第191話 夜よ、もう一度だけ ‐8



「リーダー、どうするの!?」


 仲間の叱責によりバーナネンが我に返ったとき、マテルとヴィルヘルミナは六馬身は先へと進んでいた。

 高台の入口では、マリエラが用なしになった魔法陣を捨てて両手を上げて投降の意志を示している。


「…………これでやるべきことはやったわ。私の役目は終わりね」


 そう呟く彼女の包囲網はジリジリと縮まっていく。

 これ以上抵抗するつもりはマリエラにもない。元々気乗りしない役目であったし、マテルたちには恨みこそあれ積極的に味方をしたい理由もない。

 今ならばまだ話は穏便に済むだろう。全てが終わるまで息をひそめ、事がすんだら、情けない話だが実家に頼って故郷にもどるしかない。

 それもこれもアーカンシエルでのあの一夜。あの紫の髪の小憎らしい青年に出会わなければ、と恨みを募らせる一方、自分が軽率な行動を取らなければよかったのだと諦める気持ちも今のマリエラにはあった。

 自分の生き方に疑問を抱くような出来事が相次ぎ、このあたりで心機一転、区切りをつけるのもいいと考えたせいかもしれない。

 だが、先んじて言うなら人はそう簡単には変われないのだ。


「あれっ? お前、もしかしてアーカンシエルの冒険者じゃないか?」


 両手を頭上に掲げて無抵抗の意志を示していたマリエラの顔色が変わった。

 群衆の中からひとりの冒険者がそう声を上げたのだ。

 集団を抜け出して、マジマジと顔を見つめてくる。


「何よ、あたしのこと知ってるの」

「いや、知ってるってほどじゃないけどさ。数年前、アーカンシエルにちょっといた時期があるんだよ。懐かしいな~、お前さん、あの有名な冒険者だろ?」

「有名ってほどじゃ……」


 マリエラは満更でもなさそうに照れている。アーカンシエルから離れた場所、冒険者の聖地オリヴィニスでも自分の名前を知っている者がいる、というのは、確かに悪い気はしない。ただ、それも短い栄光であった。


