番外編(死者の檻の冒険者編関連は☆マーク)
第207話 いつかのはなし ☆
メルはお気に入りの木の上でうとうとしている。
まだメルが《メルメル師匠》とは呼ばれておらず、それどころかマジョアやアラリドたちと出会うずっとずっと前のことだ。
そこは《巨人の木》と呼ばれる大木の上だった。
天に突き出した三本の大枝が頭と腕、二股に別れた根っこが巨人が歩く姿に似ているのでそう呼ばれている。
だからといってとくに何があるわけでも、べつに有名な名所だというわけでもないが、メルはここをお気に入りの場所のひとつにしていた。
そのとき、足元にだれかがやってきて腰を下ろし、大きなため息を吐いたのが夢うつつに聞こえた。
そっと足元に目をやると、立派な甲冑に身を包んだひとりの騎士が馬を繋いで休んでいる。
人里離れた場所だ。近くに村もない。
おそらくは《腕試し》のために諸国巡礼の旅をしているのだろう。
名のある騎士たちの武者修行の旅は、冒険者の旅と同じく古来から女神に祝福された聖なる旅だ。
けれども、近頃の騎士たちが馬鹿正直に旅をすることはない。
あまりにも古臭い慣習だからだ。
それに大きな問題もある。
騎士は俯いたまま、深い深いため息をもう一度吐き、鬱々とした口調で呟いた。
「まさか、私が武者修行の旅に出ているあいだに国が滅んでしまうなんて……」
地面を見つめたままの紫色の頭の分け目を見下ろしながら、メルは思わず笑い声を立てた。
長期間にわたって守りの要である騎士が国を空けていたらどうなるか、まさにその見本のようだったからだ。
「なっ、何者だ? 木の精霊か!?」
騎士は立派な戦槌を抱えて飛び上がり、明々後日の方向にむかって叫んだ。
無理もない。
巨人の木は大きな空洞ができている。
木の上にいるメルの笑い声は幹の内側で反響して、まるで巨人の木そのものが声を立てたように聞こえたのだろう。
「まあ、そういうことにしておいてあげよう。お兄さん、なかなか悩みが深そうだね」
「木霊の精よ……、聞いてくれるか」
「うんうん、まあ、いいだろうとも。暇だし」
「じつは……」
悩み深き騎士が語るところによると、彼の名前はヴィールテス。
とある小さな王国に仕える騎士だったが、師の勧めに従って武者修行の旅に出ている真っ最中だ。
そして文字通り大陸の端から端までを横断して戻ってくると、小国は滅ぼされた後。王様はみずから王冠を脱いで、姫君は連れ去られてしまった後だった。
「我らが陛下は寛容かつ民に優しいお方であるから、無用の戦いを望まなかったのだ……」
「せっかくの修行もやるだけ無駄だったね。あれっ? そもそも間に合わなかったんだっけ?」
メルが意地悪く言うと、騎士は再び巨人の足元に座り込み、今度は肩を震わせて嗚咽をはじめた。
「私は騎士なんて向いていないのかもしれない……」
涙声まじりに、絞り出すような声音が聞こえてくる。
さすがにメルもやり過ぎたと感じていた。
「それで、君たちの国はどうなったの? 戦争をしなかったのなら仲間だって残ってるんでしょ? なんかやるつもりなら、申し訳ないからちょっとだけ手伝ってあげてもいいよ」
「かたじけない。意外とやさしいのだな、木の精よ……。だが、その申し出は次の機会に持ち越してくれないだろうか」
「と、いうと?」
「たしかにかつての仲間たちは姫君を力尽くでも連れ戻そうと息巻いているが、それにはとても賛成できないのだ」
武者修行なんてやるからには、脳みそまで筋肉でできているような頭に血がのぼりやすい男だろうと踏んでいたが、どうやらヴィールテスはそういう気質の騎士ではないらしかった。
「敵は強大だ。陛下も単なる力では対抗できないと感じたからこそ真っ向から戦うのをやめたのだろう。そのお気持ちを汲むべきだ……」
「じゃあ、君は何もしないってわけ」
