第192話 夜よ、もう一度だけ ‐9




 ミダイヤは盾を地面に突き立て、甲冑の突撃攻撃を真正面から受け止めた。

 土塀や石畳を一撃で粉砕する攻撃が、盾の表面に衝撃を吸い取られて停止する。

 すぐさま大剣の叩きつけるような攻撃を浴びせかけられるのを長剣で受け止め、幾度も火花が散った。

 攻撃は一方向からだけではない。足が止まっている間に、細剣や弓が襲ってくる。さらに楽師風の女が抱えた弦楽器をかき鳴らすと、足元に置いた不気味な壺が魔法を使う。雷撃や火炎、突風による魔法が際限なく襲ってくるのだ。

 グリシナの騎士の鎧は低レベルな魔術を無効化するが、それでも無傷ではいられない。火炎が全身を炙っていく衝撃と熱と痛みに耐え、それでもなお立ちはだかる。


「なんでお前が……! フギンをいじめていたのではなかったのか!?」


 戸惑うヴィルヘルミナの言葉に、大剣を捌きながらミダイヤはにやりと笑った。


「そうだな。さんざっぱら好き放題やってやったぜ。小突きまわして恥をかかせ、泥水を啜らせて有り金全部吸い上げてやった。


 横合いから突き出された細剣が、鎧の隙間を縫って見事にわき腹を射止める。

 ミダイヤは苦しげに顔をゆがめるが、それだけだった。

 細剣を抜こうとした英雄の弟子は、それができないことに驚いているようだった。

 ミダイヤは苦痛を噛みしめながら、籠手に包まれた拳で自らの腹を裂いた剣を叩き割り、刺さっている刃を引き抜いて捨てた。

 腹から伸びた血の帯が宙を舞って地面を濡らす。


「だからこそ俺はここで! 愛する女が泣いたとしても、この命の全部を使い果たすまでここに立ってなきゃならねえんだよ!」


 それは異常な戦い方だった。退いて体勢を立て直すとか、致死的な攻撃を避けるとか、生き残るための冒険者の戦いとは一線を画しているのだ。

 すでにミダイヤはここを死に場所と決めている。

 これまでオリヴィニスの者たちは何度も襲ってきたし、ヴィルヘルミナたちは何度も「もうだめだ」と思わされた。しかし、それは戦いなどではなかった。ヴィルヘルミナたちも、冒険者たちも、何ひとつ覚悟などしてはこなかった。

 けれどミダイヤは違う。


「いったい、何が……。フギンの過去に、お前にそこまでさせる何があるというのだ……?」


 ヴィルヘルミナは微かに震えていた。これまでフギンの過去について真剣には考えてこなかった。不死者なのだと言われても、人とは少し違うくらいだろうと高を括っていた。ここにきてはじめて、戦いという尺度を見せつけられて、異常なことが起きているのだと悟ったのだ。

 ミダイヤは再び突撃攻撃に移ろうと構えた甲冑を力任せに盾で殴りつける。地面から片足が離れた瞬間にバランスが崩れることを見抜いていたのだろう。その隙を逃さずに長剣が右腕を付け根から跳ね飛ばした。

 踏み込んだミダイヤの腹からは鮮血が零れ落ち、足を濡らしていく。

 対する甲冑のほうは血しぶきは上がらず、金属の腕だけが落ちていく。義手か、それとも魔術の類か。


「…………はっ! 待てっ、貴様!」


 熾烈な戦いが繰り広げられるその間隙を縫って、ひとりの冒険者が黒鴇亭への階段に走り抜けるのが見えた。

 ヴィルヘルミナは慌てて追いかけていく。





 黒鴇亭からは戦場の姿が見えた。



 冒険者の街としての活気を失い、愚かしくも死の気配が漂う廃屋の群れになり下がろうとしている火の都だ。街路はあちこちが崩れている。誰もが戦っていて血を流し、傷ついては倒れ、叫んでいた。

 マテルは高台から見える街の悲惨な状態に心を痛めながら、黒鴇亭の足元までやって来た。

 その先には魔術を使うトゥジャン老師と、ひとりの魔術師がいる。

 鮮やかな緑の髪をよく覚えている。最初に黒鴇亭へとマテルたちを導いたのは彼、セルタスだった。

 セルタスは魔鳥を見上げていた。マテルが近づいても、そうしてじっとしていた。


「いらっしゃい、《鴉》のお友達ですね」


 マテルは魔鳥の悲鳴や恐ろしいほどの熱量を浴びながら、背中から戦槌を下ろした。


「それはやめておいたほうが得策ですよ。私はあなた方と敵対するつもりはありません。それよりも見て下さいよ、この美しく完璧な生命体を」

「…………これが解き放たれたら、世界中の人たちが死んでしまうのに、あなたは美しいと言うんですね」

「残念ながら、この世界に生まれた魔術師の誰もが《魂の定義》をみつけだし、証明することができませんでした。ですから生きているとはどういうことなのか、私は明確な答えを持ちません。あなたには生命が生命たる由縁を説明できますか?」