だ」


 その瞬間、オリヴィニスの路地に凍えた風が吹いた。イストワルの雪原を吹き渡るような、冷酷な風だった。その風は、中心にいるマリエラから吹いていた。

 その内心はいかばかりだろう。

 数年ごしに、自分自身の他者からの評価を知ったのだ。

 それも意図せぬ形で。

 彼女は満面の笑みを浮かべていた。月光の下、吸血鬼の女王のように冴え冴えとして、いっそう冷酷に見える。


「《嫁き遅れ》のマリエラですって? ちがうわ。そんな人知らない。別人よ」

「だけど……ヒッ!」


 胸倉を掴まれ、冒険者は言い募る言葉を失う。


「黙れうすのろ。覚えておくがいいわ。私は《魔法少女》マリエラよ。かわいい呪文で敵を打ち砕く、正義と愛の使者であり、この世のすべての乙女たちの味方よ?」

「…………は?」


 男は、マリエラの頭がおかしくなったと思ったのだろう。きょとんとした表情を浮かべた。本当にそう思うならすぐに逃げておくべきだった。


「シャランラシャランラッ!!」


 魔法の呪文を唱えながら近寄ってきた男の頭蓋骨にメイスを振り下ろす。

 護身用にマテルが渡していた副武装サブウェポンが魔法少女の必殺武器となり敵を打ち砕いたのだ。


魔法少女的殺戮武器マジカルステッキの塵になりたい悪しきものどもはかかって来い!!」


 血しぶきを浴びた魔法少女は雄叫びを上げた。





 マテルとヴィルヘルミナは走っていた。

 その速度は確実に落ちている。

 魔法の効果は時間の経過とともに消え、体には重たい疲労感が残った。

 魔術によって限界以上に肉体を酷使したその反動だろう。ヴィルヘルミナはわからないが、マテルにはメイスを振る力も残っていないと思えるほどだった。

 黒鴇亭はもうすぐ、というところで、向かいに人影が立ちはだかった。

 暗くて姿形がわからないが、すぐに明かりが灯る。

 それは両手につけた籠手の宝玉が精霊の力を借りて輝く、その炎だった。

 炎の中に、そばかす顔の青年の姿が浮かび上がる。


「《緋の》ルビノか……!」


 メルの弟子だ。その強さは、助けられたマテルたちがよく知っている。


「どうする、マテル。次は私が足止めするか!?」

「…………行こう、ヴィルヘルミナ。止まらないで」

「だけど…………!」

「あの人が僕たちの敵になるなら、絶対に敵わない。君は怪我をしているし、全力を出せない」


 立ちはだかるものがあまりにも強大すぎた。これまで出会ってきた冒険者たちのすべてが想定を超えていた。

 それに対してマテルは無力だった。

 頼みの綱であるヴィルヘルミナの怪我はいよいよ無視できないものになってきていて、マテルは足を引きずる彼女に肩を貸して、急こう配を登っていく。

 もしも襲われたら、なすすべなく倒されるだけだ。


「それでも行く」


 マテルは自分自身に言い聞かせる。


「たとえもしこうなるとあらかじめ知っていたとしても、何もできないとわかっていたとしても、それでもあの日、僕はフギンと旅に出る」


 ルビノはそれをじっと見つめているだけで微動だにしない。そして隣を通り過ぎる二人を止めなかった。

 恐ろしいほどの緊張から解き放たれ、マテルは走りながら背後を振り返った。


「止まれ、二人とも!」


 バーナネンが追って来ている。バーナネンのほかは武装が重く、まだ麓のほうにいる。ついてきているのはドワーフ族と思しき少女だけだ。

 ルビノは振り返らず、黙ったまま構えた。

 マテルたちに対してではない。バーナネンに対してだ。

 バーナネンは驚いていた。

 はじめからルビノに敵対するつもりはなかったのだ。事情を知っているかどうかはわからないが、冒険者証を捨てることになっても味方をすると決めていてくれた。

 マテルは魔鳥へ向き直る。


「ルビノさん、ありがとう……!」


 その声は夜空をつんざく怪鳥の鳴声にかき消されて、きっと届かなかっただろう。

 間近にした魔鳥は、シルエットが鳥のようだというだけで、実体のない白い炎のかたまりのように見えた。

 激しい火の粉は高台の家々を燃やし、風や空気には熱が混じっている。

 魔鳥の周囲には、トゥジャン老師が維持しているだろう銀色の鏡が無数に浮かんでいた。鳥の鳴声はどこか苦しげで、あれが本当にフギンなのだとしたら、どこかで助けを求めているのではないかという気がした。

 そして再び見慣れた黒鴇亭のほうに上がる小道に差し掛かったマテルとヴィルヘルミナに声をかける人物がいた。

 道の端の石に腰かけて退屈そうに足をブラブラさせている少年だ。


「やあ、待ってたよ。やめろって言ってるのに僕のいうことなんか聞きもしないバカ弟子には会ったかい?」

「メルメル師匠……。あなたは敵ですか、味方ですか」

「さあ、どっちだろう。じつは僕にもよくわからないね。ただ、君たちを待ってたのは僕だけじゃない。彼らは君たちを攻撃するつもりみたいだよ」


 メルは夜空を、あらぬ方向を見上げた。

 そちらの方角から……そして、あちこちからかすかに眼差しを感じた。

 うまく隠れてはいるが、はっきりとした敵意を感じる。


「あいつらは青薔薇の弟子の中でも、かなり階位の高い奴ら。ほとんど番外みたいなものだよ」

「止まれません……。こんなところじゃ」

「そうだろうね。その気持ちはよくわかる。理屈には合わないけれど、止まることができないって気持ちは」


 決断の時間が迫っていた。これ以上は考えている余裕はない。


「ヴィルヘルミナ。本当にごめん。だけど君に頼むしかない。僕を先に行かせてくれ」


 どんなことがあっても進むと心に決めていても、悔しくてたまらない決断だった。


「わかってるぞ、マテルよ。これが私の役目だ。フギンをかならず助けてくれ」


 二人は黒鴇亭へと上がる細い階段へと走った。

 マテルが奥に進むのを見てとると、両側を建物に挟まれた小道を背にして、ヴィルヘルミナは剣を抜いた。


「訳あって聖女様の御元を離れ、覇道を行くと決めたがそれも敵わず、回り道ばかりしていたが、うむ! この旅は良いものであった。今、仲間を背にして守ろうとしているこの私に恥じるところはひとつもない。だが、そなた達はどうだ!?」