「何もしないのではない。何をするべきなのかを考えるのだ」
故郷を失なった騎士は悲しげではあったが、しかしその眼差しに宿った力は失われてはいない。
未来を見つめる者の目だ。
彼はすべての可能性を見失って、絶望の淵に立たされているわけではない。たとえどれだけ過酷な出来事が待ち受けているとしても、どこに行くべきなのかを自分で決めることができる人間が持つまなざしだ。
そうとあればメルは故国を失ったまぬけな騎士について行って、英雄ごっこをしてみるのもいいか、などという不埒な考えを改めた。
「何か思いついたら、またここにおいでよ。話くらいなら聞いてあげるからさ」
メルはそう返事をして、昼寝に戻った。
それからどれくらいの時間が経っただろう。
数えきれないほどの冒険があり、出会いと別れがあって、そしてそのほとんどを忘れきった頃あいに、メルは再び昼寝をしていた。
今度は、声をかけてきたのは向こうのほうからだった。
見下ろすと、あのときの騎士の姿がある。あざやかな紫の瞳や髪は騎士のもの、しかし彼よりも少し背が高く、髪型は帝都の流行りに整えられて、精悍な顔立ちをしている。着ているのも銀の甲冑ではなく、動きやすい革の鎧だ。何より首から下げているのは冒険者証だった。
長い時間が経ったのだな、とメルはぼんやりと思った。
「木の精霊よ! 私の名前はオリヴェ・ヴィールテスと言います。先祖との約束を覚えているでしょうか」
「なんとなくだけれどね……」
オリヴェは屈託なく笑った。
彼は冒険者として戦士ギルドの一員になり、諸国を巡っているところだと語った。代が変わっても、やっていることは変わらない。
たぶん結局はそういう運命の一族なんだろう、とメルは思った。
「それで、また旅をしているうちに大切なものをなくしてしまうつもりなのかい?」
「いいえ。私はこのまま故郷にもどり、写本師の修行をして、自分の工房を持ちたいと思います」
「それまたどうして……」
騎士としても、冒険者としても、なかなか珍しい将来設計のひとつだ。
「言葉は力です。戦う力とはちがいますが、何百年という長い時間を細々とでも残っていく力です。私が死んだ後も、私ではない誰かが受け継いでくれるでしょう」
あの騎士が辿り着いた答えがそれなのだろう。
とくに感心もしないが否定もしない。
それはオリヴェ自身の選択だ。戦うことも、戦い続けることも、戦わないことも、結局は自分が決めることだ。その結果どうなるかなんて問題ではない。
誰も答えの先読みなどできはしないのだから。
「次は君の子どもか、それとも孫あたりが会いに来てくれるのかな」
「…………オリヴィニスの不死者よ。ちょっとしたお願いがあるのですが、よろしいでしょうか」
オリヴェはかしこまって訊ねた。
なんだ、正体はばれていたんだな、とメルは思った。
「もしも次に貴方の元を訪れたのが私の子や孫でなくとも、その者に親切にしてやってくださいませんか」
それはあまりにも曖昧な言い方だった。
親切にする、という言葉にはいろいろな解釈があるだろう。
「なぜ僕が?」
「あなたは人間よりもはるかに長く生きて、人の歴史を目の当たりにすることができます。ひとりの人間が忘れ去ってしまうことも、あなたなら記憶のうちに留めておけるでしょう。私の先祖のことのように」
「それは過大評価すぎるよね……」
実際のメルは、ひどく忘れっぽい。
オリヴェの先祖のことなども、今の今まで忘れていたくらいだ。
「ちょっとだけなら手伝ってもいいと仰ったそうですね。先祖の手記に書いてありました」
「なるほど。よけいな口出しなんてするもんじゃないね」
オリヴェは去って行った。
その後もときどきはオリヴェの戦槌の扱いの評判を耳にすることもあったし、彼らが抱えている暗い歴史を覗き見ることもあったが、メルがわざわざ訪ねていくことはなかった。
