第220話 再試験 下 ☆


 再試験の願いは冒険者ギルドに快く受け入れられた。

 試験は明日。場所は、試験官が決まり次第、連絡するとのことで、ヴィルヘルミナは逗留した宿の食堂で知らせを待っていた。

 連絡待ちついでに、彼女は勇気を鼓舞するためなのか、試験前の緊張を和らげるためのなのかわからないが、机の上に仁王立ちになり大演説を行っていた。


「私、ヴィルヘルミナ・ブラマンジェはかつて力におごり、道を失った。しかし素晴らしい仲間と出会えた今! この私に驕りはない。恐れもない! 気合も十分。どのような過酷な試練が待ち構えていたとしても、仲間のために今一度、覇道の真ん中を進もう! 大陸一の冒険者になるために、そして素晴らしい仲間に!!」


 冒険者たちはよくわからないものの「仲間に!」と言って酒の杯を掲げた。

 ヴィルヘルミナは景気づけに食堂にいた冒険者たちに一杯ずつ奢って回ったので、みんなノリが良かったのだ。

 活気あふれる食堂に、また新しくひとりの冒険者がやってくる。

 革の軽装鎧に短めの剣を腰につけている。鎧の胸元にはツバメの飾りがあり瞳は薄氷の色をしている。十五か六、といった年頃の少年だった。

 彼は冒険者の街のありとあらゆる冒険家たち、勇猛果敢な戦士たちからも、頭脳明晰な魔術師からも《師》と呼ばれて一目置かれる存在である。


「やあ、久し振りだね。ヴィルヘルミナ」

「メルメル師匠ではないか!」


 メルはいつもの大きな荷物はどこかに置き、身軽な姿で酒の瓶を抱えていた。


「ちょっと、その呼び方はやめてくれる?」


 オリヴィニスの不死者、メルは一瞬不機嫌そうな表情を浮かべたものの、すぐに気を取り直してテーブルに酒瓶を乗せた。


「君が師匠連の再試験を受けるって聞いてね。その前祝いに来たんだ」


 瓶のラベルを見たヴィルヘルミナは、目を見開いた。

 それは巷では《幻》と呼ばれている銘柄の中でも、とくに貴重な年の酒だった。

 この瓶が積まれた商船が南方海域で次々と沈没し、その年の酒はいっさい失われ、ほとんどが市場に出なかったという伝説がある逸品だった。


「む……っ! これは、かなりの希少酒だな」

「これの価値がわかるとはね。以前、君たちがオリヴィニスにきたときは、状況の難しさから諸手を上げての歓迎とはいかなかったが、事が済んだいまは別だ。ぜひとも僕からの杯を受けてくれ」


 メルはそう言って給仕を呼ぶと、杯をふたつ持って来させる。


「ううっ、なんという誘惑!」


 もちろん、何が起きるかわからない試験の前日に酒を飲むなど油断もいいところだ。

 しかしヴィルヘルミナは迷いまくっていた。フギンたちとの旅では金策の都合でほとんど口にしなかったが、実は彼女は酒に目がないのである。


「なんだい、子供じゃあるまいし。一杯くらいいいじゃないか」

「……いや。心遣いはうれしいのだが、今日は遠慮させていただく」


 すると、メルはすかさず残念そうな顔つきになる。


「そうかい? 君たちが来るときいて、わざわざミランが用意してくれたんだけどなあ……」

「何? ミラン殿が?」

「ああ。君らによろしくと言っていた」

「む、むう……そうか……それなら、ミラン殿にも悪いしな……」


 あくまでも親切で、何の見返りもなくフギンたちのために船を貸してくれた商人の名前を出されると、申し訳ないような気持ちになる。

 ヴィルヘルミナは酒の瓶を食い入るように見つめている。

 緑色の滑らかな硝子の面に、いまにもよだれを垂らしそうな表情が浮かび上がる。


「だ、だが……今回の試験、絶対に失敗することはできないのだ。前回の二の舞にはなりたくないからな!」

「まあ前回は運が悪かったけど、今はいろいろあって、師匠連のメンバーがかなり揃っているからね。君の本来の資質は剣技と身体能力なのだから、それを試すことのできる冒険者が試験官になると思う。単純な力試しなら君にとっては楽勝だ。ちがうかな?」

