たい手だけは鮮明だった。もう目も見えない。美しい死神の姿を最後にもう一度見たかった。まぶたの裏には焼きついている。何年経っても変わらない綺麗な少女の姿。


「ええ勿論。貴方も不老になりたいかしら?」


 答えは分かっているという声だった。バシレウスは精一杯ハロスの手を握った。ほとんど力は入らなかった。


「いや、ずっと側にいて私は君をとても悲しいと思った」


「そうよ。だから死神の心臓は喰らってはいけない。おやすみなさいバシレウス。貴方は神話の中で生き続けるわ」


 小さく頷くと眩い光がバシレウスを包んだ。


◆◆◆


「緑の国はどうだ?」


「ハロス国のことよね?」


「そうだ。そろそろ葡萄ぶどうが豊かに実り祭りが開かれる。今年の旅行はハロス国にしよう」


「そういえばお祖母様に聞いたことがあるの。緑の国は大昔は灰の国と呼ばれていたと」


「死神に脅されて改心した王様の話だろう?」


「違うわ。女神が現れて王にひと枝の緑をもたらしたという話よ」


 ルーオの隣で夫婦か恋人らしい仲睦まじい男女がハロス国の御伽話で盛り上がっていた。幸せそうに笑顔を交わしている。


「あれもユーの話?」


 ルーオの隣でぼんやりとしているユーに声を掛けた。ユーがいつも通りそんな事もあったわねという表情で昔語りを始めた、死神と名乗って国を乗っ取ったこと。その末路。


「似ていたのよ。セネカという男が懐かしいあの人に。それでつい人里へ行ってしまった。そして孤独な小さい王様や今にも暴動が起きそうな国に同情したの」


「懐かしいあの人?」


 固く唇を閉じてユーは首を横に振った。その話だけは決してしてくれない。


「王様はどうなったの?」


「緑の国を創ったわ。ちやほやされて、甘やかされて、傀儡かいらいとして育てられていたけれど根は良い子。無知の罪を償い、自力で道を切り開いた。バシレウスは真の王となって不老不死を手に入れたわ」


 穏やかな微笑みを浮かべてユーが何処からともなく緑色の宝石を取り出した。体の中に埋めているのだろう。


 王様は永遠に死なない。


 少女の胸の中で、永久に生き続ける。


 御伽話も失われないだろう。


「ユー、俺は君に本物の心臓を与えたい。必ず」


「その為の旅だもんね」


 期待していないという眼差しに胸が痛んだ。何百どころか何千年と生きる、本物の不老不死。ルーオはユーの過去を知るたびに二人の距離が離れていくことを感じていた。何の考えもなしに「人に戻る方法を探そう」と小指と小指を結んだあの頃から、自分だけが進んでいく。ユーと似合いの年頃がそろそろ過ぎる。見上げていた顔も見下ろすようになった。


「御伽話は綺麗だわ。でも多くの血が流れた。私は本当に死神よ。いつもね」


 緑の宝石を掌で包むとユーはルーオに微笑みかけた。ユーはどうしようもなく"人"なのだ。体は金属で人の温もりを失っている。しかし悪しき感情に突き動かされた時に破壊をもたらす愚かさや、愛する者を守りたいという優しい心、矛盾を抱える複雑な心は残されている。決して神にはなれない。


 孤独に耐えきれなくて人里へ現れては人生を謳歌し、絶望を繰り返す。


◆◆◆


 不老不死の心臓を喰らえば不死となれる。


 たとえもし本当だとしても彼女は心臓を与えない。


 誰よりもその悲劇を知っているのは不老不死の彼女だ。

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剣物語 あやぺん @crowdear32

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