第214話 新たな冒険に



 俺の故郷に、こんな話がある。



 アトゥはそう言って語りはじめた。

 夜も更け、店じまいの時刻が近づいて、客も少なくなった食堂に相応しい語り口だった。


 昔々、強欲な首長の元に物乞いの老婆がやって来た。

 身なりはぼろぼろ、老いて干からびた老婆は水と食べ物を求めたが、首長はこの哀れな物乞いをけんもほろろに相手にせず、追い払ってしまった。


「しかしその老婆の正体は、なんと愛娘を嫁がせようとしていた婚家の姑だったんだ。人は見た目によらない、という教訓であり、人の見た目によって態度を変えてはいけない、という教訓でもあるな」


 青い色をした強烈な酒の杯を傾けながら、精霊術師のセルタスは眉をしかめて言った。


「それは、貴方がここのところ毎日、《青薔薇の英雄》こと《英雄くん》とおまけのメルメル師匠にたかられてることに対する反省文と取ってもよろしいでしょうか」

「ちがう! いや、それほど違ってもないが……」


 アトゥは溜息を吐いた。

 最近、メルメル師匠がアトゥを使ってはじめた恐ろしい《遊び》は未だにアトゥを苦しめ続けている。メルメル師匠が現れる度、財布が悲しい悲鳴を上げるので、日が落ちてからは《みみずく亭》に逃げ込んで難を逃れる毎日だ。

 カウンターの内側から店主のルビノがひょいと顔を覗かせる。


「俺もいちど英雄くんに会ってみたいっすね。アトゥさん、知り合いならぜひともうちの店にも連れて来てほしいっす」

「無責任なことを言ってくれるんじゃない。だいたい、そういうことならメルメル師匠に頼んだほうが早いだろ」

「それが、最近うちの店に遊びに来てくれないんすよね」


 ルビノは他のテーブルの注文を捌きながら、不思議そうに首をかしげる。

 こと師弟関係においては普段は放任主義、とはいえ旅に出ていないときならばさほど日を置かずみみずく亭に顔を出すメルである。

 姿を現さないのは、もちろんアトゥに毎日のようにたかっていることをルビノに知られて叱られるのが嫌だからだ。


「そりゃ、なんでだろうな……」


 心底悔しそうな顔をしながらもメルの仕打ちを告げ口しようとはしないのが、アトゥの地味に高いプライドのなせる技だ。


「で、最初の意味ありげな話はなんなんです? 取るに足らない話として記憶から抹消してもいいんですかね」と、セルタス。


「消すな。あのな、俺は俺自身のしょうもない話じゃなくて、帝国からやってきた例の《女神の眷属》の話がしたかったんだよ」


 アトゥが言うと、セルタスは同時に「ああ」とぼんやりした返事を浮かべる。


「《人は見た目によらない》話のほうでしたか……それならそうと言えばいいのに」


 それはつい先日、オリヴィニスを大混乱に陥れた大事件の全貌と関わっている。

 彼らが口にする《女神の眷属》とは、オリヴィニスを訪れた冴えない風貌の少年冒険者フギンのことだ。

 人探し専門、死檻、縁起の悪い二つ名をぞろりと引っ付けた銀板冒険者は、自身の出自を忘れ、その正体を知るためにオリヴィニスを訪れた。さながら、アトゥが語った話で言うところの老婆の役まわりだ。


「俺もそれなりに人を見る目はあると思ってたが、アーカンシエルで最初に姿を見かけたときは特に何も疑問を持たなかったんだよな。せいぜい地味な見た目だな、くらいのもんでさ」

「知らず知らずのうちに失礼を働いてなくてよかったですね。いまごろ奢る相手が増えていたかもしれませんよ」

「英雄くんに失礼なことをした覚えはないぞ。だいたい、お前はどうなんだ。フギンを半殺しにしてたじゃないか」


 アトゥが指摘するが、セルタスはどこ吹く風、あくまでも素知らぬ顔だ。


「向こうが挑んできた勝負です。あれは女神に対する攻撃ではありません」


 とはいえ、セルタスがしたのは女神の眷属をぼこぼこにして追い返すという、極限まで密度が高められた《失礼》だ。時代が違えばアンテノーラの市街地を馬に繋がれて引き回された上で処刑されてもおかしくない。


「それに、私は最初から彼の正体に気がついてましたよ」

「…………なんだって?」

「何度も聞いたじゃありませんか。本当に銀板なのかって。女神の加護があるなら、人間の精霊術師ふぜいに倒されるわけがないと思ってましたし。自分自身の正体を忘れてるなんて知りようが無いじゃありませんか」


 戸惑うアトゥにルビノが助け船を出した。


「高位の精霊術師は、俺たちとは見てる世界が違うって言いますからね。何しろ、この世界とは別の、精霊の世界を見ておられる方々です」


 それを聞いたアトゥは表情を歪める。


「なんだよ。じゃあ、あいつが光女神の祝福を受けた存在だってわかってて、半殺しにしたっていうのか? 怖っ。空気が読めないにもほどがあるだろ」

「恐れ知らずと言っていただきたい。先輩冒険者にいいようにたかられている貴方とは違うんですよ」

「何度も何度もうるさいな。先輩に頭を下げ続けるのも、人間社会を上手に渡っていく術だし、たまには得るものだってあるんだぞ」


 アトゥは懐からあるものを取り出した。

 両手で支えられるほどの大きさの、鈍い金色をした鋼の筒だ。

 筒の両端には細かい細工が彫られ、真ん中のあたりには、回転式のダイヤルが付属している。ダイヤルは細かく溝が切られており、古代文字が彫り込まれていた。


「今朝方、英雄くんが俺の泊まってる宿にやってきて、こいつを置いていったんだ」


 英雄くんも、メルが自分をだしに遊んでいること、そのためにアトゥがどれくらい懐を痛めているかに気がつかないほど鈍くはない。しかし単純に金銭を置いていくほど、遊び心のない人物でもなかったらしい。

 青薔薇の英雄がアトゥに渡したのは《暗号筒》と呼ばれるもので、ダイヤルをひねって正しい文字列に繋げると鍵が開き、筒の内部に隠されているものを取り出せるようになるしかけのからくりだ。


「聞いておどろけ。ハイエルフが英雄くんに贈ったもののひとつだそうだ」


 ただし、英雄くんはこの暗号筒に手をつけなかった。だから、暗号の意味も、中に何が入っているかもわからない。


「ハイエルフの贈り物といえば……」


 セルタスが呟く。

 英雄くんがハイエルフたちに気に入られ、彼らからの贈り物として《不老》と《未来予知》の秘宝を受け取ったのはあまりにも有名な逸話だ。

 だから、英雄くんが置いていったこの筒にも、そんな伝説に匹敵する何かが封じ込められているかもしれないと考えるのはあまりにも自然な流れに思える。


 もちろん、それは欲に駆られた人間の抱く妄想に過ぎないのかもしれなかった。


 いずれにしろ、暗号を解いて、中身を調べなければ始まらない。

 だが、その空白の未来に希望を抱かぬ者が、この街にはいないことも確かだ。

 誰も中身を見たことがない筒の内側には、今このとき、誰も見たことのない風景がある。まだ見たことのない光、そして風、そして水、大地のすべてがある。

 それはまだ誰も踏み出したことのない、真新しい旅路そのものなのだ。

 アトゥは暗号筒をカウンターに置き、新しい酒の瓶の封を切った。

 

「冒険に!」


 杯を掲げると、店内からは乾杯の声がいくつも続く。


 冒険に。

 冒険に。

 遠く……。

 まだ見ぬ新たな冒険に……。



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