第216話 オリヴィニスの長い一日 上
闇の中に巨大なカボチャが浮かんでいる。
オレンジ色の表皮は目の形と口の形にくり抜かれ、まるで顔のように見える。
カボチャ頭のその下には、冗談のような黒いマントがひるがえっていた。腕はないのだが、白手袋がふたつその周りを飛んでいた。カボチャ頭の内部では煌煌と炎が燃え盛っており、地面に落ちた影はマントと合わせると小さな村ひとつくらいなら覆い尽くせるだろうほどだった。
これは大きく成長したカボチャに邪悪な精霊である
収穫祭の前後に現れる非常に珍しいもので、カボチャ大王、とか呼ばれている。
カボチャ大王はそのカボチャ頭を左右に振って、何か探し物をしているかのような仕種をみせた。
視力があるのかどうかはわからないが、視界の端を小さな影が横切った。
カボチャ頭はそちらに頭の正面を向けるが、すでに影はいなくなっている。
視線の反対側で岩を背に息を殺している者がいた。
魔術をかけた革鎧をつけ、両手にナイフを手にしている。
薄青の瞳は、眈々とカボチャ頭を睨んでいた。メルである。
カボチャ大王がメルを探し、地上に近づいた一瞬をねらい、メルはナイフをマントに突き立てた。
聖句を刻んだナイフが、黒いマントを地面に縫い留めた。
カボチャ頭は振り払おうと激しく動くが、魔神は女神の力を跳ねのけることはできない。その隙にメルはマントを掴んで登っていき、カボチャの後ろ頭にナイフを突き立て、それを足掛かりに後ろ頭へと取りついた。そのあとも、腰のうしろからナイフを抜き、それを手がかり、足がかりにして器用に上へ上へと這い上がっていく。
カボチャ大王は唸り声を上げた。
カボチャなりに怒りを表明しているのかもしれない。
カボチャ大王は両手を持ち上げ、敵を叩き潰そうと自分の頭を殴りつける。
そのころ、メルはあっという間にカボチャ頭の頭上に到達していて、手にしたロープを手繰り寄せているところだった。
メルはひらりと身を躱して掌を避け、「とう!」と少し小ばかにしたような掛け声で頭の上からジャンプした。
少年の体はカボチャの顔の正面を通って、木の葉みたいに落ちて行く。
そのときのメルは、いたずらが成功したときの顔をしていた。
カボチャ大王は暗闇に包まれた。
メルの手にはマントを縫い留めるのに使ったナイフと、マントの端が握られていた。メルはあらかじめ、ナイフといっしょにマントの端を引き上げられるように仕掛けをしていたのだ。
そしてマントの端を持って、頭の上を通って顔の正面に降りたため、カボチャ大王は自分の黒マントに包まれてしまったというわけだ。
メルは背負った弓をすばやく下ろし、弓を番えて次々に射かけた。
鉄でできた矢がマントの上から深々と刺さっていく。返しのついた鏃はそうそう外れたりしない。
怒り狂った魔神は視界を奪われたまま暴れ回る。
メルは空飛ぶ両手の攻撃や、礫になって飛び散る石ころを軽いステップや宙がえりで避けながら、わざと気配を遮断するために使っていた魔術を解いた。
カボチャ大王はメルの気配を追いかけはじめた。
そして、ゴロゴロと地面を転がりながら、積まれた樽に突っ込んでいった。
たくさんある樽にはすべて油が満タンに入っており、しかも樽とその中身は光女神の祝福によって聖別されている。聖水ならぬ、聖油である。
「さよなら。君はこれから、地獄の収穫祭の主役になるんだよ」
メルはにやりと笑い、マッチを擦った。
*
冒険者の街、オリヴィニスにも収穫祭がある。
誰も田畑なんかろくに耕さないのに、その頃になると、子どもの頃の楽しかった記憶がよみがえるのだろうか。気分がうきうきして、祭りをやらなければならないという気になってくるのだ。
収穫祭の催しといえば子どもたちが仮装をし、家々を巡って《菓子か悪戯か》と訊ねて回る行事が定番だ。
この催しはオリヴィニスでも行われる。
だが、圧倒的に子どもよりも大人が多いという街の特殊性ゆえか、その内容は少々変則的だ。仮装を楽しむのはほとんどが大人だし、不幸なことに、大人なのであまり菓子を欲しがらない。
この行事はオリヴィニスでは様々に、そして惨憺たる名称で呼ばれている。
すなわち《菓子か地獄か》。あるいは《地獄、もしくは死》だ。
今年の収穫祭は、休日は公共浴場で朝風呂を浴びるのがマイブームになっているアトゥのくぐもった悲鳴で幕を開けた。
暖かい湯に浸かり、さっぱりしたアトゥが気分よく脱衣所にもどると、籠のなかに入れていた服が見当たらなくなっていた。
無いだけならともかく、別のものが籠に詰め込まれている。
アトゥは震える手で、その中に入っていたものを広げる。
「なん……だと…………!?」
おだやかな表現で言えば、それはレースの女性ものの下着だった。ついでに、上着もズボンも靴にいたるまで、すべてが女性の服に変わっている。