 彼女の前に、重たい甲冑を着こんだ冒険者が現れる。

 頭の先からつま先まで一分の隙もなく、銀色の鏡のように輝く鎧に包まれていて男か女かすらわからない。背負った大剣や構える盾も、尋常の大きさではない。移動要塞かと見紛うばかりだ。


「むっ、いきなり相性が悪そうなのが来たな! だがここは通さないぞ! というかお前、この道は通れないだろう、何しろ細すぎて! 横幅がめちゃくちゃはみ出しているぞ!」


 甲冑は全身から金属音を立てながら身を縮めた。

 そして次の瞬間、地面を蹴って突撃攻撃をしかけてきた。

 しかも速い。

 金属の弾丸と化したそれは、ヴィルヘルミナが守っている小道の片側を破壊した。

 建物を囲んでいる土塀が粉砕されて、崩れ落ちる。

 金属鎧は背中の大剣を抜き、無造作に振り回す。何気ない一振りが、あっという間に残りの塀や、向かいの建物の壁を粉砕して平らにし、ちょっとした空き地を生み出していく。狭くて通れないというのなら、通れるようにすればいい。ヴィルヘルミナが守れる範囲にも限界があるので、道幅が広くなれば横をすり抜けることもできるし、重武装でも戦いやすい。それは攻撃というより、ちょっとした土木工事の趣がある。もちろん、一発でも当たれば死ぬが。


「あーーーーっ!! そういうのは困るぞ! 一生のお願いだからやめてくれ!! なんのために私がここに残ったと思ってるのだ! ほんとうに困るっ」


 ヴィルヘルミナはぴょんと飛んだり跳ねたり、大剣の下をくぐったりしながら、腕にしがみつく。多少の重りが加わっても甲冑は気にせず《工事》を続けていく。

 持ち前の怪力でヴィルヘルミナをまるでごみのようにそのへんに放ると、また元の位置に戻って両手を地面に着き、突撃攻撃の体勢を取った。もはや独壇場だ。


「くそう! 来るなら来いっ!! ヴィルヘルミナ死すともこころもち死なぬ!」


 フギンがいないので、それは程度をしめす「心持ち」ではなく「志」ではないかとツッコミを入れる者もいない。

 しかしヴィルヘルミナはいたって真面目に、半泣きで、腰を低くして受け止める構えだ。

 そのまま突撃攻撃が行われれば、ヴィルヘルミナは死んでいただろう。

 ただ彼女は幸運だったので、死なずにすんだ。

 甲冑が地面を蹴った瞬間、高台の頂上にある神殿の方向から下り坂をものすごい速さで駆け降りて来た別の鉄の塊が、甲冑の横っ腹に叩きつけられ、ゴムまりのように宙を舞ったのだ。

 辻馬車に跳ねられた事故現場のような光景だった。


「………………なんだ!?」


 ヴィルヘルミナが引き起こした事態によって周りの者が目を白黒させるのは見慣れた光景だが、何が起きたのかわからずに混乱するヴィルヘルミナ、というのは珍しい。

 甲冑は横腹を貫通はしないまでも大きく抉られ、地面に横たわっている。

 ぶつかったほうも無事ではない。

 地面に粉々に、その精巧な部品を散らばらせている。

 が、そのは無事だった。地面に叩きつけられる直前、器用に受け身を取ったのをヴィルヘルミナの視力は捉えていた。そしてその男の金色の髪や緑の瞳を見るまでもなく、それが誰なのかを理解していた。


