第215話 メルはハンモックを手に入れた


 メルはハンモックを手に入れた。


 なじみの道具屋が、仕入れたのはいいものの、あまり売れ行きがよくなくて、代金はいいからとメルに押し付けたものだ。

 とはいえ、メルはハンモックというものにあまり良いイメージを持っていなかった。


「ハンモックって、あれだろう? 積荷といっしょに船倉に押し込められるときに、こいつに押し込められてよく寝ているよ。そういう程度の悪い旅のときに限って海は大しけで、夜のあいだ中どこかのだれかが吐いてるんだ」


 それをきいた道具屋の親父は大きな腹を揺らして笑い声を立てた。


「はっはっは。あのなあ、メルメル師匠。こいつはそういうのじゃないんだよ。知らないのかい、いま、王都で流行してるんだ」

「流行? そんなの知らないね」

「貴族たちの庭遊びだよ。ハンモックをね、好きなところに持ってって吊り下げて、ぶらぶら揺れながら、昼寝でもして、たっぷり風や光を楽しむんだよ」

「はあ。そんなことしなくても、風や光は楽しめると思うけど?」


 新しいものにはすぐ飛びつく性格のメルだが、よほど船旅にいい思い出がないのか、めずらしく批判的である。


「まあ、使いみちは何か考えてみてよ。ものはすごくいいんだよ。何しろ王都のお大臣方がこぞって買い込んでるくらいだからね。上等の布を使ってるんだ。柔らかくて暖かいし、しかも軽いから、どこにでも持ち運びできるよ」


 道具屋はそう言ってメルにハンモックを押し付けた。

 

 …………そういう経緯で、その後、ひと月ほど、メルはただで手に入れたハンモックといっしょに旅をした。

 最初は、言われたとおり昼寝をするのに使ってみた。

 しっかりした二本の木にロープを括りつけ、寝転がってみた。

 まずはちょうどいい具合の感覚であいている二本の木を探すのに手間取ったが、準備の手間さえ考えなければ、空中で揺られているのも楽しいかもしれない。


 そう思ったのも最初のころだけだった。


 一時間ほどたつと、陽射しの位置が変わり、寝づらくなってきた。


 これだったら、下草の柔らかいところを探して地面に転がっていたほうがましだ。

 いったんそう思ってしまうと、もうだめだった。

 次にメルは、ハンモックをものすごく高いところに吊り下げてみることを考えた。

 ハンモックの利点というのは、地面から離れていられることだ。

 それで、その利点を最大限に発揮できるよう、岩山が二つ天に突き立っている名所に行って、その頂上にハンモックをかけてみた。


 まあ、結果としては、あまり良いとは思えなかった。まずはハンモックに入るまでが命懸けで、出るときに途方にくれた。


 貴族はなぜこんなものが好きなのだろう?

 貴族というのは、人を見下すのが好きなのだろうか?


 そういう偏見でもって、たまたまオリヴィニスの女神教会が忙しくなった時期があって、レヴィーナが忙しく立ち働いているのを天井から眺めてみたりもしたけれど、当然のことながら三秒で追い出されることになった。


「これ、あげる」


 すっかり荷物の底にしまいこまれていたそれを、メルはみみずく亭に食事をしにきていた赤毛の青年、アトゥにくれてやることにした。


「なんだこれ……ああ、ハンモックか」


 アトゥは贈りものを広げて、困ったような表情を浮かべた。


「僕じゃちょっと使いみちがみつからなくて」

「使い道がないものをもらってもなあ」


 文句をいうような口ぶりだが、アトゥの顔は朗らかに笑っていた。

 始末に悪い、といったメルの表情がおかしくてたまらないのだ。

 メルはメルで、いらないものを押し付けたという自覚はあるのだろう。少し反省しているような素振りである。


「いらなかったら、焚火にでもくべてくれたらいいよ」

「それはもったいない。せっかくだし、しばらくは俺が使おう」

「言っておくけど、それで昼寝すると陽射しが避けられないし、高いところに吊るすと、寝るのも起きるのも大変だ。おまえけに、しくじるとグルグル巻きになる」

「知ってる。でも野宿するとき、これを低いところに吊り下げて使うと、地面に体温を吸い取られなくていいんだよ」


 アトゥは何気ない口調でそう言った。

 メルは目を真ん丸にして、口をぽかんと開けていた。

 最初からハンモックは嫌なものだと決めてかかっていたメルには、とても思いつかないような発想だった。

 しばらくして、メルは呟いた。


「アトゥ師匠」

「え!? な、なんだなんだ、どうしたんだ?」


 それから一週間ほどメルはアトゥをそんなふうに呼び続けた。

 そして、アトゥが魔物の討伐に失敗するまで続いた。

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