誰かが衣装を取り間違えた、はずがない。
ここは男湯なのだから。
やむを得ず桃色の上着とスカートを履き、ハイヒールで浴場から出て来たアトゥを高らかな笑声が出迎えた。
「あはははははは! はははははははは! ひーひっひっひっひ!!」
アトゥの醜態を見て身を捩って、目じりに涙まで浮かべて笑いまくっているのは、女魔術師のシビルである。穏やかな大人の女性という普段の雰囲気をかなぐり捨てたその姿に、アトゥは黙りこむしかない。
「ねえ、どうなの、下着も履いたの? 私がシマハのお店に特注して縫ってもらったあのレースの下着をね!」
「シビル、やり過ぎだぞ……!」
「やり過ぎですって? 覚えてないとは言わせないわよ。去年、あなたが私にしたことをね」
シビルの瞳には憎しみの炎が灯っていた。
去年の収穫祭のことを、アトゥはもちろん覚えている。その日、シビルは何者かにお気に入りの高級化粧品をマスタード入りの偽化粧品にすり替えられ、唇が親指ほどに腫れあがった状態で過ごすはめになったのだ。
もちろん、それはアトゥが仕込んだいたずらだ。
しかもそのいたずらのために盗賊ギルドの冒険者を抱き込み、女性専用宿のシビルの部屋に忍び込ませるという力の入れようだった。
「自分の部屋まで、その桃色衣装で帰るといいわ。ただし……お部屋にも男の服があるとは限らないけどね!」
「マジでやり過ぎだぞ!」
「うるさい。今年の収穫祭、いたずら女王の称号はわたしのものよ!」
奇怪な格好のアトゥと、高らかに勝利を宣言するシビルをちらりと見て、通りを行く冒険者や町人たちは収穫祭のはじまりを意識した。
そう。冒険者の街オリヴィニスの収穫祭に、お菓子をくれたら悪戯をしない大人など存在しない。ここには、お菓子をくれても容赦しない大人気ない大人たちしかいないのだ。
昼前になるとギルド前の広場では、そら恐ろしい光景が見られた。
なぜか錬金術師のヨカテルが机と椅子を置き、昼間っから酒を飲んでいるのである。眼光は鋭く据わっており、もちろん誰も話しかけない。
ヨカテルと対峙しているのは、魔術師ギルドの精霊術師、セルタスである。
「来やがったな、魔術バカ。どちらが本当のいたずら大王なのか、そろそろ決着をつけようじゃねえか」
「大王の称号に興味はありませんが、私の知性が大陸で一番であることを皆さんに証明できるのが楽しみでなりませんよ」
セルタスはにこりと微笑んだ。
いたずらは正々堂々とするものではないと思われるが、この二人の場合は毎年お互いにいたずらを仕掛け過ぎて決着がつかず、とうとう公衆の面前で勝負をすることにしたらしい。あまりにも馬鹿馬鹿しい状況に、野次馬連中も集まって、どちらが勝つか賭けはじめている。どちらも師匠連であることを明らかにしている人物なので、注目の対戦カードなのだ。
「さあ、俺は逃げも隠れもしねえ。かかって来やがれ!」
ヨカテルがギラギラした目でいたずら開始を告げる。
しかし、セルタスはどこかぼんやりした声音で遮った。
「あ、そのまえに。ちょっと待ってください」
「なんだ? 時間稼ぎか、この期におよんで」
「いえ、私のいたずらを披露する前に。コナの用事があるんです。ほら、ヨカテルおじさんですよ、コナ」
セルタスのローブの影から、赤ずきんをかぶった少女がちらりと顔を出す。
赤ずきんの頭からは、狼のそれをかたどった三角の耳が出ている。フサフサしたしっぽもついている。有名な民話から取った仮装だろう。
手にはカボチャをくり抜いて作ったかごを手にしていた。
「てめえ、まだ年端もいかない弟子を勝負に巻き込むつもりか?」
「いいえ。コナはこれまで収穫祭の経験がないんです。なので、普通に楽しませてあげたいと思いまして。さあ、コナ、ヨカテルおじさんは怖い顔ですけど、流石に小さな女の子にまで手を出す外道ではありませんよ」
コナはおずおずと前に進み出ると、緊張した様子でかごを差し出して「おかしかいたずらか?」と小さな声で問いかけた。
観衆も、内気な少女がお菓子をもらうために勇気を奮い起こす様子を、微笑ましく見守っている。
しかし、ヨカテルは困り顔だ。
「あー、その、悪いがな。子どもにくれてやるような菓子の持ちあわせがねえ」
「で、では。おおかみさんのいたずらをくらえ!」
コナは小さな両手を「ぐー」に握ると、三角の耳の横に持ち上げた。
「が、がおー!」
あまりの微笑ましさに、ヨカテルとセルタス、そして勝負を見守っていたギャラリーの全てが「ふふふ」と笑みをもらす。
しかし、次の瞬間。
コナが掲げたカボチャランタンの籠から、「かっ」と、白い閃光が放たれた。
光は広場を覆い尽くし、愚かな大人たちを焼き払った。
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