そして長い時間が経って、巨人の木がとうとう倒れ、その存在そのものをすっかり忘れてしまった頃。
オリヴィニスの近くの森の、どこかしらあの木に似たメルの昼寝スポットにわざわざやって来て、気持ちのいい午睡を妨げる不機嫌な声があった。
「あんたがオリヴィニスの不死者か」
そこに立っていたのは自らの道を、自らの足で歩んできたヴィールテスの一族ではなかった。
金色の髪に緑の瞳が視界に飛び込んでくる。この世のぜんぶを呪っている、と言わんばかりに険のある表情だった。
なのに、その眼差しを見たときにメルは《騎士》のことを思い出した。
もちろんオリヴェのこともだ……。
姿形も、その在り方も何もかもが根本から異なるけれど、彼はオリヴェの言っていた約束なのだと直感させる何かがある。
「君がオリヴェの約束か。わかった。しばらくオリヴィニスに留まって、僕の弟子にでもおなり」
意外な申し出だったのか、緑の輝きが揺れている。
*
それは嵐の晩のことだった。
誰もが家の戸締りを厳重にして、閉じこもっている夜。
風や雨とともに訪ねて来たのはザフィリで写本工房を営んでいるという老人だった。オリヴェと名乗った老人は祖父や父親を相手に小一時間ほど話し込むと、再び雨模様の中を帰路についた。
会話といってもそれは、旧交を温めるだとかの交流では全くなく、かといって世間話のように薄っぺらでもない。
壁越しに聞こえたのは、オリヴェが必死な様子で頼み込んでいる様子だ。
「いまさら現れておきながら、大切な役目を預けてくれだと!?」
「お願いだ、居場所を教えてくれるだけで構わない……。居場所を教えてくれるだけで!」
「では、お前も役目のために血筋の者を差し出すという覚悟ができているというのだな」
「ちがうんだ、そうではない。もうこんなことは終わりにしようじゃないか。我々が力を合わせれば、別のやり方を選べるはずだ。誰も自分の人生を犠牲にすべきではないのだ」
「出ていけ。最早お前を味方だとは、騎士の一員だとは思っていないぞヴィールテス。砦の戦いにも現れず、のこのこと……裏切者!」
オリヴェが人目を忍んで家を訪ねて来るのはこれが初めてのことではなかった。
いつでも似たり寄ったりな結論に至る話し合いの最後には、オリヴェは力ずくで外に追い出されてしまうのが常だった。
しかしこのときは、階段の暗がりで自分のことを見つめている眼差しに、オリヴェははっとして声を張り上げた。
「オリヴィニスに行きなさい! オリヴィニスにも不死者がいる!」
ミダイヤはこのとき十六歳だった。
決められた通りの人生を、決められた通りに歩むため、冒険者として旅立つことになっていた。
ミットライトの家名を受け継ぐ者たちは誰もそのことに疑問を抱いたりしない。嫌だ、と言ったところで、荒い気性の祖父のことだ。死ぬ直前まで殴打されて言うことを聞かされるのがオチだった。
連綿と連なる悲劇の歴史が、その血筋をがんじがらめに絡め取っていた。
だが同じ騎士の血筋でもオリヴェは違った。
彼は自らの意志がどうあれ騎士として生きなければいけないミダイヤのことを本当に気遣ってくれていたただ一人の人間であった。
だから、その孫であるマテルがフギンとくっついて冒険に出ると決めたとき、ミダイヤには二つの混ざり合う感情があった。
ひとつは疑問だ。
オリヴェは騎士の役目から自分の血筋を遠ざけたのに、何故わざわざマテルが戦いの世界に飛び込まなければならないのか……。
もうひとつは納得だった。
ミットライト家は人知れずフギンや隠れ里のことを守って来たが、ただ役目に殉じるだけで、それ以上のことはできないでいた。
それに比べてオリヴェには何かしらの考えというものがあったように思える。
もしもミダイヤの父親や忌々しい祖父がオリヴェと和解していたら、全く別の未来もあったのではないかという予感がミダイヤの人生には常に横たわっていた。
