第217話 オリヴィニスの長い一日 下
ギルド前では決死の救護活動が行われている。
「救護班! 治療師をもっと連れてこい!」
「こっちにも被害者がいるぞ!」
惨憺たるありあさまとなった広場では、コナが「やりすぎてしまいました」と言いながら、気絶したヨカテルおじさんの体を抱き、わんわん泣き声を上げている。
当初の計画では「がおー」という狼の吠え声が実は精霊術の呪文になっているという、かわいらしいいたずらだった。だが、この一年間、セルタスの弟子として着実に努力を重ねた結果、思わぬ威力を発揮してしまったらしい。事故である。
救護活動の陣頭指揮を執っているのは冒険者ギルドの受付係のレピとエカイユだ。ふたりとも、尖った牙を口にはめてコウモリの羽が生えたジャケットを着こんで、収穫祭を誰よりも楽しみにしていた様子がうかがえる。
「まったく、こういうことをやらかすならセルタスさんだと思ってましたけど! こんなんじゃ僕とエカイユが実は半年前からずっと入れ替わっていた、という悪戯にだれも気がついてくれないじゃないですか!」
文句を言いながら、レピは冒険者を助け起こす。
冒険者は最後の力を振り絞って、「いや、それはみんな気がついてた……」と呻き声をあげた。
「なんですって!?」
レピはエカイユとすり替わってもうるさいからすぐわかる、と評判である。
知らぬは本人ばかりなり。
この収穫祭の一日、オリヴィニスはいたずらやりたい放題の危険な街となる。
あちこちで唐辛子爆弾がさく裂し、道を歩くだけでクリームパイが飛んで来る。
何でもアリの危険な一日だ。
しかも、命知らずの冒険者がやることなので、やり過ぎる奴も出て来る。
女神教会には師匠連の一角であるレヴィーナが待機していた。
女神教会の扉には《治療してもらえなくてもいい奴だけ教会に悪戯せよ》の看板が掲げられている。
レヴィーナはその看板の下に長椅子を出し、紅茶を飲みながら収穫祭の恒例行事について語っている。
「誰がはじめたのかは知らないけれど、その年でもっとも優秀ないたずら者にはいたずら大王の称号が与えられるんです。師匠連の方々も名を連ねている称号なのですよ。たとえば、おととしは魔術師ギルドのトゥジャン老師が、自分が死んだという噂を街に広めていたずら大王となられました。当日まで約一年間、やれ体調が悪いだのめまいがするだの、調子が悪いことをアピールし、収穫祭の前日に倒れられたので、誰もが騙されてしまって、魔術師ギルドは総出で葬式まで出しました」
「は、はあ……」
話を聞いているのは、麦わら色の頭をした気弱そうな青年だ。茶色のマント姿で地味さをアピールしているが、その正体はもちろん《英雄くん》である。
「ヨカテル様の錬金薬でマジョアギルド長が七色に輝きだした年から、ギルド長は三日前にはオリヴィニスを脱出するようになってしまいましたし、ますますいたずら合戦に歯止めがきかなくなっています」
「もしかしてなんですけど、レヴィーナさん。メルメル師匠が何かやらかした年がありませんでした?」
「はい。あなたの留守中に、完璧にあなたの変装をして好き放題した年がありました。あまりにも変装が完璧すぎて誰も偽物だって気がつきませんでしたし、青薔薇の剣の能力をどうやって再現したのかについては未だにわかってません。技術力が高いという点が評価され、見事にいたずら大王に選ばれました」
「そうか……。どうりで今日はだれも話しかけてくれないなと思ってました」
英雄くんは悲しそうに言った。彼のカボチャランタンを模した籠には、昨日から時間をかけて焼いたお手製のケーキがたくさん入っていた。
はちゃめちゃなお祭りは、いろいろなところに影響を与える。
みみずく亭はこの収穫祭の日、大繁盛となる。日頃はみんな見向きもしないイモムシやらクモやら、コウモリ肉を使った料理なんかが、この日だけは気取った料理として大人気になるのだ。客が途切れることなくやって来るし、仕出し料理の注文も溢れるほどだ。厨房は手伝いの人間を雇うくらい忙しい。
今年はひとつだけ唐辛子を混ぜた肉団子料理を売り出したところ、それも飛ぶように売れている。