「僕にもわかりません。ですが、フギンは僕が取り戻します。そこをどいてください」

「魔鳥は黒鴇亭の地下室を止まり木にしています。彼の肉体も残っているかどうか……。そもそも勝てませんよ。》にはね」


 セルタスは金属の杖でマテルの背後を示した。

 アマレナか。マテルは下がって戦槌の頭をセルタスにも、背後の何ものかにも向けられるように位置どった。

 そこで魔鳥の輝きに照らされていたのは、難しい顔つきの、そう、どちらかといえば《むすっとした》ような表情を浮かべた若者だ。すらりと長い手足、薄氷の瞳に、月明かりの色合いをした猫っ毛を金の髪飾りで留めて肩に流している。

 あきらかに絹織物とわかる衣服や丈の長いローブは魔術のかかった高級品だ。魔鳥とは明らかに違う星のささやかで輝かしい瞬きをまとっていた。


「ジデルに幕引きを頼まれた。とはいえ僕にできることはないし、君たちとも知らない仲ではないから、気が引ける」


 若者はそう言った。だがマテルは呆然とするばかりだ。


「…………誰?」


 見知らぬ人間だった。オリヴィニスどころか、この旅で一度も会ったことはない。

 問いかけた瞬間、セルタスが吹きだし、体を二つ折りにして爆笑をはじめるがマテルには理解が追いつかない。


「マテルっ! そこをどけっ!」


 細い路地をヴィルヘルミナが駆けてくる。

 この若者を追ってきたのだろう。

 剣を抜いて斬りかかる。


「セルタス、杖を貸して」

「構いませんよ」


 若者は魔術師の杖を受け取ると、片手に構えヴィルヘルミナの刺突を受け流す。

 食らいつく連撃を不思議な足さばきで避けながら、怪我をしているとはいえ、いとも簡単に胸、腹、足を突いて転ばせる。

 まるで子供に稽古をつけるかのようだった。


「怪我してるとはいえ手応えなさすぎ。師匠連に入りたいんじゃなかったの?」

「な、なにをっ…………!」


 ばかにされたと思ったのだろう。ヴィルヘルミナは背後の弓を下ろし、弦を引き絞る。女神の奇跡を召喚する弓を前にしても、若者は穏やかな顔つきだ。


「それはやめておいたほうがいいと思いますけれど…………」


 セルタスが呟いた。

 なぜだろう。ヴィルヘルミナが負けるところは想像できないが、マテルには嫌な予感がした。

 空に光女神の聖なるシンボルが現れた。

 だが、女神の矢に撃ちぬかれたのは、ぼんやり空を見上げている若者ではない。

 ヴィルヘルミナだった。

 彼女は自分自身の胸をつらぬく魔法の矢を呆然と見下ろし、その衝撃で後ろに吹き飛ばされた。


「なっ……、なんで、女神様…………っ!」

「光女神の武器は、女神に相対するものを滅ぼす聖なるもの。女神の望まぬ者を射ればそうなるのは当たり前です。彼はこの世界で女神に一番望まれた人間なのですから。ねえ、そうでしょう、


 セルタスは楽しげに解説している。

 ジデルが遺跡から持ち出したアイテムは時間にまつわる魔道具だ。中には時間が封じ込められており、手にした人間に強制的に年を取らせることができる。


「メルメル師匠はあくまでも子供ですから強い魔術も使えませんし、剣を使ってもそれほど力があるとは言えませんが、この姿なら違う。よく考えましたね、ジデルさんも」


 若者はゆっくりと、起き上がれないヴィルヘルミナに近づいていく。

 この状況を何とかできるのは最早マテルしかいない。


「待ってください。ヴィルヘルミナを傷つけるつもりなら、こちらにも考えがある!」


 マテルが祖父ゆずりの戦槌を向けたのは、二人のどちらでもない。魔鳥を取り囲んでいる《鏡》だった。

 マテルは思いっきりメイスを振りかぶる。振るわれた槌は、絶望的な音響を立てて、浮かぶ鏡の表面にめり込んだ。

 ひび割れ、粉々に砕け散る。


 そのころ高台の麓ではマリエラが自分自身の心を無限に切り刻んでいく男どもに正義の鉄槌を下していた。憎しみの力で奮闘しているとはいえ、多勢に無勢だ。魔術も失っている状態でよく保ったどころか、不思議なほどに保ちすぎている。