だからこそミダイヤは旅立つマテルとフギンを試した。
そしてマテルがただフギンのことを心の底から友人だと思っているだけで、純粋に力になりたいだけなのだと知った時、激しく呆れた。
けれど、本当に呆れるべきは自分自身のほうだったかもしれない。
自分だけの力では役目を振り切ることもできず、かといって騎士らしく従順になりきることもできない。その憂さを弱い者いじめで発散して、辛うじて帳尻を合わせて生きてきた。みっともないことこの上ない。
なんて愚かで不自由で、ままならない生き方だろう。
ミダイヤ自身も、そして先祖たちもだ。
オリヴィニスの高台でミダイヤは気力だけで戦っていた。
相手にも十分な手傷を負わせたと思うが、それよりも腹に負った傷が致命傷だった。すでに刺された場所から右腿にかけての感覚が消えている。
それでも負けられない。
それが騎士としての使命だということ以上に、自ら望んで冒険者なんかになり、のうのうと自由を謳歌している連中相手には一歩も引けないといういかにも馬鹿げた意地でしかなかった。
ミダイヤはとうとう意識を失った。
倒れた体が地面に激突する前に、力強い腕が滑り込んでそれを引き留める。
「メルメル師匠! かろうじて生きてるっす!」
「そう。レヴィーナを呼んでおいで」
「この人、まだ死なせないでくださいよ。なんてったってかわいい弟弟子ですからね」
騒々しいわめき声が聞こえる。
年下だろ、と呟いたミダイヤに、そばかす顔がにやりと笑った。
「弟子入りは俺が先です。それに、俺のほうが強いっす」
武器を使った戦いでは負けてない、と言おうとしたが、出て来るのはうめき声ばかりだ。
「喋ったら舌を噛んで死ぬかもよ。君たち二人とも、めずらしく顔を合わせると子供っぽくなるのはいったい何なのかな……」
力なく見上げたオリヴィニスの風景に薄氷色の瞳が映り込む。姿形が何やらおかしいが、飄々とした気配はオリヴィニスの不死者・メルのものだ。
ミダイヤは冒険者暮らしをしていた頃、この街に立ち寄って、武器の扱いを学んだことがあった。彼が戦士ギルドの教官として、色々な武器を扱えるのはメルのおかげだ。
「こんなに手ひどくやられるなんて、腕がなまったんじゃないだろうね? また僕のところで修行していってもいいんだよ」
傍目には馬鹿げたような《役目》のためにもがきながら、自由を奪われたように見えても、ミダイヤにはミダイヤなりの旅があった。
出会いがあり、別れもあった。
そしてその終着点も決まっていた。
声には出さず、帰らなければならないところがあると答えた。
彼女が待っている。
マレヨナ丘陵の豊かな自然に囲まれた一軒の優しい家で。
ただならないことが起きていると知りながら、何も訊かないで送り出してくれた。体は弱いが、意志の強い女性だ。
フィヨル。
冒険者の家系の娘だ。
きっと、夫はもう死んだと思っているに違いない。
突然ミダイヤが帰ってきたら驚いて、幻なんじゃないかと疑うだろう。
もしも幻なんかじゃなく、現実なんだと知ったなら。
喜んでくれるだろうか……。
*****メルの一番弟子*****
みみずく亭のルビノがメルの一番弟子であることは間違いない。
では、二番がいるのか? という疑問の答えは、意見が分かれるところだ。
何しろ、どんな武器の扱いでもそれぞれの達人のように熟知していて、ありとあらゆる冒険に通じているメルの教えをうけたという冒険者はごまんといて、誰もが冗談まじりにその地位に着こうとするからだ。
うわさによると一番弟子のルビノは文句なく強いが、武器の扱いがからっきしで、そのことについてメルは少しだけ不満を持っているようだ。
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