「金糸雀亭の料理人を手伝いに引っ張って来たのは大正解だったみたいっすね」
カウンターから客席の様子を見ながら、ルビノは声をかける。
「今日の売り上げだけで一年暮らせるんじゃないですか。笑いが止まりませんよ、ははははは」
注文を取りながら、ロジエが答えた。
彼もまた、全ての客の注文と勘定を頭ひとつでこなせるという特技を買われて手伝いに呼ばれてきた者のひとりだった。
ロジエもルビノも、朝から座って休憩を取る暇もない。
客たちのほうは呑気に酒を飲みながら、みみずく亭の名物料理に舌鼓を打ち、街の冒険者たちがどんないたずらを誰に仕掛けていたか、という話で持ち切りだった。
昼を越えて夕方頃になると、通りは狼などの動物やカボチャの被り物をしたり、全身を魔物っぽいコスチュームに包んだ連中が増えてきた。
「そういえば、ルビノくん。メルメル師匠の姿もなければ噂も聞かないけど、今年のいたずら合戦には参加しないのかい?」
「師匠のやることは俺にも予測不可能っすけど、今回はそろそろ帰って来ると思うっすよ」
言うや否や、みみずく亭の扉を開けて客が飛び込んできた。
「みみずくの旦那、メルメル師匠が!」
カボチャを頭からかぶっているため誰かはわからないが、常連客の冒険者だろう。
ルビノは笑いながら「ほらね」と言った。
オリヴィニスの玄関口に、見上げるほどでかいカボチャが出現していた。
高さだけでも女神教会の尖塔くらいはあるんじゃないかと思われた。
見学者が目撃したところによると、大きな白い竜がこれを運んできたらしい。
その竜と思しき存在は、空の高いところを、甲高い鳴き声を上げながら旋回していた。
ルビノは休憩がてら、防壁の上から巨大カボチャを見学していた。
すると、隣に人の気配が唐突に現れる。誰なのかは最初からわかっていたので、驚きはしない。
「どうするんすか、師匠」
「カボチャ大王って、倒すとカボチャになるんだよ。収穫祭が終わればいなくなるし、誰も得しなさすぎて倒さないから、みんな知らないけど。僕もあんなに大きいのは初めてみた。五十年に一度の奇跡のデカカボチャ大王だね」
「あんなの置いておいたら、絶対にマジョアギルド長に大目玉食らうっすよ」
「でも、あれだけあったら、好きなだけ食べられるよ。カボチャのプディング。好きでしょ?」
問いかけられ、弟子は苦い笑みを浮かべた。
「そうですね。好物ですよ」
メルは得意げだ。
ルビノがまだ子どもだった頃。少なくともあのときは「子供だった」と自信を持って言えるような頃のことだ。
メルがカボチャを持って帰ったことがあった。
ちょうど収穫祭の時期で、カボチャはくり抜いてランタンになり、中身は牛乳や卵や砂糖を加えてプディングになった。
時が経ち、ルビノもさほど甘いものを好まない年齢になったが、そのときのことを覚えているのだろう。メルは収穫祭になると思い出したように同じものを作るのだった。
街の人々がツルハシやら斧やらを手に、門から出てくる。
きっと数日間は、オリヴィニスはカボチャを煮炊きするにおいで包まれるに違いない。
*****おまけ*****
その頃、ザフィリでは、カボチャランタンのかぶりものをしたヴィルヘルミナが奇怪な踊りを披露していた。
「なんなんだ、その踊りは……」
フギンが訊ねると、カボチャ頭が答える。
「うむ。これはな。巷で流行している《ベテル帝時代の帝国政治への反省をうながす踊り》だ」
「それは色々と危ないからやめたほうがいいと思う」
マテルに止められ、ヴィルヘルミナがその踊りを踊ることは二度となかったという。
*****オリヴィニスの収穫祭*****
別名、悪魔の収穫祭。
子どもたちにお菓子を配ることよりも悪戯をすることがメインになってしまった奇祭。魔術師ギルドはこの日にしか使いどころのない《声が高くなる魔術》や《恥ずかしい過去を喋りたくなる魔術》などを売り、小金を稼ぐ。もちろん、手の込んだいたずらに必要不可欠な技能を持つ盗賊たちは引っ張りだこである。
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