第209話 英雄くんのはなし ‐上



 ギルドに一通の手紙が届けられた。


 それには《青薔薇の帰還を祝福する》旨が認められており、封蝋には堂々たるコルンフォリ王家の家紋が押してある。

 それを皮切りに大陸西部の王家や有力貴族たちからの祝福が相次いだ。

 ただし、それらは単なる祝福の言葉だというだけではなく、裏側にたくさんの意味合いが含まれていた。

 ただの好奇心程度のご機嫌うかがいから、高名な青薔薇を家臣として召し抱えたいもの、冒険者ギルドの動向を探りたいもの、あるいは自分の領地には近寄ってほしくないのでさっさとエルフの世界へ帰ってほしいなど、多種多様な思惑が真珠の首飾りのように連ねられた美辞麗句の影に埋もれている。


 最終的に、マジョアは怒り狂ってそれらの全てを灰にしてしまった。

 ギルドから立ち昇る煙は途切れることなく、三日三晩続いた。

 

 当の本人はというと、まだ日が高いうちは戦士ギルドの修練場に弟子たちを集めて剣の稽古をつけていた。

 青薔薇の剣はジデルやマジョアなどオリヴィニスで名を馳せる他の剣士に比べると変わったところはないが、正確無比で恐ろしく精緻だ。


 達人は基礎に秀でると言うが、まさにそのような剣だった。


 押しても引いても守りを崩すことができず、攻撃に転じれば驚くほど呆気なく急所を突いていく。なす術もなく片膝を突いた若い弟子に、英雄くんは叱るでもなく微笑みを称えて歩み寄る。


「よく成長しましたね、エトワール。気を抜いていたらこちらがやられてしまうところでしたよ」


 優しく弟子に声をかけているところを見るなり「けっ、いい子ぶりやがって」と不満げな声を上げたのは、ヨカテルだ。

 修練場を見下ろす回廊の暗がりには見物客が大勢押し寄せていた。


「こんなところで何してるんだ、おっさん……」


 年甲斐の無い悪態に呆れた声を上げたのは《暁の星団》のリーダー、アトゥである。


「って、聞くまでもないか。情報収集が飯の種だったな」


 情報屋としては、青薔薇は今いちばん仕入れたい飯の種だろう。

 老錬金術師の後ろには、ほんものの影のようなひそやかさで白髭の老魔術師が控えている。


「知ってるか? 暁の」


 ヨカテルはアトゥのことをジロリと睨みつけてくる。


「あいつのほんとの強さはな、尋常ならざる精神力だ。あのド派手なマントと剣にはそれぞれ二種類の魔物が巣くっていて、青薔薇はそいつらに肉体を寄生させながら戦うんだ」

「!」


 アトゥは驚いた。話の内容もさることながら、ヨカテルがそうした情報を金貨と引き換えにせず、自ら話したという事実は驚愕に値する。


「ここにいる全員が商売敵の視察に来てるわけじゃないんだってことだ、若造」

「へえ…………。じゃ、お得な無料期間のあいだに教えてくれよ。青薔薇をギルド長に推薦しなかったのはなんでなんだ」

「いろいろな理由がある。いろいろな理由がな……ひとつはあいつを自由にするためだ」


 ヨカテルは不機嫌そうに言い放つ。

 それから、魔術師ギルドのトゥジャン老師が口を開いた。


「私たちはあやつが冒険者になるために最初にこの街を訪れた時から、その道行きを見てきた。冒険者になりたてのころ、彼はまるでダイヤモンドの原石だった。懐かしいものだな」


 トゥジャン老師の口ぶりは、まるで彼が今はダイヤモンドではないとでも言いたげだった。


「あんたたちがそんなふうに青薔薇を嫌うのは、戦争に加担したからなのか? だが、冒険者だって、道中で襲ってくる山賊のひとりやふたり……殺したことがないってやつのほうが珍しいんじゃないか」


