第208話 英雄くんとアトゥと調子に乗ったメルのはなし
最強冒険者決定戦個人部門を開催したら優勝者はいったい誰になるだろうか、といういささか頭の悪い与太話の結末は、実はオリヴィニスではケリがついている。
英雄くん、と呼ばれている冒険者がいる。
英雄という語感に比して非常にユーモラスな響きのあるあだ名であるが、実体はそれほど愉快ではない。マジョアやメルたちがオリヴィニスの《生ける伝説》だとしたら、《英雄くん》は《生ける神話》だ。
彼についての噂は数限りなく、息をしている限り無限に二つ名が生成されるため、意外と平凡な本名は誰も知ることがない――そんな本末転倒とでも言うべきエピソードからもその規格外ぶりがうかがえる。
オリヴィニスでの立身出世を狙う冒険者はただひとりの例外もなく英雄くんがハイエルフの世界に旅立ったときほっと胸を撫で下ろし、つい最近になって戻ってくると知り心の底からガッカリしたものだ。
暁の星団のアトゥもまた《英雄くん》に思うところがある冒険者のひとりだ。
ある日の午後、彼は冒険者ギルドにたむろしている冒険者のひとりの肩を叩いてを捕まえた。有名な《流星》という題の詩を刺繍にして施した派手な上着を着た珍妙な若者である。名前はエトワール。
階級は銀。英雄くんの末弟子であり、《流星》もしくは《へっぽこ詩人》、あるいは《ああはなりたくない》等々、不名誉なあだ名の数にかけては師にも負けていない。
ただし港湾都市からやってきた他の弟子たちとは違い、エトワールは以前からオリヴィニスを拠点としていた。
アトゥとはオリヴィニスに入ったタイミングがほぼ同じで、お互いによく知った顔でもある。
アトゥはこれから自分がする発言が《無礼》に当たると知りながら、なるべく穏便に済む言葉を頭の中の辞書をできる限り駆使して探し、発言した。
「なあ…………。お前の師匠のことで少し聞きたいんだが、彼はいつまでオリヴィニスに滞在する予定なんだ? いや、いつまででもいてくれて構わないんだ。もちろん。とっとと帰ってくれって意味じゃない」
その瞬間、エトワールは子犬みたいな顔をクシャクシャにゆがめた。
「此度のことはすまなかった……!」
まるでギルド街の大通りをエネルギー砲でぶち抜いたのは自分です、といった様子でエトワールは深く頭を下げる。
「自分も必死で兄弟子たちを説得したのだが、師匠が落選した件で思いのほか鬱憤が溜まっていたらしく、みんな苛立っていて止められなかったのだ」
その件に関してはアトゥも無理もないとは思う。
英雄くんこと《青薔薇の英雄》は、世代的には戦士カルヴスと同世代に当たる。実力もさることながら、弟子の数を合わせれば冒険者ギルドの中でも一大派閥になるだろう。知名度だけなら青薔薇のほうが上かもしれない。
カルヴスを除いたならば、マジョアの後継としてこれほど相応しい人物はいない。
それが大した説明もなく師匠連の全会一致で退けられたとなれば、不満を持つなというほうが無理というものだ。
「それはいいんだ。お互いに話し合いが必要なのは前々からわかってたしな。不幸な誤解だったとも言える」
それに結果だけをみれば、いちばん街を激しく損壊したのは黒鴇亭のヨカテルだ。
青薔薇の弟子たちは確かに厄介な行動を取ったが、今となっては街の復興に欠かせない。
他ならない青薔薇自身が弟子たちを集め、街の人たちに協力するよう説いてくれているからだ。
「ただ、そういうことじゃなく……俺が知りたいのは……」
「なんだ、友よ。言いにくいことか? お師匠様と近づきになりたいのなら、帰還歓迎パーティの日程を先に教えておいてやってもいいぞ」
「そういうことじゃないんだが」
思わぬ単語が聞こえてきて、アトゥは眉をしかめる。
「それよりまさか、歓迎パーティの幹事はお前がやるのか?」
「ああ。もう、凱旋パレードの段どりはほぼ済んでいるんだ」
「凱旋パレード……?」
訝しげな顔つきになるアトゥ。
エトワールはきらきらした目で、分厚い帳面を懐から取り出した。
「想像してくれたまえ。大通りに敷き詰められた赤絨毯の上を行く百人からなる楽団と踊り子、降り注ぐ百万本の薔薇の花びら、そして三頭の象だ。度肝を抜くぞ」
「待て、象ってどういうことだ? そもそも凱旋パレードって何なんだ?」
「もちろん、偉大なお師匠様の帰還を街中に知らしめるためのパレードだ。歓迎の祝宴も開幕のパレードに相応しい規模を想定している。この世の誰もが目にしたことのないめくるめく大宴会が七日七晩続くだろう」
その様子を想像してアトゥはうんざりした表情を浮かべる。
エトワールの趣味がどんなものなのかは、詩を刺繍した上着を見ればわかる。
騒ぎがあったばかりの街で絵に描いた餅のような馬鹿騒ぎを起こせば青薔薇への印象はますます悪くなる。というか、どんなタイミングでやったとしても評判はだだ下がりだ。
「やりすぎだ、エトワール。悪趣味すぎる」
「自分はそうは思わない」
「いいや、よく考えろよ。お前のお師匠さんはあれで神経性の胃痛持ちだろ。派手な騒ぎをやらかして街中の注目に晒されてみろ、どうなると思う?」
「それは、いつものように喀血して……………はっ!!? 私はなんてことを!」