「おー痛ぇ痛ぇ。この錬金バイクってやつは馬上試合には向かねえな。木っ端みじんになっちまったが、貴重な意見を報告してやらんとな」

「ミダイヤっ! 何しに来た!」


 むくりと起き上がった逞しい背中に、ヴィルヘルミナは嚙みつかんばかりに怒鳴った。


「何って、お前らがいつまでたっても来ねえから様子を見に来てやったんだ。感謝しろ。そして感謝の意思は金貨で伝えろ。あと文句があるならニスミスのニグラに言え。俺をここに呼んだのはアイツだ」

「また何か邪魔しに来たんじゃないだろうな!」

「アホか、邪魔するならむしろ来ねえよ。オリヴィニスの連中にくびり殺されてろ。な」


 ミダイヤは騎士たちの馬上試合に使われるような長い槍ランスを手にしていた。柄から穂先までもが銀色に輝いている。

 それを無造作に地面に置き、ミダイヤは体についた埃を払う。


「だが、この俺様が来たからには


 即席の広場の中央に立つミダイヤの前に、四つの影が進み出る。

 楽器を抱いた美女や南方の湾曲剣を携えた荒くれ者、細剣を携えた貴族らしい若者、ボウガンを構えた盗賊。なぎ倒された甲冑も、負傷はしているらしいが何とか起き上がって加わる。


「あの魔鳥を倒さねば、何が起きるのかは知っているのであろうな」


 女が訊ねた。

 ミダイヤは笑って頷いた。心の底から馬鹿にしている笑みだ。


「ああ、ほかの誰よりもよく知っているさ。だがな、たとえこの地上の誰もが死に滅びるとしても、そんなことは俺様の知ったこっちゃない。で誰もが救われなかったように、そうなる運命だったというだけのことだ」

「其方は世界の敵となるのだぞ」

「世界の敵? たとえ何が起きるにしても、それだけはちがうね。名乗りを上げさせてもらうぜ」


 ミダイヤは四方を敵に囲まれながら、それでも臆さず、胸を張り、誰よりも強大な敵対者として立ちはだかる。


「俺様の名前はミダイヤ・ミットライト。栄えあるグリシナ王に忠誠を誓いしミットライト家、その最後の血にして、偉大なる騎士たちの遺志を継ぐ者。この俺様が戦う限り、あの日、あの時! あの丘で命果てた者たちの栄光と栄誉はこの地上に示され続ける!」


 誰もが身動きしない。ヴィルヘルミナもだ。

 ミダイヤはフギンを守ろうとしている――その言葉を信じたわけではない。今でも疑っている。

 だが、同じ騎士だからこそわかる。

 ミダイヤはここを動かない。傷ついて、死ぬとわかっていても戦い続ける。強敵であり続ける。

 騎士であるということは、そういうことなのだ。

 ヴィルヘルミナも聖女の騎士であった頃なら、たとえ何があったとしても聖女リジアの元を離れず、最後のひとりになったとしても戦い続けただろう。

 それが、本当の心ではなくてもだ。

 誓いはそれだけ重たいものだ。


「《四天の精霊よ、誓約を竜に告げよ》!」


 ミダイヤは両手を重ね、前に突き出す。その手のひらを、腕を、銀の籠手が覆う。全身をマテルのものと同じ甲冑が包みこみ、神話の世界の勇者が手にするような長剣が現れた。強大な精霊が召喚され、ひとりの騎士を守護している。

 その様子を、離れた場所の屋根の上から、メルが眺めていた。

 表情は悩ましげである。


「ごきげんようじゃないか、メルメル師匠。高みの見物とはいい御身分だぜ」


 メルの隣に、ごく最小限の足音を立てて四足の獣が降り立った。

 角つきの小型の鹿の背から降り立ったのは、師匠連のジデルである。


「何しに来たの」

「いやなに、ヨカテルのじいさんに習うとしたら、この事態を呼び寄せた落とし前をつけてもらおうと思ってさ。頼みの綱の英雄くんはこの通りだし!」


 騎乗していた鹿の背には、青いマントの少年が突っ伏している。

 ジデルはにこりと笑うと、懐から白い壺を取り出した。

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