「ふむ、そういう意見もある。どう思う、ヨカテル」と、トゥジャン。


 ヨカテルは吐き捨てるような表情だ。


「物を言うときはよく考えろよとしか言うほかねえな。おい若造、あいつのどこが、山賊のひとりやふたり、仕方なしに殺してる男に見える?」


 青薔薇は弟子たちに囲まれ、朗らかに笑っている。

 王冠をかぶっているわけでも、玉座に腰かけているわけでもない。

 女神に奇跡の力を与えられたのでもない。

 いたずらに時を止められたままの、ごく普通の若者なのだ。


「何かを目指す希望に満ちた若者を、運命と呼ぶしかないものがそっと撫でていくのを、わしらはこれまで幾度も目にしてきた。あれは我らが愛するオリヴィニスが生んだ最高傑作にして、結末なのだ」

、若造ってことだ」


 トゥジャンとヨカテルはそれぞれ、そう言って背を向けた。

 ヨカテルが引きずる足をいたわるように、トゥジャンもついて退場する。

 彼らの最後の眼差しはアトゥの向こうを見ていた。

 そこにはいつの間にか女神教会の《血塗れ》レヴィーナと《カモシカ》ジデルが並んでいて、去っていくヨカテルたちを注意深く見つめていた。





 青薔薇こと英雄くんと仲のいい者を挙げるとしたら、もちろん、まず最初に彼の弟子たちが挙がるだろう。弟子たちは英雄くんの行くところ、やることなすことついて回り、人だかりを作っては街の者たちの眉をひそめさせた。

 しかし、ここのところ、その人垣が消えることがあった。


 その原因はメルである。


 どういう理由か、メルが突然、英雄くんの隣に姿を現すようになったのだ。


 弟子たちはメルに遠慮して、英雄くんから距離を置くようになった。彼がマジョアギルド長やトゥジャン老師といった有名どころと親交のある人物だという事実は街にいれば自然と伝わるので、何となく近寄り難く感じたのだろう。


 こうして自由を得た英雄くんは、メルと二人で街のあちこちに顔を出した。


 高台を散歩したり、メルのおすすめの食堂に顔をだしたり……。

 その度にアトゥのことはひとまず置いておくとして、彼を慕う人々から離れた英雄くんは極めて素朴な人物だった。

 高台の神殿も屋台の素朴な食事も、道端に生えた小さな花でさえ、まるで初めて見たかのように驚いたり喜んだりする。

 もしかしたら初めて見たのかもしれない。

 にまつわる英雄譚を考えるに、英雄くんは日常の暮らしよりも冒険と戦争に費やした時間のほうが長いからだ。


「メルメル師匠にお願いがあるのですが」


 金糸雀亭のバルコニー席に並んで氷菓子を頬ばっていたときのことだ。

 英雄くんは改まったようすでメルに申し出た。


「なんだい? 僕に聞ける頼み事ならいいけどね」

「メルメル師匠は私をだしに人をからかって遊ぶのがお好きなようで……。私にもをくださいませんか」

「む……語弊の多い言い方だね」

「批難したいんじゃありません。あなたのそういう無邪気なところは、愛すべきエルフたちと似ています」

「僕がエルフと似ている、という部分がまさに語弊だよ」


 エルフの知り合いがいないこともないメルは眉をしかめてみせた。


「で、頼み事って?」

「こちらに戻ったついでに故郷に一度、帰ろうと思うのですが……。よければ、一緒にいらっしゃって下さいませんか。何もない小さな村ですが、きっと歓待されると思います」


 英雄くんが、少しだけ口ごもるようなしぐさを見せた。

 冒険者となるために旅立ち、英雄と呼ばれるに至った者が帰郷するとなれば、それはまさに錦を飾るというものだ。

 だが英雄くんの口ぶりは晴れがましさのかけらもなく、憂鬱そうですらある。


 その態度のちぐはぐさにどこか心惹かれ、結局、メルは同行を受け入れた。


 そして夜半に、ひっそりと、本当に誰にも気どられることさえなく、二人は消えるようにオリヴィニスを後にした。

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