第218話 荷造り術の巻
荷造り術というと大仰なものに聞こえるが、要するに、荷物をどのように詰めるかという話である。
冒険者たちは大陸中を歩き回る。歩き回るだけではなく、その間には食事もするし着替えもする。水も必要だ。怪我をすれば薬がいるし、酒や甘いものなどの娯楽があると退屈な移動の楽しみにもなる。
しかし必要とするすべてを運ぶわけにはいかない。
人間ひとりが担いで歩ける重量や大きさには限界がある。
馬や馬車、専門の荷運び人が使えると楽だが、その分の費用は冒険者持ちだ。
そういうわけで、どんな依頼に何をどれくらい持っていくか、どのように詰めるかということは、いつでも冒険者たちの悩みの種になっている。
オリヴィニスのベテラン冒険者たちはいずれも、荷造り術については一言ある。
彼らは服や下着の畳み方、収納の仕方について熟知しており、自分なりのやり方というものを持っているのだ。
そして荷造り術が上手いということは、戦闘が上手いとか、魔法が上手ということと同じくらい尊敬されているのである。
「このへんで一番、荷物が少ないのはまあまず間違いなくみみずく亭のルビノさんでしょうね」
ギルドの受付係の双子エルフの片割れ、レピは訳知り顔でそう言った。
彼はついさっき、新人冒険者の荷物が多すぎることを注意したばかりである。
冒険者たちのように街から出て冒険することこそない彼ではあるが、長くこの仕事を務めていれば、どんな依頼にどれくらいの荷物を持っていけばいいかは、大体把握しているものである。
荷物は少なすぎてもいけないし、多すぎてもいけない。
とくに、大きすぎる荷物は戦闘の邪魔になる。
そもそも武器や防具が重たいのだから、その分も考慮しないといけない。
かといって、少なすぎるのも問題だ。依頼先で食料や清潔な水が手に入るかどうかはわからない。ベテランであればあるほど、その手の情報には気を配るものだ。
件の新人は、どこからともなくやってきた冒険者たちに囲まれてあれこれ指南を受けている。
何しろ荷造り術は百人いれば百通りのやり方があり、それぞれみんな隙あらば自分が編み出した技術を披露して感心されたいという欲があるので、隣のギルドからでも冒険者がやってくるのだ。
新人は声のでかい連中に取り巻かれ、荷物をあらためられ、これはいらないだの、やっぱりあったほうがいいだの、喧々諤々の議論に巻き込まれ、水筒を入れたり出したりしている。
レピは少し離れて、集まってきたはいいものの輪に入っていけずに雑談をしているグループに混ざって仕事をサボっていた。
「みみずく亭の旦那ね。あいつは確かに身軽だね」
「店があるからあんまり遠くには行かないとはいえ、ほとんど手ぶらで出ていくもんな。最初はいかれてるのかと思ったよ」
「うらやましいです。私はついつい、あれもこれも……となって荷物が膨らんでしまうので」
「いやあ、それ普通だよ、普通」
「そうですか? 生来、心配性なもので……。いろいろ考えてしまうんですよね。ケガをしたら、病気をしたら、予想もしていないような魔物が出てきたら、乗っている船が沈んだり馬車の車輪が外れたらだとか、暑い地域に行くのに百年の一度の異常気象に見舞われたらとか、少し目を離した隙に故郷が滅んでたらどうしようとか……考えはじめたらお腹が痛くなっちゃいまして……」
「普通……ではないかな……」
「それ心配したところで対処のしようとかあんのか?」
レピは、銀板とか銅板冒険者たちの会話にごく自然と混ざっている若者をちらりと盗み見た。年齢は十代の青年に見える。革のマントを着ている地味な青年である。
魔道具の効果で気配や姿を変えているが、その正体は英雄くんだ。
身なりが質素すぎて、冒険者というよりはギルド街に迷い込んだ町人に見えた。
「レピさん、私、ぜひ、ルビノさんに荷造り術の指南を受けてみたいです。紹介していただけませんか?」
「え、ええ~っ……?」
レピは戸惑った。
相手が英雄くんだというのもあるし、それを考えなかったとしても、二十代の若者に五十代のおじさんが教えをこうというのはどうなんだ、という常識的な疑問もある。紹介しにくいことこの上ないのである。
「おっ、噂をすれば影、だな!」
そんなことをしていると、冒険者ギルドの入口をくぐって、ひとりの若者が入ってきた。赤毛にそばかす顔の若者は今日はエプロンをつけていない。
大荷物を抱えた冒険者たちと違って、小さなポシェットひとつ肩から下げただけである。
ルビノはカウンター前の混雑を不思議そうに見やっている。
「みみずくの旦那、こっちこっち!」
「相変わらず少ないねえ」
雑談グループに呼び止められ、ルビノがさらに不思議そうな顔でやって来るのを見て、レピは困り果てていた。
「この集まりはいったい何なんすかねえ?」
「えーっと、これはですねえ…………かくかくしかじかで、こちらの方がルビノさんに荷造り術を教わりたいそうなんです。いつもルビノさん、軽装で出てらっしゃるでしょ?」
「荷造り術? そんな大層なもんじゃないですけどね、俺のは。格闘師は武器も全然使わないですし。あとは水と食料を持っていかないだけです」
「えーっ、食料も?」
水は魔法でなんとかするというパターンは多いが、必須の食料を持ち込まないというのは珍しいケースだろう。
居合わせた冒険者たちは驚き、しかしすぐに「納得」の表情に変わった。
その秘密に気づかないのは、この場ではオリヴィニスを長く離れていた英雄くんだけである。
不思議そうな表情をしている青年に、ルビノは笑みを向ける。
「これから三日ほど白金渓谷に出ようと思ってるんすけど、おたくも来ますか?」
「いいんですか? ぜひご一緒させてください!」
レピは感じた。出会ってはいけない二人が出会ってしまったと……。
ルビノが英雄くんの正体に気がついているかどうかも謎だし、それよりも心配なのは英雄くんのほうである。
ルビノが食料を持って出ないのは、彼が徹底的なまでの《現地調達主義者》だからである。
彼は冒険に出た先で見つけたものを何でも食べる。
具体的に何を食べているのかは誰も知らないが、何でも食べるであろうことは間違いないのである。
そのことを英雄くんに説明した方がいい気がしたが、レピは面倒くさくなってやめた。
*
英雄くんが心配性なのは、彼の気性というわけではなく、ハイエルフ王から与えられた「未来予知」の秘宝のせいである。この秘宝は文字通り持ち主に未来を予知する力を与える。しかしそれほど万能でもない。
英雄くんいわく秘宝は突然、前触れもなく持ち主に「三通りの未来」を与えるのだそうだ。
たとえば「弟子が大怪我をする」「おいしいものが食べられる」「風邪をひいて寝込む」という未来が与えられる。
すると、そのうちの一つだけが実現する。残りの二つは大嘘である。
どれが真実の予知なのかはハイエルフにもわからないのだ。
そんなわけで、英雄くんは予知のどれかが成就するまで、お腹を痛くしていなければいけないというわけだ。
そんな彼がみみずく亭のルビノと出かけて行って、三日後のこと。
英雄くんは冒険者ギルドに戻ってきた。
いつも優しげな顔で一歩引き、にこにこと弟子たちを見守っている彼は心なしか強めに大地を踏みしめていた。少し痩せてやつれているようにも見えるが、地味な顔が今日は自信に満ちて男らしい。
「どうでした?」
レピが聞くと英雄くんは妙に太い声で答えた。
「どんなことが起きたとしても、案外なんとかなる……!」
胃痛はそのあと一週間くらい収まったらしい。
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