「うぐぐ…………」

「それに僕は君たちの冒険を間近で見てきた。君には師匠連に入る資格が十分にあると思う。優秀な冒険者の加入を心から嬉しく思うよ、ヴィルヘルミナ」

「ううっ。本当にそう思うか、メルメル師匠」

「もちろんだとも」


 葛藤に苦しむヴィルヘルミナを見て、メルは微笑んだ。

 春の木漏れ日のような優しい微笑みは、フギンの旅に同行しているときは滅多に見せなかったそれだ。


「僕はこのオリヴィニスであらゆる冒険者を見てきたからね。君のような冒険者こそ師匠連に入るべきだと思うね」

「そ、そうか……だがな、さすがに酒は……」

「しかし、考えてみれば……」


 メルは遠い目をした。過去のことを振り返っているようなまなざしだった。


「誰よりも仲間思いの君たちに、オリヴィニスの連中がした仕打ちはひどいものだったね。思い返してみると君たちをあんな目に遭わせるとは、情がないにもほどがある。この街の質も落ちたものだ。言い訳のしようもないよ」


 そう言って落ち込むような気配をみせる。


「いや、そんなことはない。あのときは、いろいろな状況が嚙み合わず、それで……」

「うん、そう言ってくれるとうれしいよ。これは僕からのお詫びの気持ちだ。一杯だけで構わない。杯を受けてくれるね」


 やたら饒舌なメルは酒瓶を開け、にやりと笑って杯にその中身を注いだ。

 なんとも言えない金色に輝く酒だった。


「乾杯」


 ヴィルヘルミナは流れに押されるように一杯、幻の酒を口に含んだ。

 とろりと滑らかな口あたりだった。

 瓶は氷や何かで冷やしているというわけでもないのに、よく冷えた感触がある。冷たさが味になったかのようだ。

 そのあと一気に複雑な風味が舌に襲い掛かってきた。


「な、なんだ! これは……!?」


 美味だ、とも、美味ではない、とも言えなかった。

 それは口に含んだ瞬間に哲学の命題となってヴィルヘルミナを襲った。

 酒の中にはすべてがあった。酒を育んだ大地、大地で生活を営む人々、寝かせた樽を心地よく包む酒蔵の空気。そして遠く潮騒が聞こえてくる。

 その味覚に関して、ヴィルヘルミナは他にたとえる言葉を持たなかった。

 いや、あと少しで辿りつける気がするのだ。

 答えは喉のところまで出かかっている。


「も、もう一杯!」


 ヴィルヘルミナが求める前に、メルは流れるように酒を注いでいた。

 恐るべき酒飲みのタイミングであった。





 日付が変わった頃、ヴィルヘルミナは酒場のテーブルで倒れ伏していた。

 あの後、河岸を変え、メルが勧めるままにオリヴィニス中の酒場をめぐり、古今東西ありとあらゆる酒を飲みまくったヴィルヘルミナは、幸福の絶頂そのものの顔で、「むにゃむにゃ、もう飲めにゃい」と呟き、深い眠りについたのだった。