 不意に人垣から伸びてきた腕がマリエラの後ろ髪を掴んだ。

 だが、その腕はたちまち力をなくして地面に落ちていった。マリエラは確信を持った。群衆の間に誰かが紛れ、マリエラの助けになっている。


「誰か知らないけれど、出てらっしゃい!」


 後退した背中が何かに軽くぶつかる。

 軽くしなやかで、香水のにおいがする。誰かの背中だ。


「あらぁ、ご自分から伏兵の存在をバラすなんてぇ、うわさの《魔法剣士》も大したことありませんねえ、うふふ」

「あんた、何者よ」

「私ですかぁ? 私はザフィリの冒険者ギルド受付係、ヴィアベルと申しまぁす」


 黒髪を絹織のようになびかせた魔女の手で、血を吸った鞭がしなる。

 マリエラが倒した以上に数が減っているのは彼女が隠し針仕込んだ毒のせいなのだ。


「非常に不本意ですが、ちょっとこの上のほうにいるヒトに脅されてましてぇ。それに皆さま利口ですから、すぐさまここを離れたほうがイイってことは、おわかりになると思いますぅ」


 ヴィアベルはピカピカに磨かれた爪の先で、まっすぐ天を指してみせた。

 そこには大きく翼を広げた《魔鳥》の姿があった。トゥジャン老師が張り巡らせていた鏡の結界が解けてしまったのだ。

 魔鳥の輝きは一瞬で数倍にも膨れ上がり、天を貫く柱となった。

 あきらかな異常を察知した冒険者たちは一目散に逃げ始める。

 混乱する麓とは違い、一息に飲み込まれた高台の上のほうは静かであった。

 いかなる戦いも、混乱も、すべては無意味だ。

 青薔薇の弟子たちは暴力的な死の翼が迫って来るのを見て恐怖におののいていた。平静なのは目の前で血を流している瀕死の騎士だけだ。

 騎士は後ろから何が迫っているのかをすべてわかっている様子で、振り返りもしないで光の中に飲み込まれていく。

 黒鴇亭の前ではメルが防御魔術を使い、かろうじて魔鳥の翼を防いでいた。

 光のカーテンの向こうには倒れたままぴくりとも動かないトゥジャン老師とセルタス、そしてヴィルヘルミナの骸があった。

 このとき頂上にいたものは、皆そうなっただろう。青薔薇の弟子たちや、バーナネンと戦うために残ってくれたルビノも。翼はあっという間に街を覆い尽くしていく。マリエラや、ギルド街はどうなっただろう。ミシスや、アトゥたち、それから……。

 自分の招いたこととはいえ、マテルは呆然となる。

 そんなマテルにメルは語りかける。


「後悔することはない。いずれは時間切れになって、こうなった。早いか遅いかのちがいだよ。それにフギンと旅をするということは、こういうことだ、ともいえる」


 防御魔術の範囲は、魔鳥の膨大な魔力に押されて狭まっていく。

 それなのにメルは微笑んでいた。


「後悔してるかい? フギンと旅に出たことを……」


「いいえ」と、マテルはすぐに返事をする。


 この旅はマテルにとって大切なものだった。

 ひどい光景を目の当たりにした今でも、そうだと言い切ることができる。

 この旅がなければザフィリでの静かな暮らしも、安定した仕事も、マテルにとっては何の意味もないものだ。


「だけど、フギンに望むものを与えてあげられなかったことだけは後悔しています」


「フギンの望むもの? それは僕も興味あるなあ。それって何だい?」


 マテルは黙ったまま首を横に振る。


「わかりませんでした……。フギンが何者なのか、僕にはわからなかったから」

「そうだね。おそらくそれは、ここまで秘密を守っていたグリシナの騎士たちも知らなかったことだろう。君のおじいさんも」


 メルはどんどん縮まっていく防御結界に少しも頓着することがないように見えた。生きていることと死んでいることの差はそれほどない、と言った彼らしく。


「だけど、知らないことを知るのって、わくわくするよね。君はフギンの過去を知りたい?」


 マテルは頷いた。強く、強くうなずいた。


「じゃあ、ここから先は僕と一緒に行こうか」


 メルは防御魔法を使うのをやめて、マテルに手のひらを差し出した。

 マテルはメルの手を取った。

 かつてフギンに差し出された掌だった。

 今も、フギンを探している。

 重なりあったふたつの手のひらが、その持ち主たちが《死》の光のなかに飲まれていく。

 輝いていた天の星が一つずつ暗闇へと落ちて行く。

 天上は星ひとつない闇に包まれ、輝かしくも避けがたい光が地上を飲んでいく。


 戦いを、暴力を、勇気を。


 懊悩や痛みや、葛藤や、すべてのものを掴み取って離さない。

 何もかもの意味を奪い取って、誰もが逃れられない静かなものが広がっていく。


 やがて、この地上に息を吐くものはいなくなるだろう。

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