趣味は悪いが、素直な性格なエトワールは瞬時に己の間違いを悟ったようだった。
象や百人の踊り子がもたらす大惨事を想像し、恐怖に引き吊った顔をしている。
「象はやめろ。楽団も踊り子も絨毯もいらない」
「薔薇の花のシャワーは!?」
「それもやめるんだ。大宴会もな。ただし、数日間に分けるってアイデアはいいと思う」
フォローを入れたのは、エトワールのためだけではない。
「人数を絞って、みんながゆっくりと話ができるような雰囲気のものなら問題はないだろう。一日はギルドや街の上役を招待して、今回の事件についての話を自然にできるよう誘導するとなおいいな。そして、できればお前は幹事をやるな」
エトワールは青い顔をしてそれらの全てを必死にメモして、《予約した象をキャンセルするため》に去って行った。
アトゥにしても、このまま冒険者ギルドの最大派閥である《青薔薇》とオリヴィニスの関係が悪くなったままになることは望んでいない。
しかし、ここに来てエトワールに声をかけたのは、両者の関係修復のためではない。目的は全く果たせていなかった。
再び溜息を吐いた。
アトゥは疲れ果て、どこかしらやつれていた。
*
英雄くんの逸話の最たるものが、エルフ王とのエピソードである。
冒険の果てにエルフ王との謁見を許された英雄くんは、ウソか真か《未来予知》と《不老》というとんでもない秘宝を手に入れた。
そのおかげで彼は年をとらず、今も若い姿のままだ。どう勘定しても十七か十八か、それくらいの若さにしか見えない。見た目だけは冒険者の世界に飛び込んだばかりの新人と何ら変わらないのである。
この英雄のまさしく伝説的なエピソードは、めぐりめぐって、宿の狭苦しい共用のバルコニーから沈む夕日を眺めるアトゥに繋がっていくことになる。
たまたま通りかかったヨーンは、何かただならない気配を感じ、声をかけた。
「どうしたんだい? アトゥ……」
アトゥは渋い表情を滲ませながら答える。
交友関係が広く一人酒には縁がないアトゥは、めずらしく酒の入ったグラスを友にしていた。
「英雄くんって……当然知ってるよな。あの人、いくつくらいだと思う……?」
全く予期しない質問をされたヨーンは少し口ごもる。
「さあ……。詳しくは知らないけど、少なくとも、五十歳は越えてるんじゃないかと思うけど……」
「そうか、そうだよな」
アトゥはそれきり多くを語らなかった。
あまりに真剣みのある表情に、ヨーンも何となく込み入ったことは訊きずらい。
もしかしたら、と長年のつきあいから推理する。
アトゥは野心のない冒険者とは呼べない。故郷を出てからこれまで、階位を確実に上げて来たし、パーティの今後のことも真剣に考えている。自分のキャリアと年齢、そして冒険者の頂点とでも言うべき大人物をくらべたときに、何かしら思うところがあったのかもしれない……。
だが、ヨーンの推理は的を外していた。
「実はな、奢っちゃったんだ……」
と、アトゥは沈痛な面持ちで述べる。
当然、ヨーンは意図がわからず「は?」と間抜けな返事をするしかない。
アトゥは夕陽を眺めながら、昨日の出来事を思い出していた。
その日、アトゥは飲食系の屋台が並んだ通りを歩いていた。何かを飲み食いするわけでもなく、店に入るよりも安価な店が並ぶその通りの片隅で、串焼きの屋台の前に並ぶ二人組に出会ったのである。
二人は「おいしそうだけど、手持ちが心もとないからやめておこうか」などという話をしながら、屋台の食べ物を眺めていた。
アトゥも若い頃には、シビルとよく、いい匂いをする肉の屋台の前を、余裕のない財布を持ってそぞろ歩きながらそんな会話をしていたものだ。
悔しく切ない思い出だ。
そんなことを思い出したとき、アトゥはつい、若い冒険者二人組のうしろから屋台の主に声をかけていた。
「親父さん、こいつらに美味いところを見繕ってやってくれ。金なら俺が出す」
屋台の主は少し微笑みながら「はいよ」と気前よく返事をした。
久しぶりに人情味のある冒険者を見たぜ、とでも言いたげな顔つきだった。
しかし、彼の目の前で起きていた事態はそんなに単純ではなかった。
アトゥはすぐに自らの失敗を悟った。
気前よく財布の紐を解いたアトゥを、びっくりしたような顔で見上げてくる若者ふたり。それは、言うまでもない。何故か知らないがたまたま二人セットで屋台見物をしていたメルメル師匠と件の英雄くんだったのである。
しかし、出したものは引っ込められない。
アトゥは苦渋の決断を下した。
奢ったのだ。自分よりもはるかに年上、そして経歴もはるかに上、華々しい出世街道を歩く人物に、屋台飯を。
そのときメルが浮かべた「しめた!」とでも言いたげな邪悪な表情は、忘れようと思っても忘れられない。
アトゥはひたすらに辛い表情である。
ヨーンは何て声をかけていいかわからず、戸惑うばかりだ。
その後、味をしめたメルによって何度も奢らされることになるだろうことを、このときのアトゥはまだ知らなかった。
いや、知ってはいたが、まだ体験していなかったという意味だ。
避け難い未来であった。
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