 その隣でメルは懐中時計の針を見つめていた。

 酒場には他に客はなく、なんなら店主も不在である。

 誰もいない店に、ひとり客が入ってくる。

 青海色のローブに銀の総刺繍を施した肩布をかけ、祝福された金属と宝玉を組み合わせた杖を突いてやってきたのは、鮮やかな緑の髪をした魔術師である。

 セルタスは、カウンターに突っ伏して寝ているヴィルヘルミナと、その隣で赤ら顔をしているメルを見つけると不思議そうな表情を浮かべた。


「メルメル師匠、ここでしたか」

「やあ、セルタス。どうしてここにいるんだい?」

「ヴィルヘルミナさんが再試験を受けられるということで、様子見に来ました。彼女の前試験官として、手助けができないかと思いましてね」

「君は試験官とか嫌がりそうだと思ったけどね」

「嫌でしたよ。でもフギンさんのこともあって、けっこう面白い人たちだなあと思ってまして」

「ヨカテルも似たようなことを言っていたな。マジョアは別の意見だけどね。意見の分かれる連中だよ」

「ふふふ。今回の試験結果はどうですか、試験官殿」

「残念だけど、不合格だ。なにしろ酔っ払って寝込んでしまい、試験がはじまったことにも気づかないんだから」


 メルはそう言って彼女の白いマントをめくった。

 その背中には、メルが貼り付けた試験会場と試験の開始時刻が書かれた紙が貼りつけられていた。

 彼女が冒険者ギルドで再試験の申込をした後、変装したメルが近づいて貼り付けたものである。

 その時刻と場所はまさに今この場所だった。


「こんなに油断だらけで警戒心がないんじゃあね……。師匠連の役目は果たせない」

「師匠連の役目ってなんなんです? そんなものあるんですか?」

「やけに絡むじゃないか、セルタス」

「言ったでしょう、彼女の手助けをしに来たんです」

「師匠連にするかどうかは試験官だけが決められる。試験の内容もね……」

「そうですね。でも、彼女がここに連れて来られなかった仲間の真似をしてみよう、と思ったのです」

「仲間の真似?」

「貴方が毛嫌いしてる人ですよ。それこそがヴィルヘルミナ・ブラマンジェが持つ真の資質と言うべきものと思うのです。つまり、仲間ですよ」

「くだらない。師匠連で評価されるのはあくまでも個人の能力だよ、セルタス。君らしくないね」


 そう言って酒場を出ようとしたメルを、セルタスは通せんぼする。

 ただ逃げ道を塞いだだけに見えるが、かなりの量の精霊が集まっていた。

 警戒したメルは歩みを止める。


「……何するつもり?」

「何も。言葉で説得します。メルメル師匠、あなたは今回の試験官として、彼女の資質が師匠連に相応しいかどうかを確かめる役目がありますね」

「そうだけど」

「それと同時に、ギルドから、彼女へと試験会場と時刻を伝える役目も任されたはずです」

「ちゃんと僕は彼女に伝えたよ。斥候の接近にも気づけない彼女が悪い」

「かもしれない。でもヴィルヘルミナは師匠が仰られた通り、気づかなかったんですよね? じゃあ、それって伝えてないってことになりません?」


 あまりの詭弁きべんにメルは思いっきり表情を歪めた。

 まさに、ちり紙をくしゃりと潰したような表情であった。


「…………君、そんな無茶苦茶なこと、本当に通ると思ってるの?」

「それを通そうとした冒険者を、私は知っています。メルメル師匠、あなたがアラリドの死に責任を感じ、マジョアの心情をおもんぱかって彼の望む振る舞いを通そうとしていることは理解します。しかし冒険者とは挑戦者のことなのでしょう?」


 メルはしばらく黙っていた。

 出会った頃とは立場がまるで逆だった。

 ふたりが初めて対峙したとき、メルはある意味純粋だった。旅を心から楽しんでいた。セルタスは研究に明け暮れて他のものごとに興味はなかった。

 それを丸っきり変えてしまうほど重い出来事があったのだ。

 オリヴィニスにとっては辛い期間が続いた。


「不死者も不変ではないよ。心があるのだから」とメルは言った。


 メルが自分自身のことを不死者と呼ぶのを、セルタスはこのとき初めて聞いた。

 それはどこか不安げな響きをまとっていた。

 セルタスはそれを静かに受け止め、答えた。


「どれだけ見せかけの振る舞いを変えたとしても、心はあなたのものです」


 メルはため息を吐くと、ヴィルヘルミナの元に戻り背中に貼り付けた貼り紙の日時や場所が書かれた部分を破り捨てた。

 そして紙きれの何も書かれていない部分に新しい文章を書き直すと、改めて酒場を出ていった。

 そこにはこう書かれていた。


《君にはまだやるべきことがある。仲間を守り、彼らと共に世界をめぐり、目的を果たしたそのとき、自分自身が大陸一の冒険者にふさわしいと思ったらまたおいで。そのときは無条件で君を迎え入れよう 試験官、メルより》


 ヴィルヘルミナが起きたのは翌日の夕方だった。

 酒場の人間に宿に運び込まれて部屋に放り込まれたらしいが、記憶は全くない。

 ようやく目を覚ましたときにはすっかり日が暮れかけていたのだ。

 そして試験を受け損ねたことに気が付き、絶望した彼女は、自ら命を絶つために鎧を脱いだ。そこでメルの書きつけを見つけたのだった。

 内容を読んだ彼女は、しばらく放心していた。

 だが、やがてメルの気持ちをんだのだろう。

 その瞳が輝きを取り戻すのに大した時間はかからなかった。

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